徒花伐採 ~巻き戻りΩ、二度目の人生は復讐から始めます~

めがねあざらし

文字の大きさ
16 / 29

第十五話「王の素質」

しおりを挟む
 屋敷に戻ると、空気が柔らかかった。

 あの王宮の、どこまでも硬質で、息を吸うにも気を張らねばならないような空間に比べれば、この場所は──たとえそれが仮初めの安寧でしかなくとも、随分と人の体温に近い。

 使用人たちは控えめに頭を下げ、僕に必要以上の言葉をかけることはない。けれど、その気配のひとつひとつに、長年育まれた距離感と、家族としての役割を果たす者への配慮が含まれていた。

 僕は、荷も預けたまま、自室を通り過ぎて足を向かわせる。
 応接でもなく、直接、父の執務室へ──そこに行くべきだと、そう思った。

 まだ兄も父も戻っていないらしく、扉の向こうはひっそりとしていた。

 だが、自室で待つ気にはなれなかった。

 ゆっくりと扉を押し開けると、見慣れた書棚と、静かな燭台の火が、午後の名残を薄く照らしていた。
 大きな書きもの机の上には、文箱がいくつか並べられていて、そのうちのひとつが半ば開かれたままになっている。

 きっと急な出立だったのだろう。
 書類の端に押された印の濃淡が、不規則だった。

 僕は机の向かいの椅子に腰を下ろす。
 ここに座るのは、いつ以来だろうか。
 父と向かい合って、まっすぐ言葉を交わすこと自体──もう、何年もなかった。
 それこそ、今朝が久々だったのだ。
 父は決して冷たい人間ではない。忙しい中でも出来るだけ僕達といようと努めてくれる。
 ただ、あくまで姉や僕はこの家で役割が違うと言うだけだ。
 父や兄のように政治の近くにいなかった──これまでは。

 扉が開いたのは、しばらくしてからだった。

 「セラ。……先に戻っていたのか」

 父の声は思ったよりも疲れていて、けれど、予想していたほど冷たくもなかった。

 その後ろには兄がいて、少し驚いたように僕の姿を見やると、何も言わずに軽く頷き、別の部屋へと足を向けた。

 執務室に残ったのは、父と僕だけだった。

 「王宮に?」

 椅子に腰を下ろした父が、短く問いを発する。

 「はい。今日から、自由に出入りできるようになりました。……王太子殿下より、そういうお言葉をいただいております」
 「……ふむ」

 ひとつだけ、曖昧な応答が返る。
 その奥に何を含んでいるのかは読めなかった。

 僕はひと呼吸置いて、続ける。

 「璃晏より遣わされた姉妹──シュウ・ランと、その妹を。王宮から引き取れないかと考えています。こちらも王太子殿下からは許可を頂きました」

 その言葉に、父はほんのわずかに眉を動かした。

 「王宮で彼女たちを“保護”するには……あまりにも多くの目がありすぎる。あの場で“どちらに”組み入れられるかは、運ではなく意図の問題です」

 「……そうか」

 それ以上、父は言葉を足さなかった。
 その沈黙に、僕はあえて踏み込んでみる。

 「父上」

 思ったよりも、声は静かだった。

 「父上が朝に言っておられたことについて、考えておりました」

 視線が、まっすぐ僕に向けられる。

 「──アリスタン殿下が、王位に相応しい人物かどうか、ということについて」

 しばしの沈黙。だが、それは言葉を探しているというよりも──言葉を飲み込むための沈黙だった。
 父の眼差しが、少しだけ揺れる。

 「セラ……」

 その名を呼んだ声には、否定でも肯定でもない、けれど確かに何かを伝えようとする含みがあった。

 (何を……?)

 そこに確信のようなものが走る。

 「父上は、あの方が王位に相応しくないとお考えですね?」

 続ける言葉を探そうとした瞬間──

 「失礼いたします」

 控えめに扉を叩いて、執事が顔を覗かせた。

 「先ほどのお約束の時間が……」
 「……ああ、そうだったな。すぐ行く」

 父は短く言い、執事に手を振ってから僕に向き直る。

 「話の続きはまたにしよう」

 机の引き出しから書簡の束を引き出し、その上から一枚を取り上げて僕に手渡す。

 「シュウ・ラン姉妹については、引き取りなさい。お前の側付きとして迎え入れよう。王宮に上がった際に、味方は一人でも多い方が良いだろう」

 言葉は簡潔だった。
 だが、それは“許可”以上のもの──“理解”の片鱗だった。

 「……ありがとうございます、父上」

 僕がそう答えると、父はほんのわずかに目を細めた。
 それが笑みだったのか、それとも単なる疲労の滲みだったのかは、わからなかった。

 執務室を出たとき、廊下はすでに薄暗くなっていた。
 晩餐の前の静寂。屋敷がいったん深呼吸をするような、そんな時間帯だった。

 僕はそのまま自室へ戻ろうとした。けれど──その途中で、思わず足を止めた。

 そこに、セヴァンがいたからだ。

 廊下の突き当たり。背を壁に預けるようにして立っていた兄は、僕に気づくと、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 「セラ……」

 その名を呼んだきり、兄はそれ以上何も言わなかった。
 けれど、その目が何かを伝えようとしていた。

 そして、すれ違いざま。
 兄の指先が、そっと僕の頬に触れた。

 それはほんの一瞬のことだった。

 温度も、言葉も、なにも伴わない。
 ただ、それでも──その指先には、確かに“兄”の感情があった。

 「……兄上?」

 振り返って呼びかけたときには、セヴァンの背中はもう遠ざかっていた。
 その姿に、なぜか胸が少しだけ、疼いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

待っててくれと言われて10年待った恋人に嫁と子供がいた話

ナナメ
BL
 アルファ、ベータ、オメガ、という第2性が出現してから数百年。  かつては虐げられてきたオメガも抑制剤のおかげで社会進出が当たり前になってきた。  高校3年だったオメガである瓜生郁(うりゅう いく)は、幼馴染みで恋人でもあるアルファの平井裕也(ひらい ゆうや)と婚約していた。両家共にアルファ家系の中の唯一のオメガである郁と裕也の婚約は互いに会社を経営している両家にとって新たな事業の為に歓迎されるものだった。  郁にとって例え政略的な面があってもそれは幸せな物で、別の会社で修行を積んで戻った裕也との明るい未来を思い描いていた。  それから10年。約束は守られず、裕也はオメガである別の相手と生まれたばかりの子供と共に郁の前に現れた。  信じていた。裏切られた。嫉妬。悲しさ。ぐちゃぐちゃな感情のまま郁は川の真ん中に立ち尽くすーー。 ※表紙はAIです ※遅筆です

【完】ラスボス(予定)に転生しましたが、家を出て幸せになります

ナナメ
BL
 8歳の頃ここが『光の勇者と救世の御子』の小説、もしくはそれに類似した世界であるという記憶が甦ったウル。  家族に疎まれながら育った自分は囮で偽物の王太子の婚約者である事、同い年の義弟ハガルが本物の婚約者である事、真実を告げられた日に全てを失い絶望して魔王になってしまう事ーーそれを、思い出した。  思い出したからには思いどおりになるものか、そして小説のちょい役である推しの元で幸せになってみせる!と10年かけて下地を築いた卒業パーティーの日ーー ーーさあ、早く来い!僕の10年の努力の成果よ今ここに!  魔王になりたくないラスボス(予定)と、本来超脇役のおっさんとの物語。 ※体調次第で書いておりますのでかなりの鈍足更新になっております。ご了承頂ければ幸いです。 ※表紙はAI作成です

転生悪役召喚士見習いのΩくんと4人の最強の番

寿団子
BL
転生した世界は、前世でやっていた乙女ゲームの世界だった。 悪役お姫様の兄に生まれ変わった少年は普通のゲーム転生ではない事に気付く。 ゲームにはなかったオメガバースの世界が追加されていた。 αの家系であった一族のΩとして、家から追い出された少年は1人の召喚士と出会う。 番となる人物の魔力を与えられないと呪いによりヒートが暴走する身体になっていた。 4人の最強の攻略キャラと番になる事で、その呪いは神秘の力に変わる。 4人の攻略キャラクターα×転生悪役令息Ω 忍び寄る女王の祭典でなにかが起こる。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

【本編完結】完璧アルファの寮長が、僕に本気でパートナー申請なんてするわけない

中村梅雨(ナカムラツユ)
BL
海軍士官を目指す志高き若者たちが集う、王立海軍大学。エリートが集まり日々切磋琢磨するこの全寮制の学舎には、オメガ候補生のヒート管理のため“登録パートナー”による処理行為を認めるという、通称『登録済みパートナー制度』が存在した。 二年生になったばかりのオメガ候補生:リース・ハーストは、この大学の中で唯一誰ともパートナー契約を結ばなかったオメガとして孤独に過ごしてきた。しかしある日届いた申請書の相手は、完璧な上級生アルファ:アーサー・ケイン。絶対にパートナーなんて作るものかと思っていたのに、気付いたら承認してしまっていて……??制度と欲望に揺れる二人の距離は、じりじりと変わっていく──。 夢を追う若者たちが織り成す、青春ラブストーリー。

【完結】王のための花は獣人騎士に初恋を捧ぐ

トオノ ホカゲ
BL
田舎の貧村で暮らすリオンは、幼い頃からオメガであることを理由に虐げられてきた。唯一の肉親である母親を三か月前に病気で亡くし、途方に暮れていたところを、突然現れたノルツブルク王国の獣人の騎士・クレイドに助けられる。クレイドは王・オースティンの命令でリオンを迎えに来たという。そのままクレイドに連れられノルツブルク王国へ向かったリオンは、優しく寄り添ってくれるクレイドに次第に惹かれていくがーーーー?  心に傷を持つ二人が心を重ね、愛を探す優しいオメガバースの物語。 (登場人物) ・リオン(受け) 心優しいオメガ。頑張り屋だが自分に自信が持てない。元女官で薬師だった母のアナに薬草の知識などを授けられたが、三か月前にその母も病死して独りになってしまう。 ・クレイド(攻め)  ノルツブルク王国第一騎士団の隊長で獣人。幼いころにオースティンの遊び相手に選ばれ、ともにアナから教育を受けた。現在はオースティンの右腕となる。 ・オースティン  ノルツブルク王国の国王でアルファ。

処理中です...