徒花伐採 ~巻き戻りΩ、二度目の人生は復讐から始めます~

めがねあざらし

文字の大きさ
18 / 29

第十七話「誰が為の毒」

しおりを挟む
ランの部屋を出たあと、僕はしばらく、王宮の廊下に立ち尽くしていた。

石造りの壁に寄りかかるわけでもなく、足音を立てるでもなく──ただ、そこにいた。
磨かれた床はやわらかな陽を跳ね返し、細い窓の向こうには、よく手入れされた中庭が広がっている。
だがその穏やかさは、僕の胸の奥に居座るざらついた感覚を、何ひとつ和らげはしなかった。

(……誰に使われたのかは、分かりません)

あの時、ランがそう答えたときの顔──目の奥に浮かんでいたものは、恐れというよりも、理解しきれないまま呑み込まれていく混乱だった。

命じられたとおりに薬を調合し、それが何に使われるかは知らされない。
それが“毒”であると知ったのは、配合に含まれた、ひとつの成分──神経に作用する乾燥草の名を見たときだったという。

『神経に直接届くものです。……少量なら、ただ眠るだけ。でも、量が増えれば──日常に戻れなくなる』

彼女の言葉は、どこか遠い出来事を語るような声音だった。
医術の知識として理解しているが、それを「人に使われる現実」として受け入れきれていない、そんな響き。

それでも彼女は、配合を続けたのだ。
理由を問えば、彼女はこうも言った。

『妹のために、逆らえませんでした。私が消されれば、あの子も──』

それは、あまりにも真っ直ぐで、痛ましい言葉だった。

薬を作る手は震えていただろうか。
目を閉じていたのだろうか。
僕には分からない。だが、その沈黙の中に刻まれている恐怖と諦念の重さだけは、確かに伝わってきた。

(では──誰に、使われた?)

その答えが、今はまだ見えない。
ただ、ここは王宮だ。
毒が意味するものは、単なる“排除”ではない。

王家の血。
王族の寵愛。
派閥と、継承と、失脚と──。

誰かが、誰かの命を削りながら、椅子を奪いにいっている。
そんな予感が、胸の奥でひどく冷たく光っていた。



屋敷へ戻ったその夜、夕餉も終えて屋内が静まった頃──
僕は思いきって、父の執務室を訪れた。
いつものように、書類に目を落とす父の手が止まる。
僕は小さく礼をして、少しだけ間をおき、それから切り出した。

「王宮の中で……最近、体調を崩されている方はいらっしゃいませんか」

父は、眉をほんのわずかに動かす。
その仕草に、少しだけ警戒の色がにじんだ気がしたが──それでも、答えはすぐに返ってきた。

「王弟妃だ。……名はアメリア。セヴァンの生家と、血のつながりがある」

静かな口調だった。
だが、その一言に、思いも寄らぬ波紋が広がる。

──セヴァンの実家。

つまり、兄上の血筋。
僕と同じ家に連なる人間が、その標的かもしれないと──?

「どのような症状なのですか」
「目眩、頭痛、倦怠……そして異常な眠気。しかも、決まって“特定の食後”に悪化すると聞いた。薬石効なく、王弟家では医師の入れ替えも検討しているそうだ」

僕は思わず唇を噛んだ。
それは、ランの言っていた薬の“作用”と重なる。

「……それは、“何か”を盛られている可能性があります」
「セラ」

父は、わずかに低い声で僕の名を呼ぶ。

「深入りするな。これは、お前の手に余る。王弟派に与していると見られれば、殿下からの信頼を損ねかねない」
「信頼、ですか?」

その言葉に、僕は思わず苦笑してしまった。

「“従順である限り”の信頼など、信頼ではありません。彼らが信じているのは“従わせている”という事実だけです」

父はしばらく黙っていた。
その沈黙は、決して軽いものではなかった。

「……それでも、王弟家と接触することは今は避けろ。妃は病んでいる。だが、それが誰かの“手”によるものかどうかは、まだ定かではない。お前に疑いが及ぶ前に、引くべきだ」
「でも、放っておけません」

その一言は、もはや迷いではなかった。

僕は、知らないうちに、踏み出してしまっていたのだ。
あの柔らかく微笑む妹の笑顔と、その背後で震える姉の沈黙。
命じられるままに毒を調合し、それが誰に使われたかもわからぬまま、震えていたか細い手──。

(このまま、知らなかったふりをして、生きていくことなどできるだろうか)

できるはずがない。

「ランとその妹を、お話しした通り正式に引き取ります。妹は屋敷で侍女見習いを。姉は、医務塔の手伝いをしているようですから……それはここから通わせましょう。あくまで王宮で“働かせる”形にすれば、口出しもされにくいはずです」

父は、その提案に少し驚いたように目を細め──そして、静かに頷いた。

「……それならば問題はないだろう。そちらはお前に任せよう」
「はい」

ひとつではあるが手がかりは、僕の手の中に入った。
王弟妃アメリア。
彼女が毒を盛られていたとすれば──それは何を意味するのか。

(兄上の家は現在眠っているようなものだ……どんな意味がある?)

僕はひとつ、静かに息を吐いた。

誰が、誰に、何のために。

毒が語るその意味を、掘り下げるには、まだあまりに材料が少ない。
だが、“誰か”が静かに動き出している──その輪郭だけは、確かに浮かび上がり始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

待っててくれと言われて10年待った恋人に嫁と子供がいた話

ナナメ
BL
 アルファ、ベータ、オメガ、という第2性が出現してから数百年。  かつては虐げられてきたオメガも抑制剤のおかげで社会進出が当たり前になってきた。  高校3年だったオメガである瓜生郁(うりゅう いく)は、幼馴染みで恋人でもあるアルファの平井裕也(ひらい ゆうや)と婚約していた。両家共にアルファ家系の中の唯一のオメガである郁と裕也の婚約は互いに会社を経営している両家にとって新たな事業の為に歓迎されるものだった。  郁にとって例え政略的な面があってもそれは幸せな物で、別の会社で修行を積んで戻った裕也との明るい未来を思い描いていた。  それから10年。約束は守られず、裕也はオメガである別の相手と生まれたばかりの子供と共に郁の前に現れた。  信じていた。裏切られた。嫉妬。悲しさ。ぐちゃぐちゃな感情のまま郁は川の真ん中に立ち尽くすーー。 ※表紙はAIです ※遅筆です

【完】ラスボス(予定)に転生しましたが、家を出て幸せになります

ナナメ
BL
 8歳の頃ここが『光の勇者と救世の御子』の小説、もしくはそれに類似した世界であるという記憶が甦ったウル。  家族に疎まれながら育った自分は囮で偽物の王太子の婚約者である事、同い年の義弟ハガルが本物の婚約者である事、真実を告げられた日に全てを失い絶望して魔王になってしまう事ーーそれを、思い出した。  思い出したからには思いどおりになるものか、そして小説のちょい役である推しの元で幸せになってみせる!と10年かけて下地を築いた卒業パーティーの日ーー ーーさあ、早く来い!僕の10年の努力の成果よ今ここに!  魔王になりたくないラスボス(予定)と、本来超脇役のおっさんとの物語。 ※体調次第で書いておりますのでかなりの鈍足更新になっております。ご了承頂ければ幸いです。 ※表紙はAI作成です

転生悪役召喚士見習いのΩくんと4人の最強の番

寿団子
BL
転生した世界は、前世でやっていた乙女ゲームの世界だった。 悪役お姫様の兄に生まれ変わった少年は普通のゲーム転生ではない事に気付く。 ゲームにはなかったオメガバースの世界が追加されていた。 αの家系であった一族のΩとして、家から追い出された少年は1人の召喚士と出会う。 番となる人物の魔力を与えられないと呪いによりヒートが暴走する身体になっていた。 4人の最強の攻略キャラと番になる事で、その呪いは神秘の力に変わる。 4人の攻略キャラクターα×転生悪役令息Ω 忍び寄る女王の祭典でなにかが起こる。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

【本編完結】完璧アルファの寮長が、僕に本気でパートナー申請なんてするわけない

中村梅雨(ナカムラツユ)
BL
海軍士官を目指す志高き若者たちが集う、王立海軍大学。エリートが集まり日々切磋琢磨するこの全寮制の学舎には、オメガ候補生のヒート管理のため“登録パートナー”による処理行為を認めるという、通称『登録済みパートナー制度』が存在した。 二年生になったばかりのオメガ候補生:リース・ハーストは、この大学の中で唯一誰ともパートナー契約を結ばなかったオメガとして孤独に過ごしてきた。しかしある日届いた申請書の相手は、完璧な上級生アルファ:アーサー・ケイン。絶対にパートナーなんて作るものかと思っていたのに、気付いたら承認してしまっていて……??制度と欲望に揺れる二人の距離は、じりじりと変わっていく──。 夢を追う若者たちが織り成す、青春ラブストーリー。

【完結】王のための花は獣人騎士に初恋を捧ぐ

トオノ ホカゲ
BL
田舎の貧村で暮らすリオンは、幼い頃からオメガであることを理由に虐げられてきた。唯一の肉親である母親を三か月前に病気で亡くし、途方に暮れていたところを、突然現れたノルツブルク王国の獣人の騎士・クレイドに助けられる。クレイドは王・オースティンの命令でリオンを迎えに来たという。そのままクレイドに連れられノルツブルク王国へ向かったリオンは、優しく寄り添ってくれるクレイドに次第に惹かれていくがーーーー?  心に傷を持つ二人が心を重ね、愛を探す優しいオメガバースの物語。 (登場人物) ・リオン(受け) 心優しいオメガ。頑張り屋だが自分に自信が持てない。元女官で薬師だった母のアナに薬草の知識などを授けられたが、三か月前にその母も病死して独りになってしまう。 ・クレイド(攻め)  ノルツブルク王国第一騎士団の隊長で獣人。幼いころにオースティンの遊び相手に選ばれ、ともにアナから教育を受けた。現在はオースティンの右腕となる。 ・オースティン  ノルツブルク王国の国王でアルファ。

処理中です...