徒花伐採 ~巻き戻りΩ、二度目の人生は復讐から始めます~

めがねあざらし

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第十九話「王弟妃の影」

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扉が開いたのは、部屋に差し込む陽の角度がわずかに変わった頃だった。

音はなかった。
鍵の機構が内側から静かに滑るだけの、微かな気配。

その瞬間、部屋の空気が確かに変わった。

軽やかに足を運んできたのは、アリスタンだった。

変わらぬ銀白の髪が肩先に落ち、青の瞳は笑みを湛えている。
優雅な笑みだった。誰が見ても、優しく、聡明で、あたたかい──そう錯覚させるような、よく調律された仮面。

そしてそのすぐ背後に、女官長のクレイアがいた。

控えめに下げられたその瞳に、表情はない。
だが、アリスタンの肩越しにこちらを射抜いたその視線には、明らかな棘があった。嫉妬とも憎悪ともつかぬ、冷たい熱が滲んでいる。

(……こうしたことも、僕はまるで見えていなかったのだな)

かつての“婚約者”として、王宮に出入りし、王太子の隣に在ったはずだった。
けれど、その視線に気づいたことは一度もなかった。
気づかないほど、遠かったのか。
あるいは、気づかないほどに僕が腑抜けていたのか──。

アリスタンは、何事もなかったかのように近づいてきて、ためらいすら見せずに僕の肩に手をかけた。

「来てくれて嬉しいよ、セラ。急な呼び出しだったのに、すまなかったね」

声は柔らかい。けれど、その声音の下にある“何か”を、僕はもう聞き分けることができる。

僕は微笑で応じた。

「王太子殿下からのご召しに、逆らえる者などおりませんから」

アリスタンは愉しげに目を細める。

「そう言うところ、君は変わらないな。口にする言葉の選び方まで、私を楽しませる」

そのまま、僕の肩を軽く引き寄せる。

意識せずとも、身体が硬直するのがわかる。
その一歩、僕の領域へ踏み込んでくるこの動作が、どれだけ無自覚に、どれだけ当然のように、彼の行動に組み込まれているか──それを思うと、背筋の奥に冷たいものが這い上がってくる。

けれど僕は、抵抗しなかった。
ここで拒めば、さらに苛烈な執着に火が点くことを、僕はもう知っている。

アリスタンの手が僕の腰に触れた刹那、視線がまたクレイアへと滑った。

彼女は、無言のまま、こちらを見ていた。
その瞳の奥には、爛れるような黒い感情が宿っていた。静かに、しかし確実に、僕を“何か”として見ている目。

(……ただの愛人ではない。あれは──もっと深い何か)

何かを知っていて、そして、守りたい“王太子の秘密”がある。
その想いが、その視線が、むしろすべてを雄弁に語っていた。



屋敷に戻ったのは、日が大きく傾きはじめた頃だった。

ランとリン──あの姉妹を伴っての帰路は、どこか奇妙な静けさに包まれていた。
二人とも口数は少なく、リンは緊張からかランの手を握ったまま離さなかった。
ランは歩みこそ安定していたが、その瞳の奥には、どこか遠くを見つめるような強張りがあった。

門をくぐった時、玄関先には思いがけない姿があった。

父上、そして兄上がそこにいた。
ふたりとも、通常の執務時間より早く戻ってきていた。
しかも、どちらも落ち着かぬ面持ちで玄関に立っている。

「──おかえり」

父がこちらを見るなり、言葉を発した。

それは明らかに“いつもの口調”ではなかった。
厳しさでも冷淡さでもなく、何かが切迫している響き。

「どうかされたのですか?」

僕が尋ねると、父が一拍置いてからこたえた。

「セヴァンを伴って、王弟妃の元へ向かう。容態が悪化したとの報せが入った。すぐにでも見舞いに行かねばならん」

僕は思わず彼女の方を振り返った。
彼女は、ただひとつ頷いた。
声はなかった。
けれど、その瞳の奥に宿る“確信”の色──それは、あまりにも明瞭だった。

命令で薬を煎じたラン。
クレイアの文。
そして、父が語る王弟妃の容態の急変。
すべてが、ひとつの線で繋がっていくのがわかる。

(……毒が、効きはじめたのだ)

「……セラ様」

ランが、声を潜めて近づいた。
その声音は、震えてはいなかった。だが、何かに抗おうとするような緊張があった。

「もしかしたら……私、解毒薬を作れるかもしれません」

その囁きに、時間が止まった気がした。
僕は、目を見開いた。

「本当か」

彼女は、ためらいながらも、静かに頷いた。

「完全な確証はありません。ただ、使用された毒草があの配合なら……応用できる処方があります。私ひとりでは難しいかもしれませんが、医務塔で資料を集めれば……あとは薬草があればきっと、間に合います」

その目に、諦めはなかった。
王宮にいた日々に傷つきながらも、彼女はまだ“誰かを救おう”としている。

そして──それは、きっともう彼女自身の“贖罪”なのだ。

僕は、ぐっと息を飲み、父の背に向かって声を放った。

「……待ってください」

父の足が止まる。
すべてを賭けるような緊張が、場の空気を支配した。
ランの手が、そっと僕の袖を握った。
僕はもう一歩、前へ出る。

──これは、ただの“毒”ではない。

誰が、誰を、どんな意図で。
その問いの先に、“真実”がある。
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