娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

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23、静かなる掌握~リディア~

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エリオットがリディアの弟の病状を確認しに行ったのは、昼下がりのことだった。
リディアの弟は、まだ寝台の上に横になっていたものの、以前よりも顔色は明るくなっている。

「少し、楽になったみたいですね」

弟の額にそっと手を当てながら、エドモンドが低く言った。
リディアは、緊張した面持ちで、そばに立っていた。

「そ、そうでしょうか……」
「ええ。熱はまだ完全には下がっていませんが、肺の音も昨日よりは少し澄んできています。正しい薬を続ければ、いずれ快方に向かうでしょう」

エリオットは静かに頷いた。

(やはり、薬が原因だった……わかってとはいえ、良かった)

エドモンドがヴェロニクの指示通りに「成分の足りない薬」を渡していたせいで、リディアの弟はずっと苦しみ続けていたのだ。
エドモンドは、じっと弟の寝顔を見つめたまま、静かに息を吐いた。

「……私は……謝らなければなりません」

リディアが驚いて顔を上げる。

「えっ……?」

エドモンドは、静かにリディアの方を向いた。

「私は、医師でありながら、君の弟を救うどころか、苦しめる結果になった。すべては、私が医師としての責任を果たせなかったからだ」
「ちょ、ちょっと待ってください!せ、先生が……そんな……!」

リディアは動揺して、手を振った。

「私、先生に薬をいただいた時、本当に感謝していましたし、今でも……!」
「だが、その薬は正しいものではなかった」

エドモンドは、悔しげに目を伏せる。

「私は、ヴェロニク様の指示に従い、それを疑うことさえしなかった。私がもう少し早く正しい判断をしていれば、君の弟はもっと早く回復していたかもしれない……そう思うと、胸が痛む」

リディアは言葉を失い、ただエドモンドを見つめた。
その目には、迷いと驚き、そして、少しの安堵が混じっている。

(エドモンドも、少しずつ変わっていくんだろうな)

エリオットは、静かに二人を見守りながら、そう思った。

「先生、これからはどうされるおつもりですか?」

そして、一つ問いかける。
エドモンドは、ゆっくりとエリオットを見た。

「……私の責務は、患者を救うこと。それが揺らいでは、医師とは言えません。私は、公爵家の医師として、これからは真実に基づいた診察と治療を行うつもりです」

力強く言うエドモンドに、リディアの顔が明るくなる。

「先生……!」

「リディア、君の弟の治療は、これから私が最後まで責任をもって行う。もう、余計な心配をさせることはないと約束しよう」

リディアは、涙ぐみながら深く頭を下げた。

「本当に、ありがとうございます……!」

エドモンドは、ぎこちなく微笑んだ。
エリオットも満足そうに頷く。

(よし……これで、リディアもエドモンドも、完全にこちら側だ)

ヴェロニクが築いてきた「支配の網」は、確実に綻び始めている。
あとは、次の一手だ。
エリオットはそっと微笑んだ。




エリオットは、次の一手を打つべく、公爵家の使用人たちに接触することにした。
ヴェロニクは、長らく公爵家の実権を握り、使用人たちを「管理」してきた。
だが、それは「信頼による統率」ではなく、「恐怖による支配」に近いものだった。

(ならば、僕は正反対の方法で行く)

エリオットは、まず厨房へ向かった。
厨房では、使用人たちが忙しなく働いていた。
大鍋からはスープの良い香りが漂い、オーブンからは焼き立てのパンの匂いが広がっている。
エリオットが扉を開けると、何人かの料理人がぎょっとした顔をした。
貴族の家の「奥方」が、自ら厨房に足を運ぶことなど、滅多にないからだ。

「……奥様?」

厨房の責任者であるマルタが、驚いた顔でエリオットを見た。
彼女は四十代半ばのしっかりした女性で、女だてらに長年この厨房を取り仕切ってきた。
エリオットは、にこりと微笑む。

「こんにちは。少し、お邪魔してもいいかな?」
「も、もちろんです!ですが……何か、不備でも……?」

エリオットは、首を振った。

「いや、そうじゃないよ。ただ、今日の昼食のスープがとても美味しかったから、作ってくれた人に直接お礼を言いたくてね」

その言葉に、厨房の空気が一瞬止まる。

「……えっ?」

マルタが、ぽかんと目を丸くする。
周囲の料理人たちも、驚いたように手を止めた。

(……これは、誰からも感謝をされたことがない反応だな……普通の貴族はそんなものなのか?それともここが異常なのか……)

エリオットは、微笑みを崩さず続ける。

「僕は、料理が好きなんだ。だから、作る人の気持ちがこもった料理には、ちゃんとお礼を言いたいと思ってる」
「そんな……と、とんでもないことを……!」

マルタは頬を染め、恐縮したように手を振った。
エリオットは、そばにあったスープ鍋を覗き込み、ふわりと香りを吸い込む。

「うん、今日のスープもいい香りだね。何のスープ?」
「えっと……鶏肉と根菜を煮込んだものです。胃に優しく、栄養が取れるように」
「なるほどね。寒い時期にはぴったりだ」

エリオットは、厨房にいる料理人たちをぐるりと見回した。

「いつも、公爵家の食事を支えてくれてありがとう。これからも、よろしく頼むよ」

そう言って、エリオットは厨房に持ち込んだ焼き菓子の詰め合わせを差し出した。

「よかったら、休憩のときにでも食べてほしい。君たちの味には敵わないかもだけどね」
「えっ、こ、こんなものを……?」

マルタが、信じられないといった表情を浮かべる。

「ええ、僕が用意したものだよ」

エリオットは、あくまで自然に微笑む。

「公爵家の食事は、厨房の皆さんが作ってくれるもの。感謝の気持ちを伝えるのは当然でしょう?」

使用人たちは、目を見開いたまま、しばらくエリオットを見つめていた。
やがて、マルタがふっと微笑む。

「……ありがとうございます、奥様」

他の料理人たちも、次々と感謝を述べ始めた。

(よし、悪くない反応だ)

ヴェロニクは、使用人たちに対し「労う」ということをほとんどしなかった。
彼の統率方法は、「恐怖と監視」だったからだ。
エリオットはその逆を行く。
「労いと感謝」で、ゆっくりと、しかし確実に、公爵家の空気を変えていく。
厨房を後にしたエリオットは、今度は侍女たちに接触することにした。
彼女たちは、ヴェロニクの影響下にありながらも、日々の業務をこなす者たちだ。
直接の支配下にあるわけではないが、「ヴェロニクに逆らうと厄介なことになる」という意識が根付いている。

だからこそ、まずは「安心感」を与えることが必要だった。

エリオットは、侍女たちの控室を訪れ、さりげなく彼女たちの仕事ぶりを褒めることから始めた。

「いつも部屋を綺麗にしてくれてありがとう。おかげでとても快適に過ごせているよ」
「そういえば、昨日の寝室のシーツ、とても良い香りがしたね。君たちの気遣いのおかげだね」

些細なことだったが、侍女たちの反応はすぐに変わった。
初めは警戒していた彼女たちも、次第に少しずつ心を開き始める。
特に、リディアは、その筆頭と言ってもいい。
そして彼女は公爵家の変化を誰よりも敏感に感じ取っていた。

(……奥様は、今までの公爵家の方とは違う)

彼女の中で、エリオットへの信頼がさらに強まっていくのを感じていた。



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