娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

文字の大きさ
66 / 89

64、アドリアンとの対話

しおりを挟む
アドリアンは静かに執務室の扉を開け、エリオットを中へ招き入れた。

「座れ」

部屋の中央には重厚なソファが置かれ、そこへアドリアンは腰を下ろした。
エリオットはそれに倣い、対面の椅子に腰を落ち着ける。

アドリアンは飲みかけのワイングラスを手に取り、ゆっくりと口をつけた。
その仕草は優雅で、どこか冷ややかだった。

「……さて、君がわざわざ戻ってきた理由を聞こうか」

エリオットはまっすぐにアドリアンを見つめた。

「公爵家の現状について、お話を伺いたく」
「ふむ……現状、ね」

アドリアンは薄く笑い、グラスをテーブルに置いた。

「君は、王宮でどれほどの情報を得てきた?」
「それを確かめるために、こうして戻ってきたのです」

エリオットの静かな声に、アドリアンの眉がわずかに動く。

「そうか……随分と積極的になったものだな」
「必要なことをしているだけです」

アドリアンは短く息を吐き、エリオットをじっと見つめた。

「君は……あの男の元で、何を得た?」
「……」
「皇帝陛下は、君に何を与えた?その対価はなんだ?君自身か?」
「それは……公爵閣下に関係のある話でしょうか?」

エリオットが淡々と返すと、アドリアンの目が鋭くなる。

「君は、私の妻だ」

その言葉に、エリオットの指がわずかに動く。

(……ああ、まだそんなことを……確かに形式上は、そうだけれども)

アドリアンは静かに続ける。

「私は、君を迎えた。しかし君は、私の手の中からするりと抜けていった」
「それは、あなたがそうさせたのでは?」

エリオットの問いに、アドリアンは短く笑った。

「……どうだろうな」

一瞬の沈黙。
アドリアンは、グラスを指先で回しながら、ゆっくりと答えた。

「公爵閣下、僕たちの関係は、もともとお互いの親の取り決めたものです」
「そうだな」

アドリアンはふっと笑い、指先でグラスを軽く叩いた。

「だが、それだけではなかったはずだ」
「……」
「君は、私を見ていた」
「それは、夫婦として当然のことでしょう」
「違う。君は、私を愛していた」

エリオットは、思わず息を呑んだ。

(愛していた……?)

「昔の君なら、否定しなかっただろう」

アドリアンの声が低くなる。

「それとも、あの男のもとで過ごすうちに、私への想いは消えたのか?」

(……そう、だっただろうか)

かつて、アドリアンに抱いていた感情。
憧れにも似た想い。
彼の言葉に耳を傾け、彼の笑顔に安心し、彼の隣に立つことを望んでいた。
それを「愛」と呼ぶのなら——確かに、エリオットは彼を愛していたのかもしれない。
エリオットはふっと短く息を吐いた。

「……そうですね」

アドリアンの瞳がわずかに揺れる。

「ここに来る前は──あなたを愛していたと言ってもいいかもしれませんね」

アドリアンはソファの肘掛けに肘をつきながら、ワイングラスを傾ける。

「そうか。なら、なぜ私を裏切るような真似をする?」
「……」

(裏切る、か)

エリオットは心の中で苦笑を零した。
いっそ愉快で笑い出したいくらいだ。よくそんなことを言えたものだ、と。

「君は結局、私の元に戻ってきた。何がしたい?」
「僕が戻ったのは、公爵家のために必要なことだからです。それに──僕だけが裏切ったような物言いはやめて頂きたい」

エリオットが淡々と返すと、アドリアンは小さく笑った。

「まるで私のせいで離れたかのような言い方だな」

(……やはり)

エリオットは自嘲気味に微笑んだ。

「……公爵閣下」

静かな声でエリオットが呼ぶ。

「僕があなたのせいで離れたのではないと、本気で思っているのですか?」

アドリアンの眉がわずかに動く。

「君は、私との結婚を望んでいた。そうだろう?」
「ええ。でも、それを壊したのはあなたでしょう?」
「……何をそんな大げさなことを」
「大げさ?」

エリオットの声がわずかに低くなる。

「あなたは、僕が公爵家に入ったその日に、最初に何をしたか覚えていますか?」
「……」
「僕に、ヴェロニクを紹介しました。番だと、ね」

アドリアンはワインを飲みながら、薄く笑った。

「そんなことぐらいで?」
「そんなことぐらい、ですか?」

エリオットはゆっくりと足を組んだ。

「公爵閣下。あなたにとっては『そんなこと』だったのでしょう。僕にとっては、あの日がすべての終わりだった」

アドリアンの笑みが消える。

「僕は、あなたとの結婚を本気で喜んでいました。あなたに愛されることを望んでいた。あなたの妻になることを、誇りに思っていた」
「……」
「でも、あなたは僕を見ていなかった。結婚して最初にしたのは、僕の目の前で『愛人』を紹介すること」

エリオットの指が、無意識に膝の上で組まれた。

「公爵閣下。僕は、あの時はまだ何も知らないまま、ただ幸せを信じていました。あなたが優しく微笑んでくれることが、ただ嬉しかった。優しいあなたとなら父と母のような夫婦になり、子を儲け、共に老い……そう考えていましたよ」

エリオットは、ふっと息を吐いた。

「でも、その幸せを一瞬で壊したのは、他の誰でもない、あなたです」

アドリアンの手が、ワイングラスを強く握る。

「……」

「あなたは僕に、伴侶としての居場所を与えなかった。それどころか、初日から『お前の居場所はここにはない』と教えてくれた」

アドリアンの表情が険しくなる。

「……私は」
「あなたは?」
「……」
「僕の前で、ヴェロニクと親しく言葉を交わし、彼を側に置き、僕の存在を無視し続けた。それがどれほど屈辱であったか、どれほど僕の心を壊したか、あなたはご存じない」
「……」
「それでも、僕はあなたの妻として振る舞おうとしました。形式上の妻としてね。夫に捨てられた公爵夫人だと、他人に気づかれないようにするために」

アドリアンが、拳を握る音が聞こえた。

「貴族に……愛人なんて……」
「いて当たり前、ですか?」

くすり、とエリオットは笑い息を吐く。

「そうですね。でもね、公爵閣下──それが貴族社会にありえるとしても、普通は区別をするものですよ。あなたはこともあろうに、愛人を本邸に……しかも僕という本妻を迎えても堂々と住まわせ続けましたね?あなたのお父上はそんな方でしたか?」

アドリアンは言葉に詰まったまま、ただ押し黙っている。

「それが可愛い愛人の願いだとしても、あなたは区別をすべきだった。少なくとも、そうしてくだされば僕はあなたの元から離れなかったでしょうね。これは狭量だとかの問題ではないのです。矜持の問題なのです」

エリオットは静かに目を伏せた。

「だから、あれが終わりだったのです」

静寂が落ちる。
アドリアンの拳が、膝の上で震えていた。

「……お前は」

その声は低く、かすれていた。

「お前は、私を責めたいのか?あの男の元に自分は逃げておいてか?」
「違います」

エリオットは冷静に言った。

「僕はただ、あなたに僕の気持ちなど分かるはずがないと証明しただけです。そして壊れたものはもう戻らないと。それに皇帝陛下のことをあなたから責められる謂れはありません。例え、あの方が僕を想って下さっていようと、僕の心があの方に向いていようと、公爵夫人として妻としての一線は超えていません。あなた方とは違ってね」

アドリアンが息を詰まらせる。

「……」
「僕は、過去の話をするためにここに来たわけではありません」

エリオットは静かに座り直した。

「公爵家の問題について話をしましょう」

アドリアンは拳を握り、目を閉じた。

(しかし……そんなことぐらい……そんなことぐらい、か)

結局のところ、アドリアンは何も分かっていなかった。
アドリアンにとっては「取るに足らないこと」だった結婚式のあの日が、エリオットにとってはすべての終わりだったのだと。
そして、それを壊したのは他でもない自分自身だったのだと——。

「……」

アドリアンは深く息を吐き、静かに言った。

「……話を聞こうか」

エリオットはわずかに目を細めた。

(……まずは、ここからだ)




//////////////////////////////
次の更新→3/5 PM10:30頃
⭐︎感想いただけると嬉しいです⭐︎
///////////////////////////////
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

回帰したシリルの見る夢は

riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。 しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。 嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。 執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語! 執着アルファ×回帰オメガ 本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます。 物語お楽しみいただけたら幸いです。 *** 2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました! 応援してくれた皆様のお陰です。 ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!! ☆☆☆ 2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!! 応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。

巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。 発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。 そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。 第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。

釣った魚、逃した魚

円玉
BL
瘴気や魔獣の発生に対応するため定期的に行われる召喚の儀で、浄化と治癒の力を持つ神子として召喚された三倉貴史。 王の寵愛を受け後宮に迎え入れられたかに見えたが、後宮入りした後は「釣った魚」状態。 王には放置され、妃達には嫌がらせを受け、使用人達にも蔑ろにされる中、何とか穏便に後宮を去ろうとするが放置していながら縛り付けようとする王。 護衛騎士マクミランと共に逃亡計画を練る。 騎士×神子  攻目線 一見、神子が腹黒そうにみえるかもだけど、実際には全く悪くないです。 どうしても文字数が多くなってしまう癖が有るので『一話2500文字以下!』を目標にした練習作として書いてきたもの。 ムーンライト様でもアップしています。

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません

くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、 ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。 だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。 今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

陰日向から愛を馳せるだけで

麻田
BL
 あなたに、愛されたい人生だった…――  政略結婚で旦那様になったのは、幼い頃、王都で一目惚れした美しい銀髪の青年・ローレンだった。  結婚式の日、はじめて知った事実に心躍らせたが、ローレンは望んだ結婚ではなかった。  ローレンには、愛する幼馴染のアルファがいた。  自分は、ローレンの子孫を残すためにたまたま選ばれただけのオメガに過ぎない。 「好きになってもらいたい。」  …そんな願いは、僕の夢でしかなくて、現実には成り得ない。  それでも、一抹の期待が拭えない、哀れなセリ。  いつ、ローレンに捨てられてもいいように、準備はしてある。  結婚後、二年経っても子を成さない夫婦に、新しいオメガが宛がわれることが決まったその日から、ローレンとセリの間に変化が起こり始める…  ―――例え叶わなくても、ずっと傍にいたかった…  陰日向から愛を馳せるだけで、よかった。  よかったはずなのに…  呼ぶことを許されない愛しい人の名前を心の中で何度も囁いて、今夜も僕は一人で眠る。 ◇◇◇  片思いのすれ違い夫婦の話。ふんわり貴族設定。  二人が幸せに愛を伝えあえる日が来る日を願って…。 セリ  (18) 南方育ち・黒髪・はしばみの瞳・オメガ・伯爵 ローレン(24) 北方育ち・銀髪・碧眼・アルファ・侯爵 ◇◇◇  50話で完結となります。  お付き合いありがとうございました!  ♡やエール、ご感想のおかげで最後まではしりきれました。  おまけエピソードをちょっぴり書いてますので、もう少しのんびりお付き合いいただけたら、嬉しいです◎  また次回作のオメガバースでお会いできる日を願っております…!

処理中です...