娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

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72、再び公爵邸へ

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夜が明けると同時に、王宮内は静かに動き始めていた。
エリオットは、執務室の扉を叩く。

「陛下、失礼します」

扉の向こうから、低く落ち着いた声が返ってきた。

「入れ」

中へ足を踏み入れると、シグルドはすでに身支度を整えていた。
黒を基調とした衣装はいつもの軍装ではなく、護衛としての装いだった。
けれど、その威圧感はまったく薄れていない。

「……準備は?」

シグルドが手元の書類を片付けながら問いかける。
エリオットは静かに頷いた。

「問題ありません。すでに僕の荷物は最低限に抑え、いつでも出発できます」
「そうか」

シグルドは軽く顎を引き、ソファへ腰を下ろす。
その仕草は、どこか考え込むようでもあった。

「君が行く以上、こちらもただ送り出すわけにはいかない」
「……護衛として、ご同行いただけるとのこと。レオンから聞きました。僕も納得しています」

エリオットは、扉の前に立ったままそう告げた。
シグルドがゆっくりと視線を向ける。

「納得、か……」

その言葉には、わずかに含みがあった。
エリオットが眉を寄せると、シグルドは静かに片手を伸ばした。

「こちらへ」
「……?」
「時間がない。おいで」

ためらいながらも、エリオットはゆっくりと歩を進める。
シグルドの前に立った瞬間——不意に腕を掴まれた。

「……っ!」

次の瞬間、シグルドの腕の中に引き寄せられる。
あまりにも自然な動きに、抵抗する間もなかった。

「陛下……?」
「……少しだけ、だ」

その低い囁きに、エリオットは思わず息を詰まらせる。
シグルドの腕は強すぎず、けれど拒めない力でエリオットを抱きしめていた。

「君が公爵家に戻るのは分かっている。君にとって必要なことだと、私も理解している」

ゆっくりとした口調で言いながら、シグルドはエリオットの肩に頬を寄せるように息を落とす。

「……けれど、それでも君を手放すのは心地よいものではない。本来ならばライナスに反逆が知れた以上一気に叩けばいいだけだ。けれど、君はそれを良しとしないだろう」

エリオットは、喉の奥がひりつくのを感じた。

「……手放す、とは……」
「そういう意味だ」

シグルドの声は低く、どこか静かな怒りを孕んでいるようでもあった。

「私は君を自由にした覚えはない」
「……」
「公爵夫人であった君を、この王宮に迎え入れた。けれど今、君は公爵家を捨てるつもりでいる」

エリオットは、無意識に拳を握る。

(……そうだ。僕は、もう公爵夫人ではいられないしいるつもりもない)

「僕の立場が変われば……僕はただの一貴族になります」
「違う」

シグルドが即答した。

「君は、私のものになる」
「……っ」

エリオットの瞳が揺れる。
シグルドはゆっくりとエリオットの頬へ手を添えた。

「今はまだ、それを決める時ではないと分かっている」
「……」
「けれど——君が戻ったとき、私はもう今までのように遠慮するつもりもない」

心臓が、一瞬だけ跳ねた。

「……陛下」
「行こう。必要なことを終えに」

シグルドは腕を解き、エリオットをゆっくりと立たせる。
名残惜しさのようなものが、指先に残る気がした。

「……はい」

エリオットはそれだけを告げ、シグルドを見つめた。
彼の瞳は冷静に見えて、その奥には何かを抑え込んでいるような色があった。

(戻ったとき——僕は何を選ぶのだろう)

その答えは、まだ出せないまま。
エリオットは、王宮を後にするために歩き出した。



王宮を出ると、用意された馬車が並んでいた。
公爵家へと向かうためのものだ。
そして、その横にはレオンが愉快そうな表情で立っていた。

「いやぁ、ついに正念場ですねぇ、公爵夫人?」
「……レオン」

エリオットがため息交じりに名前を呼ぶと、レオンは肩をすくめた。

「陛下とのひと時は、随分と濃厚だったみたいですねぇ?」
「……何も言わないでください」
「はは、そりゃ無理な相談ってもんです。まあ、あれですよ。あなたが正式にうちの国に来たら、こんなこともう言えませんしね~」

そんな軽口を叩くレオンの後ろから、もう一人の姿が現れる。
シグルドだ。

「では、行くぞ」

シグルドの低い声に、エリオットはゆっくりと馬車へと乗り込む。
そして、王宮を背に、馬車はゆっくりと動き出した。
公爵家への帰還——
それが、再び戦いの場へ足を踏み入れることを意味していると、エリオットは理解していた。

(僕の役割は、ヴェロニクの動きを掴み、必要ならば内側から崩すこと。正面から行く以上、警戒は最大だろうな)

我ながらおかしな程に正々堂々すぎるのは分かっている。
それにシグルドとレオンが護衛としているとはいえ、公爵家は敵地と変わらない。
慎重に、そして確実に動かねばならない。
レオンが、窓の外を眺めながらぼそりと呟いた。

「さて、ヴェロニクは歓迎してくれるんですかねぇ……?」

エリオットは窓の外へ視線を向ける。
王宮の塔が、次第に遠ざかっていくのが見えた。

「……それは、僕たちが着けば分かることです」

次なる戦いの幕は、すでに上がっていた——。
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