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第4話:その声、似てる気がして
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午後の講義が終わって、教室から人が吐き出されるみたいに廊下へ流れ出す。
プリントを鞄に押し込んで肩に掛けたところで、横から並ぶ足音が一つ。
「終わったな。次、どこ行く?」
振り向かなくてもわかる声。桐嶋奏真。眼鏡の奥の目は、相変わらず冷静。
「どこも行かない。帰るだけ」
「そっか。……今日、このあと暇?」
歩幅を合わせられる。
わざとらしくない距離で、でも逃げたくなるくらい近い。
こいつのこういう行動も俺には理解し難い。
「……別に」
「別に暇って意味? それとも別に暇じゃないって意味?」
「あー、もう!うるさい。どっちでもいいだろ」
「じゃあ、どっちでもいいってことで」
さらっと笑う。
廊下の窓から差し込む光が、奏真の髪に細い筋を描いた。
人波に押されて階段へ向かう。
俺が一段下りれば、自然に同じリズムでついてくる。
「レポート、進んだ?」
「ぼちぼち」
「参考文献、貸そうか」
「いい。自分でやるから」
「頑固。まあ、そこがいいけど」
「褒めてんのかそれ」
「褒めてる。俺は、わかりやすいのが好きだから」
言葉は軽いのに、妙に心に残る。
階段を下り切った踊り場で人が詰まり、歩みが止まった。
近くの教室から笑い声。汗とインクの混ざった、大学特有の空気。
同じ場所で立ち止まったはずなのに、息がすこし詰まるのは、隣の男の存在感のせいだ。
「さっきの講義、教授の言い回し面白かったな」
「どこが」
「“すべからく”の使い方が正しくて安心した」
「はぁ?そこ?」
「気になるんだよ、そういうの」
肩をすくめる仕草。
その直後、肩越しに小さく笑った声が、ほんの一瞬だけ低く落ちた。
「ああいう正確さ、嫌いじゃない」
――その響き。喉の奥で、少しだけ空気を転がすみたいな低さ。
昨日、耳元で聞いた“レオン”の甘さと、どこか同じ高さを掠めていく。
(……今の。似てた……るわけねーし!)
心臓が、遅れて跳ねた。
自分で自分に呆れるほど、俺は単純だ。
賎レオンを意識しすぎている。
奏真の声さえ似て聞こえるなんて。
いや、たまたまだ。ただの偶然。
声なんて誰でも上下するし、状況でも変わる。
そう言い聞かせて首を振る。
振った拍子に、胸ポケットの中でスマホが小さく震えた。
「どうした」
「なんでもないっての」
階段の流れが再開する。
人波が動き出したのに、足が半歩遅れる。
脈拍だけが先走り、掌に汗が滲む。
「陸」
「……なんだよ」
「歩幅、合ってない。落ちるぞ」
腕を軽く掴まれ、ふっと身体が引き寄せられた。
衣擦れの音。近い。清潔感のある香りが鼻をくすぐる。
眼鏡の奥の視線が、こちらの顔色を計るみたいに揺れる。
「顔、赤い」
「うるさい……!暑いだけだし」
「そう。……ほんと、わかりやすいよな」
言われたくなくて、視線を逸らす。
エントランスに出ると、夏の光が一層まぶしい。
駐輪場の方から自転車のブレーキ音。
どれもこれも現実の音ばかりなのに、頭の中だけが別の音で満ちていく。
(似てない。似てない。似てるわけがない)
「このあと、カフェ寄るけど、来る?」
「行かない。レポートあるし」
「俺の参考文献、やっぱ貸そうか?」
「いらないって。自分でやる!」
「はいはい。じゃ、真面目に帰れ」
門を出る角で、奏真は立ち止まり、軽く手を上げた。
去っていく背中を見送ってから、俺はようやく胸ポケットからスマホを取り出す。
画面には、一つの通知。
“LEON(☆):また会える?”
喉が鳴った気がした。
昼間の校舎の影の中で、画面だけが不自然に明るい。
指先が汗で少し滑る。
通知を開くつもりで触れたのに、ほんの一瞬、押せなかった。
(……今かよ)
まずい。
相手は世界が違いすぎる人物だ。これは近付いたら痛い目を見る。
頭の中で言葉が渦を巻く。
それでも、読み返した短い文は、まるで直接胸に触れてくるみたいに、やさしい。
“また会える?”
(……どうする。どうすんだ俺)
返事は簡単だ。
文字を打って送信すればいい。
でも、送ってしまえば――また、あの甘さに飲まれる。
昨夜みたいに、距離の近さにまともじゃいられなくなる。
(だめだろ。行くな。落ち着け)
理性はそう言う。
だけど、親指は、画面の入力欄の上に止まったまま、固まって動かない。
次の一押しで、日常と非日常の境目がまた曖昧になる。
そのことだけは、はっきりわかっていた。
風が吹いて、木陰の葉がさわさわと鳴る。
遠くでサッカーボールの音。
すべてが現実の証拠みたいに耳に入ってくるのに、視界は小さな四角い画面から離れなかった。
「……」
結局、俺は返事を打たなかった。
でも、打たないまま固まって、動けなかった。
“LEON(☆)”の名前の下で、点滅するカーソルが、焦らすみたいに瞬く。
(気のせい。全部、気のせいだ。似てない。似てるわけない――)
胸の奥で、否定の言葉が何度も反響する。
それでも、親指は入力欄の上から退いてくれない。
“また会える?”
同じ文を、無言で何度も読み返す。
たった五文字の問いかけが、どうしてこんなに重い。
――気づけば、講義棟の時計の針が、十分も進んでいた。
俺はようやく画面を閉じる。
閉じたのに、視界の裏には“LEON(☆)”の文字が焼き付いていた。
(……帰ろ)
言い聞かせるように呟いて、ポケットにスマホを戻す。
足が前へ出る。
でも、胸の中だけは、画面から目を離せずにいたときのままだった。
門を抜ける最後の影の中で、もう一度だけスマホが震えた。
条件反射みたいに立ち止まる。
開かないまま、握りしめた。
“LEON(☆):都合悪かったら、また今度でも。無理しないでね”
――優しい。
その一言に、心臓がまた、余計な跳ね方をする。
俺は、画面を見つめたまま、固まった。
プリントを鞄に押し込んで肩に掛けたところで、横から並ぶ足音が一つ。
「終わったな。次、どこ行く?」
振り向かなくてもわかる声。桐嶋奏真。眼鏡の奥の目は、相変わらず冷静。
「どこも行かない。帰るだけ」
「そっか。……今日、このあと暇?」
歩幅を合わせられる。
わざとらしくない距離で、でも逃げたくなるくらい近い。
こいつのこういう行動も俺には理解し難い。
「……別に」
「別に暇って意味? それとも別に暇じゃないって意味?」
「あー、もう!うるさい。どっちでもいいだろ」
「じゃあ、どっちでもいいってことで」
さらっと笑う。
廊下の窓から差し込む光が、奏真の髪に細い筋を描いた。
人波に押されて階段へ向かう。
俺が一段下りれば、自然に同じリズムでついてくる。
「レポート、進んだ?」
「ぼちぼち」
「参考文献、貸そうか」
「いい。自分でやるから」
「頑固。まあ、そこがいいけど」
「褒めてんのかそれ」
「褒めてる。俺は、わかりやすいのが好きだから」
言葉は軽いのに、妙に心に残る。
階段を下り切った踊り場で人が詰まり、歩みが止まった。
近くの教室から笑い声。汗とインクの混ざった、大学特有の空気。
同じ場所で立ち止まったはずなのに、息がすこし詰まるのは、隣の男の存在感のせいだ。
「さっきの講義、教授の言い回し面白かったな」
「どこが」
「“すべからく”の使い方が正しくて安心した」
「はぁ?そこ?」
「気になるんだよ、そういうの」
肩をすくめる仕草。
その直後、肩越しに小さく笑った声が、ほんの一瞬だけ低く落ちた。
「ああいう正確さ、嫌いじゃない」
――その響き。喉の奥で、少しだけ空気を転がすみたいな低さ。
昨日、耳元で聞いた“レオン”の甘さと、どこか同じ高さを掠めていく。
(……今の。似てた……るわけねーし!)
心臓が、遅れて跳ねた。
自分で自分に呆れるほど、俺は単純だ。
賎レオンを意識しすぎている。
奏真の声さえ似て聞こえるなんて。
いや、たまたまだ。ただの偶然。
声なんて誰でも上下するし、状況でも変わる。
そう言い聞かせて首を振る。
振った拍子に、胸ポケットの中でスマホが小さく震えた。
「どうした」
「なんでもないっての」
階段の流れが再開する。
人波が動き出したのに、足が半歩遅れる。
脈拍だけが先走り、掌に汗が滲む。
「陸」
「……なんだよ」
「歩幅、合ってない。落ちるぞ」
腕を軽く掴まれ、ふっと身体が引き寄せられた。
衣擦れの音。近い。清潔感のある香りが鼻をくすぐる。
眼鏡の奥の視線が、こちらの顔色を計るみたいに揺れる。
「顔、赤い」
「うるさい……!暑いだけだし」
「そう。……ほんと、わかりやすいよな」
言われたくなくて、視線を逸らす。
エントランスに出ると、夏の光が一層まぶしい。
駐輪場の方から自転車のブレーキ音。
どれもこれも現実の音ばかりなのに、頭の中だけが別の音で満ちていく。
(似てない。似てない。似てるわけがない)
「このあと、カフェ寄るけど、来る?」
「行かない。レポートあるし」
「俺の参考文献、やっぱ貸そうか?」
「いらないって。自分でやる!」
「はいはい。じゃ、真面目に帰れ」
門を出る角で、奏真は立ち止まり、軽く手を上げた。
去っていく背中を見送ってから、俺はようやく胸ポケットからスマホを取り出す。
画面には、一つの通知。
“LEON(☆):また会える?”
喉が鳴った気がした。
昼間の校舎の影の中で、画面だけが不自然に明るい。
指先が汗で少し滑る。
通知を開くつもりで触れたのに、ほんの一瞬、押せなかった。
(……今かよ)
まずい。
相手は世界が違いすぎる人物だ。これは近付いたら痛い目を見る。
頭の中で言葉が渦を巻く。
それでも、読み返した短い文は、まるで直接胸に触れてくるみたいに、やさしい。
“また会える?”
(……どうする。どうすんだ俺)
返事は簡単だ。
文字を打って送信すればいい。
でも、送ってしまえば――また、あの甘さに飲まれる。
昨夜みたいに、距離の近さにまともじゃいられなくなる。
(だめだろ。行くな。落ち着け)
理性はそう言う。
だけど、親指は、画面の入力欄の上に止まったまま、固まって動かない。
次の一押しで、日常と非日常の境目がまた曖昧になる。
そのことだけは、はっきりわかっていた。
風が吹いて、木陰の葉がさわさわと鳴る。
遠くでサッカーボールの音。
すべてが現実の証拠みたいに耳に入ってくるのに、視界は小さな四角い画面から離れなかった。
「……」
結局、俺は返事を打たなかった。
でも、打たないまま固まって、動けなかった。
“LEON(☆)”の名前の下で、点滅するカーソルが、焦らすみたいに瞬く。
(気のせい。全部、気のせいだ。似てない。似てるわけない――)
胸の奥で、否定の言葉が何度も反響する。
それでも、親指は入力欄の上から退いてくれない。
“また会える?”
同じ文を、無言で何度も読み返す。
たった五文字の問いかけが、どうしてこんなに重い。
――気づけば、講義棟の時計の針が、十分も進んでいた。
俺はようやく画面を閉じる。
閉じたのに、視界の裏には“LEON(☆)”の文字が焼き付いていた。
(……帰ろ)
言い聞かせるように呟いて、ポケットにスマホを戻す。
足が前へ出る。
でも、胸の中だけは、画面から目を離せずにいたときのままだった。
門を抜ける最後の影の中で、もう一度だけスマホが震えた。
条件反射みたいに立ち止まる。
開かないまま、握りしめた。
“LEON(☆):都合悪かったら、また今度でも。無理しないでね”
――優しい。
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俺は、画面を見つめたまま、固まった。
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