恋した君は、嘘のキミ──それでも、好きにならずにいられなかった──

めがねあざらし

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第17話:特別な夜

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週の真ん中、水曜の夜。
気づけばまた、あの扉を押していた。
広輝に「たまには派手にやろうぜ」と言われ、気の進まないままついてきたのだけれど――入った瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず足が止まる。

フロアの中央に積み上げられたグラスのタワー。
その背後に並ぶ、シャンパンのボトル。
スタッフが慌ただしく準備をしていて、照明はいつもより華やかに色を変えている。

(……え、なにこれ。何事?)

目の前の光景は完全に想定外で、俺が目を瞬かせていると、広輝が俺の肩を軽く叩いた。

「陸、今日はグッドタイミングだぜ?」

隣で広輝がにやっと笑う。

「ホストクラブって言ったら、やっぱこれだろ。シャンパンタワー!こうこなくっちゃ!」

楽しげに、うんうん、と頷いた。

(……ってことは、こいつが金出してんのか?)

目の端で、広輝がスタッフに軽く合図を送る。
さりげなくポケットから財布を出して、分厚い札束を見せるわけでもなく、ただカードを一枚差し出すだけの動作が妙に自然だ。
それがかえって、金の重みを感じさせる。

――そういえば、広輝の服や小物って、よく見れば一つ一つが高そうだ。ブランド名を知らない俺でも、それくらいはわかる。
でも、嫌味がないのは、本人がそれを「当たり前」とでも思っているからなんだろう。

(……今さらだけど。こいつ、マジで金持ちなんだな……)

最初に俺をここへ連れてきたのも広輝だ。
あの時はサークルの関係だったが、そもそもの企画が広輝だったように思う。
ひとりじゃ絶対に踏み込めなかった場所。
それを笑いながら「面白いから来いよ」と引っ張っていった広輝を、俺はずっと「遊び人」くらいにしか思っていなかった。
でも、こうして平然とシャンパンタワーを注文している姿を見ると――俺とはそもそも住んでる世界が違うんだって、改めて思い知らされる。
とはいっても、広輝は気さくな友人で、一面がわかったからといって付き合い方を変える気なんてないけれど。

(……にしても、なんでこいつ、ここで金使うんだ?)

キャバクラならまだわかる。
女の子にちやほやされたい、とか、そういう欲求なら想像がつく。
けれど、男に、しかも「ホスト」にこんな大金をつぎ込むなんて――俺には理解できない……いや、俺も微々たるながらレオンに会いに通っているので、広輝もそういうものなのかもしれない。

考え込んでいる間にも、フロアの空気は熱を帯びていく。
照明が落ち、スポットライトがタワーを照らした。
スタッフの掛け声と同時に音楽が流れ出し、拍手と歓声が響く。

「レオンさん卓からシャンパン入りましたー!」

その瞬間、店内全体がひとつの舞台に変わった。
グラスに泡が次々と注がれ、透明な塔を満たしていく。
光と音と笑い声に包まれたその光景は、もはや日常じゃなかった。

「広輝くん、景気がいいねぇ」

耳元に低い声が落ちる。
振り向けば、すぐそこにレオン。
黒のベストに白いシャツ。いつもの姿のはずなのに、ライトを浴びて舞台の主役のように見えた。

「向こうの卓のケイゴさん、真っ青だよ」

冗談めかして笑う。

(ケイゴさん……ああ、広輝がよくつるんでるあの人か)

俺は思わず苦笑するしかなかった。

「……ほんと、なんなんだ、あいつ」

広輝は楽しそうにスタッフとハイタッチしている。
シャンパンの泡は滝のように流れ落ち、拍手と歓声が重なる。
その真ん中で、俺だけが取り残されたみたいに立ち尽くしていた。

そんな俺の前に、ふいにグラスが差し出される。
きらめく泡が、ライトを受けて細かく弾けていた。

「せっかくだから、どうぞ」

レオンの笑みは柔らかい。
グラスを受け取る手が、わずかに震えた。

「……俺が……飲んでいいのかな、これ」
「今日は特別だから」

軽く告げられたその一言に、胸の奥がざわつく。
特別――。
昨夜の「好きかも」という声が、不意に蘇る。

(……特別? なにが、だよ)

ごまかすように泡を見つめる。
でも耳の奥では、弾ける音が全部「好きかも」と重なって鳴っていた。

広輝の笑い声もスタッフの掛け声も遠ざかっていく。
その真ん中で、俺だけが別の理由で息を詰めていた。

「陸くん」

名前を呼ばれて、視線が絡む。
泡の向こうのその瞳は、営業でも冗談でもなく――まっすぐに俺を射抜いてくる。

冷たい結露が指を濡らす。
胸の中でも、泡みたいに何かが弾けていた。

――今日は特別だから。

その声だけが、最後まで消えなかった。


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