恋した君は、嘘のキミ──それでも、好きにならずにいられなかった──

めがねあざらし

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第19話:信じたいけど

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バイト先のカフェを閉める時間になると、決まって一日の疲れが一気に押し寄せる。
マシンの蒸気音が止み、床を拭き上げたあとの静けさは、昼間の喧騒とは別の顔をしていた。
俺はエプロンを外し、スタッフルームの隅にあるハンガーに掛ける。
生地に染みついたコーヒー豆の香りが、しばらく鼻に残る。

(……やっと終わった)

ため息と一緒に、少しだけ肩の力が抜ける。
けれど身体の疲れとは別に、胸の奥には相変わらず重いものが居座っていた。
今日一日の接客で笑顔を作り続けて、頭の中を無理に空っぽにしていたのに、仕事が終わった途端にまたあの声が蘇る。
気を抜けばすぐに、あの低い声や笑顔、手の温度が頭を占領してしまう。

店を出ると、夜風が頬をかすめた。
昼間の熱気はすっかり消えて、街路樹の葉がさらさらと揺れる音が心地いい。
アスファルトの向こうに、駅前のネオンが滲んでいる。
それを見るたびに、どうしても思い出してしまう。

――今日は特別だから。
――俺だけ見てよ。
――好きかも。

気づけば、どれも同じ声で、同じ温度で胸に蘇っていた。
信じたいけど、信じられない、言葉の数々。
営業トークにしては重すぎる。けれど本気の告白にしては、軽やかすぎる。

(……俺、なに考えてんだよ)

自分に問いかけるみたいに足を止める。
帰り道の途中、コンビニの自販機が白く照らしていて、その光の下で俺の影が妙に頼りなく伸びていた。
影は揺れて、足を動かすたびに形を崩す。
それは、いまの自分そのものみたいだった。

「……やっぱ、俺、好きになってるのかもしれない」

口から、勝手に漏れた。
夜道に溶けるように小さな声だった。
誰にも聞かれないはずなのに、言った瞬間、心臓が大きく打ち鳴らす。
声にしたことで、曖昧にしていた感情が輪郭を持って迫ってきた。

(好き、だなんて)

自分で口にして、初めて本気で焦った。
あんなのは営業。客に夢を見せるための言葉。
それくらいわかってる。わかってるのに。
でも――もし本気だったら?という想像を、どうしても完全には否定できない。
グラスを重ねる音、笑顔の裏に見えた真剣な目。
断片的な記憶が、勝手に「証拠」みたいな顔をして浮かんでくる。

「……いや、だめだ」

歩き出す足が早まる。
アスファルトを蹴るたび、頭の中で同じ言葉が繰り返される。
好きになったら、終わりだ。

どうせ相手は、俺のことを「客」としてしか見ていない。
ホストは誰にでも「特別」を見せるものだ。
自分だけが違うなんて思い上がりだ。
夢から覚めたら、残るのは空っぽの財布と、みっともない思い出だけ。

(……それに、俺は男だぞ)

冷たい夜風が頬を撫でる。
けれど胸の内側は、風の冷たさとは逆に、熱でいっぱいだった。
吐く息が白く浮かび、すぐに消える。
それでも、消えてくれないものが胸の中にはある。

広輝に言われたことが蘇る。
――「あれは営業って感じじゃねえんだよな」
――「お前が遊ばれて終わるのは見たくない」

その言葉を思い返すと、心配されているのに妙に苦しかった。
自分でも気づいている。惹かれていることを。
だから余計に「違う」って言い続けないと崩れてしまいそうなんだ。

(……どうして、止められないんだ)

立ち止まったまま見上げた夜空には、雲の切れ間から星がひとつだけ瞬いていた。
その光を見ていると、どうしようもなく無力さを突きつけられる。
どれだけ手を伸ばしても、届かない。
それでも見上げてしまう。
レオンに向けているこの感情も、それと同じなのかもしれない。

「……好きになったら、終わりだ」

唇がもう一度つぶやいた。
まるで呪文みたいに。
そう言い聞かせていないと、自分の中の熱に負けてしまいそうだった。

夜風が冷たいほど、胸の熱さは余計に浮き彫りになる。
ネオンの光に照らされたアスファルトの上で、俺の影はまた揺れた。
どこへも逃げられない。
そう悟った途端、足取りはますます重くなっていた。
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