罪悪と愛情

暦海

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窮地

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 ――すると、そんなある日のことだった。


『…………しまった』

 思わず、ポツリと声が。と言うのも――うっかりコーヒーを零してしまい、自身のデスクが書類諸共ベトベトになってしまい……しまった、つい睡魔が。まあ、自分にかからなかっただけまだ幸いかな。ホットだから肌にでもかかったらほんとシャレにならないし。

 ……なので、それはいい。いや、全く以て良くはないんだけど……でも、この際それはいい。今、最も由々しき問題は……盛大に零れてしまったコーヒーが、隣の席の椅子にコートにかかってしまったことで……うん、これは非常にマズい。それも、このコートの主は――


『……ご機嫌よう、降宮ふるみやさん。今日は……あら?』

 すると、ほどなく姿を見せたのは香水の強めな中年の女性。彼女は藤崎ふじさき先輩――もう、20年以上も当社に貢献しているいわゆるお局さまで。そして、やはり異変に気づいた彼女が視線を移した先はコーヒー塗れになってる私のデスク――そして、茶色の染みがついた自身のコート。ほどなく、当然のことその視線はデスクの主たる私へと――

『……その、申し訳ありません!』

 刹那、ハッとして頭を下げる。……いや、ぼおっとしている場合じゃない。容易く許してもらえるなんて思えないけど、それでも今できることはこれしか――

『……あらあら、仕方ないわねぇ。でもまあ、潔く謝ってることだし――』
『……っ!! ありがとうございま――』
『――そうね、古城ふるきくんに宜しく言っといてくれたら許してあげるわ』
『…………は?』



『……あら、何かしらその不躾な態度は。先輩に――それも、自分が危害を加えた相手に対して』
『……あっ、すみません藤崎先輩! その……』


 刹那、ハッとして謝罪をする私。……でも、流石にあんな反応にもなる。だって、そんなことを言われるなんて思いも――

『ほら、随分と男受けがいいみたいじゃない、貴女。まあ、あんなにみっともなく媚びてりゃねえ。だから、そんな貴女が古城くんに宜しく言ってくれたら水に流してあげないこともないってこと』
『…………』

 そう、何とも不快な笑みで告げる藤崎先輩。何やら随分と失礼なことを言われた気がするけど、そんなことはどうでもいい。そんなことより、宜しく言うとは……なんて、確認するまでもない。つまりは、彼女が真織まおり先輩と接近できるよう私から上手く口添えしておけということ。……まあ、そんなに驚くことでもないか。容姿だけでどうこう言うのも失礼だとは思うけど……暗めの雰囲気を纏っているから傍から見ればそこはマイナスなのだろうけど、それを補って余りあるほど綺麗だしね、あの人。

 ともあれ、男性からの――お局さま曰く、男受けのいい私が彼女のことを強く勧めれば真織先輩もその気になるなどと考えているのだろう。……いや、もっと言えば彼女との間になにか具体的な約束を取り付けることさえ要求しているのかも。例えば、デートだったり……あるいは――

 ……まあ、生憎それは過剰な期待というもので。確かに、私は男性からの――彼女の言葉を借りるなら、男受けのいい女なのだろう。
 ……ただ、彼は全く以て別。彼は、私なんて眼中にない。……いや、この言い方は随分と語弊がありそうだけど……ただ、これと言って私に関心を示していないのは確かで。なので、私の口添えなど何の意味もないのだけど……そもそも、それ以上に――


『……申し訳ありません、藤崎先輩。もちろん、弁償は致します。ですが……古城先輩の件に関しては、一切承知致しかねます』

 そう、真っ直ぐに告げる。そもそも、私の口添えなんて恐らくは何の意味もない。ただ、それ以前に……どうしても、嫌だった。この人に……いや、きっと誰に対しても――


『……あら、いい度胸ね降宮さん。それなら、是非とも弁償してもらおうかしら。そうね……ざっと、150万くらいかしら』

 すると、何とも不快な笑みで告げるお局さま。……まあ、間違いなくぼったくりだろう。それでも、このコートの所持者である彼女自身がそう言っている以上この場での反論は難しい。なので、ここはひとまず承諾し後で適正な価格を調べ――


『――申し訳ありません、藤崎先輩。貴女のコートを汚してしまったのは、実は僕なんです』

『『……………へっ』』

 すると、不意に隣から届いた声。驚きパッと振り向くと、そこにいたのは――まさしく今、話題の中心となっていた秀麗な男性その人で。


『……あの、古城先輩?』

 そう、茫然と呟く私。……えっと、どゆこと? なんで、先輩がそんな――

『……いやいや、何言ってるの古城くん! これはこの女が――』
『……確かに、零れているのは降宮さんのコーヒーかと思われます。ですが、零したのは彼女ではなく僕なんです。不意に僕が降宮さんにぶつかってしまい、それで彼女が手元を狂わせてしまって……なので、僕が零したも同然です。なので、弁償は僕が致します』

 すると、深く頭を下げつつ話す真織先輩。だけど、言わずもがなそんな事実はまるでない。自分で零したと言わなかったのは、近づいてもいないデスクに置かれた缶を倒してしまったというのは無理があると考えたからだろう。それよりは、不意に私にぶつかってしまった拍子に、いう方がまだしも現実味があると……まあ、どっちもかなり苦しいとは思うけど。そもそも、デスクどころか私にも近づいてくれてないんだし。

 ……ただ、それはそうと……なんで? なんで、私を庇ってくれるの? それも、弁償などという誰にとっても絶対に勘弁であろうリスクまで背負って――


『……あっ、いえ、その……その、弁償なんてほんの冗談で言っただけよ! もう、二人とも本気にしちゃってびっくりしちゃう! ほら、もうすぐ仕事だから準備なさい!』
『……へっ? あ、はい……』

 すると、矢継ぎ早に告げせっせと業務の準備を始めるお局さま。……えっと、いいの? 150万なんてぼったくりに応じるつもりはなかったけど、ちゃんと然るべき弁償はするつもりだったんだけど……うん、ちょっと申し訳ない。







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