零式艦上マルチロール機

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プロローグ

1942年5月・ツラギ沖

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「敵空母が出てきたか…」
第四航空戦隊司令官の角田覚治少将は落胆せざるを得なかった。
第四虚空戦隊は祥鳳型軽空母2隻によって編成されている。
彼らは本MO作戦で攻略部隊の護衛を命じられていた。
この情報は瑞鶴所属の零式多用途攻撃機がもたらした情報であり、既に敵機動部隊は攻撃隊を発進させていた。
「もはや戦いは避けられません。ここは防空戦に徹し機会を待ちましょう」
そう進言するのは参謀長である有馬正文大佐であった。
これに角田も頷く。
「全艦載機を出撃させろ。おそらく1時間ほど上空に留まることになるが搭乗員連中には耐えてもらおう」
角田は心を鬼にした。


2隻の軽空母の艦上からは中翼の機体である零式艦上多用途攻撃機、俗に零式多攻と呼ばれる機体が1700馬力を発揮できる火星三一型をうならせ飛び立っていった。
祥鳳、瑞鳳合わせて72機の零式多攻を艦載していた。
この零式多攻は優れもので、250㎏爆弾を抱いての急降下爆撃を行えれば九一式航空魚雷を抱いての雷撃も行える。
また、こうして制空任務にも従事可能であった。
まさに傑作機である。
特に艦載機数の少ない軽空母等はこの恩恵が大きい。
ともかく、第四航空戦隊はその持ちうる72機の零式多攻を全て迎撃に上げた。


およそ45分後にアメリカ軍攻撃隊はその姿を現した。
数は100機程度である。
数だけみると第四航空戦隊の72機の5割増しの兵力であるが、戦闘機だけで見るとアメリカ軍攻撃隊は30機少々だった。
「全機、突撃せよ!」
命じたのは祥鳳飛行隊長の志賀淑雄大尉であった。


『ジャップの迎撃機を視認!数は…70を超えます!』
この報告にアメリカ軍攻撃隊の司令官は動揺を隠せない。
(敵は小型空母2隻のはず…なのになぜ70機を超える敵機が迎撃に上がってきたのだ…)
そうは言っても、もはやどうすることも出来ない。
次々と頑丈なはずなF4Fは粉砕されていく。
無理もない。
零式多攻はその翼内に20㎜機関銃を4挺装備しており、頑丈なF4Fですらほぼ一撃で仕留めることが出来たのである。
次々とF4Fを蹴散らした迎撃隊はそのまま攻撃隊に攻撃を開始した。
数はほぼ同数であり1機辺り1機の攻撃機を迎撃するだけで良かった。
こうなってはアメリカ軍攻撃隊に勝ち目はない。
次々と20㎜機銃によって機体が破壊されていく。
なかには後部銃座の銃撃で損傷した零式多攻もあったが防弾ガラスや防弾板などが物を言い、母艦までの帰投に成功していた。
結局、20分におよぶ空戦で第四航空戦隊側はF4Fとの戦闘で2機の零式多攻が撃墜されたが、翻って22機のF4Fと42機のSBD、そしてTBD24機を撃墜し輸送船や第四航空戦隊を守りぬいたのだった。
「もし従来通り艦爆や艦攻も積んでいたら、我々は2隻とも撃沈されていたかもしれないな」
角田はそう物思いに更けた。
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