零式艦上マルチロール機

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開発

九八式多用途攻撃機

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機体を開発するのは中島と決まったわけだが、肝心のエンジンについてはかなり手こずっていた。
火星エンジンは一二型が1938年6月に制式採用されたがその馬力は1500馬力である。
エンジン直径も試作機より80㎜程縮み、1280㎜となっておりそれでいて大出力であるが、やはり目標としていた1700馬力は難しいようだった。
統合航空本部はこの現状を鑑み、開発期限を1938年末から1939年5月まで引き延ばした。
だが統合航空本部は火星一二型を搭載した総力戦航空機を生産することに決定した。
確かに、1500馬力では1700馬力には及ばないまでも現在運用中の軽爆や艦爆、艦攻に比べれば高性能であり戦闘機に関しては系統が違うので一様に優劣はつけがたいが、高速なのは間違いなかった。
現在は戦争中であり、悠長に構えている余裕は無かったのである。
そうして1938年8月。
調整などを行って中島の試作機は九八式多用途攻撃機として制式化されたのである。


九八式多用途攻撃機
最高速度:時速574㎞
武装:20㎜機銃4挺(翼内)
翼面荷重:165㎏/㎡
プロペラ:直径3.42mが3枚
搭乗数:1人
搭載能力:250㎏爆弾1発(急降下)/800㎏航空魚雷1本/60㎏爆弾6発
航続距離:時速400㎞で710海里(増槽装備時950海里)
全長:10.16m
全幅:12.88m(折り畳み時8.12m)


海軍名称では九八式艦上多用途攻撃機となる。
まだまだ要求していた性能には届いていなく、20㎜機銃などは直進性に問題があるなど改善点も多々あったがひとまず総力戦航空機の第一号機は完成した。
本機はすぐに各航空機メーカーで量産が決定し、まずは月産200機が目指された。
中島の技術陣は量産面にも心を砕いており、沈頭鋲など新機軸もあったが機体製造に使用する部品はボルトやナットなどを除くと4万点ほどであった。
そのほとんどがプレス加工で生産できる部品であり、ここは直線を基調とした中島機の特徴であった。
8月の生産数は、そもそも制式採用されてから日が経っていないために52機であったが9月に入ると凄まじい勢いで量産が進んでいった。
これは工員が成れて来たこともあるが、この時点で陸軍は九七式戦闘機や九七式軽爆撃機の、海軍は九六式艦上戦闘機や九六式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機の生産ラインを全て九八式多用途攻撃機に振り分けたのである。
そのおかげもあり、9月の月産生産機数は214機となり目標を早々に達成したのである。
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