16 / 27
大増産!
試製2000馬力エンジン
しおりを挟む
タンク技師のおかげもあり、零式多攻は高高度でもその性能を十分に発揮できるようになった。
だが、最も大きかったのはスーパーチャージャーを日本で生産できるようになったことだろう。
工作機械は少しづつではあるが着実にその数を増しており、スーパーチャージャーの生産数は増していた。
これを契機に三菱が開発中の新型エンジンの開発が一気に進むことになる。
統合航空本部は三菱に対して火星エンジンの18気筒型の開発を命じていたが、それに加えてスーパーチャージャーの装備も厳命されていたのである。
三菱は何とかしてスーパーチャージャーを生産しようとしていたが一企業では難しかった。
そんな折、ドイツの工作機械を複製したものが多数製造され、スーパーチャージャーの大量生産が現実味を帯びてきた。
三菱は出来上がったスーパーチャージャーを試作のエンジンに装着させたところ、何ら不具合が起きなかったのである。
スーパーチャージャーの問題はこれで解決したとして、では他に問題は無かったのかと言われると、ある分にはあった。
火星エンジンの後継機とされるこのエンジンだが直径は1280㎜のままである。
これは難題ではあるが、三菱の開発陣は金星エンジンなどの技術なども盛り込みながら火星エンジンの直径を80㎜縮めて見せた功績を持つ。
ここで重要なのは元となる火星エンジンの性能である。
火星二一型は素で1700馬力を発揮できる。
1気筒あたり120馬力強である。
これを18気筒にして2000馬力とするのだから1気筒あたりの馬力は110馬力程度でよかったのだ。
ならば気筒を少し小さくしてもそこまで問題ではなく、1280㎜以内で18気筒化を成し遂げることが出来る。
三菱は何回かの失敗を経て、1941年の1月にはついに使用に耐えうる2000馬力級エンジンの開発に成功した。
だが、量産化するにはいくつかの問題点を解決せねばならず、量産できるのはおそらく1942年ごろになると見積もられた。
それでも1941年には2000馬力級エンジンをある程度形にすることが出来たのである。
これは一重にエンジ直径が大きかったためである。
大きいがために余裕を持って設計することが出来、信頼性に足る2000馬力級エンジンの開発に成功したのだ。
これはもし100㎜ほど小さく、”1180㎜”ならばこうもすんなり開発することが出来ず、また開発できたとして不調の連続でその性能を十分に発揮できなかったに違いなかった。
だが、最も大きかったのはスーパーチャージャーを日本で生産できるようになったことだろう。
工作機械は少しづつではあるが着実にその数を増しており、スーパーチャージャーの生産数は増していた。
これを契機に三菱が開発中の新型エンジンの開発が一気に進むことになる。
統合航空本部は三菱に対して火星エンジンの18気筒型の開発を命じていたが、それに加えてスーパーチャージャーの装備も厳命されていたのである。
三菱は何とかしてスーパーチャージャーを生産しようとしていたが一企業では難しかった。
そんな折、ドイツの工作機械を複製したものが多数製造され、スーパーチャージャーの大量生産が現実味を帯びてきた。
三菱は出来上がったスーパーチャージャーを試作のエンジンに装着させたところ、何ら不具合が起きなかったのである。
スーパーチャージャーの問題はこれで解決したとして、では他に問題は無かったのかと言われると、ある分にはあった。
火星エンジンの後継機とされるこのエンジンだが直径は1280㎜のままである。
これは難題ではあるが、三菱の開発陣は金星エンジンなどの技術なども盛り込みながら火星エンジンの直径を80㎜縮めて見せた功績を持つ。
ここで重要なのは元となる火星エンジンの性能である。
火星二一型は素で1700馬力を発揮できる。
1気筒あたり120馬力強である。
これを18気筒にして2000馬力とするのだから1気筒あたりの馬力は110馬力程度でよかったのだ。
ならば気筒を少し小さくしてもそこまで問題ではなく、1280㎜以内で18気筒化を成し遂げることが出来る。
三菱は何回かの失敗を経て、1941年の1月にはついに使用に耐えうる2000馬力級エンジンの開発に成功した。
だが、量産化するにはいくつかの問題点を解決せねばならず、量産できるのはおそらく1942年ごろになると見積もられた。
それでも1941年には2000馬力級エンジンをある程度形にすることが出来たのである。
これは一重にエンジ直径が大きかったためである。
大きいがために余裕を持って設計することが出来、信頼性に足る2000馬力級エンジンの開発に成功したのだ。
これはもし100㎜ほど小さく、”1180㎜”ならばこうもすんなり開発することが出来ず、また開発できたとして不調の連続でその性能を十分に発揮できなかったに違いなかった。
72
あなたにおすすめの小説
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴
もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。
潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
秀頼に迫られた選択〜トヨトミ・プリンスの究極生存戦略〜
中野八郎
歴史・時代
慶長十六年、二条城。
老獪な家康との会見に臨んだ豊臣秀頼は、時代の風が冷たく、そして残酷に吹き抜けるのを感じていた。
誰もが「豊臣の落日」を避けられぬ宿命と予感する中、若き当主だけは、滅びへと続く血塗られた轍(わだち)を拒絶する「別の道」を模索し始める。
母・淀殿の執念、徳川の冷徹な圧迫、そして家臣たちの焦燥。
逃れられぬ包囲網の中で、秀頼が選ぶのは誇り高き死か、それとも――。
守るべき命のため、繋ぐべき未来のため。
一人の青年が「理」を武器に、底知れぬ激動の時代へと足を踏み出す。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
【架空戦記】炎立つ真珠湾
糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。
日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。
さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。
「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる