復讐は、冷やして食すのが一番美味い

Yuito_Maru

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第2章 混乱 ― 過去と違う現在 ―

[20] 囮 ②

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 空気がわずかに押し出されるように密度を変え、耳の奥がふっと詰まる。
「ま、まずいです。ウシュです」
 アンナは容器の蓋を慌てて閉めた。
 私は、アンナの手を取って元いた場所に走って向かおうとしたが、気が変わった。
「アンナさん、あなたの封印袋、私に預けてくれないかしら」
「え?」
「悪いようにはしないわ。それと、あなたは、フィリップ様の所に戻って」
「え?! で、でも」
「フィリップ様に容器を渡して、死骸に撒いてもらってください」
「わ、わかりました。でも、ピオニー様は?」
「考えがあります! 私は大丈夫ですから」
 私は風向きを読み始めた。風は前方のほうから流れてきている。
 まずい。ここで毒腺を切り、ウシュに浴びさせようと思ったが、アンナたちにもかかってしまう。
 見えない群れが押し寄せる重みで土と落ち葉が連鎖的にずれ、その粗い振動が足元からじわりと伝わり始めた。
 私は糸いぼの孔がある腹部に回り、拾った太い枝で探るようにして糸を引き出した。
 それを頭胸部に引っかけて木の枝へ渡し、向きを固定した。
 これで、ヴィシャ・ルーターの死骸はウシュが来る方向を向いた。
 その直後、フィリップが貫いた矢を拾った。
 素早く、シャフトを半分に折ると、ヴィシャ・ルーターの目の下の毒腺にめがけて刺した。
 力いっぱい刺すと自分が毒を浴びることになる。
 私は、以前、マリアドネたちに教わった通り、慎重に刺したが、硬くて思うようにいかない。
 額から汗が流れ落ち、目に入る前に前腕で乱暴に拭った。
 力の加減を変えて、何度か刺すとようやく手ごたえを感じた。
 ウシュの地響きがかなり近づいてくる。
 続いて、金属音のような金切り声が重なった。
 矢を頭胸部に刺したまま、私は、ヴィシャ・ルーターを吊るした木の枝に上り、視線をアンナたちへ向けた。
 フィリップは容器から毒をズヴーヴの死骸に撒いていた。
 レイモンドは怯えたままアンナの後ろに立ち、アカデミーから支給された紋章を触っていた。
 サイラスは顔をしかめて、怒鳴っていた。
「フィリップ、早くしろ!」
「これで終わりですから」
 フィリップは空になった容器の蓋をしっかり締め、アンナに渡した。
 その時、「残り25分です」と繰り返す無機質な機械音が聞こえた。
 アンナは、バックからオヘルを取り出し、テントのように広げた。
「み、皆さん、ここに入ってください」
 真っ先にレイモンドが入る。
「あれだけのウシュが死骸を回収するための時間はどれくらい?」
 フィリップが尋ねる。
「じゅ、10分もかからないでしょう。ピオニー様! は、早くこちらに!」
 アンナが叫んだ。
「バカな。待つことない。我々、4人が入れば十分だ」
 サイラスが咄嗟に私を切り捨てた。
 私は、心の中でサイラスに「クソ野郎」と悪態をついたが、表面上は笑顔を見せた。
「大丈夫です。気にせずに」
 だが、私の声は届かなかったと思う。ウシュの金属音のような金切り声が響いたから。
 ウシュはズヴーヴと同じ大きさの頭部に硬そうな長い触角を持っていた。
 巨大な大顎を何度も嚙み合わせ、ガシャンガシャンと金属音を立てた。
 私は、数十匹もいるウシュの先頭が、吊るしたヴィシャ・ルーターの真下に来たのを見計らって、草刈鎌で糸を切ろうとした。
 だが、糸は頑丈ですぐに切れない。
 その間に、先頭を走るウシュが通り過ぎた。
 私は慌てて草刈鎌を収め、腰に差していた魔石入りナイフに持ち替え、糸を絶った。
 ついに糸は切れ、ヴィシャ・ルーターの死骸は、這い回るウシュの群れへ落下した。
 ヴィシャ・ルーターの巨体に、後続のウシュが悲鳴を上げる。
 さらに、頭胸部に刺した矢じりが衝撃で食い込み、毒腺が破れた。
 毒を浴びたウシュの金切り声が一層高く響き渡り、私は思わず耳を塞いだ。
 だが、視線だけはウシュから離さなかった。
 ウシュは、毒に倒れた仲間には目もくれず、周囲に散らばっているヤトゥシュの死骸を持ち運んでいた。
 あっという間に次々とバラバラになった頭部や胴体を大顎で持ち上げ、元来た道を戻り始めた。
 私は、最後尾のウシュを木々を渡りながら追った。
 恐らく、この先にはコロニー(蟻塚)があるはず。
 その時、「残り15分です」と告げる機械音が、再びハーラクに鳴り渡った。
 時間がない。あと5分で見つからなければ戻ろうと決めた瞬間、森が途切れ、視界が一気に開けた。
 木々は巨大な円を描くように立ち並び、中央だけが空に晒されている。
 まるで岩山のようなコロニーがそびえ、その中へウシュたちが死骸を運んでいった。
 私が木の枝で待機して見下ろしていると、ウシュの鋭い高音が響き渡り、木々だけでなく空気も震えた。
 餌である毒にやられたのだろう。
 コロニーからウシュが何十匹も這い出してきて、ひっくり返った。
 私はチャンスを待った。
 もう少ししたら、クィーン・ウシュも出てくるはず。
 その直後、「残り10分です」という機械音が、ハーラク全体を震わせた。
 時間が経つのは、あまりにも早い。
 ゲートまで何分でいけるだろう? 頑張って5分かも。
 どこでゲームオーバーとするか、自分で測り始めた。
 その時、地鳴りのような咆哮が聞こえた。
 コロニーから狂ったように這い出てきたのは、ウシュの10倍以上もあるクィーン・ウシュ。
 赤い目で私を睨みつけた。
 相手に不足はない。
 私は、魔石で作った剣を取り出した。
 瀕死のウシュの上を跳び回り、クィーン・ウシュの首を狙った。
 剣を打とうとするとクィーン・ウシュの触角が私の剣を弾いた。
 死ぬ間際の馬鹿力だ。
 私は、後方へ飛ばされた。
 だが、脚で地面を踏みしめ、素早く体勢を立て直すと踏み込みで反動を切り返した。
 そして再び、ウシュの上を跳び回り、今度は後方から首を狙った。
 クィーン・ウシュは咆哮と共にのけ反った。
 頭が胴体から離れ、転がった。
 私は頭を素早く掴んだ。
 すると、今度は叫喚が湧き起こった。
 ハッとして後ろを振り向く。
「噓でしょ?!」
 初めて見る光景だった。
 クィーン・ウシュの頭部が肉を盛り上げるようにうごめき、再生した。
 そして、白い目で私を見据え、咆哮した。
「面白いわね」
 私は、クィーン・ウシュに向かって突進した。
 その時、「残り5分です」と繰り返す機械音が、ハーラク全体に冷たく響いた。
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