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第三十六章
迎え酒など
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上演前に
「寝てしまうかもしれないから」
とステフとエオンさんに忠告したのは、とんでもなく失礼かつ杞憂だった。それくらいに、演劇は面白かった。
作品のタイトルは
「グリフォンの巣の下で」
といい、山の上の閑散としたホテルに赴任した冴えない中年男性が働く間に他の従業員達と仲良くなり、生き甲斐を取り戻し、ホテルも繁盛していくというヒューマン――いや演じているのはエルフだが――ストーリーだ。
そんな真面目な話をたいそうな劇場でやってたら退屈ではないか? と思う所だが、そこは劇団の腕前がモノを言った。意外と笑いあり涙ありで退屈する時間はほぼ無く、ニコルさん演じる主人公が『セ○クスをしないと出られない部屋』のドアを斧で叩き割って割れ目から顔を出し
「アックスがあれば出られない部屋はないぜ!」
と高らかに笑うシーンでは劇場を揺らすほどの歓声が上がったくらいだ。
そしてそのシーンに限らずニコルさんはエルフの国民的名優の評価に恥じない名演っぷりだった。序盤では完全に何処にでもいる全裸中年男性――彼は冒頭、あるトラブルから裸無一文でホテルに到着する――にしか見えないが、話が進むにつれ内面の強さやユニークさが溢れだし、いつしか従業員の女性たちも観客たちも皆、彼に魅了されてしまうのだ。
取り柄のない男性が多くの女性達に愛されるなんて荒唐無稽な話だけれどね。でもニコルさんはその設定に自らの演技で説得力を与えてしまったのだ。
更に言えば共演者たちも素晴らしかった。そもそも劇団は『傾国歌劇団』という名前であり、団員は揃いも揃って美男美女だらけ。そして歌も上手い。どちらの意味でも名前に偽り無く、合間合間に入るミュージカル的なシーンではステフもエオンさんも目を見張った程だ。
しかしどれほど素晴らしい演劇にも決して消すことができない欠点がある。それは上演時間が過ぎれば出演者が並んでお辞儀をし緞帳が降りてきてしまう点である。
夢の様な2時間ちょっとが過ぎ、手が腫れるほどの拍手を贈った後で現実に戻る時が来たのだ。その現実は俺にこんな疑問を突きつけた。
「で、ニコルさんはなぜ俺を呼んだ?」
という疑問を。
ボックス席の利点の一つは急いで退場しなくて良い事である。これが一般席の端だとそうはいかない。余韻に浸って座っいても、もう帰ろうとする他の脚の膝が次々と当たりやがて立たざるを得なくなってくる。
「ごくーごくー」
「ふがーふがー」
そんな物音が聞こえて俺はため息をついた。退場の時間を迎えてもまだ座っていられるということは、引き続き飲食に勤しむこともできるという意味でもあるのだ。
「ステフもエオンさんもゆっくり呑み込んで! 通路はまだ混んでいるから慌てなくて良いし!」
俺は彼女たちのペースが不安になってそう声をかけた。『引き続き飲食に』と言ったもののそれは言葉の綾で、実際のところ俺も彼女らも演劇を観ている間は食べたり飲んだりしていなかった。それくらい引きつけられたのだ。
そして今はそれを取り戻すかのようにハイペースで酒と軽食を詰め込んでいる。このエルフたち、意外と貧乏性だね。
「……あ、あの」
嚥下音咀嚼音の隙間で、そんな小さな声が聞こえた気がして周囲を見渡す。……誰かがカーテンの向こうにいるな!?
「どなたかいらっしゃいます?」
俺はカーテンを手で開けながら廊下をのぞき込む。
「ひゃぁ!」
そんな声が耳に入ると同時に、視界にあるエルフの姿が飛び込んできた。流れるような銀の髪、憂いを帯びた切れ目、通った鼻筋の下で震える唇はほどよく厚くピンク色。細い首筋の下には大きくも下品ではない胸が膨らみ、そこからきゅっと絞られたウエストと長い足が伸びる。
そんな体を包むのは、シンプルな黒のオフショルダーのワンピースだ。アクセサリーは耳にイヤリングと腕に簡単なブレスレットだけ。過度に飾るよりも素材の美しさを生かすプランなのだろう。そのやり方は正解だ。
「いやはや、『月光を集めたような美女』ってやつですね!」
俺がそう呟くと
「いえ、そんな、わたしは、ぜんぜん……!」
と、そのエルフ女性は首を大きく左右に振った。そんな一瞬で上から下まで見渡してあまつさえ臭いお世辞を言うなんてキモいと思った? 違うぞ、たぶん心を読んでいるステフ!
「えっと、確か二幕でホテルのバーで口説かれていた女性ですよね? 名前は……」
「ナインです」
「ナインさん? 素敵なお名前ですね」
俺は、こちらはオリジナルの台詞を言った。彼女は『グリフォンの巣の下で』に出演していた女優さんで、先に俺が言った言葉も作中にあったワードなのだ。全身をチェックしたのも演劇中の衣装と同じかチェックしただけだ。
しかしそうか、ナインさんと言うのか。正直、美形度で言えばナリンさんとタメをはれるくらいなんだが名前まで似ているんだな。
「いえ、その、ちが」
「むむむっ! エオン以外の誰かが褒められている気配!」
「アタシは何も言ってないぞ」
俺の言葉で女性が更に赤くなっている所へ、エオンさんとステフがやってきた。なんか凄いレーダー積んでいるんだな。
「違いますよ監督さんっ! 彼女、役の名前が無いんですぅ!」
デイエルフはそう言いながら食べ物のソースで汚れた指を彼女の方へ突き出した。
「うん、そうそう!」
しかし、銀髪のエルフ女性はその失礼さを気にせずうんうんと嬉しそうに頷く。
「そうなんですか?」
「は、はい! た、だ単に『バーの女』で、す」
彼女はそう言うと恥ずかしそうに俯いた。劇中では超然とした美しさと態度で主人公を振る役割だったのだが……正反対だな。あとそろそろ本当の名前で呼ばないと面倒くさいな。
「分かりました。では貴女自身のお名前は? 何の用で?」
正直、後半の方は予想がついているが俺は改めて訊ねる。すると女性は何度か深呼吸を繰り返して後、言い放った。
「私はミガサ。みなさんをニコルの楽屋へ案内します!」
「寝てしまうかもしれないから」
とステフとエオンさんに忠告したのは、とんでもなく失礼かつ杞憂だった。それくらいに、演劇は面白かった。
作品のタイトルは
「グリフォンの巣の下で」
といい、山の上の閑散としたホテルに赴任した冴えない中年男性が働く間に他の従業員達と仲良くなり、生き甲斐を取り戻し、ホテルも繁盛していくというヒューマン――いや演じているのはエルフだが――ストーリーだ。
そんな真面目な話をたいそうな劇場でやってたら退屈ではないか? と思う所だが、そこは劇団の腕前がモノを言った。意外と笑いあり涙ありで退屈する時間はほぼ無く、ニコルさん演じる主人公が『セ○クスをしないと出られない部屋』のドアを斧で叩き割って割れ目から顔を出し
「アックスがあれば出られない部屋はないぜ!」
と高らかに笑うシーンでは劇場を揺らすほどの歓声が上がったくらいだ。
そしてそのシーンに限らずニコルさんはエルフの国民的名優の評価に恥じない名演っぷりだった。序盤では完全に何処にでもいる全裸中年男性――彼は冒頭、あるトラブルから裸無一文でホテルに到着する――にしか見えないが、話が進むにつれ内面の強さやユニークさが溢れだし、いつしか従業員の女性たちも観客たちも皆、彼に魅了されてしまうのだ。
取り柄のない男性が多くの女性達に愛されるなんて荒唐無稽な話だけれどね。でもニコルさんはその設定に自らの演技で説得力を与えてしまったのだ。
更に言えば共演者たちも素晴らしかった。そもそも劇団は『傾国歌劇団』という名前であり、団員は揃いも揃って美男美女だらけ。そして歌も上手い。どちらの意味でも名前に偽り無く、合間合間に入るミュージカル的なシーンではステフもエオンさんも目を見張った程だ。
しかしどれほど素晴らしい演劇にも決して消すことができない欠点がある。それは上演時間が過ぎれば出演者が並んでお辞儀をし緞帳が降りてきてしまう点である。
夢の様な2時間ちょっとが過ぎ、手が腫れるほどの拍手を贈った後で現実に戻る時が来たのだ。その現実は俺にこんな疑問を突きつけた。
「で、ニコルさんはなぜ俺を呼んだ?」
という疑問を。
ボックス席の利点の一つは急いで退場しなくて良い事である。これが一般席の端だとそうはいかない。余韻に浸って座っいても、もう帰ろうとする他の脚の膝が次々と当たりやがて立たざるを得なくなってくる。
「ごくーごくー」
「ふがーふがー」
そんな物音が聞こえて俺はため息をついた。退場の時間を迎えてもまだ座っていられるということは、引き続き飲食に勤しむこともできるという意味でもあるのだ。
「ステフもエオンさんもゆっくり呑み込んで! 通路はまだ混んでいるから慌てなくて良いし!」
俺は彼女たちのペースが不安になってそう声をかけた。『引き続き飲食に』と言ったもののそれは言葉の綾で、実際のところ俺も彼女らも演劇を観ている間は食べたり飲んだりしていなかった。それくらい引きつけられたのだ。
そして今はそれを取り戻すかのようにハイペースで酒と軽食を詰め込んでいる。このエルフたち、意外と貧乏性だね。
「……あ、あの」
嚥下音咀嚼音の隙間で、そんな小さな声が聞こえた気がして周囲を見渡す。……誰かがカーテンの向こうにいるな!?
「どなたかいらっしゃいます?」
俺はカーテンを手で開けながら廊下をのぞき込む。
「ひゃぁ!」
そんな声が耳に入ると同時に、視界にあるエルフの姿が飛び込んできた。流れるような銀の髪、憂いを帯びた切れ目、通った鼻筋の下で震える唇はほどよく厚くピンク色。細い首筋の下には大きくも下品ではない胸が膨らみ、そこからきゅっと絞られたウエストと長い足が伸びる。
そんな体を包むのは、シンプルな黒のオフショルダーのワンピースだ。アクセサリーは耳にイヤリングと腕に簡単なブレスレットだけ。過度に飾るよりも素材の美しさを生かすプランなのだろう。そのやり方は正解だ。
「いやはや、『月光を集めたような美女』ってやつですね!」
俺がそう呟くと
「いえ、そんな、わたしは、ぜんぜん……!」
と、そのエルフ女性は首を大きく左右に振った。そんな一瞬で上から下まで見渡してあまつさえ臭いお世辞を言うなんてキモいと思った? 違うぞ、たぶん心を読んでいるステフ!
「えっと、確か二幕でホテルのバーで口説かれていた女性ですよね? 名前は……」
「ナインです」
「ナインさん? 素敵なお名前ですね」
俺は、こちらはオリジナルの台詞を言った。彼女は『グリフォンの巣の下で』に出演していた女優さんで、先に俺が言った言葉も作中にあったワードなのだ。全身をチェックしたのも演劇中の衣装と同じかチェックしただけだ。
しかしそうか、ナインさんと言うのか。正直、美形度で言えばナリンさんとタメをはれるくらいなんだが名前まで似ているんだな。
「いえ、その、ちが」
「むむむっ! エオン以外の誰かが褒められている気配!」
「アタシは何も言ってないぞ」
俺の言葉で女性が更に赤くなっている所へ、エオンさんとステフがやってきた。なんか凄いレーダー積んでいるんだな。
「違いますよ監督さんっ! 彼女、役の名前が無いんですぅ!」
デイエルフはそう言いながら食べ物のソースで汚れた指を彼女の方へ突き出した。
「うん、そうそう!」
しかし、銀髪のエルフ女性はその失礼さを気にせずうんうんと嬉しそうに頷く。
「そうなんですか?」
「は、はい! た、だ単に『バーの女』で、す」
彼女はそう言うと恥ずかしそうに俯いた。劇中では超然とした美しさと態度で主人公を振る役割だったのだが……正反対だな。あとそろそろ本当の名前で呼ばないと面倒くさいな。
「分かりました。では貴女自身のお名前は? 何の用で?」
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