リーゼロッテの王子さま -婚約者候補に奥さんがいたらいけませんか?ー

弥湖 夕來

文字の大きさ
16 / 33

- 16 -

しおりを挟む
 城門を潜りエントランスの前で馬は脚を止めた。
 差し伸べられたヴェルナーの腕に支えられ、馬の背を滑り降り足が地面につくと、腰に回されていた男の手が不意に背中に周り抱きしめられる。
「あの…… 」
 まるで放すまいかとするその腕の中で、リーゼロッテは戸惑いの声をあげた。
 その声に背中に回った腕がするりと解けた。
「すまなかったね、今日は。
 楽しみにしていただろうにこんなに早く引き上げることになってしまって」
 戸惑うような瞳を向けながらヴェルナーは言う。
 そこへ、乳母が転がるようにして駆け出してきた。
「姫様! いかがいたしました? 」
「ううん、何でもないわ」
「そうですか? それにしてはお帰りが早いような? 」
 乳母は首を捻る。
「ああ、人に酔ったみたいだ。
 姫君が後宮育ちなのを失念していた俺の落ち度だ。
 済まなかったね」
「いいえ、とんでもございませんわ。
 姫様が我儘を言ったのですから。殿下のせいでは…… 」
 さらりと謝られて乳母は少し戸惑っているようだ。
「ゆっくり休ませてやってくれ。
 それと、あまり口うるさく咎めないでやれよ」
 それだけ言うとヴェルナーは乗ってきた馬にまた乗り上げると、走り去ってしまった。
「姫様、もしかしてお熱でも? 」
 その姿をぼんやりと見送っていると、頭を下げて送り出していた乳母に声を掛けられる。
「ううん、平気」
「そうですか? お顔の色が少し紅いような…… 」
 帽子の下のリーゼロッテの顔を覗きこんで乳母が首を傾げた。
「そんなことないわ」
 リーゼロッテは慌てて帽子を取るとそれで隠すように顔面を覆った。
 抱きしめられたヴェルナーの胸の温もりが移り、それが更に増したように頬が熱い。
「とにかく、少しお休みくださいな」
「うん、そうする」
 乳母に促されリーゼロッテはぼんやりと部屋に戻る。
 
「どうかなさいましたか? 」
 着替えを手伝いながら乳母はリーゼロッテの顔を覗き込んだ。
「やはりお熱でも? 」
 首をかしげると、ベッドに押し込もうとするかのようにナイトドレスを持ち出してくる。
「平気よ。
 ヴェルナー様の言ったように、少し人に酔ったみたいだけど、もう平気。
 ただね、途中からヴェルナー様なんだか急に難しい顔になって…… 
 わたし、何か悪いことしてしまったんじゃないのかな? 
 それともやっぱりご迷惑だったのかな」
 リーゼロッテは視線を落した。
「そんなことないと思いますよ。
 少なくとも姫様を送っていらした時の殿下はそんな風には見えませんでしたわ。
 むしろ何かをご心配なさっているような…… 」
「そうなのかな? 」 
「やっぱり少しお休みください。
 きっとお疲れのせいでそんな風に思われるんですわ。
 何しろ街に出るなんて姫様はじめてのことですもの」
 乳母はナイトドレスをリーゼロッテに着せ掛けた。
「まだ夜着じゃなくていいわ。
 どうせ今夜もどなたかと晩餐でしょ? 
 欠席なんかしたら迷惑掛けてしまうもの」
 リーゼロッテは羽織らされたナイトドレスを肩から滑り落すと、デイドレスを手に取った。
「駄目ですよ、姫様。
 今夜の晩餐はご遠慮させていただきましょう。
 お休みになってください」
 少し厳しい顔で乳母は言う。
 乳母がこの顔をした時には、何が何でも譲ってはくれない。
 リーゼロッテは仕方なく頷いた。
 
 
 
 開け放した窓から吹き込む穏かな風が、窓辺に掛けられた薄地のカーテンを揺らす。
 リーゼロッテはそれを目に何度目かのため息をついた。
「退屈そうですわね」
 くすくすと軽い笑い声とともに掛かる声に顔をあげるとドアの向こうにアーデルハイドの顔がある。
「アーデルハイド様? 」
 リーゼロッテは瞳を輝かせる。
「突然、お約束もなしにごめんなさいね。
 お邪魔してもいいかしら? 」
 首を傾げながら訊いてくれる。
「ええ、もちろん! 」
 立ち上がるとアーデルハイドを招き入れた。
「今、お茶を…… 」
 メイドに言いつけて、窓辺に置かれたテーブルの前の椅子を勧めた。
「でも、どうして? 
 何かわたしにご用でも? 」
 思いもかけない人物の訪問に、リーゼロッテは睫をしばたかせてアーデルハイドを見る。
 ここへきてはじめの頃聞いた。
 ヴェルナーの奥方は邸に篭ったままめったに人前に出てこないと。
 そのアーデルハイドがわざわざ出向いてくるには何か訳があるはずだ。
「いいえ、そうじゃないの。
 殿下がね。
 リーゼロッテ様は、きっと乳母にベッドに押し込められて退屈していらっしゃるはずだから、行ってあげなさいって。
 ご自分が出向くより、女同士の方がきっと話も弾んで気がまぎれるだろうからって」
 アーデルハイドは、やんわりとした穏かな笑みをリーゼロッテに向ける。
「躯はなんともないのよ。
 ニオベが心配してあちこちの行事をお断りしてしまったから、なんだか大事になってしまって…… 」
 リーゼロッテは言葉を詰らせる。
「そうじゃないかって言ってました。
 何処でも乳母は過保護だろうからって」
「ありがとう、本当に退屈していたの。
 だから嬉しい」
 リーゼロッテは顔を綻ばせる。
「本当は子供達も来たがっていたんだけど」
「今日はお留守番? 
 連れてきてくれても良かったのに」
「陛下と、殿下の取り決めでね、子供達は城内に入れてはいけないことになっているの。
 だからごめんなさいね」
「残念。
 またお父様からお菓子が届いていたの。届けようと思っていたところだったのよ」
「お心使い感謝しますわ」
 アーデルハイドは花のようにあでやかな笑みを浮かべる。
 その笑顔にリーゼロッテの胸がちくりと痛んだ。
「どうかして? 」
 急に雲ってしまったリーゼロッテの表情に気遣わしげにアーデルハイドは訊いてくる。
「ううん、なんでもない」
 リーゼロッテは胸の痛みを押し隠すように慌てて首を横に振った。
 こうしてアーデルハイドを目の当たりにすると、どうしてヴェルナーがアーデルハイドを選んだのかわかるような気がする。
 国一番の美姫との噂があるだけのことはある、その華やかであでやかな容姿。
 その上に持ってきてその美貌を鼻にかけるわけでもなくあくまでも控えめで穏かで、優しい。
 そして常に笑顔を絶やさない。
 ヴェルナーでなくてもきっと誰もが引き付けられるはずだ。
「ね? 
 せっかくだから訊いてもいい? 」
 気を取り直してリーゼロッテは口を開く。
「ね? アーデルハイドとヴェルナー様のなりそめって、どんなだったの? 」
「なれそめですか? 」
 アーデルハイドは恥ずかしそうに頬を染めた。
「うん、ヴェルナー様とアーデルハイド様みていると、政略結婚じゃなさそうだなって、思ったから」
 以前ミス・スワンから何処の国でも貴族は余程の事がない限りおおよそは政略結婚だと聞かされたことがある。
 しかし、この二人の仲睦まじい様子を見ているとそうは思えない。
「そんなたいしたことじゃないんですよ。
 殿下は、凄くお人よしで困っている人を放って置けない方だから、助けていただいたの」
 何かを思い起こしたように視線を遠くに泳がせながらアーデルハイドは呟くように言う。
 それだけでなんとなくその情景が予想できてしまう。
 恐らくはデビュタント早々の舞踏会でパートナーの申し込みが殺到して困っているところを、ヴェルナーがさらりと連れ出してくれたのだろう。
 いつかのあの晩餐会の時のように。
「それより。
 はじめての市街はいかがでしたか? 」
 話をはぐらかすようにアーデルハイドが訊いてきた。
「うん。
 すっごく楽しかったわ。
 わたしね、あんなに人が沢山歩いている中縫って歩くようなことしたことなかったでしょ? 
 案外神経使うものなの、知らなかったの。
 正面から来た人にぶつからないようにとか、後ろから急ぎ足で来る人に道を譲るとか。
 そういうこと常に考えながら歩かなくちゃいけないのよね。
 その上にご一緒の方とはぐれないようにしなくちゃいけなくて、でもお店には珍しいものが沢山並んでいてつい目を奪われて…… 」
 頬を紅潮させてリーゼロッテは矢継ぎ早に喋る。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】 私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。 そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、 死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。 「でも、子供たちの心だけは、 必ず取り戻す」 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。 それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。 これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

処理中です...