怪談

馬骨

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創作系怪談短編集

雪桜の樹の下で

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 今は昔、港町として栄えていた越後の国でのこと。

 連日降りやまぬ豪雪が、村中を白く染めていた最中の出来事であった。

 日銭を稼ぐ貧乏な男の家には、数尾のシロハタが囲炉裏の乏しい火にあてがわれているだけである。
 外では屋根葺きに当たる粉雪の微かな音が、それでも少し騒々しいぐらいの静かな夜のこと。

「いつまで降るんだこりゃ。」

 男は、ほかに誰も聞いていないであろう独り言を零した。

 二日前に、網元に木の棒でひどく打ち付けられた跡が、冷たい晩の空気には少し堪えたから、半ば八つ当たりのような調子だった。

 それでも確かに、その年は雪の長く残る年であった。

 ぼうっと浮かんでは消えていく、薪の燃えかすを眺めていると、そのうち男の瞼はじわりじわりと下がっていく。

 不意に、しんとした静寂が男を包んだ。
 雪の降る音も、薪のはじける音も聞こえなくなった。

「もし。」

 突如、門口から聞こえてきた声に、男は思わず跳ね上がった。

「誰だ。」

 男は叫んだ。

 ガタついた戸板一枚挟んだ向こう側から、返事は返ってこなかった。

 それでも男は気を抜くことはなかった。
 それは門口の向こう側から、人がいる気配が伝わってきていたからに違いなかった。
 その理由は何故か男にもわからなかったが、とにかく男は、本来であれば人が尋ねてくるはずのないであろう刻限に、何かがやってきたと信じて止まなかったのである。

 まんじりともせずに声のした方を見つめていると、もう一度さっきと同じ声が聞こえてきた。

 よく聞けばそれは女のもののようで、男は幾分か胸を撫でおろしながら、呟いた。

「こんな頃合いに一体…。」

 男は、どたどたと門口に近寄りガタついた戸を開き、呆気にとられた。

 一面真白の吹雪が吹き付けてくる外の風景に溶けるように、華奢な女が長い髪をなびかせてすらりと立っていた。

「一晩、泊めてくださいまし。」

 降りしきる細雪の中で、その女の艶やかな声は不思議とよく通った。

「おぉ、おぉ。外は寒うて行けねえ、早う入れや。」

 女はこくりと頷き、身を寄せた男の傍らをすり抜けるようにそろそろと入ってきた。

 男はそのしばらく後でようやく我に返ると、戸を掴んでいた手が突き刺すような痛みに襲われた。

 不意にそれまでの寒さを感じた男は、急いで戸を閉めた。

「ほら、これ食えや。」

 男は囲炉裏のかがり火にあてていたシロハタを一尾差し出したが、女は見向きもせずに、「よろしゅうございます」と首を振る。

 男は黙ってそれを元に戻すと、再び女の様子をまじまじと見た。

 囲炉裏の明かりに照らされた女は、この世のものとは思えないほどの美しさであった。

 特に男が見入ったのは、真白に濡れる肌の中で、ぽつりと浮き出ている桜色の唇である。

 先ほどから男はその唇から、一言二言声がまろびでる度に、否応なくその通りに従ってしまうのである。

 おまけにきらびやかな装飾をあつらえた小袖の格好の女が、そんな世界とはまるでかかわりがなかった男のもとに転がり込んできたのである。

「おめさん、どっからきなさった。」

 一通り、満足するまで見た後、男は女にそう尋ねた。
 つぶらな瞳が、みすぼらしくさびれた男をくっと捉える。

「みたところ、えらい身分のお方じゃねか。」

 女は小さな頭をゆっくり横に振った。
 男は、このことはもう話さないでおこうと思った。

「寒いだろうから、風呂でも入ってくか。」

 またしても女は、頭を横に振った。
 男はそれを見ると、もう何も考えられずただ首を縦に振るだけだった。

 その顔に見つめられるたびに、男の体からゆるゆると何かが漏れ出ているようなそんな気がした。女を見ていると、降りしきる雪の中で、春の陽気のようなあたたかなものが胸の辺りに滲んでいく。もはや、男は何を言うでもなく女を眺めている。

 ただ、ぽかんと阿呆のように口を開け、見惚れているだけだった。

 そのうちに、不意に女の桜色の唇が緩んだかと思うと、華奢な体が立ち上がった。

 女はそのまま音もなく男の家を出て、雪の降る村の通りをするすると歩き出した。

 男はというと、しばし呆気に取られていた。だが、すぐに女の後を追いかけはじめた。心配もあったが、それより何か別の、妙な感情に体が支配されていた。そうして戸口を蹴り飛ばし、外へ飛び出ると、豪雪の最中いまにも消えかかりそうな女の背中に必死で食らいついた。

「おうい。おうい。」

 いくら呼びかけようが、女の背中は薄暗闇にゆらゆらと揺蕩うだけであった。

 寒空の下、突き刺さるような冷気が男の小汚い面を幾たびもつついていく。

 踏みしめる足がいちいち雪の中に埋もれ、しびれるような痛みが広がる。

 それでも男は無我夢中で、女の華奢な背中を追いかけた。

 どれだけ走っただろうか、女はふと立ち止まり
「ここがよろしゅうございます」
 と、連なる家屋の最中の少し開けた場所を指さした。

「あぁ」

 男はそれだけ言うと、女の指差すところを突然に無我夢中で掘り始めた。

 掘り始めるとすぐに、凍えた風にあてられ、かじかんでいた手先がじくじく痛み出した。

 それも束の間、その痛みすらなくなっていくと男の手首から先はまるで道具の様だった。

 女はその傍らで、どんどんと小さくなっていく男の背中を眺めている。

 二人を取り囲むように、吹雪の渦が勢いを増した。

 男はどこまでも掘っていく、
 雪はいつまでも降り続き、勢いを増していく。

 男の両手は、だんだん血の気を失っていき、雪の解けた水が血と交わって、骨の髄まで達しても、動くことを止めはしなかった。

 やがて、二人の影がいつのまにか吹雪に呑まれた。空を唸らす雪の風がいつまでも吹き続けている。

 しばらくして、辺りにようやく冬の夜のきんと張り詰めた静寂が広がるようになると、そこにはただ男の残した、たどたどしい足跡が残っているだけであった。

 翌日、その足跡が辿る先には、大きな桜の樹が人知れず佇んでいた。

 村人は大層訝しんだが、しんしんと雪の降る最中、可憐に咲く桜の花びらのあまりの美しさにそれ以上の詮索を止め、ただひたすらに酔いしれた。

 大樹の根の、そのまた奥下には、変わり果てた男が埋まっていることなど露知らず。

 そして、その樹はいつまでも、佇んでいたんだと。
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