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最終章 帰る場所
45妖精の化身
しおりを挟む無事に退却したジークは、メルティアを抱いたままひたすら馬を走らせ、森へと入る。
「誰も追って来てないみたいだ」
チーの言葉を聞いて、ジークは馬を止めた。大きな頑丈そうな木に手綱を巻き付け、いたわるように馬のおしりを軽く叩く。
こんな戦地まで連れて来てしまったが、おびえたり暴れたりせずよく走ってくれている。
ジークは持ってきていた火打石で手早く火を起こすと、自分の上着を脱いで地面に敷き、その上に眠っているメルティアを寝かせた。
そしてチーに火の番を頼み、木の実や食べられる野草を広い集める。
馬に餌をやり、見つけたキノコを日で炙る。メルティアの分も炙ったが、メルティアが起きる気配はない。
ジークはメルティアを膝の上に乗せて、そのまま後ろから抱きしめるように包み込む。
「ご無事でよかった……」
メルティアの頬を後ろから親指の腹でなでていると、メルティアのまぶたがかすかに揺れた。
「う、ん……」
「メルティア様。起きられましたか?」
うっすらと目を開けたメルティアは、うつろな目で前の炎を見て、気だるそうにジークを振り返る。
「……ジーク、怪我してる」
ジークは苦笑して、「大丈夫ですよ」と、メルティアの頬をなで続けた。
気持ちよさそうに目を細めたメルティアは、ジークの頬にのろのろと手を添える。すると、ふわっと優しい白い光がジークを包み込んだ。
「メルティア様?」
光が止むと、ジークにあったはずの傷が消えていた。
ジークは自分の腕や足の服まで元通りになっていることに驚く。
「……治してくださったんですか? ありがとうございます」
目尻を下げてほほ笑んだメルティアは、そのままゆっくりと目を閉じて、死体のように体重をジークにあずけた。
「メルティア様? メルティア様!」
急に意識を失ったメルティアにジークは動転するが、勝手に野草を食べていたチーがなんでもなさそうに口を開く。
「寝ているだけだよ」
ジークはピタリと動きを止め、細く長い息を吐いて胸を撫で下ろす。
「ただ、いつ目覚めるかは、オイラにもわからないけど」
ジークはそっと視線を動かして、宙に浮いているチーを見た。
「……どういう意味だ」
「そのままさ。魂から力を引きずり出してるけど、相当無理してる」
ジークはもう一度メルティアを見た。
何も変わっていないように見える。髪も肌も長いまつ毛も小さな唇も、全部いつものメルティアだ。
だが、さすがのジークも、一つの結論にたどり着いていた。
「……メルティア様は、妖精なのか?」
「今は人間だよ」
「それは人間になったってことか?」
「まあ、そんな感じ」
ただ「そうなのか」としか思わなかった。
もともとメルティアはふわふわした不思議な存在だった。
人には見えないものが見えて、蜂の心もわかり、植物たちはとにかく長生きをする。
独自の配合で新たな植物を生み出したりと、微妙に人間離れをしていた。
メルティアが見ているという妖精の協力かと思ってもいたが、メルティア自身がもとは妖精だったというのも、言われてみたら納得だ。
「……妖精は、そんな簡単に人間になれるものなのか?」
「簡単じゃないよ。メルだって、無理してる。だから毎回、人間として生まれてくるときは、記憶がない」
ジークはじっと眠っているメルティアを見下ろした。パチパチと火が爆ぜ、メルティアの真っ白の肌をオレンジに染める。
「まあ、それでも、毎回ジークに恋してるけど。……笑っちゃうよ」
チーは遠い昔を思い描いているのか、何もない空間を見つめたまま目を細めた。
「いつ生まれてくるかもわからないジークを、何年も何年も、何十年も、何百年も待って、飽きずに人間になっているんだから」
ジークは黙ってメルティアを抱きしめた。
メルティアはジークに会うために人間になっている。
そう言われても、あまり実感は湧かないが、メルティアははじめて出逢ったときから、ずっとジークにくっついて来た。
『じーく、じーく。ティアね』
と、いつも話しかけてきていた。
親の後をくっついて歩く雛鳥のようだった。
なぜ愛想のいい兄ではなく自分なのかと思っていた時期もあったが、そもそもジークしか見えていなかったというなら納得だ。
同時に、自分がメルティアにしたことを思い出して、ジークは顔をしかめる。
まさかそんな大それた大恋愛だなんて露ほども思わず、これがあなたの幸せだと、そう言い聞かせてメルティアを袖にしていた。
いつだか母に、「人の幸せを他人が決められるなんてことは絶対にない」と言われたが、その通りだったわけだ。
「今までの二人は、何も覚えていなくても、当たり前みたいに出会って、当たり前みたいに恋をしてた」
「……」
「でも、今回は違った」
ジークはメルティアの薄い頬を指先でなでた。
「メルはもう、目を覚ますのがいやなのかもしれない。だから、起きないかも」
「……」
「オイラの想像だけど。死ぬまで眠り続けていれば、もう傷つくこともないし、傷つけることもない」
ジークは自分がしたことを思い出してグッと奥歯を噛み締めた。
「まあ、メルがずっと寝てようと、そのまま死のうと、ジークはどうでもいんじゃない?」
「本気で言ってるのか」
地を這うような声でジークはすごんだ。
チーは冗談が通じないやつだと言いたげにひょいと肩をすくめる。
「そんなわけないだろ。オイラたちはメルとは違って、妖精なんだ。今のメルが忘れてたことだって、知ってる」
「……」
「ジークのことも」
ジークは黙って目を伏せた。
「メルが人間のときに力を使ったのははじめてだから、オイラにもどうなるか分からない」
「……」
「目が覚めるのは三日後かもしれないし、一月後かもしれないし、一年後かもしれない」
チーは言葉を切って、1度目を伏せてから、意を決したようにジークを正面から見据える。
「一生、目覚めないかもしれない」
ジークは爪が食い込むほど強く拳を握った。手が細かく震えている。
そもそも、こんなことになったのはあのとき、ジークがメルティアの手を振り払ったからだ。
メルティアは何があってもめげずに、まっすぐジークに向かって手を伸ばしていたのに、ジークはそれを拒絶した。
あなたの気持ちを受け取る気はないと、ハッキリそう伝えてしまった。
「このまま死んだとしても、メルは元の姿に戻るだけだよ」
「元の姿というのは」
「もちろん、妖精さ」
妖精の姿に戻るだけ。そうは言われても、それは今のメルティアは死ぬということを意味している。
しかも、ジークは妖精を見ることができない。
メルティアが死んだら、それはきっと永遠の別れを示すのだろう。
ジークはメルティアの口元に耳を寄せた。
か細いけれど安定している呼吸にほぉっと息を吐く。そうして、宝物を包み込むようにそっとメルティアを抱きしめた。
「メルティア様、起きてください」
ぐったりと眠り続けるメルティアの目元を、ジークはそっとなで続けた。
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