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最終章 帰る場所
46たとえ誰からも祝福されなくても
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ジークは眠り続けるメルティアを抱えたままなんとか帝国領を抜け、ファルメリア王国へと帰還していた。
ジークの姿が見えると、城の兵たちは飛び上がって喜び、その日は花があちこちで一斉に咲き、花びらの吹雪が起きたと言う。
勝利の祝い、姫の救出、神の守護がある国と、ファルメリア王国はあわただしくも喜びごとが絶えなかったが、メルティアが目を覚ますことはなかった。
ジークがメルティアを連れてファルメリア王国へと向かっている間も、一度も目を覚ますことなく、帰ってからも眠り続けている。
ジークは眠っているメルティアの顔を濡れた布で拭いていく。
さすがにジークが体を拭くことはできないが、なんだかんだ清潔なのを好んでいたメルティアだから、少しでも綺麗なったらと時間があれば献身に世話をしていた。
ただ、不思議なことに、食べなくても飲まなくても用を足さなくてもメルティアはそのままの姿をしていた。
時間が止まってしまっているみたいだ。
「ジーク、少しいい?」
「はい」
ディルがメルティアの部屋に入ってくる。
眠ったままの妹の顔をながめて、メルティアの髪の乱れをそっと直す。
「ようやくいろいろ落ち着いたからさ。ジークには話しておこうと思って」
「何をです?」
「ティアはさ、妖精の化身なんだよ」
すでに知っていたジークは「そうですか」となんとも薄い反応をしてしまった。
ディルが訝しむ顔でジークを見る。
「は? まさか知ってたの?」
「ティアとずっと一緒にいた妖精に聞いた」
「見えるの!?」
ディルが立ち上がって驚く。
「その妖精だけな」
「え。どんなの? ティアの言ってた通り、青い?」
「青いな」
「へぇ、僕も見てみたい。……てことは、僕の仮説は正しいっぽいな」
ディルは椅子に座りなおして、メルティアの寝顔をながめる。
「僕は、はじめてティアが妖精と話していたのを見たときから、この国のことを調べてた」
「そんな昔からだったのか」
「まぁね。ただ、能天気な国だからなのか、それとも、わざとなのか、有益な文献があまり残ってないんだよね」
ディルは椅子に座りながら、器用にメルティアのベッドで頬杖を突く。
「あったのは古代語で書かれててさ。でもこの国に古代語読める人なんていないし」
「それでやたらと他の国に行ってたのか」
「そう。いくつもの文献を見たよ」
ディルはこれまで見てきたものをまぶたの裏に思い浮かべた。
他国の歴史、他国から見たこの国の成り立ち、それから建国王の生い立ちや足取りなど、数え切れないほどだ。
「まあ、わかったことは、この国は他の国からひどく恐れられているということと、怖いくらい平和だってこと」
「他の国は平和じゃなかったのか?」
「世界の歴史では疫病や食物飢饉がたびたび起きたらしい。この国は、起きたことがない」
確かにジークが知る歴史でも、食料飢饉は聞いたことがなかった。
「おかしいでしょ。この国だけ」
「……」
「それからこの国の建国王について調べて回った。生まれは普通の農民。ただ、剣が元々うまかったらしい」
農民から一国の王になるなんて、相当な手腕だったのだろう。
「彼はちょうど、人類が滅びるんじゃないかという瀬戸際の時代に生きていた人らしいね」
「そんな時代があったのか」
「あったらしいよ。だけど彼は、人並外れた剣技でどんどん出世し、領地をもらってついには王になった」
ディルはチラリと横目にジークを見る。
「ただ、これには不可解なことがあって」
「不可解なこと?」
「彼の剣技がどう考えても常軌を逸していたこと、そして、国を建ててから世界の異変がパタリとやんだこと。この国を攻めようとした国が、その後見事に食糧難になって王政が崩壊していること」
「……」
「そして、何よりも。この国の初代王妃の記録が一切なく、不明なこと」
「いなかったのか?」
「それはないでしょ。じゃあなんで僕たちがいるのさ」
言われてみればもっともだ。
「調べたことをいろいろ繋ぎ合わせて、そして、あの不思議な光を見て、出した結論が、この国は、初代王、ジークハルトが、妖精の女王に恋をして、女王のために建てた国」
「……」
ディルはメルティアを見て、それからジークを見る。面白がるように目を細めながら。
「初代王、ジークハルトは、何度も生まれ変わってるんじゃない? だから、妖精の女王は、ジークハルトに会うために、この国の姫として生まれてくる」
ディルは意味深な目をジークに向ける。
「ねえ、ジーク」
「……」
「ジークがどうしてティアを拒んでいたか、僕は知らない。だけど、抗うことの方がムダなものも、あると思うんだよね」
ディルはにぃっと口の端を持ちあげて笑った。
「だって、ジークはティアのこと、好きでしょ」
ジークは黙っていたが、やがて観念したかのように大きなため息をついて目を伏せた。
そうして、罪人が懺悔するみたいに、重々しくぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「俺は……ランスト家の人間じゃない」
「は?」
「俺も知ったのは偶然だ。両親も、俺が知っていることを知らないだろう」
ジークは昔を思い出すように、何もない空中を見つめた。
「俺は捨てられた子だったらしい。偶然俺を見つけたランスト夫婦が、そのまま引き取ったそうだ。そして、自分たちの子として育てた」
「……まさか、それで?」
ディルの片頬がひくひくと痙攣する。
「何処の馬の骨ともわからない男と、一国の姫なんて不相応だろう」
「でもジークはランスト家に育てられたわけだから一緒じゃない?」
「同じじゃないだろ。兄上ならいざ知らず。父も母も、自分たちの本当の子を差し置いて、どこの子かもわからない男が姫の結婚相手なんて、嫌だろ」
ジークは自分が養子だと知ってしまったときのことを思い出す。
メルティアがやけにジークに懐いていることを、父と母が二人で話していた。そのとき、偶然聞こえてしまったのだ。「でもジークは養子よ。いいのかしら?」と。
ディルは片手で目頭を押えて、目を閉じる。
「……はぁ、くだらない」
「は?」
「くだらないって言ったの」
ジロリとディルがジークを睨みつける。
「僕がどういう気持ちでティアの恋の行方を見守ってたか」
「……」
「可愛い妹に幸せになって欲しい思いと、この恋が実らなかったらこの国は滅びるんじゃないか、なんて考えてたのにさ」
「大げさじゃないか?」
「大げさじゃないでしょ。調べれば調べるほど、この国異常さがわかったよ」
ビシッと、ディルはジークの胸の中心に人差し指を突きつける。
「それでも。僕は、ジークのことも好きだったから、ジークの意思も尊重したいと思ってた」
「……」
「なのに、その理由がこれ?」
ジークは少し気まずさを感じて視線をそらした。
「つまり、ジークはティアの身分に気後れしてた、意気地なしの腰抜け男ってことでしょ?」
「……」
「事実でしょ」
今度はジークの片頬が痙攣する。
事実だから言い返すことはしづらいが、それでもこう、カチンと来るものがあったのだ。
ジークは深くため息をついて、眠っているメルティアの髪をそっとすくいとる。
「俺が、ランスト家の者ではないと国民が知ったら、またメルティア様は傷つくことになる」
「……」
「心ない言葉に、この方はたくさん傷ついてきた」
「……それは……まぁ、ないとは言いきれないかも。この国民だし」
ジークはメルティアの滑らかな金の髪をすくった手を見ながら、慈しむように目を細める。
「騎士なら……」
「……」
「騎士なら、生まれなんて気にせず、そばにいられると思った」
それにはディルも言葉をなくしてしまう。
「それがどれだけ卑怯なことだったとしても。自分の想いを出さなければ、この方のそばにいられると」
ディルはため息をついて、馬鹿で仕方のない愛し子を見るように目を細める。
「なら、もう気にする必要はないじゃん」
「何がだ?」
「姫を助けた英雄。これ以上の肩書きなんて、ないでしょ」
「……」
ジークは唇を震わせる。
鼻の奥がツンとしたのを感じて、誤魔化すように、メルティアの髪を指先に巻き付けて遊んだ。
「ティアが起きたら、ちゃんと言い訳しなよ。腰抜けで悪かったって」
「おい」
「ははっ、まぁいいや。それじゃあ」
ディルが立ち上がって、部屋を出ていこうとする。それをジークが思い出したように止めた。
「そういえば、帝国の新しい皇帝がディルによろしくって言ってたが……知り合いだったのか?」
「は? 知らないけど。どんなやつ?」
「金の長い髪に赤い目をした美人な男だったな」
ディルは顎に指を添えて考え込む。
「金の髪に赤い目……はぁあ? あいつ、皇太子だったの?!」
驚愕に顔をひきつらせ、やがてディルは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「やられた……。だって僕、そいつから帝国が次の標的をファルメリア王国に決めたらしいって手紙もらったし」
「は? そうだったのか?」
「あいつは、きっと皇帝を引きずり落としたかったんだよ。それにこの国を利用した。この国なら帝国に勝てる算段があったんだよ。……食えないやつだ、ムカつく」
ディルは「次会ったら見舞金ぶん取る」と大層腹を立てたまま、メルティアの部屋を出ていった。
静かな空間が戻ってきて、ジークは寝たままのメルティアの髪を優しくすく。
そこに、黙ってメルティアの枕元で寝ていたチーが、起き上がってジークを見上げた。
「ジークと話すのは、二度目だね」
「もう何度も話しているだろ」
「回数じゃなくて人生の数」
ジークは口を閉ざした。
「最初のジークは、見える人だった。自然を消されて怒っていたメルを宥めたのがはじまりだよ」
「……そうなのか」
覚えていないことなので、なんとも実感がわかない。
「国を作って、そこを楽園にする。だからどうか、怒りを沈めてくれないかって」
「……」
「メルは最初、ムッとしてた。嘘つきの人間なんか信じられないって」
チーは懐かしむように目を細める。
「でも。ジークは誠実だった。何もないところから、ひとつひとつ作り上げた。泥にまみれても、心ない言葉を浴びせられても、約束だからって」
チーはまっすぐにジークを見つめる。
「メルはずっとそれを見てたんだ」
ジークは眠っているメルティアの顔をながめた。幼いころの記憶が溢れ出してくる。
ジークを見て、大きく目を見開いていたメルティア。キラキラした大きな瞳で、いつも色恋を宿らせてジークを見つめてきていた。
子どもの戯言だろうと、大きくなったら変わるだろうと思っていたが、メルティアは何も変わらず、子どものままだった。
「その時からずっと、メルはジークに恋をしてる」
ジークは黙ってメルティアの髪をすいた。
「姿が変わっても、声が変わっても、生まれが変わっても、メルはいつだってジークに恋をしてた」
「そんなに違ったら、もう別人じゃないのか?」
「同じだよ」
「……」
「オイラたちからしたら、姿はただの入れ物。本当に大切なのは、魂」
妖精の感覚は、人とは少し違うのかもしれない。
「ジークの魂がある限り、メルはジークを好きになる。ずっとそうだった。ジークの魂が生まれれば、メルは喜んで飛んでいった」
そもそも、人と妖精が一緒になるなんて不可能なのだ。
それなのに、不可能を力技でメルティアは可能にしてきた。
人として生きる間は、力と記憶を失うという制約付きで。
「だからさ、ジーク」
ジークはメルティアの手を取りながら、黙ってチーの言葉に耳を傾けた。
「メルにとっては、身分も姿も、どうだっていいんだよ。メルからしたら、それは全部人間が作り出したまやかし」
「……」
「ジークが捨てられたとき、一面に花が咲いたんだ。メルが咲かせたんだよ。この世の誰もが祝福しなくたって、自分だけは祝福するって」
メルティアの小さな手を握っているジークの手が、細かく震え出す。
「メルは、ジークが生まれるのを、馬鹿みたいにずっと待ってたから」
「……っ」
「ずっとずっと、待ってたんだ」
「……本当に、なんだ……それ……」
ジークは声を震わせた。
メルティアの小さな手を、さらにぎゅっと握りしめる。最後には両手で包み込むように握りしめては、額に押し当てて、静かに嗚咽をもらした。
「ジークはずっと人間だったからしかたないさ」
額に手を押し付けて隠していたけれど、ポタリポタリと雫がベッドに降り注いだ。
透明で、純粋な、どうしようもないほど綺麗な涙だった。
「……ティア、話したいことがあるんだ」
眠っているメルティアに、小さく話しかける。
「どうしようもなく臆病で、意気地なしの、腰抜け男の話だ」
ジークは顔を上げて、潤んだ瞳でメルティアを見た。そうして、そっとメルティアの髪をわけて、身を乗り出す。
「ティア……起きてくれ。ティア」
そっと、触れるだけの口づけをした。
冷たい唇と触れ合って、名残惜しくて、もう一度口づける。
最後に愛おしそうに小さな額にキスを落として、メルティアの手を握りしめて祈った。
はやく目覚めてくれ。
話したいことが、たくさんある。
だけど、それでもやっぱり、メルティアの目が覚めることはなかった。
ジークの姿が見えると、城の兵たちは飛び上がって喜び、その日は花があちこちで一斉に咲き、花びらの吹雪が起きたと言う。
勝利の祝い、姫の救出、神の守護がある国と、ファルメリア王国はあわただしくも喜びごとが絶えなかったが、メルティアが目を覚ますことはなかった。
ジークがメルティアを連れてファルメリア王国へと向かっている間も、一度も目を覚ますことなく、帰ってからも眠り続けている。
ジークは眠っているメルティアの顔を濡れた布で拭いていく。
さすがにジークが体を拭くことはできないが、なんだかんだ清潔なのを好んでいたメルティアだから、少しでも綺麗なったらと時間があれば献身に世話をしていた。
ただ、不思議なことに、食べなくても飲まなくても用を足さなくてもメルティアはそのままの姿をしていた。
時間が止まってしまっているみたいだ。
「ジーク、少しいい?」
「はい」
ディルがメルティアの部屋に入ってくる。
眠ったままの妹の顔をながめて、メルティアの髪の乱れをそっと直す。
「ようやくいろいろ落ち着いたからさ。ジークには話しておこうと思って」
「何をです?」
「ティアはさ、妖精の化身なんだよ」
すでに知っていたジークは「そうですか」となんとも薄い反応をしてしまった。
ディルが訝しむ顔でジークを見る。
「は? まさか知ってたの?」
「ティアとずっと一緒にいた妖精に聞いた」
「見えるの!?」
ディルが立ち上がって驚く。
「その妖精だけな」
「え。どんなの? ティアの言ってた通り、青い?」
「青いな」
「へぇ、僕も見てみたい。……てことは、僕の仮説は正しいっぽいな」
ディルは椅子に座りなおして、メルティアの寝顔をながめる。
「僕は、はじめてティアが妖精と話していたのを見たときから、この国のことを調べてた」
「そんな昔からだったのか」
「まぁね。ただ、能天気な国だからなのか、それとも、わざとなのか、有益な文献があまり残ってないんだよね」
ディルは椅子に座りながら、器用にメルティアのベッドで頬杖を突く。
「あったのは古代語で書かれててさ。でもこの国に古代語読める人なんていないし」
「それでやたらと他の国に行ってたのか」
「そう。いくつもの文献を見たよ」
ディルはこれまで見てきたものをまぶたの裏に思い浮かべた。
他国の歴史、他国から見たこの国の成り立ち、それから建国王の生い立ちや足取りなど、数え切れないほどだ。
「まあ、わかったことは、この国は他の国からひどく恐れられているということと、怖いくらい平和だってこと」
「他の国は平和じゃなかったのか?」
「世界の歴史では疫病や食物飢饉がたびたび起きたらしい。この国は、起きたことがない」
確かにジークが知る歴史でも、食料飢饉は聞いたことがなかった。
「おかしいでしょ。この国だけ」
「……」
「それからこの国の建国王について調べて回った。生まれは普通の農民。ただ、剣が元々うまかったらしい」
農民から一国の王になるなんて、相当な手腕だったのだろう。
「彼はちょうど、人類が滅びるんじゃないかという瀬戸際の時代に生きていた人らしいね」
「そんな時代があったのか」
「あったらしいよ。だけど彼は、人並外れた剣技でどんどん出世し、領地をもらってついには王になった」
ディルはチラリと横目にジークを見る。
「ただ、これには不可解なことがあって」
「不可解なこと?」
「彼の剣技がどう考えても常軌を逸していたこと、そして、国を建ててから世界の異変がパタリとやんだこと。この国を攻めようとした国が、その後見事に食糧難になって王政が崩壊していること」
「……」
「そして、何よりも。この国の初代王妃の記録が一切なく、不明なこと」
「いなかったのか?」
「それはないでしょ。じゃあなんで僕たちがいるのさ」
言われてみればもっともだ。
「調べたことをいろいろ繋ぎ合わせて、そして、あの不思議な光を見て、出した結論が、この国は、初代王、ジークハルトが、妖精の女王に恋をして、女王のために建てた国」
「……」
ディルはメルティアを見て、それからジークを見る。面白がるように目を細めながら。
「初代王、ジークハルトは、何度も生まれ変わってるんじゃない? だから、妖精の女王は、ジークハルトに会うために、この国の姫として生まれてくる」
ディルは意味深な目をジークに向ける。
「ねえ、ジーク」
「……」
「ジークがどうしてティアを拒んでいたか、僕は知らない。だけど、抗うことの方がムダなものも、あると思うんだよね」
ディルはにぃっと口の端を持ちあげて笑った。
「だって、ジークはティアのこと、好きでしょ」
ジークは黙っていたが、やがて観念したかのように大きなため息をついて目を伏せた。
そうして、罪人が懺悔するみたいに、重々しくぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「俺は……ランスト家の人間じゃない」
「は?」
「俺も知ったのは偶然だ。両親も、俺が知っていることを知らないだろう」
ジークは昔を思い出すように、何もない空中を見つめた。
「俺は捨てられた子だったらしい。偶然俺を見つけたランスト夫婦が、そのまま引き取ったそうだ。そして、自分たちの子として育てた」
「……まさか、それで?」
ディルの片頬がひくひくと痙攣する。
「何処の馬の骨ともわからない男と、一国の姫なんて不相応だろう」
「でもジークはランスト家に育てられたわけだから一緒じゃない?」
「同じじゃないだろ。兄上ならいざ知らず。父も母も、自分たちの本当の子を差し置いて、どこの子かもわからない男が姫の結婚相手なんて、嫌だろ」
ジークは自分が養子だと知ってしまったときのことを思い出す。
メルティアがやけにジークに懐いていることを、父と母が二人で話していた。そのとき、偶然聞こえてしまったのだ。「でもジークは養子よ。いいのかしら?」と。
ディルは片手で目頭を押えて、目を閉じる。
「……はぁ、くだらない」
「は?」
「くだらないって言ったの」
ジロリとディルがジークを睨みつける。
「僕がどういう気持ちでティアの恋の行方を見守ってたか」
「……」
「可愛い妹に幸せになって欲しい思いと、この恋が実らなかったらこの国は滅びるんじゃないか、なんて考えてたのにさ」
「大げさじゃないか?」
「大げさじゃないでしょ。調べれば調べるほど、この国異常さがわかったよ」
ビシッと、ディルはジークの胸の中心に人差し指を突きつける。
「それでも。僕は、ジークのことも好きだったから、ジークの意思も尊重したいと思ってた」
「……」
「なのに、その理由がこれ?」
ジークは少し気まずさを感じて視線をそらした。
「つまり、ジークはティアの身分に気後れしてた、意気地なしの腰抜け男ってことでしょ?」
「……」
「事実でしょ」
今度はジークの片頬が痙攣する。
事実だから言い返すことはしづらいが、それでもこう、カチンと来るものがあったのだ。
ジークは深くため息をついて、眠っているメルティアの髪をそっとすくいとる。
「俺が、ランスト家の者ではないと国民が知ったら、またメルティア様は傷つくことになる」
「……」
「心ない言葉に、この方はたくさん傷ついてきた」
「……それは……まぁ、ないとは言いきれないかも。この国民だし」
ジークはメルティアの滑らかな金の髪をすくった手を見ながら、慈しむように目を細める。
「騎士なら……」
「……」
「騎士なら、生まれなんて気にせず、そばにいられると思った」
それにはディルも言葉をなくしてしまう。
「それがどれだけ卑怯なことだったとしても。自分の想いを出さなければ、この方のそばにいられると」
ディルはため息をついて、馬鹿で仕方のない愛し子を見るように目を細める。
「なら、もう気にする必要はないじゃん」
「何がだ?」
「姫を助けた英雄。これ以上の肩書きなんて、ないでしょ」
「……」
ジークは唇を震わせる。
鼻の奥がツンとしたのを感じて、誤魔化すように、メルティアの髪を指先に巻き付けて遊んだ。
「ティアが起きたら、ちゃんと言い訳しなよ。腰抜けで悪かったって」
「おい」
「ははっ、まぁいいや。それじゃあ」
ディルが立ち上がって、部屋を出ていこうとする。それをジークが思い出したように止めた。
「そういえば、帝国の新しい皇帝がディルによろしくって言ってたが……知り合いだったのか?」
「は? 知らないけど。どんなやつ?」
「金の長い髪に赤い目をした美人な男だったな」
ディルは顎に指を添えて考え込む。
「金の髪に赤い目……はぁあ? あいつ、皇太子だったの?!」
驚愕に顔をひきつらせ、やがてディルは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「やられた……。だって僕、そいつから帝国が次の標的をファルメリア王国に決めたらしいって手紙もらったし」
「は? そうだったのか?」
「あいつは、きっと皇帝を引きずり落としたかったんだよ。それにこの国を利用した。この国なら帝国に勝てる算段があったんだよ。……食えないやつだ、ムカつく」
ディルは「次会ったら見舞金ぶん取る」と大層腹を立てたまま、メルティアの部屋を出ていった。
静かな空間が戻ってきて、ジークは寝たままのメルティアの髪を優しくすく。
そこに、黙ってメルティアの枕元で寝ていたチーが、起き上がってジークを見上げた。
「ジークと話すのは、二度目だね」
「もう何度も話しているだろ」
「回数じゃなくて人生の数」
ジークは口を閉ざした。
「最初のジークは、見える人だった。自然を消されて怒っていたメルを宥めたのがはじまりだよ」
「……そうなのか」
覚えていないことなので、なんとも実感がわかない。
「国を作って、そこを楽園にする。だからどうか、怒りを沈めてくれないかって」
「……」
「メルは最初、ムッとしてた。嘘つきの人間なんか信じられないって」
チーは懐かしむように目を細める。
「でも。ジークは誠実だった。何もないところから、ひとつひとつ作り上げた。泥にまみれても、心ない言葉を浴びせられても、約束だからって」
チーはまっすぐにジークを見つめる。
「メルはずっとそれを見てたんだ」
ジークは眠っているメルティアの顔をながめた。幼いころの記憶が溢れ出してくる。
ジークを見て、大きく目を見開いていたメルティア。キラキラした大きな瞳で、いつも色恋を宿らせてジークを見つめてきていた。
子どもの戯言だろうと、大きくなったら変わるだろうと思っていたが、メルティアは何も変わらず、子どものままだった。
「その時からずっと、メルはジークに恋をしてる」
ジークは黙ってメルティアの髪をすいた。
「姿が変わっても、声が変わっても、生まれが変わっても、メルはいつだってジークに恋をしてた」
「そんなに違ったら、もう別人じゃないのか?」
「同じだよ」
「……」
「オイラたちからしたら、姿はただの入れ物。本当に大切なのは、魂」
妖精の感覚は、人とは少し違うのかもしれない。
「ジークの魂がある限り、メルはジークを好きになる。ずっとそうだった。ジークの魂が生まれれば、メルは喜んで飛んでいった」
そもそも、人と妖精が一緒になるなんて不可能なのだ。
それなのに、不可能を力技でメルティアは可能にしてきた。
人として生きる間は、力と記憶を失うという制約付きで。
「だからさ、ジーク」
ジークはメルティアの手を取りながら、黙ってチーの言葉に耳を傾けた。
「メルにとっては、身分も姿も、どうだっていいんだよ。メルからしたら、それは全部人間が作り出したまやかし」
「……」
「ジークが捨てられたとき、一面に花が咲いたんだ。メルが咲かせたんだよ。この世の誰もが祝福しなくたって、自分だけは祝福するって」
メルティアの小さな手を握っているジークの手が、細かく震え出す。
「メルは、ジークが生まれるのを、馬鹿みたいにずっと待ってたから」
「……っ」
「ずっとずっと、待ってたんだ」
「……本当に、なんだ……それ……」
ジークは声を震わせた。
メルティアの小さな手を、さらにぎゅっと握りしめる。最後には両手で包み込むように握りしめては、額に押し当てて、静かに嗚咽をもらした。
「ジークはずっと人間だったからしかたないさ」
額に手を押し付けて隠していたけれど、ポタリポタリと雫がベッドに降り注いだ。
透明で、純粋な、どうしようもないほど綺麗な涙だった。
「……ティア、話したいことがあるんだ」
眠っているメルティアに、小さく話しかける。
「どうしようもなく臆病で、意気地なしの、腰抜け男の話だ」
ジークは顔を上げて、潤んだ瞳でメルティアを見た。そうして、そっとメルティアの髪をわけて、身を乗り出す。
「ティア……起きてくれ。ティア」
そっと、触れるだけの口づけをした。
冷たい唇と触れ合って、名残惜しくて、もう一度口づける。
最後に愛おしそうに小さな額にキスを落として、メルティアの手を握りしめて祈った。
はやく目覚めてくれ。
話したいことが、たくさんある。
だけど、それでもやっぱり、メルティアの目が覚めることはなかった。
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