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十八話 比叡山炎上
しおりを挟む織田家と浅井家・朝倉家との和睦が成立して、比叡山からの撤退が終わり、平和が訪れるはずであった。
しかし、年を越し翌年を迎えても、いっこうに両陣営の小競り合いはおさまる気配をせなかったのである。
厳しい寒さもやがて緩まる春になって、両陣営の小競り合いは、おさまるどころか激しさを増していったのである。
和睦以降も南近江の領地の各所で本願寺の門徒の蜂起は続き、信長は領地の安定が計れないでいた。
それに加え、和睦を終えた浅井家の中にも反信長派が主流であり、『主家のあずかり知らないこと』として、各自が門徒蜂起の後押しをしていたのである。
表面上浅井家の関与しない反乱ではあったが、武力による鎮圧をしたのち敗れたものたちの逃げ込む先は、決まって比叡山であった。
そんな領地での本願寺門徒による蜂起が起こるたび、信長は、出陣を余儀なくされていた。
それら数えきれない出陣、反乱の平定を繰り返すうち比叡山は、敗残兵のはぐれ浪人、山賊、盗賊の類までが逃げ込む、無法者の集まる砦となりかわっていた。
秋を迎える頃になって、やっと南近江の領地は治安を安定を迎え、ようやく各所の反乱は治まろうとしていた。
西暦1571年元亀二年九月一日、比叡山のふもと志村にて、門徒衆による一揆が発生。
門徒兵の一揆を鎮圧するため、近隣に配置されていた織田軍のほぼ全部隊が出陣を開始した。
それまでと比べると比較的、大きな反乱ではあったが、全部隊投入の織田軍の力にかなうはずもなく、その日の夜半には、反乱は鎮圧される事となった。
「お館様、ご報告いたします。一揆は、ほぼ鎮圧。反乱軍の中には、浅井・朝倉の兵も確認されました」
「…………」
「‥‥お館様。この際、王城鎮護をたてに、敵兵を匿う比叡山に攻め込むべきです」
「…………」
この強行な意見を提案したのは、織田家の中では新参者ではあるが、この頃めきめきと頭角を現してきていた、明智光秀であった。
「王城鎮護など、もはや過去の事、今は敗残兵に狼藉者の集まる砦」
「……」
その日の光秀の提案に、信長は決して首を縦に振ることはなかった。
翌九月の二日。この日、近郊すべての反乱を鎮圧し終えた時、信長の本陣は、奇しくも一年前、仕掛け苦しめられ続けた戦いに置いて陣を敷いていた坂本口あたりに存在することになっていた。
織田家の制圧各部隊が敗残兵を追い込んでいくうち、いつしかその部隊の配置は、比叡山を取り囲むような位置取りとなっていた。
この時の重治は、信長の本陣から離れず、伊蔵たちの協力をもとに、常に各部隊の状況の把握に努めていた。
重治は、此度の鎮圧の為の出陣に、猛烈な反対を唱えていた。
なぜならそれは、信長が歴史上に汚名を残す出来事に確実に繋がる事実を重治は知っていたからである。
重治の知る本当の信長は心優しく、史実や夢物語で語られてきた悪鬼羅刹とは、かけ離れた人物であった。
しかし、この九月の二日に起こりうる事件。それ以降、信長は、悪鬼・悪魔などと罵られ恐れられるようになる。
重治は、出陣を止めることのできなかった信長に、どうすれば汚名を着せずにすむのかと、自分の今できる精一杯を、全てのことに気を配らせていたのであった。
出陣を取り止めさせる事の出来なかった重治は、これから確実に起こるであろう悲劇を信長に即座に告げることに決めた。
これまで直接、本人には、『先に起こる事実』歴史というものを伝えたことはなかった。
それは、自分以外の第三者の感情が介入されることで歴史の流が大きく変わってしまうのを重治が恐れていたからである。
「‥‥しかしな、重治よ。一揆をこのままにしておけば、やがてそれは大きく広がり、手に負えない状態へと発展する」
「しかし、このままでは、信長様に消すことのできない汚名が着せられる事となります」
「……わしが、命令さえしなければ、問題無かろうが。それに、たとえ身に覚えのない汚名を着せられようと、重治、お前がわかっていてくれれば、それでよいわ」
「では、どうしても?」
「‥‥それほど、心配なら、お前も一緒に来ればよい」
説得は失敗した。
これから起こる事実を伝えようとも信長の判断は変わらなかった。それが、たまたまであるのか、歴史の流れによる修正補修が発生していたことなのかは判らない。
結局は、重治は信長とともに反乱制圧の為の出陣をすることとなったのである。
運命のこの日は、昼を過ぎてから急激に天候が崩れ、強い南風が比叡山にむけて吹き込んできていた。
比叡山の聖域であると言われる地域まで、敗残兵を追いつめた信長軍ではあったが、信長からの強い指示に従い、それ以上の深追いは、どの部隊も行うことはなかったのである。
しかし、その出来事は、織田家の制圧部隊が撤退、下山を終えたあと、吹き付ける風がさらに強くなっていた、その日の深夜に起こった。
敗残兵達の迎え入れられた叡山の宿房は、これまでとは違い、ざわめき緊迫した空気が支配していた。
信長軍の強さ、恐ろしさを知る浅井・朝倉の兵達の中からは、『信長が昨年の報復に比叡山に攻め込んでくる』という噂さえも広がっていたのである。
「ねぇ、兄貴。ほんとにやるんですか?」
「何を今更、こんなとこにいると戦の巻き添えになって死んじまうんだぞ」
「でも、ばち当たりませんかね?」
「ばかいえ。女を抱いて贅沢三昧の坊主から盗みをした所で、逆に仏様がほめてくださるってもんよ」
「なるほど。さすがは兄貴」
その日の夜は、強く吹き付ける風が人の不安を煽るのであろうか、比叡山に匿われている者達の間で広まる噂に脅え、噂を信じた者のなかには逃げ出すものさえ現れはじめていた。
「そこのもの、なにをしている!?」
「やべぇ、見つかった。逃げるぞ!」
「こそ泥かぁ。この罰当たり目が」
それは、このこそ泥たちの捕り物から始まった。
逃げ出す二人組みの、こそ泥を追い回す僧兵達。
その騒ぎは段々と大きく広がっていき、やがてその騒ぎは、比叡山に逃げ込んでいた者達の耳に届き、より一層の不安をかき立てた。
僧兵に追い立てられ、必死に逃げ回る二人は、部屋の灯りに置いてある行灯を倒してしまう。
当時の行灯は菜種油などの油を使った灯りであり、倒れた行灯からこぼれた油に火は移る。瞬く間にそれは燃え広がっていった。
当時は、今とは違い、消火設備など有るわけもなく、一度起こってしまった火事を消すことは容易ではなかった。
こそ泥騒ぎに、火事。
比叡山に逃げ込んでいた万の数字に達する人達の不安はピークに達していた。
やがて騒ぎの中、誰かが叫んだ。
「織田軍だ。きっと信長が攻めてきたんだ!」
信長の影に脅える不安の中から発せられた言葉は、水面に投げ込まれた小石の起こした波紋のように、どんどんと、しかも大きくなって伝わっていった。
僧兵たちの懸命の消火をあざ笑うかのように炎は、この日の強風に煽られどんどんと広がっていく。
誰の目にも消火など不可能と思われるほど、火は強まっていった。
「逃げろぉ。逃げるんだ!」
「火に巻き込まれるぞ。みんな、逃げるんだ!」
消火に携わっていた僧兵や門徒衆達はつがつぎと逃げ出し始めた。
火事の混乱と敗残兵として逃げ込んだ者たちの混乱が相合わさって、混乱が混乱を呼んでくる。
いつの間にか火事は織田軍の攻撃によるものだと伝えられ、山から逃げ出そうとするものと引き止める者達の間で大混乱をき引き起こしていた。
比叡山のふもとに陣をしいていた織田軍の方からも、火の手が上がるのが確認できていた。深夜にもかかわらず、次々に信長の元に報告が届いてきていた。
その報告に対して信長の対応した命令は、ただ一つ、比叡山に関わるな。それだけであった。
織田軍の部隊は、信長の命令どおり、比叡山に攻め込むものなど一切なかった。
しかし、山の上では混乱による小競り合いが元で、同士討ちが始まり、混乱に更に拍車をかけることとなっていった。
翌朝になっても火の勢いは衰えず、逃げ出せなかった者の大半は大火に巻かれ焼け死に、命からがら逃げ出せたものであっも、その真実を知るものは、ただの一人もいなかったのである。
その報告を信長と重治は苦渋に満ちた顔で、ただ呆然と聞いていた。
「……ふふふ、はははは。良いではないか。言いたい奴には言わせておけ。わしは、どのように蔑まれようと、胸を張って進んで行くわ。はっ、はははは」
「…………」
重治が沈黙するなか、信長の笑いだけが虚しく響いていた。
重治が全力を持ってしても歴史を変えることは出来なかった。
これで史実として、比叡山の焼き討ちは歴史に記され、真実が書き残される事は、もはや無い。
重治は、信長にかける言葉も見つからず、風が止み降り出した雨に、全ての事を洗い流してくれるように祈った。
そして、その雨に己の無能を呪いながら、ただただ、自らも打たれ続けるしかなかったのであった。
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