裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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十九話 風林火山

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比叡山坂本口、織田家本陣では、此度の鎮圧に出陣した諸将が顔を揃えていた。


「此度の比叡山の炎上、真にめでたき事であります。比叡山がなくなりし今、この坂本に支城を築けば、北の浅井・朝倉、南の本願寺に対しても最も有効な防衛線となりましょう」


織田家に置いて、頭角を現してきている明智光秀の言葉に、何が、めでたき事か判断のつかない諸将たちは、ざわめきたった。


「‥‥みなのもの、安ぜよ。お山に手を下されたのは神のご意志。織田家に何の罪や咎もない。‥‥もし、そのようなものがあるとするならば、一切合切を我が負う」


信長の光秀に続いての言葉に、陣内は静まり返った。


「光秀の言、誠に道理なり。そのほう、この地に城を築き納めよ」

「はっはぁ。必ず、大殿の期待に添いましょうぞ」


比叡山焼き討ち以降、この時より明智光秀は、織田家の中でも古参の重臣、柴田勝家や丹羽長秀らに肩を並べる有力武将になっていくのである。


この光秀の台頭は、武将の出自に関わらず、実力さえ備わっていれば、敵方からの寝返りした者であろうとも、足軽の低き身分からでさえ、誰の前にでも出世の道が開かれるであろう事を意味し、織田家の実力主義が世に知らしめられる事となった瞬間である。

そしてその効果は、敵方からの寝返りする者を増やしていく結果へと繋がっていくのである。


比叡山と言う堅固な城を無くした事は、信長を包囲する本願寺、浅井、朝倉にとって大きな痛手となっていた。


守りが固まるとすれば、それは攻めへと変わること。
信長は西への脅威が薄れた今、浅井・朝倉に対しての戦略を再び開始したのであった。


一方の本願寺顕如は、北条家への憂いの無くなった、義兄弟にあたる武田信玄に信長討伐の要請を求めていた。


当時の武田家は、これまで北条家との領地争いによって激しい交戦状態が続いていた。

しかし北条家当主、氏康が亡くなった事をきっかけに、北条家と武田家は和睦を結んぶこととなったのである。

これにより信玄は、東の北条に煩わされることなく上洛を目指し、動き出すことができるようになったのである。


それまで、北条との交戦のために信玄は、織田・徳川との同盟を結び、不可侵条約を交わしていた。
しかし、北条との和睦の成立した今、この同盟は信玄にとって不必要なもの、まして上洛のためには障害にさえなっていた。




西暦1571年元亀二年十月、武田信玄は本願寺顕如よりの挙兵要請を受け、これに応じる。


信玄は、要請を受け即座に行動を開始した。

それまでの不可侵条約を無視して徳川の領地に侵攻、これにより武田家と織田・徳川家との同盟は消滅して交戦状態へと入っていく。

信長の居城、岐阜城では『信玄動く』の報がいち早く届いけられていた。


この日、岐阜城内では朝早くから重臣たちが呼び出され、武田家への今後の対応が話し合われていた。

しかしこのような大事な戦略会議にも関わらず、そこにあるべきはずのその姿は、誰の目にも映し出されることはなかった。





比叡山から帰った重治は、自分の力の無さを痛感し、その絶望感から抜け出せず、抜け殻のようになってしまっていた。


伊蔵や山崎新平の心配も、重治には全く届くことなく、毎日がただ、漫然と時を過ごしていた。


重治の屋敷は岐阜城の中に存在していて、いつでも信長の元へ、最も早く参上する事のできる場所に存在した。

そしてそれは、信長側から見ても同じ事が言え、重治の毎日の様子は、逐一、信長の元へ知らせられている。


信長は、重治の憔悴しきった様子の報告を受け続け、見るにみかねたある日のこと、重治の元を自らが訪ねていったのである。


「重治さま。大殿が、お越しになりました」


「……えっ、信長様が」


才蔵が、重治に信長の来訪を伝えに来た後ろを信長は僅かに遅れてついてきていた。


「案内、ご苦労であった」


才蔵は後ろにいる信長を中へと案内した後、しどろもどろの口調で答えた。


「はっ。で、では私はこれで……。ち、茶の用意でも‥‥してまいります」


特殊な訓練を積んできた才蔵たち忍び者は、並大抵の事で動揺することなどあり得はしない。

しかし、いざ目の前に、しかも家臣である重治の元を突然独りで訪れた信長を目前にしては、さすがの才蔵も動揺の色を隠すことはできなかった。

それほど信長の来訪は、有り得るはずのない、常識外れの出来事だったのであった。


才蔵の出て行ってしまった部屋、重治は信長との二人だけになっていた。

信長は、なにも語りかけることなく、重治の前に、ゆっくりと座り込んだ。

重治は自分の心の闇を見せぬよう、精一杯の作り笑顔で、信長の顔を見つめた。

信長は、重治のそんな表情を見た瞬間、一瞬、悲痛な面もちを見せはしたが、その表情はすぐに、もとの笑顔へとかわっていた。


「ようこそ、お越しくださいました」


「…………」


重治は、今出せる精一杯の気力を振り絞り、信長への挨拶をした。

しかし、そんな重治の挨拶に、信長は軽く頷いただけで、何も語ろうとはしない。
ただ、重治に暖かい笑顔をむけるだけであり、それは、それ以外には何も必要ないと言いたげな、優しくて暖かい微笑みであった。


今の重治にとって、信長の微笑みは、どんな薬よりも効果のあるものであった。

凍りついた重治の心を信長の思いやりの微笑みがゆっくりと溶かし癒していく。


比叡山での出来事で、信長は歴史上、最も非情な悪鬼として名を残す事になってしまった。

重治は、その事を防ぐ事の出来なかった自分自身を責めて呪った。

しかし、そんな出来事があったにも関わらず信長は、今、重治に対して何も語りかけない笑顔だけで、『気にするな、大した事でない』、そう告げてくれているのである。


心の中の重治は、出口のない暗闇のなかにいて、小さな小さな明かりを見つけた気がした。
そんな小さな小さな光に向かい、重治は歩みを始めた。


一歩、また一歩。ゆっくりであるが確実に近づいていく。
しかし、進んでも進んでも、その小さな光に、たどり着けないもどかしさに、重治は、ついには走り出す。

突然、視界が光輝き、ついに暗闇から抜け出せた重治の前には、優しく微笑む信長が、そっと手を差し伸べていた。


暗闇から抜け出せた重治の表情は、先ほどと比べ全てを吹っ切った、いつもの笑顔に変わっていた。


「……信長さま。ありがとうございます‥‥」


「……ふっ、なんのことかな」


最初の時とまるで変わらず信長は、にこやかに優しい瞳で重治に応じていた。


その部屋の外では、茶の用意をしてきた才蔵が、あまりの部屋の静けさに声をかける事ができず、立ち尽くしていた。


部屋の外の才蔵の気配に気づいた重治は、声をかけた。


「才蔵、何かようかい?」


「はっ、お茶を、お茶をお持ち‥‥、あっ、すみません、もう一度、入れて参ります」


才蔵の用意した茶は、部屋に入るに入れないでいる間、飲むには冷め切ってしまうほどの時が経っていた。


「よいよい。冷めた茶も、また一興」


「し、しかし……」


戸惑う才蔵が仕方なく出した茶を信長は片手で茶碗を持ち上げ、一気に飲み干した。


「うむ、馳走になった……」


信長はにっこりと微笑み飲み干した茶碗をゆっくりと下ろした。



「‥信長様。‥‥お頼みしたき事がございます」

「なんじゃ?何でも言ってみるがよい」


信長は、それまでとは違った重治のようすに、戦国の世に生きる者の気迫を以前以上に力強く感じた。それは重治の精神的、立ち直りの兆しに違いなかった。

信長は楽しそうに重治に答えた。


「……はい。…信玄が動きます」


「なに!?」


信長の驚きの表情に、重治は頷いた。


「‥‥しかし、信玄とは婚姻同盟を結んでおる……」


「はい。‥‥それでも、動きます」


「うむ。重治がそう申すのであれば、その通りなのであろう。……うーん‥‥」


信長の表情は、それまでとは一転した強張った、険しい表情へと変わっていた。


「信玄の坊主が動くとなると家康は、ひとのみにされてしまうだろうな。重治、なんとかする事はできぬか?」


「はい。どうかできるかどうかは、今のところ、何とも言えませんが、このまま家康様を見殺しにするわけにはいきません」


「うむ……」


「私が行くことで何かが変わるなら‥‥、いえ、行かなければ、変わる事がないと思われてしかたないのです」


重治の言葉に、信長はうなずきながらも何か考えているようであったが、結論がでないのか、その後何も語ることはなかった。


人を裏切り蹴落とす事の当たり前の下克上の戦国の世の中で、織田信長が決して裏切る事なく、絶対的に信頼し続けた人間、それが徳川家康と言う人物であった。


幼少期から青年期までを家康は、最初に織田家、後に今川家で人質として過ごしてきていた。

織田家で過ごした期間は短い間ではあったが、信長に生涯、変わらぬ友情と忠誠を誓うこととなり、決してそれを裏切る事はなかった。

信長もまた、主従上下関係なく相手を認め、家康の事を実の弟のように可愛がっていたのである。


信長は家康と幼き頃、一つの約束を交わしていた。
西は信長が、東は家康と、日本を半分にして治めるという、当時の情勢で、それは夢物語のような壮大な約束の交換であった。


幼少期の二人の契りは、戦国武将として、桶狭間の戦いの時に生かされ、当時今川家の家臣として働いていた家康の独立へのきっかけにとつながっていく。


こうした二人の関係から、信長が家康の危機に際して、手を差し伸べないはずはない。

しかし、近江の坂本口を押さえた事により、包囲網は崩れさったものの、決して織田家に兵力的余力があるわけではなかった。


「重治、頼む。家康を助けてやってくれ」


信長は、重治に深く頭を下げた。


「そのように頭を下げないで下さい。‥‥先ほどの私の頼みとは、家康様の元に行かせて頂きたいという事でした。何ができるかわかりませんが期待にそえるように、頑張ってまいります」



信玄、動くとの報告の入る三日前の出来事であった。
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