愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香

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第2話 捕まえに来た男

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 彼女が、あの部屋から出てきた瞬間。
 ――間に合った、と心から思った。

 リュシエンヌ・アルヴェール。
 かつて、私の婚約者だった女性。

 三年前、彼女が伯爵家へ嫁ぐと聞いた時、私は祝福した。
 少なくとも、そう振る舞った。

 彼女は優しく、聡明で、誰よりも責任感が強い。
 だからこそ私は、身を引いたのだ。

「君なら、きっと幸せになれる」

 そう言って。

 だが――結果はどうだ。

 彼女は今、ひとりで立っている。
 背筋を伸ばし、泣きもせず、怒りも見せず。
 ただ静かに、結婚を終わらせてきたばかりの顔で。

「迎えに来た、と言ったら。君は困るだろうか」

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
 内心では、喉が焼けつくほど緊張していたというのに。

 彼女は目を瞬かせ、小さく息を吸う。

「……公爵様は、いつからこちらに?」

「少し前からだ」

 本当は、もっと前からだ。
 離婚の話が出回ったその日のうちに、馬車を用意した。

 ――彼女が捨てられたのなら、今度は私が拾う。
 いや、違う。

 彼女は捨てられたのではない。
 自分で、立ち去ったのだ。

「噂は、聞いています」

 彼女は静かに言った。

「……お見苦しいところを、お見せしました」

 その言葉に、胸の奥が軋んだ。

「見苦しい?」

 思わず、低く問い返す。

「誇るべき決断だろう」

 彼女は、きょとんとした顔でこちらを見る。
 まるで、そんな評価を一度も受けたことがないように。

「君は、自分を安売りしなかった」

 私は続ける。

「尊厳を守った。それだけだ」

 彼女の指先が、わずかに震えた。

 ああ、そうか。
 この人は――ずっと、一人で耐えてきたのだ。

「……ありがとう、ございます」

 かすれた声。

 その瞬間、胸の奥で何かが決定的に切り替わった。

 ――もう、放さない。

「ひとまず、ここを出よう」

 私は外套を脱ぎ、彼女の肩にかけた。

「今の君に、伯爵家の廊下は相応しくない」

「ですが……」

「拒否権は、ない」

 柔らかく言ったつもりだったが、
 有無を言わせぬ響きがあったらしい。

 彼女は一瞬迷い、それから小さく頷いた。

 馬車の中。
 沈黙は不思議と心地よかった。

「……公爵様」

 彼女が、ぽつりと口を開く。

「私は、もう伯爵夫人ではありません。立場も、後ろ盾も……」

「問題ない」

 即答した。

「むしろ好都合だ」

「……え?」

 私は彼女を見る。

「ようやく、誰の許可もなく君を守れる」

 彼女の頬が、ほんのり赤く染まった。

 ――ああ、やはり可愛い。

 昔から、そうだった。
 感情を抑えようとするほど、表情に出る。

「私の屋敷に滞在してほしい」

 私は続ける。

「正式な話は、落ち着いてからでいい」

「……世間が、何と言うでしょうか」

「言わせておけ」

 私は迷わず言った。

「君を傷つけた連中の評価など、価値はない」

 彼女は、ゆっくりと目を伏せた。
 長い睫毛が、影を落とす。

「……私は、強くありません」

 小さな告白。

「平気なふりは、得意ですが」

「知っている」

 だからこそ。

「君は、もう一人で立たなくていい」

 その言葉に、彼女は息を呑んだ。
 しばらくして、ほんの小さく――頷いた。

 その仕草だけで、胸が満たされる。

 屋敷に着くと、使用人たちは一瞬驚いたものの、私が何も説明しなくても、すぐに理解した。

「最上の客人だ」

 そう告げただけで、十分だった。

 部屋へ案内される途中、彼女は小さく呟く。

「……不思議です」

「何がだ?」

「追い出されたはずなのに……」

 彼女は、少しだけ微笑った。

「今の方が、安心しています」

 その笑顔を見た瞬間、内心で静かに誓った。

 伯爵家が、必ず後悔する日が来る。
 彼女を手放したことを。

 そして私は、二度と迷わない。

 ――次は、正式に捕まえる。

 誰にも奪わせないと、この胸に刻みながら。




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