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第1章「共依存」
8話
しおりを挟む「…はぁ。」
流れゆく景色を見ながら大きく溜息をつく。
「姉上、大丈夫ですか?」
チラリと隣を見れば、私を心配そうに覗き込んでくる義弟がいる。私の溜息の原因はこの子も含まれているのだが…。
私とユリウスは学校に向かうため馬車に揺られている。…学校へ行く前にこんなに疲れていて大丈夫だろうか?
「…ねぇ。」
「はい。」
「昨日までの私って、そんなに酷かった?」
「…。」
何も言わずに、笑みを浮かべる義弟。
「ユーリ。」
「姉上は姉上ですよ。」
「またそうやって誤魔化す…もういいわ。」
煮え切らない返事に追求することを諦める。
なんとも騒がしかった朝食を思い出し、再び深い溜息をついた。
*****
「お嬢様が坊ちゃんを朝食に連れてきたわっ!」
「え!?逆じゃなくて!?」
「ア゛ア゛ア゛、燕尾服の坊ちゃんが麗しすぎるっ!眼福!!」
「明日は雪かも…。」
「いえっ、槍よ!」
「旦那様が息をしていないわっ!旦那様ーっ!」
ユリウスを食堂に連れてきた途端これだ。気が遠くなる。
「父上、お気を確かに。」
私の後ろにいたユリウスは食卓の上座に腰掛ける父に駆け寄る。
「おぉ、ユーリか…。エリィが…エリィが…。」
「えぇ、父上のお気持ちはわかります。僕も驚きを隠せません。」
「災いの前触れだ…。私に何かあったらお前達、エリィを頼むぞ…。」
「父上っ。」
「旦那様っ。」
―いつまで続くのかしら…。
目の前で繰り広げられている三文芝居に、とうとう我慢の限界を迎える。私は両手を頭の上にゆっくり上げ、パンッ!と思いっきり手を叩いた。食堂全体にその音が響き渡る。すると、あの騒がしかった食堂がピタリとまるで時間が止まったかのように静かになった。
「朝食が冷めるわよ。」
自分でも驚くほど低い声が出た。
*****
その後やっと食事が始まったのだが、その食事中でも私の体調を心配した父があの手この手と休ませようとし、それをひたすら断り続ける私と父の押し問答が始まってしまった。最終的には父の方が折れてくれたが、今度はあそこの家の子息には気を付けろ、だの、あそこの伯爵家は遊び癖があるから近付くな、だのと口うるさい。これだけで終わらず何故か義弟も参戦し、2人からのお節介な情報をひたすら流し込まれていたのだ。
…最後の方の私は辟易してしまい適当に聞き流していた…。
私は何も特別なことはやっていない。当たり前のように起きて、身支度を整えただけだ。その当たり前の事が出来ていなかったなんて…記憶が戻る前の自分が信じられない。
本日何回目かの溜息をついた。
「姉上、これでも食べて元気を出してください。」
そう言ってユリウスが差し出してきたのは紙に包まれたクッキーだ。見覚えある美味しそうなクッキーに料理長がユリウスにあげたのだろうと想像する。
「子供扱いしないで。」
記憶が戻る前の私だったら喜んで飛びついていただろう。だが、今の私はクッキーで元気になれる程簡単ではない。この義弟は私の事を小さな子供だと思っているのだろうか。…由々しき問題だ。訂正せねば、と口を開こうとすると外から「間もなく、学校に到着します。」と、従者の声が聞こえた。
私達が今日から通い始める学校は帝都の中心に存在する紳士淑女と、ユリウス達のような魔力保持者の学び舎だ。
300年前の学校は優秀な男子のみ受け入れ生徒は皆、併設されている寄宿舎に住まなければならなかった。だが今では男女共学となっており、邸からの通学も許されるようになった。私とユリウスは学校がシューンベルグ邸から近い事もあり邸から通学することを決めたのだ。
そして、この学校のもう1つの目的は未来のパートナー探しである。大規模な社交界の場といえるだろう。
ゆっくりと馬車が止まった。
「お嬢様、坊ちゃん。学校に到着しました。」
「行きましょう、姉上。」
「えぇ。」
従者が戸を開け、先にユリウスが軽やかに馬車から降りた。私も後に続こうと腰をあげる。
「姉上、僕の手に掴まって下さい。」
先に地面に足を着いたユリウスが私に手を差し伸べる。パーティードレスならまだしも、今の私は制服にヒールの無いブーツを履いているため手助けは不要だ。
「1人で降りられるわ。甘やかさないで頂戴。」
「いえ、これはエスコートです。」
周りに聞こえないよう少し声量を落とすユリウスにつられ、私も小さい声になる。
「エスコート?」
「えぇ。ここは紳士淑女の学び舎です。目の前に居るレディをエスコートしなかったら皆に笑われてしまいます。僕のためにも…ね?」
可愛らしくこてんと首を傾げるユリウスの言い分に「なるほど。」と、納得していると何やら周りが騒がしいことに気づいた。
「あの方は誰?」
「昨日の社交界には居なかったわ。」
「なんて麗しい方なのかしら…。」
「あの馬車から降りてきたってことはシューンベルグ公爵の…」
「じゃあ、あの女性は…」
生徒たちの、ヒソヒソと囁き交わす声が私の耳に入って来る。
シューンベルグ公爵の紋章が描かれた馬車と、整った容姿を持つユリウスはこの上なく目立つ。私にも視線が集まってきた状況に、咄嗟に笑顔を貼り付けた。姉として、ここでユリウスに迷惑は掛けられない。
「ありがとう、ユリウス。」
私の顔を見たユリウスが何か言いたげに少し顔を歪める。それに気づかないフリをして私はユリウスの手を取り馬車から降りた。ワインレッド色のワンピースの裾がふんわりと広がる。
「…行きましょう、姉上。」
周りの好奇な視線に曝されながら歩き始める。この感じは久々だ。まるで300年前の前世に戻ったよう。
無意識に背筋が伸び、指の先まで神経が行き渡る。
…私は、常に完璧でいなければならない。誰から見ても完璧な淑女でいないと。でないと私は…
アノヒトノソバニ、タテナイノ…。
「姉上。」
はっと我に返り、立ち止まる。
「あ…。」
私は今何を考えていた?
前を見ればそこには私を心配そうに見つめるユリウスが…。
まただ。また、そんな顔をして…。いや、こんな顔にさせてしまっているのは私だ。迷惑をかけないよう、理想の姉として行動したつもりが裏目に出た。謝ろうとする私にユリウスはそっと耳元にその形の良い唇を寄せてきた。
「言ったでしょう?姉上は姉上だ、無理に頑張らなくても良いと。」
その言葉にまるで魔法がかけられたかのように肩の力が抜ける。その事にこんなにも肩を張っていたのかと驚く。
私は私。もうエリザベータ=コーエンではないのだ。誰かの為にもう頑張る必要は無い。
「…そうね。ごめんね、ユーリ。」
スっと心が軽くなり自然と笑みがこぼれる。そんな私を見たユリウスも表情を和らげた。
「謝らなくて良いんですよ。…残念ながら僕はこっちみたいですね。姉上とはここで一旦お別れです。」
一般生徒と魔力保持者の生徒は校舎が別れており、それぞれの校舎で学んでいく。私は一般生徒の校舎に、ユリウスは魔力保持者の校舎へと向かう事となる。
「分かっているとは思いますが、くれぐれもこちらの校舎には近付かないで下さいね。」
「その話は馬車の中で散々…耳にタコができるぐらい聞いたわよ。…頼まれたって行かないから安心して。」
何故、ユリウスが念を押して私を魔力保持者の校舎に近付かせまいとしているかというと、姉が来るのが恥ずかしいから…、という可愛らしい理由ではなく魔力保持者の校舎にはあのテオドール殿下も居るからだ。
深い海のような美しいサファイアの瞳を持つ皇族達は、遥か昔から『青の魔力』といわれている強力な魔力をその身に宿して産まれてくる。その魔力は神からの加護だといわれ、数々の奇跡を起こしてきた。
同じくサファイアの瞳を持つテオドール殿下もその『青の魔力』をその身に宿しており、弱冠18歳で上位の魔力保持者だ。
「分かっているのなら良いのですが…。」
「私より貴方の方が心配だわ。貴方、病み上がりじゃない。少しでも具合が悪くなったら誰かに言うのよ?」
「分かりました。」
「あと、もし何かあったらすぐにお姉様に相談すること、いいわね?」
…頼りないかもしれないけど、とは言わない。だって悔しいもの。
「…何だかお姉様みたいですね。」
「みたい、じゃなくてお姉様なのよ。」
なんて失礼な事を言うんだと、非難を込めた目で睨む。私の視線を受け取ったユリウスはそれはそれは咲き誇っていた花々が恥じらってしまうほど魅惑的に微笑んでみせた。
あちらこちらから黄色い悲鳴や、うっとりとした溜息が聞こえてくる中、私は思った。『ユーリ、貴方は無理して頑張らなくていいと言うけれど…貴方の姉として、ある程度の努力は必要とされるわよね…?』と…。
姉上は姉上のままでいいんですよ、じゃ許されないのよ、ユリウス。
私は改めて、名誉回復!姉としての尊厳を取り戻せ!のスローガンを頭に掲げていた。
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