英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新

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四章 英雄となった男(1)

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 三人だというのに、夕食には豪勢なディナーがテーブルに並べられた。

 食事を進めながらルイから惚気話を聞かされ後、ティーゼは、ルイとルチアーノに屋敷の中を紹介されながら、泊まる部屋まで案内された。

 
 部屋には備え付けの広い浴室に温泉風呂が付いており、既に良いハーブの香りがする湯気が立ち昇っていた。

 
 バラの花弁を落とすと、ぐっすり眠れるのだとルイに小袋を手渡され、ティーゼは早速使用してみた。温泉水はハーブよりもバラの芳香をまとって肌にしっとりと絡みつき、用意されていたタオルも柔らかかった。

 使用人の姿は一度も見なかったが、目を向けていない間に全てが用意されるという素早い仕事振りは相変わらず続いた。

 風呂から上がると、女性物の夜着が用意されていた。
 成人女性の平均身長に満たないティーゼには、首周りが少し大きい夜着だ。

 白いフリルの装飾も、素肌に触れる質の良い絹の手触りにも慣れなかったが、ティーゼはその日の疲れもあって、ベッドに入ると物の数分で眠りに落ちた。

              ※※※

 翌朝、ティーゼは、現実とは思えない寝心地の良いベッドの上にいる、という違和感と共に目を覚ました。

 ベッドの手触りを確認し、寝呆けた頭で「何の冗談だろう。私のベッドが豪勢になってる……」と思ったが、昨日を思い出して現実である事を遅れて悟った。

 洗面所から戻ってくると、ベッドの脇には冷たい紅茶が用意されており、昨日出した服もきちんと洗濯されて掛けられていた。本当に、この屋敷の使用人はいつ出入りしているのだろうか、と半分寝呆けた頭で考える。

 ティーゼは着替えようとして、ふと、等身大の鏡が用意されている事に気付いた。

 鏡の前に立ち、不似合いな女性物の夜着姿の自分を目に止めた。首の付け根から、乏しい胸の谷間にかけて薄い裂傷痕が白い肌に浮かんでいるのが見えて、化粧で半ば隠れるほどまで薄くなった傷跡を、自身の指先でなぞった。


 あの奇襲は、誰も予測出来なかったものであり、いくら剣を嗜んでいたからといって、小さなティーゼ達には、どうしようもない事だった。


 あの日、後方には戦えない女性や、自分達よりも小さな子どもが多くいた。「ああ、ここで少しでも食い止めなければ」と、ティーゼと友人達は、選択の猶予もなく戦う事を決意して敵に挑んだ。

 剣の腕が弱いクリストファーがついて来て、敵の矛先が彼に向った時には「しまった」と思った。

 もう間に合わないと悟って、動ける全員が、彼を庇うために防御を殴り捨てて飛び出した。大事に育てられているであろう少し世間知らずのクリストファーが、可愛い弟分のように思えて仕方がなく、咄嗟に守らなければと全員が我が身を呈したのだ。

 仲間達の中には、仕事や病気で肉親を失った者もいた。親のいない子供達も多かったから、同じ年頃の子ども達の集まりに、ひょっこりと加わった華奢なクリストファーは、彼女達にとって、初めて出来た弟分のような存在でもあった。

 その結果、ティーゼは胸元を切り裂かれ、仲間達は腕や肩や背中に大きな傷を負った。

 早く親元に戻れと、少年達の中で一番年上だったリーダーが呻くようにクリストファーに告げたが、彼は泣くばかりで、大人達が駆け付けてしばらくしても、頑なに動かなかった。


 大人達に救出されたティーゼ達は、沢山怒られて、そして泣かれた。
 少年グループは説教によって解散の運びとなり、勉強や仕事で毎日は顔を会わせられなくなった。


 ティーゼ達と違い、当時はクリストファーの落ち込みようが酷かった。仲間達は「気にするなよ」と一生懸命に説得したが、彼はティーゼに対して、しばらくは肩を並べるというより、後ろに庇って手を引く姿勢を続けた。

 多分、女の子だと知って距離感が掴みかねたのだろう。

 貴族の男なんてそんなものだと、仲間達は、そう言ってティーゼを励ました。身分の差も性別も超えて、他の男の子達と同じように仲良く出来ると安易に考えていたティーゼには、ショックな出来事でもあった。


 傷跡にコンプレックスを抱いた事はない。仲間達と分かち合った出来事は勲章のように思えたし、クリストファーへの負い目がなければ、日の下に晒せていただろう。


 日焼けによって傷跡が残る事を、クリストファーが痛ましいほど悩んでいたと聞かされたから、ティーゼは、「じゃあ仕方ないから」と傷跡が薄くなるまではと決めて、意識してシャツの襟をしっかり締める服装を意識していた。

 思い返すと、白いシャツから透けて見えるぐらいだった傷跡が、今は透けないぐらい薄くなっている事を、ティーゼは感慨深く思った。

「ここまで薄くなるのも、あっという間だった気がするなぁ」

 常に肌を隠すような服を着ていたので、今更見せるのは恥ずかしい気持ちもある。窮屈に感じていた男性用のシャツの襟も、今ではすっかり慣れたものであるし、しばらくは傷跡を日差しに晒す予定もなかった。

 ティーゼは、きれいになった自分の服に袖を通した。

 思えば、こんなに遠い町で一泊を過ごすのは、初めての事で新鮮でもあった。「外泊なんて初めてかもしれない」と気付いて、昨日から続く面倒な現実を忘れていたティーゼは、気分が上がった。

 ギルドの仕事は、距離があれば報酬も上がるのだが、幼馴染の彼は、ティーゼがどんなに安全性を説いても理解を示してくれなかった。

 女性に対して、どこか過保護になる貴族の姿勢には、少しの妥協があってもいいのではないかと、ティーゼは常々思っていたほどだ。そもそも、ティーゼは貴族ではないので誘拐される事はないし、剣の腕も、取っ組み合いの喧嘩も得意である。

「そうか、初外泊か。うん、素晴らしいと思う!」

 経験が積めるのは新鮮で素晴らしい事だ。

 部屋の扉を出るまで、ティーゼは現在置かれている状況と、面倒な人物についてうっかり忘れていた。

              ※※※

 扉を開けた瞬間、ティーゼは、目の前に立つ男を見て、部屋に戻って扉を締めてやりたくなった。

 とりあえず数秒は考えたが、あらゆるパターンと嫌がらせの理由が浮かんで絞り込めず、とりあえず警戒しつつも、本人に訊いてみる事にした。

「……ルチアーノさん。あの、何をしてるんですか?」
「惰眠を貪っているのなら叩き起こして差し上げようと、氷水を持ってきた次第です」

 扉の前には、完璧に身だしなみを整えたルチアーノがいて、氷水がたっぷりと入った桶を手に佇んでいた。

「あの、仮にも乙女が使ってる寝室に突入は穏やかでないですし、尚且つ朝一番の氷水とか、ショック死レベルの可愛くない嫌がらせじゃないですかッ」
「あなたに乙女の自覚があったとは驚きです。氷水で頭が冷えれば少しは利口になるかもしれないと、わざわざ配慮したうえでの選択だったのですが」

 生粋の魔族特有の、宝石のように美しい赤い瞳がティーゼを見降ろした。その美貌は、性別を問わず魅了するぐらい整っているが、彼女は、うんざりしたように見つめ返して「そんな配慮はいらない」と口の中で愚痴った。

 真面目に相手をするだけ損だ。ティーゼは諦めたように「おはようございます、ルチアーノさん」と仕切り直した。

「もう起きているので氷水は勘弁して下さい。で、今日は手紙を渡したら任務完了ですよね?」
「任務とは何ですか、協力と言いなさい。既に陛下は朝食をとり、空の上で心の準備を整えているところです」
「は? 空中散歩で精神統一ってこと?」
「地上で悶々とされても気分は晴れないでしょう? 予定としては、陛下が戻り次第場所を移して事前練習。その後、鍛練の一つとして走り込みをしているマーガリー嬢を、待ち伏せして手紙を渡します」
「待ち伏せ……」

 ティーゼは、優しい笑顔の似合う魔王について思い返し、「やっぱり夢じゃなかったんだなぁ」と残念そうにルチアーノを見やった。
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