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四章 英雄となった男(4)上
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この町にいないはずの幼馴染の姿を見て、ティーゼは、しばし硬直した。
英雄帰還の祝いは、王都を中心にまだ続いているはずだが、なぜ、今回の主役であるクリストファーが、こんな国境近くの町にいるのだろうか。
クリストファーは、相変わらずどこにいても絵になるような、男女問わず目を引く柔かな美貌をしていた。太陽の光りに透けると明るい栗色にも見える癖のない髪。すっかり青年として成長した高い背丈と、優雅さの似合う端正な顔には、親身さの窺える柔和な微笑みが浮かび――
そして、宝石のように美しい彼の青い瞳は、ずっとティーゼを真っすぐ捉えている。
クリストファーは、相変わらず同性さえも蕩けそうな笑顔を浮かべてはいたが、ティーゼは奇妙な威圧感が拭えなかった。なんというか、目に殺気がこもっているような気がする。
「えっと、こんにちは……それから、お疲れ様?」
突然の事で、幼馴染になんと声を掛けていいのか分からない。思えば、最後に顔を会わせたのは、彼が半魔族の王の討伐に出発する前のことだ。
困惑しつつ声を掛けると、クリストファーが「ありがとう」と美貌を際立たせる優しげな笑みを浮かべた。
「戻ってから会っていなかったなと思ってね。昨日の夜に宴会を抜け出せたと思ったら、ティーゼがどこにもいなかったから驚いたよ」
「あ~、その、祝日扱いだから他の店も閉まってるし、ウチもそれで店を開けてないというか……?」
まるで責めるような笑顔に思えて、ティーゼは、しどろもどろになった。
何か自分に落ち度があっただろうかと考えるが、王城での挨拶を聞き逃した以外に心当たりはない。戻って来たあとの約束も特になかった。そもそも、彼はしばらく忙しいはずだと町の人に聞いた覚えがあるのだが……
ティーゼは、後ろにいるルイとルチアーノの様子を窺った。
彼らは、二人のやりとりが一旦終わるのを待つように口を閉ざしていた。表情一つ変えていないにも関わらず、ルチアーノの眼差しには、幼馴染ならどうにかなさい、という言葉が浮かんでいる。
いや、私もどうしてクリストファーがいるのか分からないし、一体どうしろと……?
「夜には帰るだろうと思っていたのに、朝になっても戻ってこなかったから心配したよ。ギルドの仕事だったんだって?」
声を掛けられて、ティーゼは視線を幼馴染へと戻した。
目が合うと、クリストファーがにっこりと微笑んだ。やはり目が普段と違っているような気がして、彼から覚える静かな怒気を疑問に思いながらも、ティーゼは、言葉を慎重に選ぼうと目をそらして考えた。
「えぇと、うん。手紙を届ける仕事を――」
「ねぇ、どこに泊まったの?」
ふと、間近から声が降ってきて、ティーゼは言葉を切った。
顔を上げると、目の前にクリストファーが立っていた。一瞬にして距離を縮められたことに気付いて、ティーゼは半ば身を引いてしまった。クリストファーは構わず、少しだけ身を屈めるような仕草で目線の距離を縮めて来る。
「ねぇ、ティーゼ。どうして君が、魔王と、その右腕と一緒にいるのか聞いてもいい?」
「……どうしてって、頼まれた仕事先だったから?」
「手紙を届けるだけで、行動を共にしろとは言われていないはずだよね?」
確かにそうなのだが、こちらにだって事情があったのだ。国際問題に発展するような事態には陥っていないし、相手の身分が高すぎて断り帰るタイミングを色々と外してしまっていたというか――
……いや、確かに開き直って食事や温泉や、ふかふかのベッドを堪能してしまったが。
更に先を思い返すと、クッキーも美味しく頂いたので、食い逃げするわけにもいかなくなったのも、ティーゼの判断ミスだったが。
とはいえ、身分の違いがあるから付き合うな、というような台詞をクリストファーに言われるのは、他の誰に言われるよりも何だかやもやした。
「なりいきで、ちょっと付き合ってるんだよ。誰にも迷惑はかけてないのに、どうして怒ってるのさ?」
「立場の違いを分かってる? 君が相手だと、国際問題に発展しかねないよ」
クリストファーの物言いは、珍しく厳しかった。
幼馴染として付き合うにあたって、彼がこれまで身分の違いを口にした事はなかった。まるで、あの事件のことをまだ引きずっているから続けている関係だ、と言われていると勘繰ってしまいそうにもなって、ティーゼは、むっつりと黙り込んだ。
すると、それまで見守っていたルイが、明るい表情を浮かべて二人の間に割りこんだ。
「英雄殿、そういった難しい問題には発展しないから大丈夫だよ。僕とティーゼは友達なんだ」
瞬間、周りの空気が凍りついたような気がした。
笑顔を消したクリストファーが、ゆっくりとルイへ視線を移した。ルイがふんわりと微笑みかけると、クリストファーの表情にも柔和な笑みが戻ったので、ティーゼは、初めて見る幼馴染の真顔は錯覚だったらしい、と目を擦った。
「初めまして、僕は魔王。先日同じ場にいたらしいけれど、挨拶が出来なくてごめんね」
「……僕はティーゼの幼馴染で、クリストファー・リーバスと申します。『英雄殿』ではなく、是非、クリスとお呼びください」
クリストファーは礼儀正しくルイに向きあうと、胸に片手をあてながら柔らかな愛想笑いを浮かべた。しかし、やはり彼の青い目は笑っていないように感じた。
ティーゼが、首を捻りつつ彼らのやりとりを困惑気味に見守っていると、ふと、クリストファーが思案するように地面を向いた。
「……同じ匂いがする」
小さな呟きだったが、それはやけに低く響いた。
原因はまだ推測出来ないでいるが、何かに苛立っているらしい。ティーゼは、それとなく空気を変えてやろうと思い立ち、顎に手をあてて考え事をする幼馴染に声を掛けた。
「クリストファー? どうしたの?」
呼んだ途端、クリストファーがぴたりと動きを止めた。
ゆっくりとこちらを向いた彼の顔には、笑顔がなかった。ティーゼは、クリストファーのそんな表情を見たのは初めてで、よくは分からないが、彼がものすごく苛立っているらしいことが伝わって顔が引き攣った。
思えば、過保護な彼は、ギルドの仕事だろうと外泊に対しては反対していた。もしかしたら、その件で……?
そうするとルイは全く関係がないので、手紙大作戦の予定がある彼を巻き込む訳にはいかないだろう。
ここは、ひとまずルイには別行動を提案しよう。マーガリー嬢が近くまで来ている可能性も考えると、長引かせるのも良くないと判断し、ティーゼはやや強引にルイへ手紙を返して強く主張した。
「ルイさん! コレを持って、どうぞいってらっしゃいませ!」
「ティーゼ、でも――」
「こうしている間に、マーガリー嬢が通り過ぎちゃったらどうするんですかッ。私達のことは気にせずにどうぞ!」
「でも、可愛い女の子を放っておけな――」
その時、後方で見守っていた彼の宰相が、後ろから上司の口を素早く塞いだ。クリストファーの秀麗な眉がピクリと反応し、ゆらりと手紙へ視線が向けられる。
「そうか、テイーゼの性別は把握済み――……」
その時、クリストファーが不意に、ニッコリと爽やかな笑顔をティーゼに向けた。
「ティーゼ、君は魔王陛下のことは愛称で呼んでいるんだね。彼の名前を知るのは、ごく一部の者だけだと聞いたことがあるけれど」
見慣れた笑顔であるはずなのに、首の後ろがチクチクする気配を覚えるのは気のせいだろうか。ティーゼは、気圧されてたじろいだ。
というか、魔王の名前がそんなに重要だとか初耳なのだが……
思わず口を塞がれたままの若き魔王を振り返ると、彼の口を背後から塞いでいるルチアーノと目が合った。ルチアーノが、ティーゼの顔に疑問を見て取り、「彼がおっしゃっているのは本当です」と静かな口調で答えた。
「陛下の正式名は、上位悪魔と信頼ある者のみにしか知らされておりません」
「あの、私は正式に名乗られてないからセーフですよね? ……ルチアーノさん、そろそろ手を離してあげてもいいんじゃないでしょうか。ルイさんが可哀そうです」
物言いたげなルイを見てそう告げると、ルチアーノは無表情のまま、上司に非礼を詫びて口を解放した。
ルイはクリストファーに向き直ると、困ったように微笑んでこう告げた。
「クリス、でよかったかな。ティーゼとは友達になったから、僕は愛称である『ルイ』と呼んで欲しいとお願いしただけだよ」
「身分高い魔族が、名を呼ぶ事を許可する行為は、自分のものであると下位の者に知らしめる『契約』だと伺っていますが、つまり今回に関しては、魔力による口頭契約ではないということですか?」
クリストファーが、非難するように目を細めた。
ルイは、困ったように微笑んで「契約ではないよ。『悪魔の恩恵』は与えていないから、安心して欲しい」と諭すような口調で答えた。
初めて聞くにしては物騒な響きの言葉が聞こえて、ティーゼは、しばし呆気にとられていた。
英雄帰還の祝いは、王都を中心にまだ続いているはずだが、なぜ、今回の主役であるクリストファーが、こんな国境近くの町にいるのだろうか。
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そして、宝石のように美しい彼の青い瞳は、ずっとティーゼを真っすぐ捉えている。
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何か自分に落ち度があっただろうかと考えるが、王城での挨拶を聞き逃した以外に心当たりはない。戻って来たあとの約束も特になかった。そもそも、彼はしばらく忙しいはずだと町の人に聞いた覚えがあるのだが……
ティーゼは、後ろにいるルイとルチアーノの様子を窺った。
彼らは、二人のやりとりが一旦終わるのを待つように口を閉ざしていた。表情一つ変えていないにも関わらず、ルチアーノの眼差しには、幼馴染ならどうにかなさい、という言葉が浮かんでいる。
いや、私もどうしてクリストファーがいるのか分からないし、一体どうしろと……?
「夜には帰るだろうと思っていたのに、朝になっても戻ってこなかったから心配したよ。ギルドの仕事だったんだって?」
声を掛けられて、ティーゼは視線を幼馴染へと戻した。
目が合うと、クリストファーがにっこりと微笑んだ。やはり目が普段と違っているような気がして、彼から覚える静かな怒気を疑問に思いながらも、ティーゼは、言葉を慎重に選ぼうと目をそらして考えた。
「えぇと、うん。手紙を届ける仕事を――」
「ねぇ、どこに泊まったの?」
ふと、間近から声が降ってきて、ティーゼは言葉を切った。
顔を上げると、目の前にクリストファーが立っていた。一瞬にして距離を縮められたことに気付いて、ティーゼは半ば身を引いてしまった。クリストファーは構わず、少しだけ身を屈めるような仕草で目線の距離を縮めて来る。
「ねぇ、ティーゼ。どうして君が、魔王と、その右腕と一緒にいるのか聞いてもいい?」
「……どうしてって、頼まれた仕事先だったから?」
「手紙を届けるだけで、行動を共にしろとは言われていないはずだよね?」
確かにそうなのだが、こちらにだって事情があったのだ。国際問題に発展するような事態には陥っていないし、相手の身分が高すぎて断り帰るタイミングを色々と外してしまっていたというか――
……いや、確かに開き直って食事や温泉や、ふかふかのベッドを堪能してしまったが。
更に先を思い返すと、クッキーも美味しく頂いたので、食い逃げするわけにもいかなくなったのも、ティーゼの判断ミスだったが。
とはいえ、身分の違いがあるから付き合うな、というような台詞をクリストファーに言われるのは、他の誰に言われるよりも何だかやもやした。
「なりいきで、ちょっと付き合ってるんだよ。誰にも迷惑はかけてないのに、どうして怒ってるのさ?」
「立場の違いを分かってる? 君が相手だと、国際問題に発展しかねないよ」
クリストファーの物言いは、珍しく厳しかった。
幼馴染として付き合うにあたって、彼がこれまで身分の違いを口にした事はなかった。まるで、あの事件のことをまだ引きずっているから続けている関係だ、と言われていると勘繰ってしまいそうにもなって、ティーゼは、むっつりと黙り込んだ。
すると、それまで見守っていたルイが、明るい表情を浮かべて二人の間に割りこんだ。
「英雄殿、そういった難しい問題には発展しないから大丈夫だよ。僕とティーゼは友達なんだ」
瞬間、周りの空気が凍りついたような気がした。
笑顔を消したクリストファーが、ゆっくりとルイへ視線を移した。ルイがふんわりと微笑みかけると、クリストファーの表情にも柔和な笑みが戻ったので、ティーゼは、初めて見る幼馴染の真顔は錯覚だったらしい、と目を擦った。
「初めまして、僕は魔王。先日同じ場にいたらしいけれど、挨拶が出来なくてごめんね」
「……僕はティーゼの幼馴染で、クリストファー・リーバスと申します。『英雄殿』ではなく、是非、クリスとお呼びください」
クリストファーは礼儀正しくルイに向きあうと、胸に片手をあてながら柔らかな愛想笑いを浮かべた。しかし、やはり彼の青い目は笑っていないように感じた。
ティーゼが、首を捻りつつ彼らのやりとりを困惑気味に見守っていると、ふと、クリストファーが思案するように地面を向いた。
「……同じ匂いがする」
小さな呟きだったが、それはやけに低く響いた。
原因はまだ推測出来ないでいるが、何かに苛立っているらしい。ティーゼは、それとなく空気を変えてやろうと思い立ち、顎に手をあてて考え事をする幼馴染に声を掛けた。
「クリストファー? どうしたの?」
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ゆっくりとこちらを向いた彼の顔には、笑顔がなかった。ティーゼは、クリストファーのそんな表情を見たのは初めてで、よくは分からないが、彼がものすごく苛立っているらしいことが伝わって顔が引き攣った。
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「ルイさん! コレを持って、どうぞいってらっしゃいませ!」
「ティーゼ、でも――」
「こうしている間に、マーガリー嬢が通り過ぎちゃったらどうするんですかッ。私達のことは気にせずにどうぞ!」
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「そうか、テイーゼの性別は把握済み――……」
その時、クリストファーが不意に、ニッコリと爽やかな笑顔をティーゼに向けた。
「ティーゼ、君は魔王陛下のことは愛称で呼んでいるんだね。彼の名前を知るのは、ごく一部の者だけだと聞いたことがあるけれど」
見慣れた笑顔であるはずなのに、首の後ろがチクチクする気配を覚えるのは気のせいだろうか。ティーゼは、気圧されてたじろいだ。
というか、魔王の名前がそんなに重要だとか初耳なのだが……
思わず口を塞がれたままの若き魔王を振り返ると、彼の口を背後から塞いでいるルチアーノと目が合った。ルチアーノが、ティーゼの顔に疑問を見て取り、「彼がおっしゃっているのは本当です」と静かな口調で答えた。
「陛下の正式名は、上位悪魔と信頼ある者のみにしか知らされておりません」
「あの、私は正式に名乗られてないからセーフですよね? ……ルチアーノさん、そろそろ手を離してあげてもいいんじゃないでしょうか。ルイさんが可哀そうです」
物言いたげなルイを見てそう告げると、ルチアーノは無表情のまま、上司に非礼を詫びて口を解放した。
ルイはクリストファーに向き直ると、困ったように微笑んでこう告げた。
「クリス、でよかったかな。ティーゼとは友達になったから、僕は愛称である『ルイ』と呼んで欲しいとお願いしただけだよ」
「身分高い魔族が、名を呼ぶ事を許可する行為は、自分のものであると下位の者に知らしめる『契約』だと伺っていますが、つまり今回に関しては、魔力による口頭契約ではないということですか?」
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ルイは、困ったように微笑んで「契約ではないよ。『悪魔の恩恵』は与えていないから、安心して欲しい」と諭すような口調で答えた。
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