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一章 ホノワ村のラビィ(4)
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他人には振りまわされない。自分の意思を貫き通す。
九歳という若さで自立したラビは、明日を生きるために毎日を積み重ねていた。
彼女の密かな夢は、いつかこの村を出て旅をする事だ。成人扱いである十七歳を待って、いつかノエルと共に、金髪金目の『忌み子』と嫌われる事のない、静かに暮らせる土地を探しながら、夜と夜を紡いで、広い世界を見て回る事を夢見ていた。
世界は大きくて、百以上に切り分けられた地図を収拾するのは困難だったが、薬草を買いに来てくれる人に頼んで、長い年月をかけて、少しずつ古い地図を手に入れていた。
家にこもって地図を広げ、どこかに、自分が暮らせるような落ち着いた土地はないか眺め過ごすのは楽しかった。ノエルから話しを聞きながら、地図の上にメモの走り書きを行い、人里や、立ち寄らない方がいい場所には×印を入れる。
×印はどんどん増えたが、印の入っていない土地を歩き進んでみる楽しみが膨らんだ。
家に残っていた両親との思い出も、今は、村を離れられるまでに片付けが済んでいた。旅の進路については決まっていて、十七歳になった現在、一ヶ月分の薬草師と獣師の仕事の予定の他はなく、来月の仕事は埋めていなかった。
もう、他に予定を入れるつもりはない。
十七歳になって、二ヶ月も過ぎてしまっている。
早ければ来月にも村を離れる気でいたので、辺境の地で起こっているという害獣に関わるつもりはなかった。学位を持っている獣師も多くいる訳で、セドリックの幼馴染という理由だけで、ラビが出る必要はない。
セドリックとユリシスを置き去りにしたラビは、別荘の門をくぐり、玄関扉の前に立った。
『いいのか? あの眼鏡、怒り心頭って感じだったぜ』
「いいんだよ。無償で慈善協力はする気も、金の都合をつけようとも思ってないし。悩んでいる間にずるずる予定が伸びて、もう二ヶ月も身動き出来てないんだ。今度こそは、今月中では全部終わらせてやるッ」
先月、先々月と、不思議と遠い場所からやってくる新規の客が続いた。彼らはラビの金髪金目に少し目を瞠ったものの、差別意識はないと言わんばかりに、返って労うように微笑んでまでくれた。
皆人が良く、中にはご高齢の町医者までいて、苦労して来てくれたのが申し訳なくて、ラビは「急で済まないが、来月分まで定量の注文を入れてもいいかね?」との頼みを断れず、今月まで予定が入ってしまったのである。
『来月には旅に出たいって言ってたもんなぁ』
「何事もなければ、今度こそ出発できるよ。気になるのは、ゲンさんかな。胸が弱いから、彼自身の薬草に関しては多めに揃えてあげて、入手先とか育て方とか、色々と教えておくつもりでノートにまとめている最中なんだ」
『ふうん。お前が机の前で頭抱えてた、例のノートか。ま、無理だけはすんなよ』
扉が開くのを待っていると、ノエルがふと顔を横に向けた。
『おい、ラビ。あっちにも騎士がいるぜ』
促されて、ラビもそちらへ目を向けた。
別荘の庭園に、三人の騎士の姿があった。二十代の前半から後半までの男達で、初夏の暖かい日差しの下で、騎士団の制服をきっちりと着込んでいた。
上司のいない隙にお喋りを楽しんでいた彼らが、ふと、ラビの視線に気付いて振り返った。小柄な若い男が目を見開くと、他の男も似たような顔をして次々に口を閉じた。
彼らが金髪に目を止めている様子が分かって、ラビは露骨に舌打ちし、「見世物じゃねぇぞ」と口の中で呟いた。
しばらくすると、ようやく使用人が出てきて、ラビを館内へと招き入れた。
伯爵夫人は、数日振りのラビの訪問を歓迎してくれた。「よく来てくれたわねぇ」と、我が子に対するのと同じように抱きしめてくるから、ラビは恥ずかしくなって、「やめてください」と弱々しい声で言って身じろぎした。
キャラメル色の長い髪を結い上げ、清楚な美しさを漂わせた伯爵夫人は、セドリックが好きな甘いスコーンを沢山用意して、先程まで皆に振る舞っていたのだと、楽しそうに語った。
「でも、残念よねぇ。お仕事の途中で、あまり長居は出来ないらしいの。夕食は無理だと言うから、せめてスコーンぐらい食べて行ってと提案したの。でも、少し作り過ぎてしまったみたい」
「へぇ、作り過ぎ……」
ラビは、一瞬、普段から伯爵家で出されている甘いスコーンの存在に気を取られた。
伯爵家で一時期世話になったラビも、二ヶ月は伯爵家の子供たち同様、夫人の作るスコーンをおやつにして育った。あれはかなり美味く、ラビも大好物である。
ノエルが呆れたように息をついて、『おい、ラビ』と呼んで、鼻先で彼女の背中を軽くつついた。
ラビは我に返ると、こちらを見つめている伯爵夫人に慌てて言い直した。
「あのッ、ビアンカの様子はどうですか?」
「ここ数日、食も少し細いみたい。廊下の台の下から、あまり出て来ないのよ……。そうそう、スコーンがまだ沢山余っているのよ、食べていかない? あなたも好きだったでしょう?」
伯爵夫人は、まるで母親のように優しく目を細めた。
ラビは甘い物は大好きだが、これまで堂々と宣言した事はなかった。特に自立してからは、甘えるような事を口にしてしまうのが恥ずかしかったのだ。
それに、こんな可愛くもない性格で、お菓子が好きだなんて、不似合いだと笑われてしまうような気がしていた。ノエルになら何でも話せるのに、他の誰かには抵抗があった。
くそぉ、めちゃくちゃ食べたい。
内心の葛藤を抑え込み、ラビは、どうにかスコーンの誘惑を断ると、「ビアンカを見てきます」と夫人に断りを入れて、足早に奥へと進んだ。
◆
ラビは、次の廊下の角を曲がり、ちょうど午後の日差しが差し込む場所で足を止めた。
窓辺には、花瓶を乗せた円形台が置かれており、その下で大きな白い猫が上品に腰を降ろしている。猫はラビの足音に気付くと、丸いサファイヤの瞳を向けた。
『ようやくいらっしゃってくれたのね、ラビィ』
猫のビアンカは、ラビを見るなり上品な声でニャーと鳴いた。
しかし、彼女はラビの後ろで足を止めたノエルの姿を認めると、やや眉根を寄せて『むさ苦しい狼ねぇ』と低い声を出した。
『あなたが立っているだけで、廊下が狭く見えるから不思議ですわ。今からラビィとは、女の子同士のお話しをしますの。気をきかせて何処かへ行ってくれないかしら』
『ちッ、相変わらず態度がデカイ小娘だな。元気じゃねぇかよ』
ノエルは苛立ったように床を踏み鳴らしたが、ラビの視線に気付くと、『分かってるって』と踵を返して、来た道を戻っていった。
彼の姿が完全に見えなくなると、ビアンカは満足げに微笑んだ。
「それで、最近はどうしたの、ビアンカ?」
ラビがしゃがんで目を合わせると、ビアンカは顔の前で前足を組み、『それがね』と困ったように話し始めた。
『ちょっと木登りをした後から、尻尾の方に違和感があって』
「痛いの?」
『少しだけ』
それは大変だ。単なる我が儘ではなく、本当に困り事のようだ。
ラビは、疑って申し訳ない、と内心で謝った。
ビアンカは、ふわふわの尻尾を引き寄せながら話しを続けた。
『この――ここの辺りかしらね。違和感がある箇所が床に触れると、少し痛むのだけれど、自分では確認出来なくて困っているの』
話を聞いてから、ラビは一つの可能性を思い浮かべでいた。
気位の高いビアンカにとって、付け根から少し離れた自慢の尻尾をめくられるのを、オスであるノエルに見られる事は屈辱だろう。
ラビは、彼女がノエルを追い払った理由について納得しながら、ビアンカに断りを入れて、患部を刺激しないよう心掛けつつ長く柔らかな毛をかき分けた。
九歳という若さで自立したラビは、明日を生きるために毎日を積み重ねていた。
彼女の密かな夢は、いつかこの村を出て旅をする事だ。成人扱いである十七歳を待って、いつかノエルと共に、金髪金目の『忌み子』と嫌われる事のない、静かに暮らせる土地を探しながら、夜と夜を紡いで、広い世界を見て回る事を夢見ていた。
世界は大きくて、百以上に切り分けられた地図を収拾するのは困難だったが、薬草を買いに来てくれる人に頼んで、長い年月をかけて、少しずつ古い地図を手に入れていた。
家にこもって地図を広げ、どこかに、自分が暮らせるような落ち着いた土地はないか眺め過ごすのは楽しかった。ノエルから話しを聞きながら、地図の上にメモの走り書きを行い、人里や、立ち寄らない方がいい場所には×印を入れる。
×印はどんどん増えたが、印の入っていない土地を歩き進んでみる楽しみが膨らんだ。
家に残っていた両親との思い出も、今は、村を離れられるまでに片付けが済んでいた。旅の進路については決まっていて、十七歳になった現在、一ヶ月分の薬草師と獣師の仕事の予定の他はなく、来月の仕事は埋めていなかった。
もう、他に予定を入れるつもりはない。
十七歳になって、二ヶ月も過ぎてしまっている。
早ければ来月にも村を離れる気でいたので、辺境の地で起こっているという害獣に関わるつもりはなかった。学位を持っている獣師も多くいる訳で、セドリックの幼馴染という理由だけで、ラビが出る必要はない。
セドリックとユリシスを置き去りにしたラビは、別荘の門をくぐり、玄関扉の前に立った。
『いいのか? あの眼鏡、怒り心頭って感じだったぜ』
「いいんだよ。無償で慈善協力はする気も、金の都合をつけようとも思ってないし。悩んでいる間にずるずる予定が伸びて、もう二ヶ月も身動き出来てないんだ。今度こそは、今月中では全部終わらせてやるッ」
先月、先々月と、不思議と遠い場所からやってくる新規の客が続いた。彼らはラビの金髪金目に少し目を瞠ったものの、差別意識はないと言わんばかりに、返って労うように微笑んでまでくれた。
皆人が良く、中にはご高齢の町医者までいて、苦労して来てくれたのが申し訳なくて、ラビは「急で済まないが、来月分まで定量の注文を入れてもいいかね?」との頼みを断れず、今月まで予定が入ってしまったのである。
『来月には旅に出たいって言ってたもんなぁ』
「何事もなければ、今度こそ出発できるよ。気になるのは、ゲンさんかな。胸が弱いから、彼自身の薬草に関しては多めに揃えてあげて、入手先とか育て方とか、色々と教えておくつもりでノートにまとめている最中なんだ」
『ふうん。お前が机の前で頭抱えてた、例のノートか。ま、無理だけはすんなよ』
扉が開くのを待っていると、ノエルがふと顔を横に向けた。
『おい、ラビ。あっちにも騎士がいるぜ』
促されて、ラビもそちらへ目を向けた。
別荘の庭園に、三人の騎士の姿があった。二十代の前半から後半までの男達で、初夏の暖かい日差しの下で、騎士団の制服をきっちりと着込んでいた。
上司のいない隙にお喋りを楽しんでいた彼らが、ふと、ラビの視線に気付いて振り返った。小柄な若い男が目を見開くと、他の男も似たような顔をして次々に口を閉じた。
彼らが金髪に目を止めている様子が分かって、ラビは露骨に舌打ちし、「見世物じゃねぇぞ」と口の中で呟いた。
しばらくすると、ようやく使用人が出てきて、ラビを館内へと招き入れた。
伯爵夫人は、数日振りのラビの訪問を歓迎してくれた。「よく来てくれたわねぇ」と、我が子に対するのと同じように抱きしめてくるから、ラビは恥ずかしくなって、「やめてください」と弱々しい声で言って身じろぎした。
キャラメル色の長い髪を結い上げ、清楚な美しさを漂わせた伯爵夫人は、セドリックが好きな甘いスコーンを沢山用意して、先程まで皆に振る舞っていたのだと、楽しそうに語った。
「でも、残念よねぇ。お仕事の途中で、あまり長居は出来ないらしいの。夕食は無理だと言うから、せめてスコーンぐらい食べて行ってと提案したの。でも、少し作り過ぎてしまったみたい」
「へぇ、作り過ぎ……」
ラビは、一瞬、普段から伯爵家で出されている甘いスコーンの存在に気を取られた。
伯爵家で一時期世話になったラビも、二ヶ月は伯爵家の子供たち同様、夫人の作るスコーンをおやつにして育った。あれはかなり美味く、ラビも大好物である。
ノエルが呆れたように息をついて、『おい、ラビ』と呼んで、鼻先で彼女の背中を軽くつついた。
ラビは我に返ると、こちらを見つめている伯爵夫人に慌てて言い直した。
「あのッ、ビアンカの様子はどうですか?」
「ここ数日、食も少し細いみたい。廊下の台の下から、あまり出て来ないのよ……。そうそう、スコーンがまだ沢山余っているのよ、食べていかない? あなたも好きだったでしょう?」
伯爵夫人は、まるで母親のように優しく目を細めた。
ラビは甘い物は大好きだが、これまで堂々と宣言した事はなかった。特に自立してからは、甘えるような事を口にしてしまうのが恥ずかしかったのだ。
それに、こんな可愛くもない性格で、お菓子が好きだなんて、不似合いだと笑われてしまうような気がしていた。ノエルになら何でも話せるのに、他の誰かには抵抗があった。
くそぉ、めちゃくちゃ食べたい。
内心の葛藤を抑え込み、ラビは、どうにかスコーンの誘惑を断ると、「ビアンカを見てきます」と夫人に断りを入れて、足早に奥へと進んだ。
◆
ラビは、次の廊下の角を曲がり、ちょうど午後の日差しが差し込む場所で足を止めた。
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『ようやくいらっしゃってくれたのね、ラビィ』
猫のビアンカは、ラビを見るなり上品な声でニャーと鳴いた。
しかし、彼女はラビの後ろで足を止めたノエルの姿を認めると、やや眉根を寄せて『むさ苦しい狼ねぇ』と低い声を出した。
『あなたが立っているだけで、廊下が狭く見えるから不思議ですわ。今からラビィとは、女の子同士のお話しをしますの。気をきかせて何処かへ行ってくれないかしら』
『ちッ、相変わらず態度がデカイ小娘だな。元気じゃねぇかよ』
ノエルは苛立ったように床を踏み鳴らしたが、ラビの視線に気付くと、『分かってるって』と踵を返して、来た道を戻っていった。
彼の姿が完全に見えなくなると、ビアンカは満足げに微笑んだ。
「それで、最近はどうしたの、ビアンカ?」
ラビがしゃがんで目を合わせると、ビアンカは顔の前で前足を組み、『それがね』と困ったように話し始めた。
『ちょっと木登りをした後から、尻尾の方に違和感があって』
「痛いの?」
『少しだけ』
それは大変だ。単なる我が儘ではなく、本当に困り事のようだ。
ラビは、疑って申し訳ない、と内心で謝った。
ビアンカは、ふわふわの尻尾を引き寄せながら話しを続けた。
『この――ここの辺りかしらね。違和感がある箇所が床に触れると、少し痛むのだけれど、自分では確認出来なくて困っているの』
話を聞いてから、ラビは一つの可能性を思い浮かべでいた。
気位の高いビアンカにとって、付け根から少し離れた自慢の尻尾をめくられるのを、オスであるノエルに見られる事は屈辱だろう。
ラビは、彼女がノエルを追い払った理由について納得しながら、ビアンカに断りを入れて、患部を刺激しないよう心掛けつつ長く柔らかな毛をかき分けた。
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