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二章 王都編~小さな獣師、相棒と王都を散策する~
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ヒューガノーズ伯爵邸にて、伯爵夫妻とセドリックと一緒にスコーンを食べて過ごした後、ラビは第三騎士団本部へ向かった幼馴染と分かれた。
帽子をしっかりとかぶり直して、通り過ぎる周りの人間には目を向けず、近くの地形を把握するため、セドリックからもらった地図を片手にしばらくノエルと歩いた。王都の中心街はどこも道が広々と造られており、複数の美しい塔を持った王宮だけでなく、大聖堂の時計棟もよく見えた。
以前の氷狼の件で、初出張となったラオルテの町に比べても、王都は行き交う商人の数が圧倒的に多かった。ほとんどの人間が小奇麗にしており、地方商品を売り込む民族衣装の男達の出店も、しっかり屋根が付いていて商品棚には埃一つない。
「王都って意外と、肌の色も髪色も、結構違う人達が集まっているんだね」
『いろんな土地から人間が集まるからな。あの褐色の集団は、潮の匂いがするから船乗りだろうぜ。貿易会社も多いから、ああやって各地を飛び回って王都に出入りしている連中もいる』
人混みを歩きながら、ラビはノエルとこっそり話した。
王都の人々は、在住者だけでなく各地方から集まっている人間も多い。そのため、自分の行動や見た目を気にする者も多いのか、露骨に態度を出して嫌がるという風潮も少ないようだった。
人々は無視を決め込み、自然と彼女から距離を取る。そこに出来たスペースを、ノエルが悠々と歩いていた。中には顔を顰める者もいたが、揉め事を起こすようなきっかけを作りたくないように、当人に聞こえる距離で話しをする人間はいなかった。
『貴族や大商人あたりは注意した方がいいだろうな。地位を持って王都に根を下ろしているような連中は、自分が正しいと信じて、非難も差別も平気でやるような人間も多い』
そう考えると、こちらの姿が見えない状況は痛いな、と呟いてノエルが舌打ちした。人間よりも聴覚が優れているから、遠くからの囁き声でも拾ったのかもしれない。
ラビとしては、最低限でもいいので暮らしを送れるための、店や飲食店を確保出来るかが心配だった。セドリックがいたおかげで宿はスムーズに契約も済んでいたが、実際に買い物をしたり、食事をしないと環境的な善し悪しは分からない。
「十八歳になるまで、ここにいなくちゃいけないのか……」
思わず項垂れると、ノエルがふわふわとした尻尾で『元気出せよ』と優しく背中を押してきた。
『騎士団から獣師の仕事が入るだろうし、この前の氷狼の件と同じように出張になるってんなら、王都の外にいく機会も増える』
「そうかもしれないけど。オレとしてはさ、伯爵達に悲しい顔をさせたくないから、食べる所とかお店とか、そういう場所をちゃんと確保するまでは気が抜けないというか」
両親が他界して一人暮らしを始めた際、牛乳を売れないとする店や、肉を売りたくない、卵は別の所で買っておくれ……と、天涯孤独な身になった事を同情して態度は控えめながらも、村人に店先で門前払いを受けた。
自分に商品を売ってくれるような店はないだろうと諦めて、ラビはノエルと共に山に入り、そこにいた動物達とお喋りしながら自給自足の生活を送った。何故なら、嫌われている目と態度をされるより、小さい自分には不便であるが、人間と離れて生活した方が精神的に楽だったからだ。
そんなある日、ラビを村で見掛けないと気付いたヒューガノーズ伯爵が、現状を知って激昂した。「可哀そうに」と夫婦揃って泣かれてしまってから、ラビは現実と立ち向かって、両親が生きていた頃の暮らしを一人でも送れるよう逃げない事を決めたのだ。
問題なのは、村では半分の食料を自給自足で賄える環境があったが、王都にはそれがないという事である。
ここは広大な大都会であるので、店数や施設も目が回るくらい多い。何十軒、もしくは何百軒目かでは、自分に商品を売ってくれる店もあるかも……と期待したい。
「…………徒歩二時間圏内までだったら、どうにか頑張って通えると思う」
『かなり範囲を広げてきたな。稼ぎたい連中も多いし、いろんな土地から人間が集まっていて、外聞や評判を気にするくらい競争率も高い。わざわざ自分から評判を落とそうとする商人は少数派だと思うぜ?』
「そうだけといいけどなぁ……」
『実際に入ってみないと分からないって顔だな。まぁ騎士団や伯爵家みてぇ人間がいる店が、近くにあればいいと思っているが――』
そう言いながら、ノエルはつい、人混みに目を向けてしまった。
『――……オレとしては、そうじゃなかったらあの長男坊が殺しにかかるんじゃねぇかと、別の意味で心配でならねぇんだが』
ノエルは、伯爵邸を出てからずっと、付かず離れで付いてくる私服の二人の男達に目を留めた。王宮内を歩いていた時、何食わぬ様子でラビの顔を確認するように、通り過ぎて行った二人の騎士と同じ匂いだ。
ラビは試しに入ってみる店について真剣に考え、周囲の建物に忙しく目を向けていたので、ノエルの呟きを聞き逃してしまった。遅れて「何か言った?」と尋ねた彼女に、彼が『いや、なんでもねぇよ』と吐息交じりに返した。
『大丈夫だと判断されるまでは逐一報告されるんだろうな、と思ってな……』
「報告?」
『まぁ、アレだ。王都ってのは人の目も多いから、その行動を見られていると意識してる連中も多いだろうし、自分の評判を落としたくなかったら露骨に門前払いもしねぇだろ』
そう言って、彼は話をはぐらかした。
明日の出発は早いので、夜に出歩くつもりはない。ひとまずは宿の部屋で食べるための食料を買う目標を立てて、ラビはノエルと共に歩き続けた。目に留まった何軒目かのパン屋の前で足を止めて、じっくり店内の様子を窺ってみた。
「……なんだか高級店っぽいね」
『次、行くか?』
その時、ガラス張りの店内から、こちらを振り返った身綺麗な正装姿の男と目が合った。パチリと瞬きする瞳は、綺麗な空色をしていた。連れらしい同じ紳士風の二人の男も、金のステッキを持っている。
キレイな空色の瞳をした彼のきょとんとした表情が、苦手なものを見るように変わるのを見たくない気がして、ラビは帽子を深くかぶり直した。ノエルに「行こう」と促して、歩みを再開する。
カラン、と出入り口のベルが鳴る音が聞こえた。
その次の瞬間「ねぇ」と声を掛けられ、腕を取られてラビは飛び上がった。ハッとして振り返ると、そこには先程パン屋の店内にいたはずの男が立っていた。
年齢は三十前後ほどで、顔立ちが良くて落ち着いた雰囲気をしている。ブラックコートと、それにぴったり似合うハット帽という恰好で、人の好さそうな柔和な表情を浮かべていた。
男が、少し癖の入った柔らかなブラウンの髪が覗くハットのつばを、白い手袋を履いた手で少し持ち上げた。こちらを改めて見下ろしてきた青い瞳は、なんだかホノワ村でよく声をかけてきた少年達のように澄んで見えた。
「こんにちは、何かお探しかな?」
男性にしては、少し高めの穏やかな声をしていた。片手に金の装飾をされた日除け用の細い傘を提げていたものの、パンを買った様子は見られない。
腕を取られたまま早速とばかりに質問されて、ラビは戸惑った。初対面にしては馴れ馴れしいなと、その意図を探るように、ノエルが鼻頭に少し皺を刻んで様子を窺う。
「あの、オレは別に探し物をしているわけでは…………」
「通りの向こうにいた時から、きょろきょろしていただろう?」
彼がそう言って、「店に入る時に見たよ」とにっこりとする。
「こうして目が合ったのも、何かの縁だと思ってね。僕も君くらいの歳に王都に来て、商売を始めた身であるせいかもしれないけど、不慣れな様子が気になったんだ。もしかしたら、こっちに来たばかりなのかなと感じてね。連れに別れを告げて、こうして声を掛けたわけだよ」
聞き取り易いゆっくりとした口調でそう説明された。手を離すとハット帽を少し回して、顔が見えるよう被り直す仕草も、慣れた様子だった。
親切で声を掛けられた場合、どうやって断わればいいのだろうか。
そもそも、王都で身なりの良い人間にフレンドリーに話しかけられるとは思っていなかったから、ラビは戸惑ってしまった。不慣れな様子であった、というだけで、このように声を掛けられるものなのだろうか?
「失礼ですが、何かありましたか?」
すると、またしても第三者に声を掛けられた。目を向けると、そこには二人組の若い男性がいた。やけにキリっとした強さを持った敬語口調で、何食わぬ顔で紳士風の男に尋ねるその表情にも、どこか突っぱねるような雰囲気があった。
まさか短い間に、三人の人間に話し掛けられるとは予想外である。
ラビは、まるで自分の金髪金目を既に知っていた、と言わんばかりに全く気にしていない様子の新たな二人の男の登場に、更にどうしていいのか分からなくなってしまった。
傍に立っていたノエルは、新たに登場した二人組の男達を見て、顔を引き攣らせていた。思わず『お前ら、早速出てきて問題ないのか? いや、もしかしたら護衛の役目も与えられたって口なのかもしれねぇけどよ……』と呟く。
背筋が伸びた二人組のうちの一人が、困惑するラビを見て、雰囲気を少し和らげてこう尋ねた。
「お知り合いですか?」
「えぇと、その、初対面だけど……」
「先程、そちらの店先で視線が合ってね」
紳士風の彼が、横から慣れたように口を挟んできた。
男達が、眼差しを鋭くして視線を戻した。彼らに睨みつけられた身なりの良い男が「あ、そういえば、僕らは自己紹介もまだだったね」とあっさり口にして、言葉を続けた。
「僕はケイティ・マールス。美術品関係を取り扱う会社をしているよ。これで僕の身元を信じてくれるかい?」
そう言いながら、ケイティと名乗った紳士が名刺を取り出して、ラビ達に一枚ずつ手渡した。そこには会社の名前と住所、責任者の名前に『ケイティ・マールス』という名前が印字されていた。
なるほど、彼は商人で経営者……なのか?
よく分からずラビが首を傾げると、ノエルがそこを覗きこんでこう言った。
『ケイティってのは、一部の地方で男性名として使われている名前だな。こっちだと女性名に分類される事が多い。つまり地方から出てきて、こっちで企業して成功したと説明されても、今のところ噛み合わない部分はねぇ』
そう補足してきたノエルと共に、ラビは二人組の男の反応を確認するべく目を向けた。彼らは名刺を見て「なるほど」「あの美術商か」と、どこか納得するように小さく頷いており、どうやらその会社名は、王都では結構知られているらしい。
すると、ケイティが男達の様子を見て、困ったように微笑んだ。
「なんだか、物凄く警戒されているみたいだなぁ。君達、もしかして警察機関の人間なのかい?」
「いえ、我々はそのようなものではありません」
問われた男の一人が、にこりともせず生真面目さを窺わせる言い方をした。背をぴしりと伸ばして、ケイティを見つめ返す。
「最近は少なくなったとはいえ、誘拐事件も皆無ではありませんから」
「なるほど、僕も十代の頃には危険がなかった訳でもない。――ところで、その堅苦しい敬語口調は君らの癖なのかい?」
「それでケイティ様は、そちらの子供に何か御用でも?」
「何か探しているようだったから、協力出来ないかなと思って声を掛けただけだよ。もしかして、その質問の仕方も癖なのかな? あ、もしかして職業柄だったりする?」
男達は、ケイティからの質問をキレイに聞き流していた。続いて、呆気にとられて見守っているラビに、二人の視線が向く。
その一連の流れを見ていたケイティが、愛想の良い表情のまま「僕の質問がことごとくなかった事にされているなぁ」と呑気な様子で感想を口にした。ノエルは、あまりにも呆れて前足の一つで顔を押さえていた。
「何かお探しで?」
「えぇと、その、パン屋さんを少し見て回っていたというか……」
『始めから知っていたのにその露骨な質問の仕方とか、こいつら色々とクッソ下手だな!』
思わずノエルがそばで吠え、ツッコミたくてたまらんっ、と前足で地面を数回踏みつけた。
その声を聞いたラビは訝ったものの、男達が真っ直ぐこちらを注視しているから、彼に目で尋ねる事も出来なかった。
その時、ケイティが「なるほどね!」と万事解決とばかりに手を打った。
「なら僕が案内してあげるよ、この辺の店はとても詳しいんだ」
「え」
「大丈夫だよ、任せておいて。僕の友人が経営する店もそうだけど、お得意先はどれも懐が深くて気さくななんだ」
そう言って慣れたようにウィンクをされ、ラビは数秒遅れて、彼が遠回しに金髪金目を言っているのだと気付いた。二人組の男達も、察したように目を見開く。
ケイティは、ラビに向かって手を差し出したところで、「あ。言うのが遅れたけれど」と笑顔のまま首を傾げてこう続けた。
「その金髪、とても素敵だね。ようこそ王都へ。君の名前を訊いてもいいかな?」
どこまでも自分ペースのようなケイティを見て、ラビ達は少しの間、呆気にとられてしまった。
帽子をしっかりとかぶり直して、通り過ぎる周りの人間には目を向けず、近くの地形を把握するため、セドリックからもらった地図を片手にしばらくノエルと歩いた。王都の中心街はどこも道が広々と造られており、複数の美しい塔を持った王宮だけでなく、大聖堂の時計棟もよく見えた。
以前の氷狼の件で、初出張となったラオルテの町に比べても、王都は行き交う商人の数が圧倒的に多かった。ほとんどの人間が小奇麗にしており、地方商品を売り込む民族衣装の男達の出店も、しっかり屋根が付いていて商品棚には埃一つない。
「王都って意外と、肌の色も髪色も、結構違う人達が集まっているんだね」
『いろんな土地から人間が集まるからな。あの褐色の集団は、潮の匂いがするから船乗りだろうぜ。貿易会社も多いから、ああやって各地を飛び回って王都に出入りしている連中もいる』
人混みを歩きながら、ラビはノエルとこっそり話した。
王都の人々は、在住者だけでなく各地方から集まっている人間も多い。そのため、自分の行動や見た目を気にする者も多いのか、露骨に態度を出して嫌がるという風潮も少ないようだった。
人々は無視を決め込み、自然と彼女から距離を取る。そこに出来たスペースを、ノエルが悠々と歩いていた。中には顔を顰める者もいたが、揉め事を起こすようなきっかけを作りたくないように、当人に聞こえる距離で話しをする人間はいなかった。
『貴族や大商人あたりは注意した方がいいだろうな。地位を持って王都に根を下ろしているような連中は、自分が正しいと信じて、非難も差別も平気でやるような人間も多い』
そう考えると、こちらの姿が見えない状況は痛いな、と呟いてノエルが舌打ちした。人間よりも聴覚が優れているから、遠くからの囁き声でも拾ったのかもしれない。
ラビとしては、最低限でもいいので暮らしを送れるための、店や飲食店を確保出来るかが心配だった。セドリックがいたおかげで宿はスムーズに契約も済んでいたが、実際に買い物をしたり、食事をしないと環境的な善し悪しは分からない。
「十八歳になるまで、ここにいなくちゃいけないのか……」
思わず項垂れると、ノエルがふわふわとした尻尾で『元気出せよ』と優しく背中を押してきた。
『騎士団から獣師の仕事が入るだろうし、この前の氷狼の件と同じように出張になるってんなら、王都の外にいく機会も増える』
「そうかもしれないけど。オレとしてはさ、伯爵達に悲しい顔をさせたくないから、食べる所とかお店とか、そういう場所をちゃんと確保するまでは気が抜けないというか」
両親が他界して一人暮らしを始めた際、牛乳を売れないとする店や、肉を売りたくない、卵は別の所で買っておくれ……と、天涯孤独な身になった事を同情して態度は控えめながらも、村人に店先で門前払いを受けた。
自分に商品を売ってくれるような店はないだろうと諦めて、ラビはノエルと共に山に入り、そこにいた動物達とお喋りしながら自給自足の生活を送った。何故なら、嫌われている目と態度をされるより、小さい自分には不便であるが、人間と離れて生活した方が精神的に楽だったからだ。
そんなある日、ラビを村で見掛けないと気付いたヒューガノーズ伯爵が、現状を知って激昂した。「可哀そうに」と夫婦揃って泣かれてしまってから、ラビは現実と立ち向かって、両親が生きていた頃の暮らしを一人でも送れるよう逃げない事を決めたのだ。
問題なのは、村では半分の食料を自給自足で賄える環境があったが、王都にはそれがないという事である。
ここは広大な大都会であるので、店数や施設も目が回るくらい多い。何十軒、もしくは何百軒目かでは、自分に商品を売ってくれる店もあるかも……と期待したい。
「…………徒歩二時間圏内までだったら、どうにか頑張って通えると思う」
『かなり範囲を広げてきたな。稼ぎたい連中も多いし、いろんな土地から人間が集まっていて、外聞や評判を気にするくらい競争率も高い。わざわざ自分から評判を落とそうとする商人は少数派だと思うぜ?』
「そうだけといいけどなぁ……」
『実際に入ってみないと分からないって顔だな。まぁ騎士団や伯爵家みてぇ人間がいる店が、近くにあればいいと思っているが――』
そう言いながら、ノエルはつい、人混みに目を向けてしまった。
『――……オレとしては、そうじゃなかったらあの長男坊が殺しにかかるんじゃねぇかと、別の意味で心配でならねぇんだが』
ノエルは、伯爵邸を出てからずっと、付かず離れで付いてくる私服の二人の男達に目を留めた。王宮内を歩いていた時、何食わぬ様子でラビの顔を確認するように、通り過ぎて行った二人の騎士と同じ匂いだ。
ラビは試しに入ってみる店について真剣に考え、周囲の建物に忙しく目を向けていたので、ノエルの呟きを聞き逃してしまった。遅れて「何か言った?」と尋ねた彼女に、彼が『いや、なんでもねぇよ』と吐息交じりに返した。
『大丈夫だと判断されるまでは逐一報告されるんだろうな、と思ってな……』
「報告?」
『まぁ、アレだ。王都ってのは人の目も多いから、その行動を見られていると意識してる連中も多いだろうし、自分の評判を落としたくなかったら露骨に門前払いもしねぇだろ』
そう言って、彼は話をはぐらかした。
明日の出発は早いので、夜に出歩くつもりはない。ひとまずは宿の部屋で食べるための食料を買う目標を立てて、ラビはノエルと共に歩き続けた。目に留まった何軒目かのパン屋の前で足を止めて、じっくり店内の様子を窺ってみた。
「……なんだか高級店っぽいね」
『次、行くか?』
その時、ガラス張りの店内から、こちらを振り返った身綺麗な正装姿の男と目が合った。パチリと瞬きする瞳は、綺麗な空色をしていた。連れらしい同じ紳士風の二人の男も、金のステッキを持っている。
キレイな空色の瞳をした彼のきょとんとした表情が、苦手なものを見るように変わるのを見たくない気がして、ラビは帽子を深くかぶり直した。ノエルに「行こう」と促して、歩みを再開する。
カラン、と出入り口のベルが鳴る音が聞こえた。
その次の瞬間「ねぇ」と声を掛けられ、腕を取られてラビは飛び上がった。ハッとして振り返ると、そこには先程パン屋の店内にいたはずの男が立っていた。
年齢は三十前後ほどで、顔立ちが良くて落ち着いた雰囲気をしている。ブラックコートと、それにぴったり似合うハット帽という恰好で、人の好さそうな柔和な表情を浮かべていた。
男が、少し癖の入った柔らかなブラウンの髪が覗くハットのつばを、白い手袋を履いた手で少し持ち上げた。こちらを改めて見下ろしてきた青い瞳は、なんだかホノワ村でよく声をかけてきた少年達のように澄んで見えた。
「こんにちは、何かお探しかな?」
男性にしては、少し高めの穏やかな声をしていた。片手に金の装飾をされた日除け用の細い傘を提げていたものの、パンを買った様子は見られない。
腕を取られたまま早速とばかりに質問されて、ラビは戸惑った。初対面にしては馴れ馴れしいなと、その意図を探るように、ノエルが鼻頭に少し皺を刻んで様子を窺う。
「あの、オレは別に探し物をしているわけでは…………」
「通りの向こうにいた時から、きょろきょろしていただろう?」
彼がそう言って、「店に入る時に見たよ」とにっこりとする。
「こうして目が合ったのも、何かの縁だと思ってね。僕も君くらいの歳に王都に来て、商売を始めた身であるせいかもしれないけど、不慣れな様子が気になったんだ。もしかしたら、こっちに来たばかりなのかなと感じてね。連れに別れを告げて、こうして声を掛けたわけだよ」
聞き取り易いゆっくりとした口調でそう説明された。手を離すとハット帽を少し回して、顔が見えるよう被り直す仕草も、慣れた様子だった。
親切で声を掛けられた場合、どうやって断わればいいのだろうか。
そもそも、王都で身なりの良い人間にフレンドリーに話しかけられるとは思っていなかったから、ラビは戸惑ってしまった。不慣れな様子であった、というだけで、このように声を掛けられるものなのだろうか?
「失礼ですが、何かありましたか?」
すると、またしても第三者に声を掛けられた。目を向けると、そこには二人組の若い男性がいた。やけにキリっとした強さを持った敬語口調で、何食わぬ顔で紳士風の男に尋ねるその表情にも、どこか突っぱねるような雰囲気があった。
まさか短い間に、三人の人間に話し掛けられるとは予想外である。
ラビは、まるで自分の金髪金目を既に知っていた、と言わんばかりに全く気にしていない様子の新たな二人の男の登場に、更にどうしていいのか分からなくなってしまった。
傍に立っていたノエルは、新たに登場した二人組の男達を見て、顔を引き攣らせていた。思わず『お前ら、早速出てきて問題ないのか? いや、もしかしたら護衛の役目も与えられたって口なのかもしれねぇけどよ……』と呟く。
背筋が伸びた二人組のうちの一人が、困惑するラビを見て、雰囲気を少し和らげてこう尋ねた。
「お知り合いですか?」
「えぇと、その、初対面だけど……」
「先程、そちらの店先で視線が合ってね」
紳士風の彼が、横から慣れたように口を挟んできた。
男達が、眼差しを鋭くして視線を戻した。彼らに睨みつけられた身なりの良い男が「あ、そういえば、僕らは自己紹介もまだだったね」とあっさり口にして、言葉を続けた。
「僕はケイティ・マールス。美術品関係を取り扱う会社をしているよ。これで僕の身元を信じてくれるかい?」
そう言いながら、ケイティと名乗った紳士が名刺を取り出して、ラビ達に一枚ずつ手渡した。そこには会社の名前と住所、責任者の名前に『ケイティ・マールス』という名前が印字されていた。
なるほど、彼は商人で経営者……なのか?
よく分からずラビが首を傾げると、ノエルがそこを覗きこんでこう言った。
『ケイティってのは、一部の地方で男性名として使われている名前だな。こっちだと女性名に分類される事が多い。つまり地方から出てきて、こっちで企業して成功したと説明されても、今のところ噛み合わない部分はねぇ』
そう補足してきたノエルと共に、ラビは二人組の男の反応を確認するべく目を向けた。彼らは名刺を見て「なるほど」「あの美術商か」と、どこか納得するように小さく頷いており、どうやらその会社名は、王都では結構知られているらしい。
すると、ケイティが男達の様子を見て、困ったように微笑んだ。
「なんだか、物凄く警戒されているみたいだなぁ。君達、もしかして警察機関の人間なのかい?」
「いえ、我々はそのようなものではありません」
問われた男の一人が、にこりともせず生真面目さを窺わせる言い方をした。背をぴしりと伸ばして、ケイティを見つめ返す。
「最近は少なくなったとはいえ、誘拐事件も皆無ではありませんから」
「なるほど、僕も十代の頃には危険がなかった訳でもない。――ところで、その堅苦しい敬語口調は君らの癖なのかい?」
「それでケイティ様は、そちらの子供に何か御用でも?」
「何か探しているようだったから、協力出来ないかなと思って声を掛けただけだよ。もしかして、その質問の仕方も癖なのかな? あ、もしかして職業柄だったりする?」
男達は、ケイティからの質問をキレイに聞き流していた。続いて、呆気にとられて見守っているラビに、二人の視線が向く。
その一連の流れを見ていたケイティが、愛想の良い表情のまま「僕の質問がことごとくなかった事にされているなぁ」と呑気な様子で感想を口にした。ノエルは、あまりにも呆れて前足の一つで顔を押さえていた。
「何かお探しで?」
「えぇと、その、パン屋さんを少し見て回っていたというか……」
『始めから知っていたのにその露骨な質問の仕方とか、こいつら色々とクッソ下手だな!』
思わずノエルがそばで吠え、ツッコミたくてたまらんっ、と前足で地面を数回踏みつけた。
その声を聞いたラビは訝ったものの、男達が真っ直ぐこちらを注視しているから、彼に目で尋ねる事も出来なかった。
その時、ケイティが「なるほどね!」と万事解決とばかりに手を打った。
「なら僕が案内してあげるよ、この辺の店はとても詳しいんだ」
「え」
「大丈夫だよ、任せておいて。僕の友人が経営する店もそうだけど、お得意先はどれも懐が深くて気さくななんだ」
そう言って慣れたようにウィンクをされ、ラビは数秒遅れて、彼が遠回しに金髪金目を言っているのだと気付いた。二人組の男達も、察したように目を見開く。
ケイティは、ラビに向かって手を差し出したところで、「あ。言うのが遅れたけれど」と笑顔のまま首を傾げてこう続けた。
「その金髪、とても素敵だね。ようこそ王都へ。君の名前を訊いてもいいかな?」
どこまでも自分ペースのようなケイティを見て、ラビ達は少しの間、呆気にとられてしまった。
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「ダグラス兄様、助けて、助けて助けて助けて」
兄妹のように育った幼馴染であり、命の恩人である第四皇子にラケシスは助けを求めれば、ようやく愛しい子が自分の手の中に戻ってくるのだと、ダグラスは動き出す。
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