塩対応の婚約者を置いて旅に出たら、捨てたはずの王子がついてきた

のじか

文字の大きさ
2 / 44

2

しおりを挟む
 ――やばい、やばい、やばい。

 ルーチェは脱兎の勢いで舞踏会の会場を抜け出し、馬車に飛び乗り、公爵家の屋敷へと戻ってきた。広い玄関を駆け抜け、侍女の問いかけも無視してドレスの裾を抱えて階段を駆け上り、部屋にかかっている大きな姿見を覗き込む。

 緩く巻かれた艶のある栗色の髪、明るいグリーンの瞳、広く開いたデコルテに、「ここに注目してください」と言わんばかりに主張する胸の谷間。

 ルーチェの中にある記憶の通りだった。

「ま、ま、間違いない……! 私が悪役令嬢のルーチェ!」

 ルーチェは一声叫んでドレスを脱ぎ捨て、ベッドに倒れ込んだ。

「どうして、今更……!」

 もしゲームの通りにこの世界が動くのならば、今後の展望は真っ暗だ。

 ルーチェは寝返りを打ち、天井を見つめながらゲームの登場人物である悪役令嬢ルーチェ・エドマンズの転落人生について思いを馳せる。

 ゲームのストーリーはこうだ。ある日、この国の王子であるエリアスが原因不明の病に倒れ、どんな医師にも治せないと匙を投げられてしまう。

 そこに現れるのが、世にも不思議な聖なる癒しの力を持つヒロイン。彼女が王子を救い、そこから男爵家の養女であるヒロインは城で重宝されるようになり、二人は急速に接近していく。

 エリアスは最初こそヒロインに冷たく接するが、病から救われたことをきっかけに彼女に心を許していく。

 エリアスは、乙女ゲームの中でも「チョロい」攻略対象なのだ。

「好感度が上がりやすくて、何をしても簡単にエンディングに行けるエリアス王子、ね……」

 しかし、当のルーチェはエリアス王子の心を動かすことができなかった。エリアスがチョロいのはヒロインに対してだけなのだ。

「はあ~……」

 ルーチェは顔を伏せ、枕に口元を埋めて長く息を吐いた。

 もちろん、ゲーム開始前の段階でエリアスはルーチェと婚約している。けれど、それは貴族同士の決められた縁談。エリアスの心は最初からルーチェにはないのだから、誰と結婚するかは王子の心次第なのだ。

「……見苦しいわよね、私……」

 ゲームのルーチェも、エリアスのことを身分関係なく一人の異性として好いていた。エリアスに振り向いてほしくて、愛されていると思いたくて必死だった。

 それは前世の記憶を取り戻した今になっても変わらない。ルーチェもエリアスもこの世界で生きているのだ。

 だから病に倒れたエリアスに何もしてあげられず、しかも突然現れたヒロインがエリアスの心を動かしたことを理解はしても納得はできなかった。

 嫉妬に狂ったルーチェはヒロインに対して怒りを暴走させ、最終的にはエリアスの手によって、ルーチェは宮廷から追放され、修道院送りになる。

 しかも救いがないのは、エリアスは簡単に攻略できてしまう──つまり、ヒロインがどのルートを通ったとしてもエリアスはヒロインに心を向けるので、ルーチェは必ず彼女に対して怒りを向けることになるのだ。

「でも……まだ……間に合うわよね」

 ルーチェはごろりと寝返りを打った。

 だってゲームはまだ始まっていないから、悪事を行っていない。現にルーチェが今感じているのは怒りではなく焦りや悲しみだ。

「このままなら、悪役令嬢としての未来を回避できる可能性だって、あるはずよね?」

 問題点はルーチェがエリアスへの叶わぬ恋に狂ったことだ。

 ルーチェは胸元をぎゅっと押さえた。
 自分がエリアスに抱いていた想いは、婚約者としての義務や建前ではない。
 もっとずっと根深くて、強くて、切実な恋だった。

 彼の笑顔を見るたびに胸が高鳴って、ほんの一言で浮かれて、沈んで。王子としての彼ではなく、幼なじみとしてのエリアスに惹かれていた。

 そのくせ、彼が何を望んでいるのか、何を考えているのか分からなくて、苦しかった。

「……だから、すがってしまったのよね」

 婚約者という立場に、感情を支えてもらっていた。結婚すれば、いつかは自分のものになってくれる。
 そんな淡い幻想にしがみついて――そして今夜、ぽっきりと心は折れてしまった。

「でも、手を出されないってことは、そういうこと……よね」

 小さな声でぼやきながら、ルーチェはぎゅっとシーツを握った。

 あれほど熱烈に想いを寄せていたのに、エリアスは終始優しく、けれどどこか遠くにいた。

 冷たいわけではなかった。誠実で、大切にしてくれているのは分かっていた。

 けれど、まるで崖下に咲いている花を眺めるような目で、エリアスはルーチェに近づいてこなかった。

 だからこそずれている、間違った行動だと分かっていても、エリアスへ自ら手を伸ばさずにはいられなかった。

「もう、どうしてよエリアス様、ルーチェは美人だし、胸だってこんなに大きいのに……!」

 ルーチェは自分の胸の豊かな膨らみを掴んで、またため息をついた。どんなに美しくても、求めた相手に愛してもらえないのではなんの意味もない。

「……仕方ない、わよね」

 エリアスは真面目な王子だ。彼の魂が、ルーチェは運命の人ではないと警告を発し続けていたのだろう。

「諦めるしかないのよ。私が悪役令嬢に生まれてしまった以上は――そうするしかないの」

 悔しさや無力感、エリアスへの未練とがぐしゃぐしゃに混ざり合っていた。

 けれど王子に捨てられる前に――こちらから捨てるしかない。それがルーチェの最後のプライドだった。

 ルーチェは身体を起こし、机の上に目を向けた。

 そこにはきっちりと製本された革表紙の冊子が山積みになっていた。

 ――新婚旅行の計画書だ。

 来るべき日の為に、ルーチェがあれこれ苦心して作成したものだ。しかしそれらの旅程が実現することはない。

「これからは、ひとりで旅の計画を立てるわ。エリアス様抜きで、ね……」

 ルーチェはそう言って、計画書に手を伸ばした。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」 公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。 忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。 「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」 冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。 彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。 一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。 これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。

処理中です...