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ルーチェはこの二週間、エリアスとの距離を徹底して保っていた。昼食の誘いにも、騎士団の見学にも、午後の茶会にも出席しなかった。
理由はすべて「体調不良」あるいは「執務が立て込んでいて」で切り抜ける。エリアスは基本的に放任主義だから、それらしい理由があれば追及するような人ではないとルーチェは経験から知っていた。
結果、顔を合わせることもめっきり減り、ついには一言も交わさない日が続いている。
胸が痛まないと言えば嘘になる。けれどルーチェは今までの終わりがない恋の苦しみとは違って、失恋の痛みはいつか癒えると知っている。
──これでいい。だってそう決めたのだもの、王子の心変わりで悪役令嬢になってしまうぐらいなら、自ら彼の前から消えると。
ルーチェは出発日を初夏の舞踏会にぶつかっている。その日の舞踏会は一際盛大に行われる予定で、主だった貴族たちが一堂に会し、ルーチェ一人がいなくても騒ぎにはならないだろう。
裏でこっそりと旅立つには最適な日取りだったし、出航する貴族もいない。ルーチェはなんなく一等船室──スイートルームを予約することができた。
「よし」
ルーチェは引き出しの中にある乗船券をもう一度確認してから、荷造りをする。
動きにくいドレスは旅に適さない。何着かは持っていくが、旅先で着用する服はこっそりと市街地で買い求め、当日に船に積み込んでもらう手筈は整っている。
生粋の令嬢であるルーチェのままであれば、こんな大それた行動を起こすことはできない。しかしルーチェの中に蘇った前世の記憶が、出奔へのハードルを大きく下げた。
ドレスは最小限、靴と本、そして換金しやすそうな宝石。
「……これも、一応ね」
子供のころにエリアスがくれた花を押し花にしたしおりも、本のすきまに忍ばせる。
決行の夜がやってきた。
ルーチェは何食わぬ顔で馬車に乗り込んだが、城に到着したあとはドレスの上に外套を着て、ひそかに城を脱出し、港までやってきた。
途中で誰かに見とがめられるかと予測していたが、驚くほど円滑に事は進んだ。
「エドマンズ様のお部屋はこちらになります」
通されたスイートルームには、きちんと荷物が積み込まれていた。
「……なんだか荷物が思ったより多いわね。まあ、いいか」
少ないよりは多い方がいいかと、ルーチェは出航前に甲板から王都を眺めることにした。
夜風が冷たいが、心地よかった。それは心が解放されたせいもあるだろうけれど、とルーチェは思う。
ルーチェは手すりに両肘を乗せ、煌びやかな王都の明かりを見つめた。光の中には、もちろんエリアスがいる城も含まれている。
「さようなら、エリアス様……」
誰に届くわけでもない声で、ルーチェはそう呟いた。
叶わぬ恋はあきらめて、これからは、自分のために生きていく。自分はなんだってできると、ルーチェは信じている。
「……結構冷えるわね」
びゅんと冷たい風が吹き抜けて、ルーチェは体を震わせた。乗客の乗り降りが終わり、船にかかっていた橋が収納されたのを見守ってから、ルーチェは部屋に戻ることにした。
部屋はもちろん、しっかりと鍵がかかっている。
鍵を差し込み、軽くひねってドアを開けた、その瞬間。
「ルーチェ、遅かったね」
部屋の中から聞こえてきたその声に、ルーチェは思わず足を止めた。
この船でもっとも豪華な一等客室は、広々とした部屋に城と金を基調にした華やかな内装に、大きなクローゼット、キングサイズのベッドが一つ、備え付けの浴室には猫足のバスタブ。外に出て海を眺められるバルコニー付き。そしてティータイムのための小さなテーブルと、三、四人はゆうに座れそうなソファー。
そこに、優雅に腰掛け、足を組んでいる青年。
「……え?」
ルーチェは唖然として、声が出なかった。
けれど、彼の姿を見間違えるはずもなかった。
「今夜は冷えるから、また風邪を引いてしまうよ」
「エ……エリアス様~!?」
なんとエリアス王子が──ルーチェが捨てたはずの婚約者が、ルーチェの部屋に押しかけていたのだった。
理由はすべて「体調不良」あるいは「執務が立て込んでいて」で切り抜ける。エリアスは基本的に放任主義だから、それらしい理由があれば追及するような人ではないとルーチェは経験から知っていた。
結果、顔を合わせることもめっきり減り、ついには一言も交わさない日が続いている。
胸が痛まないと言えば嘘になる。けれどルーチェは今までの終わりがない恋の苦しみとは違って、失恋の痛みはいつか癒えると知っている。
──これでいい。だってそう決めたのだもの、王子の心変わりで悪役令嬢になってしまうぐらいなら、自ら彼の前から消えると。
ルーチェは出発日を初夏の舞踏会にぶつかっている。その日の舞踏会は一際盛大に行われる予定で、主だった貴族たちが一堂に会し、ルーチェ一人がいなくても騒ぎにはならないだろう。
裏でこっそりと旅立つには最適な日取りだったし、出航する貴族もいない。ルーチェはなんなく一等船室──スイートルームを予約することができた。
「よし」
ルーチェは引き出しの中にある乗船券をもう一度確認してから、荷造りをする。
動きにくいドレスは旅に適さない。何着かは持っていくが、旅先で着用する服はこっそりと市街地で買い求め、当日に船に積み込んでもらう手筈は整っている。
生粋の令嬢であるルーチェのままであれば、こんな大それた行動を起こすことはできない。しかしルーチェの中に蘇った前世の記憶が、出奔へのハードルを大きく下げた。
ドレスは最小限、靴と本、そして換金しやすそうな宝石。
「……これも、一応ね」
子供のころにエリアスがくれた花を押し花にしたしおりも、本のすきまに忍ばせる。
決行の夜がやってきた。
ルーチェは何食わぬ顔で馬車に乗り込んだが、城に到着したあとはドレスの上に外套を着て、ひそかに城を脱出し、港までやってきた。
途中で誰かに見とがめられるかと予測していたが、驚くほど円滑に事は進んだ。
「エドマンズ様のお部屋はこちらになります」
通されたスイートルームには、きちんと荷物が積み込まれていた。
「……なんだか荷物が思ったより多いわね。まあ、いいか」
少ないよりは多い方がいいかと、ルーチェは出航前に甲板から王都を眺めることにした。
夜風が冷たいが、心地よかった。それは心が解放されたせいもあるだろうけれど、とルーチェは思う。
ルーチェは手すりに両肘を乗せ、煌びやかな王都の明かりを見つめた。光の中には、もちろんエリアスがいる城も含まれている。
「さようなら、エリアス様……」
誰に届くわけでもない声で、ルーチェはそう呟いた。
叶わぬ恋はあきらめて、これからは、自分のために生きていく。自分はなんだってできると、ルーチェは信じている。
「……結構冷えるわね」
びゅんと冷たい風が吹き抜けて、ルーチェは体を震わせた。乗客の乗り降りが終わり、船にかかっていた橋が収納されたのを見守ってから、ルーチェは部屋に戻ることにした。
部屋はもちろん、しっかりと鍵がかかっている。
鍵を差し込み、軽くひねってドアを開けた、その瞬間。
「ルーチェ、遅かったね」
部屋の中から聞こえてきたその声に、ルーチェは思わず足を止めた。
この船でもっとも豪華な一等客室は、広々とした部屋に城と金を基調にした華やかな内装に、大きなクローゼット、キングサイズのベッドが一つ、備え付けの浴室には猫足のバスタブ。外に出て海を眺められるバルコニー付き。そしてティータイムのための小さなテーブルと、三、四人はゆうに座れそうなソファー。
そこに、優雅に腰掛け、足を組んでいる青年。
「……え?」
ルーチェは唖然として、声が出なかった。
けれど、彼の姿を見間違えるはずもなかった。
「今夜は冷えるから、また風邪を引いてしまうよ」
「エ……エリアス様~!?」
なんとエリアス王子が──ルーチェが捨てたはずの婚約者が、ルーチェの部屋に押しかけていたのだった。
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