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「エ、エリアス様……な、なぜ……ここに……?」
密室の中で、ルーチェはなんとかそれだけ絞り出した。舞踏会に出席しているはずのエリアスがなぜルーチェのスイートルームにいるのか、それは彼本人に尋ねなければわからないことだ。
「君がこの船に乗り込むことは分かっていた」
エリアスは薄い笑みをたたえたまま、すっと立ち上がった。ルーチェは思わずびくりとする。エリアスの気持ちが分からないと思ったことは何度もあるが、こんなにも予想外の行動を彼が取ったのは初めてで、ルーチェの額には汗が滲んでいる。
「君の行動は、ずっと監視していたからね」
「……え?」
「ルーチェが僕を置いて旅に出るつもりだと知った僕は、密かに君を追いかける計画を立てた」
「え、ええ……!?」
軽く言ってのけるその口ぶりに、ルーチェは言葉を失った。
「ど、どうして」
ルーチェは後ずさって、扉にどんとぶつかってしまった。エリアスは気にする様子もなくルーチェに近寄り、まっすぐ前に立つ。
「僕に隠し事ができると思ったの? 君が最近ずっと僕を避けているのも、部屋の荷物が妙に減っていたのも……全部知っているよ」
エリアスはルーチェの髪の一房を取って、指にくるくると巻き付けてもてあそんだ。この仕草もやはり、紳士的なエリアスではないみたいだとルーチェは思う。
「誰が情報を……」
エリアスがエドマンズ公爵邸を訪ねたことはなかった。
「公爵家の使用人たちは協力的だった。僕が『困っている』と言えば、みんな親身になってくれたよ」
エリアスににこりと微笑まれて、ルーチェは頭を抱えたくなった。使用人たちの忠誠心は評価するが、それが王子に向かっていたのは皮肉以外の何物でもない。
「わ、私はただ、静かに旅に出ようとしただけで――」
「それはなぜだ?」
エリアスはルーチェが身をよじって逃げようとしたのを、手で遮った。行き場を失ったルーチェは逃げることができない。
──まさか、私がエリアス様に壁ドンされる日が来るとは……。
「君は僕に、毎日のように『好きです』と笑ってくれていた。なのに突然、あの夜を境にすっかり距離を取って……なぜ? 気にするなと言う方が無理だ。しかも、出奔だなんて。常軌を逸している」
「……それは……」
ルーチェはぐっと唇を噛んだ。
エリアスがこの先乙女ゲームのシナリオどおり、ヒロインに心変わりしてしまう未来が見えてしまったから。だからこそそれを回避するため、自ら身を引こうとしていたのだ。
──なんてことは、言える訳ないわよね。
「……私、エリアス様にふさわしくないと思っただけです」
ルーチェは少し考えて、最も穏やかで無難な答えを選んだ。
「ふさわしくない、だって? こんな手紙だけで、すべて終わらせられると思ったのか?」
エリアスは開いている方の手で、ジャケットの内側から手紙を取り出した。届くのは明日のはずだが──ルーチェはその手紙をエリアスがすでに入手していることより、便箋がぐしゃぐしゃなことの方が気になる。
だって、それは手紙を読んだエリアスが心を乱した、ということだから。
「これはどういうつもり?」
「……」
「君がいない生活なんて、僕には考えられないよ」
「エリアス様……」
真顔でそんなことを言われて、心が揺れないはずがない。けれどもうエリアスに心を傾けてはならないとルーチェは自分で自分に言い聞かせる。
──だって、今まで何度迫っても手を出してこなかったのに、今更!
エリアスはきっと、王子である自分が公爵令嬢であるルーチェに一方的に捨てられるのが気に食わないだけなのだ。
ルーチェはなんとか、引きつった笑みを作った。
「私……新しい自分になるために、旅に出ることにしたんです。だから、婚約者も、身分もいらないんです」
ルーチェには十八年分の記憶があるけれど、前世の記憶を取り戻した今となっては、もうかつてのようなただの貴族令嬢でいられない。
日本人の記憶を持つルーチェにとって、公爵令嬢の生活──ましてやロイヤルファミリーの一員なんて荷が重い。公爵家を出たとしても、やっていける自身は十分にあった。
「新しい自分?」
エリアスはその言葉をゆっくり繰り返した。
「はい。そうです」
「……その未来には、僕は必要ないと?」
「まあ、それは……」
そうですね、と明確に口にするにはさすがに躊躇われて、ルーチェは口ごもった。
エリアスはルーチェの瞳をじっと覗き込んだ。
「新しい君がどうなっていくのか、それを僕は見届けたくなった」
「え……」
ルーチェが予想したこの後の展開は、計画が明るみに出た以上は王子としてのメンツを保つために連れ戻されるのだとばかり思っていた。
「君が公爵令嬢をやめると言うなら、僕も王子をやめよう」
「!?」
エリアスの発言に、ルーチェは耳を疑った。
「王子をやめて、君の旅に同行する」
「そんな……軽々しく王子をやめるだなんて……!」
「王子の婚約者はやめてもいいと?」
そう言われてしまうと、ルーチェとしてはぐっと反論を飲み込むしかない。
「君が王子の僕を捨てたから、僕は肩書きを捨ててただのエリアスになってついていく。ただそれだけだよ」
「いや、理屈になっていません!!」
思わず声が大きくなったが、エリアスの表情は泰然としている。
──むしろ、こんなに楽しそうなエリアス様を見るのは、初めてかもしれない。いえ、王子をやめるなんて不可能に決まっている。だから、冗談よね? 私にお仕置きするために、からかっているのよね……?
「君は旅に出て、自由になりたかったんだろう?」
「……はい」
「ならばその自由の中に、僕がいたっていいじゃないか」
ルーチェはもう、簡単に突き放す言葉を持ち合わせていなかった。だって、彼はもうすぐ他の誰かに惹かれていく存在だったはずなのに。目の前のエリアスは今、紛れもなく自分だけを見つめている。
「それとも、ダメかい?」
エリアスはくいと、手でルーチェのきゅっと尖った顎を上げた。青い瞳に見つめられると、ルーチェは何も言うことができない。
「だ……」
ルーチェがエリアスの誘惑に屈しようとしたその瞬間、遠くてボオォォ……ッと汽笛が聞こえて、それと同時に、床がわずかに揺れた。
「しゅ……出航!?」
船はルーチェと、そしてエリアスを乗せて、三ヶ月の航海へと旅立ってしまったのだった。
密室の中で、ルーチェはなんとかそれだけ絞り出した。舞踏会に出席しているはずのエリアスがなぜルーチェのスイートルームにいるのか、それは彼本人に尋ねなければわからないことだ。
「君がこの船に乗り込むことは分かっていた」
エリアスは薄い笑みをたたえたまま、すっと立ち上がった。ルーチェは思わずびくりとする。エリアスの気持ちが分からないと思ったことは何度もあるが、こんなにも予想外の行動を彼が取ったのは初めてで、ルーチェの額には汗が滲んでいる。
「君の行動は、ずっと監視していたからね」
「……え?」
「ルーチェが僕を置いて旅に出るつもりだと知った僕は、密かに君を追いかける計画を立てた」
「え、ええ……!?」
軽く言ってのけるその口ぶりに、ルーチェは言葉を失った。
「ど、どうして」
ルーチェは後ずさって、扉にどんとぶつかってしまった。エリアスは気にする様子もなくルーチェに近寄り、まっすぐ前に立つ。
「僕に隠し事ができると思ったの? 君が最近ずっと僕を避けているのも、部屋の荷物が妙に減っていたのも……全部知っているよ」
エリアスはルーチェの髪の一房を取って、指にくるくると巻き付けてもてあそんだ。この仕草もやはり、紳士的なエリアスではないみたいだとルーチェは思う。
「誰が情報を……」
エリアスがエドマンズ公爵邸を訪ねたことはなかった。
「公爵家の使用人たちは協力的だった。僕が『困っている』と言えば、みんな親身になってくれたよ」
エリアスににこりと微笑まれて、ルーチェは頭を抱えたくなった。使用人たちの忠誠心は評価するが、それが王子に向かっていたのは皮肉以外の何物でもない。
「わ、私はただ、静かに旅に出ようとしただけで――」
「それはなぜだ?」
エリアスはルーチェが身をよじって逃げようとしたのを、手で遮った。行き場を失ったルーチェは逃げることができない。
──まさか、私がエリアス様に壁ドンされる日が来るとは……。
「君は僕に、毎日のように『好きです』と笑ってくれていた。なのに突然、あの夜を境にすっかり距離を取って……なぜ? 気にするなと言う方が無理だ。しかも、出奔だなんて。常軌を逸している」
「……それは……」
ルーチェはぐっと唇を噛んだ。
エリアスがこの先乙女ゲームのシナリオどおり、ヒロインに心変わりしてしまう未来が見えてしまったから。だからこそそれを回避するため、自ら身を引こうとしていたのだ。
──なんてことは、言える訳ないわよね。
「……私、エリアス様にふさわしくないと思っただけです」
ルーチェは少し考えて、最も穏やかで無難な答えを選んだ。
「ふさわしくない、だって? こんな手紙だけで、すべて終わらせられると思ったのか?」
エリアスは開いている方の手で、ジャケットの内側から手紙を取り出した。届くのは明日のはずだが──ルーチェはその手紙をエリアスがすでに入手していることより、便箋がぐしゃぐしゃなことの方が気になる。
だって、それは手紙を読んだエリアスが心を乱した、ということだから。
「これはどういうつもり?」
「……」
「君がいない生活なんて、僕には考えられないよ」
「エリアス様……」
真顔でそんなことを言われて、心が揺れないはずがない。けれどもうエリアスに心を傾けてはならないとルーチェは自分で自分に言い聞かせる。
──だって、今まで何度迫っても手を出してこなかったのに、今更!
エリアスはきっと、王子である自分が公爵令嬢であるルーチェに一方的に捨てられるのが気に食わないだけなのだ。
ルーチェはなんとか、引きつった笑みを作った。
「私……新しい自分になるために、旅に出ることにしたんです。だから、婚約者も、身分もいらないんです」
ルーチェには十八年分の記憶があるけれど、前世の記憶を取り戻した今となっては、もうかつてのようなただの貴族令嬢でいられない。
日本人の記憶を持つルーチェにとって、公爵令嬢の生活──ましてやロイヤルファミリーの一員なんて荷が重い。公爵家を出たとしても、やっていける自身は十分にあった。
「新しい自分?」
エリアスはその言葉をゆっくり繰り返した。
「はい。そうです」
「……その未来には、僕は必要ないと?」
「まあ、それは……」
そうですね、と明確に口にするにはさすがに躊躇われて、ルーチェは口ごもった。
エリアスはルーチェの瞳をじっと覗き込んだ。
「新しい君がどうなっていくのか、それを僕は見届けたくなった」
「え……」
ルーチェが予想したこの後の展開は、計画が明るみに出た以上は王子としてのメンツを保つために連れ戻されるのだとばかり思っていた。
「君が公爵令嬢をやめると言うなら、僕も王子をやめよう」
「!?」
エリアスの発言に、ルーチェは耳を疑った。
「王子をやめて、君の旅に同行する」
「そんな……軽々しく王子をやめるだなんて……!」
「王子の婚約者はやめてもいいと?」
そう言われてしまうと、ルーチェとしてはぐっと反論を飲み込むしかない。
「君が王子の僕を捨てたから、僕は肩書きを捨ててただのエリアスになってついていく。ただそれだけだよ」
「いや、理屈になっていません!!」
思わず声が大きくなったが、エリアスの表情は泰然としている。
──むしろ、こんなに楽しそうなエリアス様を見るのは、初めてかもしれない。いえ、王子をやめるなんて不可能に決まっている。だから、冗談よね? 私にお仕置きするために、からかっているのよね……?
「君は旅に出て、自由になりたかったんだろう?」
「……はい」
「ならばその自由の中に、僕がいたっていいじゃないか」
ルーチェはもう、簡単に突き放す言葉を持ち合わせていなかった。だって、彼はもうすぐ他の誰かに惹かれていく存在だったはずなのに。目の前のエリアスは今、紛れもなく自分だけを見つめている。
「それとも、ダメかい?」
エリアスはくいと、手でルーチェのきゅっと尖った顎を上げた。青い瞳に見つめられると、ルーチェは何も言うことができない。
「だ……」
ルーチェがエリアスの誘惑に屈しようとしたその瞬間、遠くてボオォォ……ッと汽笛が聞こえて、それと同時に、床がわずかに揺れた。
「しゅ……出航!?」
船はルーチェと、そしてエリアスを乗せて、三ヶ月の航海へと旅立ってしまったのだった。
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