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「あ、はい」
エリアスが椅子を引いたので、ルーチェはそこに腰掛けるしかなかった。
バルコニーの窓からは既に太陽が登っているのがレースのカーテン越しに見えている。
──爽やかな朝だわ、こんな異常な状況であることを除けば……。
「はい、どうぞ」
いつの間にか部屋の中には清潔なリネン類、洗面器、そしてハーブを浮かべたお湯が用意されていた。スイートルームのルームサービスは昼夜問わず無給と説明を受けていたのでその一環だろうと、ルーチェは特に疑問を感じることなくタオルを受け取った。
「これはご丁寧に、ありがとうございます」
ルーチェはありがたくタオルを受け取って顔を洗った。ハーブのふんわりとした香りが心地よい。
「化粧品はこれでいいのかな?」
「はい」
エリアスが鏡台にテキパキと、ルーチェの私物を並べていく。
「……?」
ルーチェはエリアスの行動に疑問を感じながらも、追及はしなかった。昨日の夜から彼の行動についていちいち理由を探していては、いくら時間があっても足りない。
「髪を梳いていいかな?」
「……自分でできますよ」
ルーチェはれっきとした貴族の育ちではあるが、前世の記憶を取り戻した今となっては、一人旅など造作もない。お金だってあるのだし。
「お願い。僕がしたいんだ」
「……では、どうぞ」
そう請われては、断るのも気が引ける。
「髪は女の命ですから、大事に扱ってくださいね」
「わかっているよ」
エリアスはルーチェの髪を丁寧に梳っていく。その仕草はまるで、ルーチェの世話を焼くのが自然で、ずっと続けてきた日課のようだ。
「……なんだか、とてもお上手ですね」
ルーチェの言葉に、エリアスは鏡ごしににやりと口角を上げた。
「毎日、頭の中で練習しているからね」
「えっ」
「結婚したら、君にこうしてあげるのが夢だったんだ」
「ゆ、夢!?」
そんなしょうもない願望の話なんて、聞いたこともなかった。けれど、鏡越しに照れくさそうに笑うエリアスを見ていると、ルーチェの方が恥ずかしくなってくる。
──そんなの先に言ってくだされば、いくらでも……いいえ、このエリアス様の不可解な言動は、「ルーチェ・エドマンズ」をゲームに戻そうとする強制力によるものなのではないかしら……?
ルーチェがいなくなると悪役令嬢がいなくなる。だから彼は無意識のうちに、ヒロインに対するような振る舞いをし、ルーチェの心を取り戻して再び悪役令嬢の座につけようとしているのではないか。
──もう、それしかないわ!
「よし、これぐらいでいいかな」
「はい。ありがとうございます。……船旅なので、髪は下ろしたままでいいでしょう。どうせ乱れますし」
「そうだね」
コンコンとノックの音がして、エリアスが対応した。どうやら朝食が提供されたようだった。
程なくして、テーブルに白いリネンがかけられ、食器が並べられる。メニューは湯気の立つ白身魚のスープに焼き立てのパン、ベーコンと卵料理、それに彩り豊かな果物と、船上どころか地上でも十分なものだ。
エリアスはごく自然な手つきで皿を並べ、ルーチェの隣に座った。そしてスープを一さじすくい──
「はい。どうぞ」
「!?」
エリアスはスプーンをルーチェに向かって差し出したのだ。
おそらく、かつてのルーチェだったならば、エリアスに「あーん」をされて大層喜んだことだろう。
──けど、今は……ううん、せっかく親切に(?)してくれているのだから、断ると悪いわよね……。
今までは、ずっとルーチェがエリアスを追う側だったから、いざ追われる側になるとどうしたらいいのかわからないのが現状で、やはりこの流れも受け入れるしかなかった。
「い、いただきます……」
ルーチェは思いきってスプーンに口をつけた。スープを飲み込む音がやけに大きく聞こえて、気恥ずかしい。
「おいしい?」
「は、はい」
エリアスはパンにバターを塗ってルーチェに渡してくれる。彼女の好み通り、キワまでたっぷりバターを塗ったものだ。
──わ、私の好みを把握してくれている……! 絶対、エリアス様は知らないと思ったのに!
別れを告げた以上はきっぱりとはねつけなければいけないのに、エリアスが自分について考えてくれていると思うだけで、ルーチェは胸の高鳴りを感じてしまう。
──初恋の呪縛を解くには、まだかかりそうだとルーチェは思う。
「ジャムはいる?」
「いいえ……あの、エリアス様」
「何?」
「お世話をしてくださるのはありがたいのですけれど……この状況、なんですか?」
ルーチェはとうとう疑問を口にした。
「これが今の僕の仕事だ」
「いえ、そんな」
この空間に人間が二人しかいないのなら、給仕を──これが給仕と表現するならばだが、その役割を負わなければいけないのはルーチェのはずだ。
一国の王子ともあろう者が、ただの元婚約者対して甲斐甲斐しく世話をするなどありえないのだから。
「昨日言っただろう。君が王子のエリアスを捨てたから、僕も君と同じく、今日からは新しいエリアスなんだ」
「だから、その……行動を、変えると?」
「うん。王子らしく振る舞う必要はもうない。けれど、今の僕はルーチェの部屋にお邪魔しているただの一般人だ。だから君に雇ってもらわないといけない」
「雇う……?」
「そう。君のそばにいるために、僕はなんでもする。たとえば――人に言えないようなこともね」
「言い方っ!」
パチリとウインクをされて、ルーチェは声が裏返ってしまった。
「着替えとかね」
「……一人で着られますから。私、自分のことは自分でできますから!」
ルーチェは出してあったデイドレスを抱えて、洗面所に引っこんでから、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
エリアスが椅子を引いたので、ルーチェはそこに腰掛けるしかなかった。
バルコニーの窓からは既に太陽が登っているのがレースのカーテン越しに見えている。
──爽やかな朝だわ、こんな異常な状況であることを除けば……。
「はい、どうぞ」
いつの間にか部屋の中には清潔なリネン類、洗面器、そしてハーブを浮かべたお湯が用意されていた。スイートルームのルームサービスは昼夜問わず無給と説明を受けていたのでその一環だろうと、ルーチェは特に疑問を感じることなくタオルを受け取った。
「これはご丁寧に、ありがとうございます」
ルーチェはありがたくタオルを受け取って顔を洗った。ハーブのふんわりとした香りが心地よい。
「化粧品はこれでいいのかな?」
「はい」
エリアスが鏡台にテキパキと、ルーチェの私物を並べていく。
「……?」
ルーチェはエリアスの行動に疑問を感じながらも、追及はしなかった。昨日の夜から彼の行動についていちいち理由を探していては、いくら時間があっても足りない。
「髪を梳いていいかな?」
「……自分でできますよ」
ルーチェはれっきとした貴族の育ちではあるが、前世の記憶を取り戻した今となっては、一人旅など造作もない。お金だってあるのだし。
「お願い。僕がしたいんだ」
「……では、どうぞ」
そう請われては、断るのも気が引ける。
「髪は女の命ですから、大事に扱ってくださいね」
「わかっているよ」
エリアスはルーチェの髪を丁寧に梳っていく。その仕草はまるで、ルーチェの世話を焼くのが自然で、ずっと続けてきた日課のようだ。
「……なんだか、とてもお上手ですね」
ルーチェの言葉に、エリアスは鏡ごしににやりと口角を上げた。
「毎日、頭の中で練習しているからね」
「えっ」
「結婚したら、君にこうしてあげるのが夢だったんだ」
「ゆ、夢!?」
そんなしょうもない願望の話なんて、聞いたこともなかった。けれど、鏡越しに照れくさそうに笑うエリアスを見ていると、ルーチェの方が恥ずかしくなってくる。
──そんなの先に言ってくだされば、いくらでも……いいえ、このエリアス様の不可解な言動は、「ルーチェ・エドマンズ」をゲームに戻そうとする強制力によるものなのではないかしら……?
ルーチェがいなくなると悪役令嬢がいなくなる。だから彼は無意識のうちに、ヒロインに対するような振る舞いをし、ルーチェの心を取り戻して再び悪役令嬢の座につけようとしているのではないか。
──もう、それしかないわ!
「よし、これぐらいでいいかな」
「はい。ありがとうございます。……船旅なので、髪は下ろしたままでいいでしょう。どうせ乱れますし」
「そうだね」
コンコンとノックの音がして、エリアスが対応した。どうやら朝食が提供されたようだった。
程なくして、テーブルに白いリネンがかけられ、食器が並べられる。メニューは湯気の立つ白身魚のスープに焼き立てのパン、ベーコンと卵料理、それに彩り豊かな果物と、船上どころか地上でも十分なものだ。
エリアスはごく自然な手つきで皿を並べ、ルーチェの隣に座った。そしてスープを一さじすくい──
「はい。どうぞ」
「!?」
エリアスはスプーンをルーチェに向かって差し出したのだ。
おそらく、かつてのルーチェだったならば、エリアスに「あーん」をされて大層喜んだことだろう。
──けど、今は……ううん、せっかく親切に(?)してくれているのだから、断ると悪いわよね……。
今までは、ずっとルーチェがエリアスを追う側だったから、いざ追われる側になるとどうしたらいいのかわからないのが現状で、やはりこの流れも受け入れるしかなかった。
「い、いただきます……」
ルーチェは思いきってスプーンに口をつけた。スープを飲み込む音がやけに大きく聞こえて、気恥ずかしい。
「おいしい?」
「は、はい」
エリアスはパンにバターを塗ってルーチェに渡してくれる。彼女の好み通り、キワまでたっぷりバターを塗ったものだ。
──わ、私の好みを把握してくれている……! 絶対、エリアス様は知らないと思ったのに!
別れを告げた以上はきっぱりとはねつけなければいけないのに、エリアスが自分について考えてくれていると思うだけで、ルーチェは胸の高鳴りを感じてしまう。
──初恋の呪縛を解くには、まだかかりそうだとルーチェは思う。
「ジャムはいる?」
「いいえ……あの、エリアス様」
「何?」
「お世話をしてくださるのはありがたいのですけれど……この状況、なんですか?」
ルーチェはとうとう疑問を口にした。
「これが今の僕の仕事だ」
「いえ、そんな」
この空間に人間が二人しかいないのなら、給仕を──これが給仕と表現するならばだが、その役割を負わなければいけないのはルーチェのはずだ。
一国の王子ともあろう者が、ただの元婚約者対して甲斐甲斐しく世話をするなどありえないのだから。
「昨日言っただろう。君が王子のエリアスを捨てたから、僕も君と同じく、今日からは新しいエリアスなんだ」
「だから、その……行動を、変えると?」
「うん。王子らしく振る舞う必要はもうない。けれど、今の僕はルーチェの部屋にお邪魔しているただの一般人だ。だから君に雇ってもらわないといけない」
「雇う……?」
「そう。君のそばにいるために、僕はなんでもする。たとえば――人に言えないようなこともね」
「言い方っ!」
パチリとウインクをされて、ルーチェは声が裏返ってしまった。
「着替えとかね」
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ルーチェは出してあったデイドレスを抱えて、洗面所に引っこんでから、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
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