塩対応の婚約者を置いて旅に出たら、捨てたはずの王子がついてきた

のじか

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 そんな、と言ったか言っていないかは定かではないが、ルーチェは朝の光で目を覚ました。

 いつの間にかドレスは脱がされて寝巻き姿になり、髪もほどかれている。

 ルーチェが室内に目を向けると、エリアスはごく普通の、いつも通りの何を考えているかわからない顔で朝食の支度をしていた。

「おはよう、ルーチェ」

 エリアスは目覚めたルーチェを見て、ふんわりと微笑んだ。

 ──夢だった?

 お酒も飲んでいないのに昨夜の記憶がふわふわしていて、自分が着替えたような気もするし、衝撃醒めやらぬまま寝てしまったような気もする。

 昨夜の出来事を考えていると、エリアスとの昨夜のやりとりを思い出して体が熱くなり、ルーチェはぶんぶんと首を振る。

 ──あれはただのマッサージ、一方的な。そう、私たちは恋人同士でもないし婚約者でもないのよ。

 エリアスは欲望のままに、いつでもルーチェの身体を奪うことができる。けれど彼がそれをしないのは、ルーチェの気持ちを尊重してくれているからだ。

 だから、主導権はまだルーチェの側にある。

 ──私は、まだ大丈夫。本気になったりしない。

 すれ違いのせいで私たち両思いだったのね! と体を許してしまったら、ルーチェは再びエリアスに依存するだろう。結局のところ、すれ違った結果二人は別離の道をたどることになった。ただそれだけの、世間ではよくある話だ。

 決めたことを実行できずにゲームのストーリーが始まってしまえば、ルーチェの魂は嫉妬の炎で焼けこげてしまうのだ。たとえヒロインに心を奪われる日が来たとしても、エリアスはルーチェの転落を悲しんではくれるだろう。

 ──その感情がエリアス様にあるとわかっただけ、私にとっては最高のお土産よ。

「……思い、出さないの」

 これ以上昨夜のことを思い出さないようにルーチェはぴしゃんと自身の両頬を叩き、素知らぬ顔で立ち上がって朝食の席についた。

「世話を焼いていただかなくて結構です」

 ルーチェはエリアスの給仕をきっぱりと断った。冷たくあしらわれたエリアスの悲しそうな顔ときたら、思わず抱きしめてあげたくなるほどだ。

 ──でも、私は流されたりしない。

 エリアスが王子の義務としてルーチェを追跡しているのではないことは理解できた。けれど、二人は結ばれることはない。だからルーチェはエリアスをいい感じに説得して次の港で降ろすつもりだ。戻ってもらわないとゲームで何が起きるか分からないし、そもそも国がどうなることやら、だ。

「散歩に行きます」

 ルーチェはもくもくと食事を平らげ、すっと立ち上がった。このまま密室にいると何が起きるかわからないから、人の目は必要だ。

「僕もついていくよ」
「大丈夫です。行き先は乙女の秘密なので。ついてこないでくださいね」

 ルーチェは自分で着られそうなデイドレスに着替えて、さっさと部屋を出た。

 甲板でふらふらするとまた声をかけられてしまう可能性があるので、足早に向かったのは船内にある小さな図書室だ。ルーチェは目についた本を手に取って、二人がけの隅の席に身を沈めた。

 ──今日は、絶対にエリアス様から距離を置く。そう、これは自衛。明日には寄港地に到着するのだもの。

 本を開いたものの、一向に読書が進まないルーチェのもとに、かつんとヒールの音を響かせて近寄る人影があった。

「まあ、おはよう。こんな朝からお勉強熱心なのね」

 聞き慣れない声にルーチェが顔を上げると、目の前には朝から紅を引き、小綺麗だが大胆なカッティングの施されたドレスに身を包んだ初老の女性が立っていた。

 グレーの髪の毛をきっちりとまとめ、耳には大ぶりのイヤリング。決して若くはないが、その佇まいには凜とした美しさがあった。

「おはようございます。朝早くに目が覚めたので、読書でもしようかと」

 ルーチェが挨拶を返すと、女性はにっこりと口角を上げて微笑んだ。

「そうね、この先は少し天気が荒れるみたいだから、そうなると揺れが強くなって図書館は封鎖されてしまうわ」
「そうなんですか……」

 エリアスに気を取られて、天気にまで気が回っていなかった。確かに、窓から見える水平線の向こうには雲がたちこめていた。

「少しお話しない? 昨晩のパーティーであなたをお見かけして、どこのご令嬢かと思ったのよ」
「大した家柄ではありませんよ」

 ルーチェは少し微笑んでから曖昧に答えた。どうやら彼女も昨夜のパーティーに参加していたようだ。ルーチェもといエリアスはかなりの注目を集めていたから、当然記憶には残ってしまうだろう。

 ──騒ぎにならないといいけど。

 とルーチェは思うのだった。

「そうかしら。一緒にいた青年と並んでいるところなんてまるで物語の登場人物みたいで素敵ねえ、なんて話していて」
「うふふ。ありがとうございます」

 ルーチェはこわごわしながら女性の話を聞く。身構えたものの、どうやら女性は服飾関係の仕事をしていて、ルーチェの持ち込んだドレスに興味を惹かれただけのようだった。

「マチルダ」

 他愛もない談笑に入り込むような声がして、女性はふっと入口の方向に顔を向けたのでルーチェもつられる。

 そこには銀髪で細面の青年がいて、こちらに向けて小さく手を振りながらゆっくりと近づいてくる。

「ここにいたんだね。心配したよ」

 青年が甘えるように、女性をの首に自らの腕を絡めた。ルーチェはそれを見てぎょっとする。

 ──親子……じゃないわよね。

 二人の外見は全く似ていない。しかし、かなり距離感が近い。ルーチェとエリアスよりも、だ。

 ──となると……

 思わずまじまじと青年を観察してしまう。相手もその不躾な視線に気が付いたのか、ルーチェに目線を向ける。その視線がどうにもアンニュイというか淫靡な感じがして、ルーチェはなんだか居心地が悪い。

「紹介するわ、彼はエリオット。私の愛人よ」
「愛人!?」
「安心して、私は独身だから。若いつばめと表現した方が正しいかしらね」

 エリオットはマチルダの契約恋人として雇われているのだそうだ。

「そ、そうですか……」

 知らない世界を垣間見て、背筋がくすぐったくなってルーチェは視線を逸らした。

「ねえ、マチルダ、早く行こうよ。ピアノの演奏を聴いてほしいな」
「ええ、分かったわ。またお会いできるといいわね、可愛いお嬢さん」

 そう言い残して、二人はつれだって図書室を後にした。

  ルーチェは開いた本に目を落としていたが、内容はまるで頭に入ってこなかった。さっきまで会話を交わしていたマチルダとエリオットの姿が、妙に胸に引っかかっている。

 ――まさかあんなあからさまな「愛人」という存在を間近に見ることになるとは。いえ、愛人ってことは、契約ってことはその……そういうのも……。

「ルーチェ」

 悶々としていると、ふいにエリアスの声がした。

 顔を上げると、今度はエリアスがルーチェのそばに立っていた。

「さっきの男と……何か話していた?」

 そう問いかけてくるエリアスには、王子時代の名残が少しだけあった。見られていたのかと、ルーチェはあわてて咳払いをした。

「違います。あの人とではなくて――一緒にいた女性と話をしていたんです。パーティーで見かけた私の服が気になって、見かけたから声をかけたと」
「ふうん」

 ルーチェは真実を伝えただけのつもりだが、エリアスはなんだか納得がいっていない様子だった。
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