塩対応の婚約者を置いて旅に出たら、捨てたはずの王子がついてきた

のじか

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 ぽつりと呟かれた声に、ルーチェの心の中は嬉しいような、困惑するような、はたまた自分を律しなくてはと焦る気持ちがせめぎ合う。

「は、離して……ください」
「嫌だ」

 ──嫌と言われましても……。

 エリアスはしっかりとルーチェを抱きしめていて、そう簡単に離してくれそうもない。ルーチェの方でもいまいち突き放しきれていないという自覚はもちろんあるのだが。

「ひ、人が来たらどうするんですか……っ」
「気にしない」
「私は気にします」
「……ルーチェ、君はやっぱり変わった」
「え?」
「以前の君なら、僕の腕の中で赤くなりながらも『もっと抱きしめてください』と言ったはずなのに」

 ──エリアス様って、やっぱり私の解像度が高い!

 そんなことを考えて、ルーチェの頬はますます赤くなる。

「確かに、昔の私ならそう言ったかもしれません。いえ、言いました。でも、私はもう、これまでの私じゃないんです。エリアス様もそれを実感しているはず」

 王子という身分から解き放たれて開放的になったエリアスは随分と表情豊かで、朝と同じく捨てられた犬のような顔をした。

「そ、そんな顔をしてもだめですよ。なんでもするって言ったじゃないですか……」
「改善点を教えてくれたら、出来る限り努力する。でも、それは無理だ」

 ルーチェはエリアスの腕の中で身をよじった。

「もう……」

 離れようとしたら、余計に距離が近くなってしまった。船に乗り込んでからはずっとそうだ。ルーチェはまだ、自分が間違えたのか、それとも今が間違いの最中なのか、それも分からない。

 ──でも、ゲームのままだとエリアス様は病に倒れてしまう。だからどのみち、今の彼が私と一緒にいたいと思ってくれていても、旅を続けることはできない……。

「何を考えているのか、教えてほしい」

 エリアスの問いに、ルーチェはきゅっと唇を結んだ。

「……私、恋に恋をするのをやめて──大人になったんです。エリアス様には、次の港で降りていただきますから」
「……」
「私は一人で旅をします。これは決定事項なので、変わりません」

 ルーチェのかたくなな態度に、エリアスはため息をついた。

「また、間違えて君を怒らせてしまったみたいだ」
「怒っては……」

「一体僕は、何にならなれるんだろう。誰からも認められる立派な王子になりたかっただけなのに……使用人や犬、ツバメもダメなんて」
「エリアス様は使用人でも犬でもないし、ましてやツバメでもカモメでもありません! 自我を取り戻してください! エリアス様は、エリアス様ですよ」
「でも、それじゃダメなんだろう。僕はルーチェと一緒にいたいよ」

 ルーチェはぐっと喉をつまらせた。

「……私が無理矢理エリアス様のファーストキスを奪った結果、性癖が歪んだなら謝罪します」

 ──エリアス様の話が真実だとすると、もしかするとそれで看病されフェチになってしまった可能性もあるわよね。

 そんなことをルーチェは考える。あとは、王子だからプライドだって高いし。振られたショックで混乱したままなのかも……。

「そう。だから僕はずっと、君に恋をしている。ぐしゃぐしゃだ」
「私は……もう、していません」

 それが嘘なのは、勿論ルーチェには分かっていた。

「でも、僕はまだ諦めてない。もう気がついたと思うけど──僕は粘着質なんだ」

 確かにそう、とルーチェは思った。

 ──ちゃんと終わらせなきゃいけないのね。あの頃の私たちの初恋を。

「キスしてくれたら、離す」

 ルーチェにしがみつくエリアスはまるで駄々っ子だ。未だかつて、こんなに彼が熱く主張したことはないのではと思うほどに。

「え、えーと……」

 エリアスの交換条件とも言えない申し出に、ルーチェはついつい考え込んでしまう。昨夜はもっととんでもないことが起きたけれど──それに比べたらなんてことないし、大人同士だからキスぐらいなら何も起きない。

 ……思い出ぐらいは、いいわよね?

 ルーチェはエリアスの押しに──誘惑に負けた。

「わかりました。一旦、ファーストキスをやり直して修正しましょう」

 ルーチェは大真面目な顔でそう言った。特殊な環境のファーストキスが尾を引いているなら──ごく普通の、つまらないキスで上書きしてしまえばいいのだ。

「いいの?」
「一回だけですよ? 舌は入れないでくださいね」
「どこでそんなこと覚えたの?」

 エリアスが追及してきて、ルーチェは慌てた。

「……本ですよ!」
「……そう。君って物知りだ」

 エリアスがそっと顔を近づけてくる。彼の指がルーチェの頬にふれて、ぞくりと肌が粟立つ。

 あと少しで唇が触れるとき、ルーチェは恥ずかしさに思わず目を閉じた。その瞬間の唇がふわりと重なった。

 やわらかくて、温かくて、でもくすぐったいような不思議な感覚に、胸の奥がきゅうっと縮まる。

 ──こんなに長く、キスってするものだったかしら。

 やっと思い出した夏の日の記憶とはまるで違う、優しい口づけだった。

「んっ……」

 ようやく唇が離れた時、自分の瞳が潤んでいるのに気がついて、ルーチェは顔をそむけた。

「で、では。ごきげんよう、エリアス様!」

 甲板を登ってくる足音が聞こえて、ルーチェは慌ててエリアスの腕から逃れた。
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