塩対応の婚約者を置いて旅に出たら、捨てたはずの王子がついてきた

のじか

文字の大きさ
39 / 44

39

しおりを挟む
 朝食が運ばれてきたが、ルーチェはまったく食欲が湧かなかった。

 屋敷の外が騒がしくなり、門が開く音や馬の蹄の音が聞こえるのを、うつむいたまま黙って聞いていた。

 控えめなノックと共に、叔母のライラが入室してきた。

「エリアス王子殿下は、無事に港へ出発したわ」

 そう告げるライラの声は平坦で、どこか淡々とさえしている。

「よかった……本当に」

 ルーチェはライラと視線を合わせずに、窓に向かって喋った。

「……でも、あなたは戻らなくて、本当にいいの?」

 今なら間に合うのよ、と諭すようにライラは言った。

「エリアス様は王子でありながら、嘘までついて私を追いかけてきてくれました。……でも、だからこそ、私は婚約者にふさわしくないのだと思いました。真面目で善良な王子を惑わせて、国に迷惑をかけるような女は……」

「それは、そうね。あなたは自己中心的だし、考えなしで幼いわ」

 ライラの口調は厳しいけれど、痛いほどに正論だ。

「それは……自分でも、わかっています」

 しばしの沈黙の後、ライラがため息をついた。

「ルーチェ。あなたって本当にバカね……」

 なぜだかその口調には、皮肉よりも優しさがにじんでいた。

「叔母様……ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
「今更でしょう。一応これを渡しておくけれど」

 ライラは後ろ手に隠していた小箱をルーチェの膝の上に載せた。

「それは……!」

ルーチェはその小箱に見覚えがあった。記憶に新しいそのビロードの箱の中には──。

「殿下が、せめてこれだけはルーチェに渡してください……と。彼女が受け取らなければ寄付しますと言われたわ」

 ルーチェがぱかりと箱を開けると、中にはやはりあの時ルーチェが受け取らなかった指輪が入っていた。

「あなたが何を思って旅に出たのか知らないけれど──愛を試すには、もう十分な期間があったのだと思うわ。その上で、あなたが正しい選択をしたようにはとても見えない」

 優しく肩を撫でられて、ルーチェの目にじんわりと涙がにじんだ。

「私はずっとここにいるわ。だから、あなたがここを出たり、戻ったり、それこそ行ったり来たりしても、別に構わない。もう、心配するのはやめるから。でもこれだけは言えるわ。後悔のないように生きなさいよ」

 ライラの声には、惚れた男を追いかけて国外へ嫁いだ女の強さがあった。

「あなたはこのライラの肉親なんだから」

 ライラはは取り出したハンカチでそっとルーチェの目元を拭ってから、部屋を出ていった。


 ──後悔のない、生き方……なんて、今さら……。

 ルーチェが再び窓辺に立ち、庭の向こうをぼんやりと見下ろしていると、門のあたりに小さな人影がちらちらと動いているのが見えた。数人の子供たちが屋敷の前で立ち尽くしているのだ。

 昨日の……あの子たちだわ。

 ルーチェは急いで身支度を整え、屋敷を出た。門を開けた瞬間、子供たちが一斉に駆け寄ってきた。

「お姉さん、よかった。ちゃんとここにいた」

 昨日、花冠をかぶっていた女の子が声を上げた。

「結婚式のとき、うまくできなくてごめんなさい。あのあと、お兄さんと喧嘩しちゃったんでしょう? 私たち、すごく心配で……」

 子供たちはどうやらルーチェを訪ねてきたようだった。だが当然のごとく門前払いで、屋敷の前をうろついていたのだった。

「こっそり院長先生から聞いたの。あのお二人は領主様のお屋敷に行きましたよ、って。だから様子を見にきたの」

 ルーチェは思わず微笑んだ。けれど、細めた目尻には再びじんわりと涙がにじむ。

「ありがとう。あんなに良くしてくれたのに、心配までさせて……」
「お兄さんはどこに行ったの?」

子供たちはエリアスがどうなったのかを非常に気にしているようだった。

「……あの人は、国に帰ったの。大きな船に乗って、元いた国へ戻るのよ」
「じゃあ、お姉さんは?」
「私は……ここに残るつもり。ここの領主夫人は私の叔母なの。しばらくはここで暮らすわ」
「そんなの、おかしいよ」

 一番年少の子が、まっすぐに言った。

「おかしいことなんて何もないわ」

 答えるルーチェの声は少しかすれていた。

「でもさ、お兄さんはお姉さんのこと、あんなに好きだったのに。どうして喧嘩しただけですぐ離れ離れになっちゃうの?」

 素朴な疑問に、ルーチェの内側から、ぐっとこみ上げてくるものがある。

「喧嘩なんか、してないのよ……私が、悪かったの。私が全部、怖くなって……逃げたの」

 ルーチェの目から、涙がぽろりと落ちた。

「悪かったなら、謝ればいいじゃん」

 年長者の少年が呆れたように言った。

「……もう遅いわ」
「遅くないよ。あっちの船はね、いっつも十二時の鐘と一緒に出航するの。今から行けば、間に合うんだから」

 確信がこもった言葉に、ルーチェの胸はどきりと跳ねる。

「ほ……本当に?」
「ほんとだってば!」

 子供たちは声をそろえて言った。

「だからまだ間に合いますよっ!……このまま、お兄さんと仲直りできなかったら、きっとずっと後悔します」

 女の子の言葉に、ルーチェははっと息をのんだ。

「わ……私、やっぱり……行くわ」

 ルーチェはくるりと子供たちに背を向けて、急いで屋敷の中へ戻る。部屋に入り、手で持てるトランクに身の回りのものだけを詰めた。

「……残りの荷物は、全部あなたたちにあげる!」

 ルーチェは子共たちに手を振り、港への坂道を駆け下りていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」 公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。 忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。 「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」 冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。 彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。 一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。 これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。

処理中です...