魯坊人外伝~魯坊丸日記~

牛一/冬星明

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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

閑話(五十七夜) 白井-胤治のお仕事 

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〔天文十七年 (一五四八年)十二月三十日〕
 俺の名は白井-胤治しらい-たねはるである。
 中根南城の奉行方見習いをしている。
 好奇心は猫を殺す。
 そんなことわざがあると岡本おかもと-定季さだすえ殿に教えられて捕らえられた。
 私は籠の鳥だ。

 我ら臼井家は千葉家より分かれた分家であり、平-常兼たいらのつねかね様が千葉大介を名乗られてからはじまる。
 この平-常兼様は、桓武帝かんむみかどの第五皇子である葛原かずらわら親王の御子である高見王より六代目となる常兼様が千葉を名乗られた。

桓武天皇―葛原親王―高見王 (高望)―良文―忠頼―忠常―常将―常長―常兼

 父が仕えた千葉ちば-利胤としたね様は、その常兼様より十四代目であった。
 
千葉介常兼―常重―常胤―胤正-成胤-時胤-頼胤-胤宗-貞胤-氏胤-馬場重胤-馬場胤依-岩橋(千葉)輔胤-孝胤-勝胤-昌胤-利胤
 
 利胤様が育たれた時代は北条ほうじょう-氏康うじやすが勢力を伸ばした時期であり、下総の千葉家は事情あって北条方に付いた。
 その北条家が河越夜戦かわごえやせんで古河公方、両上杉家を撃破したことで関東の覇者へと駆け上がったのだ。
 天文15年 (1546年)1月に父君が亡くなられて、利胤様〔32歳 (満31最)〕で家督を継がれたが、翌年の天文16年の7月に若くして亡くなられたことで家が大きく揺らいだ。
 利胤様の御子である親胤ちかたね様の傅役だったのが、はら-親幹ちかみきだったからだ。
親幹は原家の庶流であり、原家も常兼から分かれた千葉家と祖を同じくする一族であり、本家の原家も千葉家に仕え、先代まで千葉家の分家である臼井家と地位を争っていた。

 永正15年 (1518年)7月と時期が少し遡るが、小弓公方おゆみくぼうの誕生で我ら千葉家に繋がる者の運命が大きく変わった。
結城家や千葉家の風下に立たされていた真里谷まりやつ-恕鑑じょかんが古河公方の足利あしかが-高基たかもと様の弟であった空然こうねん様を還俗させて、足利あしかが-義明よしあきと改名された。
 そして、はら-基胤もとたねの小弓(生実)城を攻めて奪い、義明様に与えて小弓公方おゆみくぼうを名乗ったのだ。
 城主の基胤は戦死し、その子である胤清たねきよ北条ほうじょう-氏綱うじつなを頼ったことで、千葉利胤様は北条方へ鞍替えすることになった。
 そのときは上杉家の敵である北条家であったが、古河公方様には礼節を守っていたので、小弓公方という敵が現れたことで、上杉家への面目など立てていられなくなった。
 はら-胤清たねきよ胤貞たねさば父子は、北条の力を背景に小弓城を奪い返し、千葉家での発言力を拡大した。
 そして、河越夜戦が起こり、北条家が強くなると、原家の発言力も増した。
古河公方を押していた臼井家の立場がガラリと変わってしまった。
 古河公方様すら北条家と和睦を結ぶしかない。
 そこで利胤様が当主になってわずか一年で亡くなり、親胤様が当主となった。
 傅役だった原-親幹も側近となった。
 臼井家は原家の風下となり、私は元服して親胤様に仕えたが、原家の専横に我慢ができなかった。
私は親胤様に諸国を見て周りたいと暇乞いを願った。
そして、許されたのだ。
 父は臼井家の庶流であり、碌な領地も持っていなかった。
 父は新たな主君を見つけたならば、帰って来なくともよいとも言った。

 私は天文十六年 (1547年)の秋に下総を後にして関東を巡り、上野国から信濃、甲斐、駿河、遠江、三河を巡った。
 北条家に仕官は考えなかった。
 北条の家臣として頭を下げて、原家の者と顔を会わすのが嫌だった。
 だが、関東管領の上杉家はボロボロで当てにならない。
 勢いのある武田家の武田たけだ-晴信はるのぶは『上田原うえだはらの戦い』〔天文17年 (1548年)2月14日〕で敗北し、勢いを失ったと思われたが、『塩尻峠しおじりとうげの戦い』〔天文17年(1548年)7月〕で勝利して面目を保った。
 武田家に仕官するのもありと考えたが、千葉家と敵対している真里谷家も武田家の流れを汲むのを思い出して仕官を思い留まった。
 それに甲斐は貧しく、とても寒くなってきたので暖かい方へ逃げた。
 私は富士を回って北条家の小田原城を見てから、小田原に入らず伊豆を回って駿河に向かった。
 伊豆は冬だというのにどこか暖かく、人々ものんびりしている気がした。
 戦で食料を奪われても餓死するまで気づかないのではないかと心配になるほどの脳天気さだ。
 ただ、温泉がよかった。
 駿河は甲斐に比べると豊かな町で、東の都と呼ばれるほど煌びやかであった。
 だが、どこか武士の気位が高い。
 荒々しい坂東武者ばんどうむしゃとはどこか違う。
 泊めてもらった寺主から紹介がなければ、駿河で仕官は難しいと言われた。
 残念ながら、私は紹介状も感状も持ち合わせていない。
 遠江へ移動すると、駿河とまた違った。
 なんと言うか、民まで荒々しい。
 どこかで争いが繰り広げられており、貧しい者も多かった。
 油断すると泥棒に遭う。
 伊豆・駿河・遠江の民草を例えるならば、『駿河乞食・遠州泥棒・伊豆の飢え死に』という言葉が頭に浮かんだ。
 東三河に入ると、人当たりが良くなった。
 礼儀も正しいので割と気に入った。
 今川家と織田家が争っている最前線なので、仕官先も苦労しなさそうだ。
 などと思ったが、実際は違った。
 東三河の方は人柄が良く礼節を守るが、人の話を聞かない。
 相づちを打っているので聞いているように見えるので誤解した。
 しかも頑固だった。
 道理に合わないと戦をはじめてしまう。
勝ち負けではなく、意地で戦をはじめるので、そんな危険な主君に命を預ける気にならない。
 私はどこにも仕官しなかった。
 もういっそ都まで上がって、京見物をすると決めた。
 今川と織田の『小豆坂の戦い』〔天文17年 (1548年)3月〕を山の上から検分した。
 近く村人も戦見物をしていた。
 細かい動きはわからなかったが、今川軍の方が整然として動いていたように思えた。
 織田家が突然崩れたので、脇道から横槍があったのだろう。
 戦が終わると、私は矢作川を渡った。
そこで路銀が尽きたことに気づいた。
 三河の本證寺ほんしょうじで泊めてもらい、どこかで銭を稼ぎたいと尋ねると、傭兵として稼ぐ方法と、河川改修の作業員として出稼ぎに紛れる方法を教えてくれた。
 戦では命を落とすかも知れない上に、負けると一文も手に入らないこともある。
 確実に稼げる出稼ぎを選んだ。
 本證寺の紹介で尾張の平針で加藤家に雇われた。
 織田家臣の加藤家は天白川の河川改修を行っていた。
 その工事が斬新であり、仕切り板で流れの勢いを削ぎ、巨大な石垣が氾濫を防ぐ。
 この護岸壁が完成すれば、川周辺の湿地帯がすべて田畑へと変貌する。
 これを利根川や太日川や常磐川に施せば、石高が飛躍的に伸ばせるではないか。
私は監督と呼ばれる親方に声を掛けて色々と聞いた。
 監督に気に入られて、六人長、十人長と出世して、手取りも増えた。
 二ヵ月後、三十人長で監督代を兼任することになった。
 作業工程など指示できる立場となった。
 しかし、中根家に仕える監督にならないと、石垣の秘密を見せて貰えないと言われた。
 監督から織田家に仕えないかと言われたが、一度京に上がってからと考えた私は断った。
 秋になり、路銀が貯まりはじめたところで配置転換を命じられた。
 一日十五文が一日三十文になる仕事だった。
 銭は多い方が良いので引き受けた。
 その仕事は、中根村で子供らに読み書き・剣術・軍略を教える仕事だ。
 平針で作業をしている間は気がつかなかったが、八事から中根に長い水路が作られており、秋になって中根村の田が黄金色に輝いた。
 これほどの豊作をみたことがない。
 織田-魯坊丸様が考えた水田らしい。
 もちろん、水田はまだ少ないが、水路が完成すれば、すべて水田に変わるという。
 しかも天白川下流域の湿地帯を囲むように海岸部に石垣を積んでおり、入り江のような広大な湿地帯をすべて水田にするのが窺われた。
 どれほどの石高が増えるのか⁉
 私はごくりと唾を飲み込んで、考えた者を怪物のような男を連想してしまった。
 三歳の子供が考えられる訳がない。
 さて、神社の小屋の教材も珍しく、和算ではなく、南蛮の数学を教えているそうだ。
 山から見える黒い煙も気になる。
 麻織り小屋が忙しく稼働し、午前の勉強が終わると手伝いの女の子が小屋に走った。
 兵を希望する子らは昼からも残り、私はその子らを指導する。
 武芸も教えるが、土木作業も教える。
 海岸沿いの石積みも指導の一環だった。
 読み書き算盤を完全に覚え、体力が整うと、上級生として中根南城近くの小屋に移動する。
 織田家の直属兵となる黒鍬衆へ勉強がはじまるらしい。
 私はその小屋へ行く許可が貰えなかった。
 しかし、興味はあった。
文字を書けないような子供らの勉強意欲を増す為に、上級生が理科の実験などを実演にくる。
 蝋燭の火が消える実験、火が爆発する実験などがあった。
科学という知識らしく、火薬などを作る基礎になると言われるとますます知りたくなった。
 十二月のある日、城に近い小屋が爆発し、火災が起きていたので消火を手伝った。
 怪我をした子供らもいた。
 死者がなくて幸いだった。
 私が座ったところに本がおちており、私は興味のままに開いてしまった。
 火薬の作り方と精製方法だと⁉
 こんな簡単な方法で火薬ができるのかと思わず、教材を見入ってしまったのだが、そんな私の肩を叩く者がいた。

「何を読んでおられます」
 
 声を掛けてきたのは、魯坊丸様の師匠と呼ばれる岡本-定季殿であった。
 猫の話を聞かされた。
 翌日、奉行方の見習いとなり、織田家の重要機密を除く、すべて資料や本を見ることできるようになった。
 但し、許可なく尾張を去ることもできない。
中根南城を出るときも同伴者が必要だ。
家臣になれば、すべてから解放されるが、魯坊丸様はまだ三歳であり、元服するまで十年近くかかる。
どれほど優れていようとも、海の物とも山の物とも知れない者に仕える気になれない。
私が見ている資料は五年ほどで順次公開されるらしいので、私への制約も十年以内に解くと言われた。
魯坊丸様が成長されるまで結論は先延ばしと決めた。
しかし、文官の仕事とは、これほど忙しいとは知らなかった。
もう正月を迎える。
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