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羽化・おまけ
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※ テオ視点です。
人間離れした能力の高さとは裏腹に自己肯定感は底辺も底辺、底すら見えない果てにあり。
そのくせ自身に求めるのは完璧のみ。
未熟で多感な思春期からあの幼馴染み達を率いて数多の戦場を駆けた。
そこで討つべき敵は目をギラつかせて売り物を狙う畜生どもだ。
何が致命の一打となるかわからない場では些細なミスも許されず、心身共に疲弊させ帰った所で親しくしていた者達からは避けられる。それも詳しく聞けば避けていたのはどうやら女だけではなかったらしい。
周りよりも成長が遅く少年期が長かったアースィムは、王女たる姉二人を差し置き宝と呼ばれる程に大層可憐な少年だったのだとか。
さもありなん。
甘やかに整った顔立ちを見れば簡単に想像はつく。
強さが第一で皆が皆血気盛んなクルシュにおいて、眼前の敵を容赦なく屠っていく反面、日常生活では温和な美少年。
成程。
幼馴染みの四人が引く程に過保護になった原因を察した。
それと同時に深く納得もした。
過度な自虐趣味とも取れる人格形成はその独特な環境のせいか。
人目を惹きつける華やかな容姿と相反し、生来内気だという性格も災いしたのだろう。
アースィム至上主義を恥ずかしげもなく掲げているおかげかどうかはどうでも良いが、自己肯定感の塊に育った戦闘狂の男どもと繊細なアースィムは違う。
戦いを忌避する負い目と嫌われ者だという思い込みが気付かれぬまま放置された結果、今に至ったに違いない。
とは言え、だ。
両親はおろか兄姉までもが末弟を蝶よ花よと育て慈しみ、幼馴染み達は終始アレだ。
全肯定供が身近に溢れているのに悪いものにばかり目を向けたのはどう贔屓目に見ても愚かとしか言い様がないが、その愚かさこそがアースィムの個性であり魅力であるなどと言い訳し愛おしく思う私も相当である。
余談だが、すっかり捻くれた心の内に私の想いだけ届いた答えはすぐに判明した。
当人の口からだ。
『テオを初めて見た時、心臓がギュンッてなったんだ。だからきっと最初から好きだったんだと思う』
もじもじと私の指先を摘んではにかんだアースィムに、要するに一目惚れかと頷いた。
テオはと問われ、言葉と笑顔が刺さったと伝えたら翌朝の喉に不調をきたした。毎回コレではいつか声帯を失うと専門医を常駐させる事にした。蛇足だ。
兎に角、無自覚ながらも想いがあったからこそ、私の好意を否定したくないアースィムは受け入れるしかなかったのだろう。
それらを踏まえた上で私の取るべき行動を考える。
愛でる。
この一言に尽きる。
幸いその要素には事欠かない男である。私は労せず思う通りに振る舞えるだろうと、そのように考えていたのだが。
(足りない)
圧倒的に、アースィムとの時間が足りていない。
ようやく帰国したと思えばサウスレーデン絡みの後始末に煩わされ、削りに削られていく時間。
部屋に戻るのは夜中で、共に食事を摂ることさえままならない。
アースィムに労られ甲斐甲斐しく世話を焼かれ、腕に包まれ意識を失うように眠る日々。
帰還パーティーのあった夜と一目惚れの話を聞いた日に深く肌を合わせたきり、時間を気にかける顔を無理やり私に向かせて奪うような生活がもう二ヶ月だ。私は苛立っていた。
「テオ、昼ごはん置いておくよ」
次から次へと運び込まれる紙の束が山となっている机上に置かれたのは、時間を惜しむ私の為にとアースィムが手ずから用意したサンドイッチである。
食べやすい一口サイズかつ、手が汚れないようにと紙に包まれている。
それらを用意する調理場として寝室と同じ階の空き部屋を急ぎ改装した。当然だ。私が見られない調理中の姿を他の者が見るなど言語道断だ。
「いつも済まないな」
「うん。テオが好きなハムも挟んだからきっと気にいると思う」
「そうか」
楽しみだと顔を向ければ額に唇が触れ、柔らかく細まる瞳。
チッと舌を打った。
「テオ?」
「ベッドに引き摺り込んでやりたくなるから止めろ」
眉間に皺を寄せ手元に目を戻した端、アースィムは俄かに赤くなった顔で書類を一山抱えた。
「仕事、もう少し手伝う……」
「無理はするな。だが可能な限り手伝え」
「うん」
働けと言っただけで声を弾ませるとはどういう了見だ。
今すぐ隣に押し込んで身体の線を見せつけてくる卑猥なシャツを剥ぎ取ってやりたい衝動をグッと抑え込み、気を紛らわせる為にペンを走らせた。
(花畑と親バカは一体何をしている)
王族もこの書類の采配が出来る人間も私だけではないはずだ。それだというのに何故減らない。
一ヶ月も休んでいただろうと口端を引き上げた王妃が浮かび、殺意が込み上げた。我が母ながら忌々しい事この上ない。
何が休みだ。
サウスレーデンの役立たずの官僚と国家に背いたアルストリアの駐在官達を総入れ替えしたのは誰だと思っている。この私だ。代理統治者としてやって来た筈の叔父が貴族との交流があると書類仕事から逃げたからだ。
属国といえどもやり過ぎては禍根の種になるなどという甘い考えは捨て去った。
城内の汚染を徹底的に取り除き、治療薬の量産を急がせ、責務も果たさず喚くばかりの貴族どもも粛正していたのだ。
休む暇などある筈もなく、帰国し多少は時間が取れると思えばこの仕打ちときた。
だがどれ程腹の虫が収まらなくとも仕事は容赦なく積み上がっていく。
そんな私の目の前で応接セットを陣取り用意された菓子を摘む三人組と、書類の仕分けを行う仔栗鼠を抱え込む体勢で背後に座りその頭に顎を乗せている一人。
どちらも目障りでしかない。
「そう言えば先程は大丈夫でしたか?アースィム様」
王太子の執務室で堂々とイチャつく阿呆の片割れが上げた声に、ピクリと眉が動いた。
「ああ、大丈夫」
「なんだ大将。何かあったんか?」
「シバくか?」
だらしなく預けていた身を起こしたカーミルとサジェドが騒めく。
騎士が出払っていて暇を持て余しているのだろうが、何故ここで寛ぎ、何故私の文官であるサイラスは役立たず共に茶などを注いでいるのか。
「お、悪ィな」
「いえ。お口に合えば宜しいのですが」
この文官のサジェドへ向ける視線は蕁麻疹が出そうな程に甘い。
気付かぬ訳でもないだろうに、それを向けられている当の本人は寝ているディルガムの頭に膝を占領され腹に巻き付かれて平然としている。
サイラスに自殺願望があるのならば早々に後任を見つけておくべきだろう。
「いつものだ」
殺気立ちかけていた幼馴染み達に、式を目前に控えてより一層ベタベタと婚約者を甘やかしている男が楽しげに笑う。甘やかしたいのは婚約者なのか幼馴染みなのか。どちらもか。
途端に肩から力を抜く姿は相変わらずであり、こいつらの過保護な溺愛は一生治らない不治の病だと呆れた。
「まーた告られたのかよ。ここんとこほぼ毎日じゃん」
「男?女?」
「女。あんまモテんのも面倒臭そうだよな」
「え?」
全く他人事のようなイザームを信じ難いと言わんばかりのルーカスの心境などはどうでも良いが。
「手を動かせルーカス」
「はい」
「で?どんな女?」
「研究者じゃねぇか?」
素直に作業に戻るルーカスを他所に続く興味本位な会話。
増設した研究室と近衛騎士団再編の流れで城に出入りする人間が増えた為か、連日のように耳に入ってくる不快な話に気分は悪くなる一方だ。
王太子配に堂々と告白するその神経は鋼鉄以上の何かで出来ているとしか思えず、理解も不可能だ。アースィムを好きだと言うのならば妾や愛人を囲う男でない事くらいわかるだろう。僅かな時間だけでも向き合って話をしたいという狡い魂胆が丸見えだ。
そもそも、まごう事なき王族であるアースィムを呼び出すなど有り得ない話である。
不遜、不敬極まりなく、何度嗜めても応じるアースィムもアースィムだ。
大事な話かもしれないしではない。何故学ばない。そうか、肯定感が皆無だからか。ではいつまでそんな下手な言い訳を繰り返すつもりだ。
私の苛立ちは限界に差し掛かっていた。
「アルストリア人は律儀だよな」
「………何?」
機嫌良く響いた声に室内が静まり返る。
今度は一体何を言い出した、私の伴侶は。
「わざわざ来てくれるだろ」
(来てくれる、だと?)
理解不能な言い回しの追加だ。
混乱しかけ、直ちに思考を整える。
最近の呼び出しの主は新たに赴任して来た者ばかりだという。
そしてアースィムは城や王宮に出入りする人間全ての顔と名前を把握している。人手が足りずにほんの数日臨時採用した庭師さえもだ。
私に危険があってはならないからと当然の顔でそれを成している男の思考回路を辿り、導き出された結論は。
「アースィム、大陸中を探しても初対面から想いを告げる挨拶など無い」
「そりゃ、最初は驚いたけどさ。俺って大体ぼっちだからみんな気を遣ってくれてるってわかったんだ」
「ぶふッ」
噴き出したカーミルを嗜める者はいなかった。
何をどうわかったらそうなるのか。
どこの世界に気遣いで告白をする人間がいる。いると言うのなら目の前に連れて来い。正気かどうか確認してやる。
「本当に優しいよなぁ」
周囲の反応に気付かぬ男は運び込んだ机に寄り掛かり、手元の紙面に目を落としては何かしら書き込んで次へ向かう。
恐るべき数の言語を容易く操るアースィムは主に外交関連を担い、他文化への見識の深さと処理能力は疑うべくもないが。
(一周回って馬鹿なのか?)
肯定感だののレベルでは説明がつかない、鳥肌が立つ程の鈍さである。
思わず苛立ちを忘れた私に照れ笑いが向いた。
「あ、でも一応ちゃんと返事はしてるから」
「お。なんて言って断ってんの?」
「そりゃ………すっごく大事な嫁がいるって言うに、決まってるし………」
冷やかし目当ての幼馴染みに馬鹿正直に白状しながら、チラチラと私を見る。その耳は仄かに赤い。
「おー!!ついに言えたか大将!!」
「今夜は祝いだな!!」
「酒、なんかイイもんあったか?」
「披露宴用に準備しているものがあります。開けてしまいましょう」
「んん……なんだ?祭?」
床や卓上を打ち鳴らし上がる歓声。
大真面目に追随するルーカスと、ようやく目を覚ましたディルガムが暢気に伸び上がる。
それらを聞こえぬものと処理した私は速やかに沈黙し、ペンを置いた。
額を押さえて深く息を吐く。
(いちいち何故恥じらうんだ、この男は……)
玉砕前提で告げた者に同情する気はないが、この表情を向けたのかと思うと腹の内から込み上げるものは、ある。
「テオ?やっぱり恥ずかしい?でも俺、嘘吐きたくなくて、だから、」
「それ以上言うな」
「………うん」
目に見えて困惑したアースィムを見ずに制止を放てば途端に萎む。
あーあ、などとわざとらしく呆れた野次が飛んだ。
「大将にゃ伝わんねぇぞ、そんなんじゃ」
「イザームにも伝わんなくね?」
「いや、わかるだろ?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。さっきからなんだっつの」
外野に構う暇はない。
萎んだままであるのに書類を捌くスピードの落ちない男の手首を掴み、立ち上がった。
「テオ?」
「来い」
向かう先は当然寝室だ。
私を煽るアースィムが悪い。どれだけ我慢していると思っているんだ、この男は。
「ちょっと、どこに行くんですか!仕事は山積みなんですよ!」
「そいつらに割り振れ。近衛の試験内容辺りは適任だろう」
「なんで俺らがやんだよ」
「嫁って言われたの嬉しいのはわかっけどさァ」
返る不満は全て黙殺する。
ヤツらは王太子の文官と王太子配の直属。
ならば多少は気を利かせるのも役目だろう。
「テオ、まだ昼間だよ」
「だからどうした」
「どうしたって……」
こりゃ朝まで出て来ねぇなというイザームの声と続いたルーカスの悲鳴を背に、足早に引っ張り込んだ室内。
壁に押し付けたアースィムの唇を奪う。
戸惑っていた男の手がそろりと腰に触れ、同時に深まる口付けに酔った。
「……足りない」
濡れた口元を拭う指に短く息を吐けば、アースィムは眉を下げる。
「夜が来ても離してあげられなくなるかも」
「上等だ。それで良い」
「もう……」
気が逸る両手でアースィムのシャツを捲り上げていく。
私も鍛えてはいるが到底敵わない厚みと硬さ、そして伝わる肌の滑らかさは何度触れても癖になる代物だ。
繰り返し唇を喰む私にどうやら諦めたらしい。
「わがまま」
心底嬉しげに喉を鳴らしたその囁き声は、ひどく唆った。
互いに衣服を剥ぎ取り合い、倒れ込むように沈んだベッドの上。
「ん……ッ、は……」
脚間に埋まる黒髪を片手で緩く握り、反対の手で肩を押さえる。
先日の仕返しという訳では無い。アースィムは毎回、いちいち全身を愛でたがる。
指の先から足先まで全てに唇を這わせ撫で上げ、触れていない場所が無い頃になってようやく私自身への愛撫を始めるのだ。そこまで焦らされる身にもなれと何度言っても聞く耳を持たない。
「すごく気持ち良さそう。嬉しい」
「っぁ……」
半ば浮いた腰に大きく開かされた足。
怒張した幹を丹念に舐め上げる舌に震え、掛かった吐息にすら快楽を拾う。同時に、体内を解す指に腰が跳ねた。
「痛い?大丈夫?」
「そこ、で……話すな……!」
「でも舐めてないと垂れちゃうだろ?」
わざわざ見せつけるようにべろりと舐め上げたかと思えば鈴口を啄む。
言えずに終わった文句に代わり熱に浮かされているだろう顔で強く睨むと、口端を引き上げたアースィムが体内にある指をぐるりと回した。
「ッ、……!」
「テオはココが好きだよな。触るといっぱい溢れてくる」
言うや否や前立腺を二本の指で擦り始め、堪らず足先を丸め強く握り込む。
そうでもしないとそこで快感を得る事を覚えた身体はすぐに達してしまいそうだった。
力を込めた腹を長い指が這い、潜り込んだ指のちょうど真上あたりを弱く押される。自我とは別の所で溢れるモノは止めどなく滴り落ちていく。
「我慢しないでいいのに……」
際限を知らないアースィムとは違う。
馬鹿を言うなと伝える為に開いた筈の口からは次から次へと嬌声が漏れた。亀頭を咥え込んだアースィムが手の動きを速めたせいだ。
アースィムに抱かれるのは好きだが女のような声を上げるのは好きでは無い。
いい歳をした男が霰もなく喘いでいたら客観的に見て悍ましいだろう。遠目では女に見えなくもないルーカスならば或いは、違うのかもしれないが。
第一、私は閨教育でしかこういった行為をした事がなく、またしたいとも思わなかった。アースィムに出会うまでは性行為そのものに興味が薄いと自認していたのだ。
「ぁ、あ……ッ…」
だからこそ耐えられずに漏れ落ちる声に当初は愕然とし、どうにか抑えようと歯を食い縛ったものだが。
「かわいい。テオの声本当に好きだ。もっと聞きたい……聞かせて」
恍惚と囁かれる度に理性が崩れていく。
アースィムは私が我を忘れる程に悦び、更にと弱い場所ばかり狙って責め立ててくる。それのせいで休日明けは喉に不調を来たすというのに、とんだ鬼畜である。
「アー、スィム…ッ……もう、いい……っ」
「でもまだイッてないから」
「いいと言っている……!」
息を乱しながら両手で髪を鷲掴み押しやった。
往生際悪く舌先で鈴口を嬲り、上目に私を窺う姿に苛立ちに似たものが込み上げる。
毎回毎回、わかっていて確かな言葉を欲しがるのは無自覚の確認なのか、それとも単に言わせたいだけなのか。どちらにせよこれ以上されては堪らない。
「早く欲しい……来い」
今更恥など覚えるだけ時間の無駄だ。
何より、この男がこの程度で喜ぶのならばいくらでも口にする。
掴んだ髪に指先を絡めて見つめた。
瞬きの間だけ表情を消したアースィムが無言で覆い被さって来る。
唇を塞がれる度に思うが、私のモノを散々舐め回した舌を入れるのはどうなんだ。
などと眉を顰めたのは一瞬。
片足を持ち上げられ、グッと押し当てられた昂りに喉が鳴る。
この先への期待。
私の身体に反応しているアースィムへの愛おしさ。
毎日のように抱かれているとはいえど、挿入時の違和感と圧迫感は拭えず無意識に強張る身。
「力、抜いて」
顔の横に片方の肘を置いたアースィムが顔中にキスを落としながら囁く。
腕に乗せた足を宥める手と輪郭を伝う唇は甘ったるく擽ったい。
真横にある腕に額を押し当てた。美しい褐色の肌を啄みながら求める。
「は…、……アースィム……」
「ッ、」
ごくりと喉を大きく鳴らしたアースィムが腰に力を入れ、相変わらずの質量に身が戦慄いた。
ぐ、ぐ、と割り開かれ侵入する楔は熱く脈打ち、私が欲しいとしきりに訴えてくる。
途中で耐え切れず弾けた私自身を片手に包み込み、塗り広げる親指に声が断続的に跳ね上がって。
「セオドア、愛してる」
なんとも艶やかな低音にゾクゾクと背が震えた。
アースィムのこの声を聞くのは私だけだ。
己が唇を舐め濡らす様の淫靡さを知るのも、私だけ。
根元まで収まってしまえば後は暴力に似た快楽の波が押し寄せては引いていく。
繰り返し、繰り返し。
そうして言葉も思考も奪われ、私を苛む男に身も蓋も無く縋り付くしかなくなっていく。
「もっと感じて。俺だけ見て……ずっと…」
「っ、ん……!」
頬から耳へ唇を滑らせたアースィムが甘く掠れた声で何度も私を呼ぶ。その荒く乱れる呼吸すら快楽へ変わった。
深い律動と共に響く肌を打ち合う音も、揺れる黒髪も伝う汗も。
私を見下ろしては心底愛おしいと語る、瞳も。
何もかもが脳を犯し、溺れさせる。
この男が愛おしい。
次から次へと溢れ出す感情にどうにかなってしまいそうだ。
思春期でもあるまいに求めずにはいられない。
アースィム。
譫言に呼び、返され、キスが降る。
いつの間にか囚われた片手指を握り込み、揺さぶられ突き上げられる中で最後まで残るのはただ一つ。
(わたしも、あいしている)
それを口に出来ているのかどうかは、定かでは無い。
カーテンを下ろす音を微睡みの中で拾った。
瞼を持ち上げぬまま隣を探る。いない。いつの間に抜け出したのか。
「……とう。うん、……大丈夫、朝には………よ」
アースィムの声が聞こえる。
相手の声は届かず、この部屋に来るならばと夢現に思考していた矢先。
「あとイザーム、サジェドに東のウェイン伯爵を探って貰えないかな?収支報告がおかしいんだ」
(それは初耳だが?)
一気に覚醒した。
上半身を起こそうとして着いた手だったが、途中で力が抜けた。枕に沈み込み唸る。
何度交わったのかは覚えていない。
途中から加減を忘れるのはアースィムの常にしてもいつにも増して激しかった。身も蓋もなく鳴かされ、奥の奥を暴かれては注がれた。
───孕まないかな。……孕ませたい。
耳元で再生された呟きはどうかしているとしか思えない。
孕む訳がないだろうとそんなような言葉を返した辺りまでは記憶がある。だがその後が続かない。意識が途切れては揺り起こされ、随分と深く愛されていた気はするが。
身体はスッキリしている。
シーツや枕も清潔なもので、いつも通りにアースィムが清拭し交換したのだろう。
「……………」
「ごめん、起こした?」
執拗に突き上げられた腹を撫でている内にアースィムが戻って来た。痛みがある訳ではない。無意味な行動だった。
ベッドが軋み、すぐ背後に腰を下ろす気配。
横向きになっていた私に半ば覆い被さり、頬に唇が触れる。そして腹を撫でる手に手が重なると同時、肩を舌先が這った。
「ん……今何時だ……?」
外部を遮るのは天蓋から垂れ下がる布で、サイドテーブルの時計も伏せられている。
痺れる胸の頂を不埒な指先が摘み上げるのに息を逃がし、相変わらずの嗄れ声で問う。アースィムの動きが止まった。
「………気にしなくて平気だよ」
「待て」
続行しようとする手首を掴む。
何故はっきりと答えない。そう考え、気が付いた。
この部屋に誰かが近付く時間は決まっている。
相手が侍女であるミーナやマリアであろうと構わずに殺気を放つアースィムがいるからだ。
嗜めた私に目を丸くしていた辺り、本人は完全に無自覚らしい。縄張りを荒らされた野生動物を彷彿とさせた。
朝から夕方までがその被害を受けない時間帯である。ならば少なくとも日付けは変わっている。
「アースィム?」
「…………さんじ」
成程。
それはなかなかの惨事だ。
(流石に不味いか)
時間が取れずに溜まっていた苛立ちは彼方へ消えている。ならば勤めを果たす順だろう。
気怠く起こした上半身は合わせて動いたアースィムに抱き寄せられ、包まれる。
汗に張り付いた髪を横に流されながら落ちる口付け。
「おい、止めろ。先に仕事を片付ける……」
語尾は唇に吸い込まれた。
薄く割り開かれ囚われて、気がつけばその腕を掴みこちらからも絡めてしまう。
「ふ……、ん…」
合間に愛称を囁かれてずくりと疼く。
余韻に浸り過ぎている。
しかし離れ難いと眉を寄せていると軽いリップ音が終わりを告げた。
「テオが見る必要があるのだけ、そこに置いてあるから」
「他は」
「終わらせといた」
(あの量を?)
などと思うのは今更だろう。
額を首筋へ擦らせ甘えてくる。
その柔らかく整った美貌と、こうした愛らしさばかりが際立つこの伴侶。
口癖のように私を「完璧」と讃えるが、その言葉に最も近いのはアースィム自身だろう。
私は完璧でもなければそうあろうとした事もない。
アルストリアの王子として皆が傅くに値する人間であれとだけ胸に刻み生きてきた。それはアースィムがいても変わらず、今後も変わる事はない。
(……いや、少しは変わったか)
以前の私に仕事を後回しに考えるようなものは無かった。
やるべき事をやらず愛欲に溺れては些か威厳に欠ける。今回のこれを戒めに休日は確実に手にしていかねばなるまい。
「急ぐのもないからもう少しこうしてたい。ダメ、かな?」
「駄目な事などあるか。私も同じ気持ちだ」
簡単に翻った自省。
ウェイン伯の件を問い正さねばならないというのに、アースィムが動いたならば大丈夫だろうという確信がある。
実に新鮮だ。
喉を揺らして笑いを息に乗せる。
「おまえは恐ろしい男だな」
「俺が?」
私もそれなりに重いだろうに体重を掛けてもビクともしない。
肩に散っている黒髪を掬い、唇を寄せた。
「私を甘やかすだろう」
「そう、かな?甘えてくれるなら、すごく嬉しいけど……」
「ならば素直に喜べ」
言い放ち、次は右腕に残る傷をなぞる。
刺されたよりも切り開かれた方が濃い。
その先にある手のひらまで指を這わせ、短い爪が刻んだ痕を確かめた。
「くすぐったいよ」
「そうか」
意味のない返事だ。
近付く顔に再び顎を持ち上げる。
美しい男だと思う。
愚かな程に純粋で繊細。
裏も表もなく、飾ることを知らない。
否。
知らなかったが、サウスレーデンの一件以降アースィムは大きく変わった。
仕事を手伝うと言って私の執務室に机を運び込み、騎士との訓練ではトンファーを見事に操って見せ間合いにすら入れない。
何処からか湧いて出る女達を制する瞳は穏やかであれど、手を伸ばす事は許さなくなった。
非常に遺憾ではあるが、自国の衣装を纏い背筋を伸ばす姿にはあちこちから感嘆の息がこぼれ落ちている。閨で強請られ成す術もなく陥落したのだ。辛うじてシャツを着させる事には成功した。
特筆すべきは、その能力を発揮する事に対して怯まなくなったことだろう。
自虐と惑いを捨て一皮剥けたと言うべきか。
否、蛹から蝶になったと表現した方が伝わりやすいか。
(羽化)
ふと浮かんだ言葉がひどく馴染んだ。
随分と美しく、かつ大胆に変じたものだ。
長く纏わり付いた殻を破るのは容易ではなかっただろうに。
何年もかけて閉ざしてきたものをようやく開いたのだ。
誤認も、臆病さも、すべてを抱えたまま。
それでも前へ進むことを選んだ。
「アースィム、私はおまえを誇りに思う」
目を細めて告げる。
幾度か瞬いた男はやがて、くしゃりと顔を歪ませた。
改めて抱き寄せられて肩に額が乗る。
微かに震える背を撫でてやれば小さく聞こえた謝罪。
「おまえがすぐに泣くのは今に始まった話ではないだろう。私の前だけなら構わない。いくらでも泣け。寧ろ泣け。存分に愛でてやる」
「………テオはたまに、すごく意地悪だ」
不満を露わに上がった顔に、私はいよいよ声を立てて笑った。
人間離れした能力の高さとは裏腹に自己肯定感は底辺も底辺、底すら見えない果てにあり。
そのくせ自身に求めるのは完璧のみ。
未熟で多感な思春期からあの幼馴染み達を率いて数多の戦場を駆けた。
そこで討つべき敵は目をギラつかせて売り物を狙う畜生どもだ。
何が致命の一打となるかわからない場では些細なミスも許されず、心身共に疲弊させ帰った所で親しくしていた者達からは避けられる。それも詳しく聞けば避けていたのはどうやら女だけではなかったらしい。
周りよりも成長が遅く少年期が長かったアースィムは、王女たる姉二人を差し置き宝と呼ばれる程に大層可憐な少年だったのだとか。
さもありなん。
甘やかに整った顔立ちを見れば簡単に想像はつく。
強さが第一で皆が皆血気盛んなクルシュにおいて、眼前の敵を容赦なく屠っていく反面、日常生活では温和な美少年。
成程。
幼馴染みの四人が引く程に過保護になった原因を察した。
それと同時に深く納得もした。
過度な自虐趣味とも取れる人格形成はその独特な環境のせいか。
人目を惹きつける華やかな容姿と相反し、生来内気だという性格も災いしたのだろう。
アースィム至上主義を恥ずかしげもなく掲げているおかげかどうかはどうでも良いが、自己肯定感の塊に育った戦闘狂の男どもと繊細なアースィムは違う。
戦いを忌避する負い目と嫌われ者だという思い込みが気付かれぬまま放置された結果、今に至ったに違いない。
とは言え、だ。
両親はおろか兄姉までもが末弟を蝶よ花よと育て慈しみ、幼馴染み達は終始アレだ。
全肯定供が身近に溢れているのに悪いものにばかり目を向けたのはどう贔屓目に見ても愚かとしか言い様がないが、その愚かさこそがアースィムの個性であり魅力であるなどと言い訳し愛おしく思う私も相当である。
余談だが、すっかり捻くれた心の内に私の想いだけ届いた答えはすぐに判明した。
当人の口からだ。
『テオを初めて見た時、心臓がギュンッてなったんだ。だからきっと最初から好きだったんだと思う』
もじもじと私の指先を摘んではにかんだアースィムに、要するに一目惚れかと頷いた。
テオはと問われ、言葉と笑顔が刺さったと伝えたら翌朝の喉に不調をきたした。毎回コレではいつか声帯を失うと専門医を常駐させる事にした。蛇足だ。
兎に角、無自覚ながらも想いがあったからこそ、私の好意を否定したくないアースィムは受け入れるしかなかったのだろう。
それらを踏まえた上で私の取るべき行動を考える。
愛でる。
この一言に尽きる。
幸いその要素には事欠かない男である。私は労せず思う通りに振る舞えるだろうと、そのように考えていたのだが。
(足りない)
圧倒的に、アースィムとの時間が足りていない。
ようやく帰国したと思えばサウスレーデン絡みの後始末に煩わされ、削りに削られていく時間。
部屋に戻るのは夜中で、共に食事を摂ることさえままならない。
アースィムに労られ甲斐甲斐しく世話を焼かれ、腕に包まれ意識を失うように眠る日々。
帰還パーティーのあった夜と一目惚れの話を聞いた日に深く肌を合わせたきり、時間を気にかける顔を無理やり私に向かせて奪うような生活がもう二ヶ月だ。私は苛立っていた。
「テオ、昼ごはん置いておくよ」
次から次へと運び込まれる紙の束が山となっている机上に置かれたのは、時間を惜しむ私の為にとアースィムが手ずから用意したサンドイッチである。
食べやすい一口サイズかつ、手が汚れないようにと紙に包まれている。
それらを用意する調理場として寝室と同じ階の空き部屋を急ぎ改装した。当然だ。私が見られない調理中の姿を他の者が見るなど言語道断だ。
「いつも済まないな」
「うん。テオが好きなハムも挟んだからきっと気にいると思う」
「そうか」
楽しみだと顔を向ければ額に唇が触れ、柔らかく細まる瞳。
チッと舌を打った。
「テオ?」
「ベッドに引き摺り込んでやりたくなるから止めろ」
眉間に皺を寄せ手元に目を戻した端、アースィムは俄かに赤くなった顔で書類を一山抱えた。
「仕事、もう少し手伝う……」
「無理はするな。だが可能な限り手伝え」
「うん」
働けと言っただけで声を弾ませるとはどういう了見だ。
今すぐ隣に押し込んで身体の線を見せつけてくる卑猥なシャツを剥ぎ取ってやりたい衝動をグッと抑え込み、気を紛らわせる為にペンを走らせた。
(花畑と親バカは一体何をしている)
王族もこの書類の采配が出来る人間も私だけではないはずだ。それだというのに何故減らない。
一ヶ月も休んでいただろうと口端を引き上げた王妃が浮かび、殺意が込み上げた。我が母ながら忌々しい事この上ない。
何が休みだ。
サウスレーデンの役立たずの官僚と国家に背いたアルストリアの駐在官達を総入れ替えしたのは誰だと思っている。この私だ。代理統治者としてやって来た筈の叔父が貴族との交流があると書類仕事から逃げたからだ。
属国といえどもやり過ぎては禍根の種になるなどという甘い考えは捨て去った。
城内の汚染を徹底的に取り除き、治療薬の量産を急がせ、責務も果たさず喚くばかりの貴族どもも粛正していたのだ。
休む暇などある筈もなく、帰国し多少は時間が取れると思えばこの仕打ちときた。
だがどれ程腹の虫が収まらなくとも仕事は容赦なく積み上がっていく。
そんな私の目の前で応接セットを陣取り用意された菓子を摘む三人組と、書類の仕分けを行う仔栗鼠を抱え込む体勢で背後に座りその頭に顎を乗せている一人。
どちらも目障りでしかない。
「そう言えば先程は大丈夫でしたか?アースィム様」
王太子の執務室で堂々とイチャつく阿呆の片割れが上げた声に、ピクリと眉が動いた。
「ああ、大丈夫」
「なんだ大将。何かあったんか?」
「シバくか?」
だらしなく預けていた身を起こしたカーミルとサジェドが騒めく。
騎士が出払っていて暇を持て余しているのだろうが、何故ここで寛ぎ、何故私の文官であるサイラスは役立たず共に茶などを注いでいるのか。
「お、悪ィな」
「いえ。お口に合えば宜しいのですが」
この文官のサジェドへ向ける視線は蕁麻疹が出そうな程に甘い。
気付かぬ訳でもないだろうに、それを向けられている当の本人は寝ているディルガムの頭に膝を占領され腹に巻き付かれて平然としている。
サイラスに自殺願望があるのならば早々に後任を見つけておくべきだろう。
「いつものだ」
殺気立ちかけていた幼馴染み達に、式を目前に控えてより一層ベタベタと婚約者を甘やかしている男が楽しげに笑う。甘やかしたいのは婚約者なのか幼馴染みなのか。どちらもか。
途端に肩から力を抜く姿は相変わらずであり、こいつらの過保護な溺愛は一生治らない不治の病だと呆れた。
「まーた告られたのかよ。ここんとこほぼ毎日じゃん」
「男?女?」
「女。あんまモテんのも面倒臭そうだよな」
「え?」
全く他人事のようなイザームを信じ難いと言わんばかりのルーカスの心境などはどうでも良いが。
「手を動かせルーカス」
「はい」
「で?どんな女?」
「研究者じゃねぇか?」
素直に作業に戻るルーカスを他所に続く興味本位な会話。
増設した研究室と近衛騎士団再編の流れで城に出入りする人間が増えた為か、連日のように耳に入ってくる不快な話に気分は悪くなる一方だ。
王太子配に堂々と告白するその神経は鋼鉄以上の何かで出来ているとしか思えず、理解も不可能だ。アースィムを好きだと言うのならば妾や愛人を囲う男でない事くらいわかるだろう。僅かな時間だけでも向き合って話をしたいという狡い魂胆が丸見えだ。
そもそも、まごう事なき王族であるアースィムを呼び出すなど有り得ない話である。
不遜、不敬極まりなく、何度嗜めても応じるアースィムもアースィムだ。
大事な話かもしれないしではない。何故学ばない。そうか、肯定感が皆無だからか。ではいつまでそんな下手な言い訳を繰り返すつもりだ。
私の苛立ちは限界に差し掛かっていた。
「アルストリア人は律儀だよな」
「………何?」
機嫌良く響いた声に室内が静まり返る。
今度は一体何を言い出した、私の伴侶は。
「わざわざ来てくれるだろ」
(来てくれる、だと?)
理解不能な言い回しの追加だ。
混乱しかけ、直ちに思考を整える。
最近の呼び出しの主は新たに赴任して来た者ばかりだという。
そしてアースィムは城や王宮に出入りする人間全ての顔と名前を把握している。人手が足りずにほんの数日臨時採用した庭師さえもだ。
私に危険があってはならないからと当然の顔でそれを成している男の思考回路を辿り、導き出された結論は。
「アースィム、大陸中を探しても初対面から想いを告げる挨拶など無い」
「そりゃ、最初は驚いたけどさ。俺って大体ぼっちだからみんな気を遣ってくれてるってわかったんだ」
「ぶふッ」
噴き出したカーミルを嗜める者はいなかった。
何をどうわかったらそうなるのか。
どこの世界に気遣いで告白をする人間がいる。いると言うのなら目の前に連れて来い。正気かどうか確認してやる。
「本当に優しいよなぁ」
周囲の反応に気付かぬ男は運び込んだ机に寄り掛かり、手元の紙面に目を落としては何かしら書き込んで次へ向かう。
恐るべき数の言語を容易く操るアースィムは主に外交関連を担い、他文化への見識の深さと処理能力は疑うべくもないが。
(一周回って馬鹿なのか?)
肯定感だののレベルでは説明がつかない、鳥肌が立つ程の鈍さである。
思わず苛立ちを忘れた私に照れ笑いが向いた。
「あ、でも一応ちゃんと返事はしてるから」
「お。なんて言って断ってんの?」
「そりゃ………すっごく大事な嫁がいるって言うに、決まってるし………」
冷やかし目当ての幼馴染みに馬鹿正直に白状しながら、チラチラと私を見る。その耳は仄かに赤い。
「おー!!ついに言えたか大将!!」
「今夜は祝いだな!!」
「酒、なんかイイもんあったか?」
「披露宴用に準備しているものがあります。開けてしまいましょう」
「んん……なんだ?祭?」
床や卓上を打ち鳴らし上がる歓声。
大真面目に追随するルーカスと、ようやく目を覚ましたディルガムが暢気に伸び上がる。
それらを聞こえぬものと処理した私は速やかに沈黙し、ペンを置いた。
額を押さえて深く息を吐く。
(いちいち何故恥じらうんだ、この男は……)
玉砕前提で告げた者に同情する気はないが、この表情を向けたのかと思うと腹の内から込み上げるものは、ある。
「テオ?やっぱり恥ずかしい?でも俺、嘘吐きたくなくて、だから、」
「それ以上言うな」
「………うん」
目に見えて困惑したアースィムを見ずに制止を放てば途端に萎む。
あーあ、などとわざとらしく呆れた野次が飛んだ。
「大将にゃ伝わんねぇぞ、そんなんじゃ」
「イザームにも伝わんなくね?」
「いや、わかるだろ?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。さっきからなんだっつの」
外野に構う暇はない。
萎んだままであるのに書類を捌くスピードの落ちない男の手首を掴み、立ち上がった。
「テオ?」
「来い」
向かう先は当然寝室だ。
私を煽るアースィムが悪い。どれだけ我慢していると思っているんだ、この男は。
「ちょっと、どこに行くんですか!仕事は山積みなんですよ!」
「そいつらに割り振れ。近衛の試験内容辺りは適任だろう」
「なんで俺らがやんだよ」
「嫁って言われたの嬉しいのはわかっけどさァ」
返る不満は全て黙殺する。
ヤツらは王太子の文官と王太子配の直属。
ならば多少は気を利かせるのも役目だろう。
「テオ、まだ昼間だよ」
「だからどうした」
「どうしたって……」
こりゃ朝まで出て来ねぇなというイザームの声と続いたルーカスの悲鳴を背に、足早に引っ張り込んだ室内。
壁に押し付けたアースィムの唇を奪う。
戸惑っていた男の手がそろりと腰に触れ、同時に深まる口付けに酔った。
「……足りない」
濡れた口元を拭う指に短く息を吐けば、アースィムは眉を下げる。
「夜が来ても離してあげられなくなるかも」
「上等だ。それで良い」
「もう……」
気が逸る両手でアースィムのシャツを捲り上げていく。
私も鍛えてはいるが到底敵わない厚みと硬さ、そして伝わる肌の滑らかさは何度触れても癖になる代物だ。
繰り返し唇を喰む私にどうやら諦めたらしい。
「わがまま」
心底嬉しげに喉を鳴らしたその囁き声は、ひどく唆った。
互いに衣服を剥ぎ取り合い、倒れ込むように沈んだベッドの上。
「ん……ッ、は……」
脚間に埋まる黒髪を片手で緩く握り、反対の手で肩を押さえる。
先日の仕返しという訳では無い。アースィムは毎回、いちいち全身を愛でたがる。
指の先から足先まで全てに唇を這わせ撫で上げ、触れていない場所が無い頃になってようやく私自身への愛撫を始めるのだ。そこまで焦らされる身にもなれと何度言っても聞く耳を持たない。
「すごく気持ち良さそう。嬉しい」
「っぁ……」
半ば浮いた腰に大きく開かされた足。
怒張した幹を丹念に舐め上げる舌に震え、掛かった吐息にすら快楽を拾う。同時に、体内を解す指に腰が跳ねた。
「痛い?大丈夫?」
「そこ、で……話すな……!」
「でも舐めてないと垂れちゃうだろ?」
わざわざ見せつけるようにべろりと舐め上げたかと思えば鈴口を啄む。
言えずに終わった文句に代わり熱に浮かされているだろう顔で強く睨むと、口端を引き上げたアースィムが体内にある指をぐるりと回した。
「ッ、……!」
「テオはココが好きだよな。触るといっぱい溢れてくる」
言うや否や前立腺を二本の指で擦り始め、堪らず足先を丸め強く握り込む。
そうでもしないとそこで快感を得る事を覚えた身体はすぐに達してしまいそうだった。
力を込めた腹を長い指が這い、潜り込んだ指のちょうど真上あたりを弱く押される。自我とは別の所で溢れるモノは止めどなく滴り落ちていく。
「我慢しないでいいのに……」
際限を知らないアースィムとは違う。
馬鹿を言うなと伝える為に開いた筈の口からは次から次へと嬌声が漏れた。亀頭を咥え込んだアースィムが手の動きを速めたせいだ。
アースィムに抱かれるのは好きだが女のような声を上げるのは好きでは無い。
いい歳をした男が霰もなく喘いでいたら客観的に見て悍ましいだろう。遠目では女に見えなくもないルーカスならば或いは、違うのかもしれないが。
第一、私は閨教育でしかこういった行為をした事がなく、またしたいとも思わなかった。アースィムに出会うまでは性行為そのものに興味が薄いと自認していたのだ。
「ぁ、あ……ッ…」
だからこそ耐えられずに漏れ落ちる声に当初は愕然とし、どうにか抑えようと歯を食い縛ったものだが。
「かわいい。テオの声本当に好きだ。もっと聞きたい……聞かせて」
恍惚と囁かれる度に理性が崩れていく。
アースィムは私が我を忘れる程に悦び、更にと弱い場所ばかり狙って責め立ててくる。それのせいで休日明けは喉に不調を来たすというのに、とんだ鬼畜である。
「アー、スィム…ッ……もう、いい……っ」
「でもまだイッてないから」
「いいと言っている……!」
息を乱しながら両手で髪を鷲掴み押しやった。
往生際悪く舌先で鈴口を嬲り、上目に私を窺う姿に苛立ちに似たものが込み上げる。
毎回毎回、わかっていて確かな言葉を欲しがるのは無自覚の確認なのか、それとも単に言わせたいだけなのか。どちらにせよこれ以上されては堪らない。
「早く欲しい……来い」
今更恥など覚えるだけ時間の無駄だ。
何より、この男がこの程度で喜ぶのならばいくらでも口にする。
掴んだ髪に指先を絡めて見つめた。
瞬きの間だけ表情を消したアースィムが無言で覆い被さって来る。
唇を塞がれる度に思うが、私のモノを散々舐め回した舌を入れるのはどうなんだ。
などと眉を顰めたのは一瞬。
片足を持ち上げられ、グッと押し当てられた昂りに喉が鳴る。
この先への期待。
私の身体に反応しているアースィムへの愛おしさ。
毎日のように抱かれているとはいえど、挿入時の違和感と圧迫感は拭えず無意識に強張る身。
「力、抜いて」
顔の横に片方の肘を置いたアースィムが顔中にキスを落としながら囁く。
腕に乗せた足を宥める手と輪郭を伝う唇は甘ったるく擽ったい。
真横にある腕に額を押し当てた。美しい褐色の肌を啄みながら求める。
「は…、……アースィム……」
「ッ、」
ごくりと喉を大きく鳴らしたアースィムが腰に力を入れ、相変わらずの質量に身が戦慄いた。
ぐ、ぐ、と割り開かれ侵入する楔は熱く脈打ち、私が欲しいとしきりに訴えてくる。
途中で耐え切れず弾けた私自身を片手に包み込み、塗り広げる親指に声が断続的に跳ね上がって。
「セオドア、愛してる」
なんとも艶やかな低音にゾクゾクと背が震えた。
アースィムのこの声を聞くのは私だけだ。
己が唇を舐め濡らす様の淫靡さを知るのも、私だけ。
根元まで収まってしまえば後は暴力に似た快楽の波が押し寄せては引いていく。
繰り返し、繰り返し。
そうして言葉も思考も奪われ、私を苛む男に身も蓋も無く縋り付くしかなくなっていく。
「もっと感じて。俺だけ見て……ずっと…」
「っ、ん……!」
頬から耳へ唇を滑らせたアースィムが甘く掠れた声で何度も私を呼ぶ。その荒く乱れる呼吸すら快楽へ変わった。
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私を見下ろしては心底愛おしいと語る、瞳も。
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この男が愛おしい。
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アースィム。
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いつの間にか囚われた片手指を握り込み、揺さぶられ突き上げられる中で最後まで残るのはただ一つ。
(わたしも、あいしている)
それを口に出来ているのかどうかは、定かでは無い。
カーテンを下ろす音を微睡みの中で拾った。
瞼を持ち上げぬまま隣を探る。いない。いつの間に抜け出したのか。
「……とう。うん、……大丈夫、朝には………よ」
アースィムの声が聞こえる。
相手の声は届かず、この部屋に来るならばと夢現に思考していた矢先。
「あとイザーム、サジェドに東のウェイン伯爵を探って貰えないかな?収支報告がおかしいんだ」
(それは初耳だが?)
一気に覚醒した。
上半身を起こそうとして着いた手だったが、途中で力が抜けた。枕に沈み込み唸る。
何度交わったのかは覚えていない。
途中から加減を忘れるのはアースィムの常にしてもいつにも増して激しかった。身も蓋もなく鳴かされ、奥の奥を暴かれては注がれた。
───孕まないかな。……孕ませたい。
耳元で再生された呟きはどうかしているとしか思えない。
孕む訳がないだろうとそんなような言葉を返した辺りまでは記憶がある。だがその後が続かない。意識が途切れては揺り起こされ、随分と深く愛されていた気はするが。
身体はスッキリしている。
シーツや枕も清潔なもので、いつも通りにアースィムが清拭し交換したのだろう。
「……………」
「ごめん、起こした?」
執拗に突き上げられた腹を撫でている内にアースィムが戻って来た。痛みがある訳ではない。無意味な行動だった。
ベッドが軋み、すぐ背後に腰を下ろす気配。
横向きになっていた私に半ば覆い被さり、頬に唇が触れる。そして腹を撫でる手に手が重なると同時、肩を舌先が這った。
「ん……今何時だ……?」
外部を遮るのは天蓋から垂れ下がる布で、サイドテーブルの時計も伏せられている。
痺れる胸の頂を不埒な指先が摘み上げるのに息を逃がし、相変わらずの嗄れ声で問う。アースィムの動きが止まった。
「………気にしなくて平気だよ」
「待て」
続行しようとする手首を掴む。
何故はっきりと答えない。そう考え、気が付いた。
この部屋に誰かが近付く時間は決まっている。
相手が侍女であるミーナやマリアであろうと構わずに殺気を放つアースィムがいるからだ。
嗜めた私に目を丸くしていた辺り、本人は完全に無自覚らしい。縄張りを荒らされた野生動物を彷彿とさせた。
朝から夕方までがその被害を受けない時間帯である。ならば少なくとも日付けは変わっている。
「アースィム?」
「…………さんじ」
成程。
それはなかなかの惨事だ。
(流石に不味いか)
時間が取れずに溜まっていた苛立ちは彼方へ消えている。ならば勤めを果たす順だろう。
気怠く起こした上半身は合わせて動いたアースィムに抱き寄せられ、包まれる。
汗に張り付いた髪を横に流されながら落ちる口付け。
「おい、止めろ。先に仕事を片付ける……」
語尾は唇に吸い込まれた。
薄く割り開かれ囚われて、気がつけばその腕を掴みこちらからも絡めてしまう。
「ふ……、ん…」
合間に愛称を囁かれてずくりと疼く。
余韻に浸り過ぎている。
しかし離れ難いと眉を寄せていると軽いリップ音が終わりを告げた。
「テオが見る必要があるのだけ、そこに置いてあるから」
「他は」
「終わらせといた」
(あの量を?)
などと思うのは今更だろう。
額を首筋へ擦らせ甘えてくる。
その柔らかく整った美貌と、こうした愛らしさばかりが際立つこの伴侶。
口癖のように私を「完璧」と讃えるが、その言葉に最も近いのはアースィム自身だろう。
私は完璧でもなければそうあろうとした事もない。
アルストリアの王子として皆が傅くに値する人間であれとだけ胸に刻み生きてきた。それはアースィムがいても変わらず、今後も変わる事はない。
(……いや、少しは変わったか)
以前の私に仕事を後回しに考えるようなものは無かった。
やるべき事をやらず愛欲に溺れては些か威厳に欠ける。今回のこれを戒めに休日は確実に手にしていかねばなるまい。
「急ぐのもないからもう少しこうしてたい。ダメ、かな?」
「駄目な事などあるか。私も同じ気持ちだ」
簡単に翻った自省。
ウェイン伯の件を問い正さねばならないというのに、アースィムが動いたならば大丈夫だろうという確信がある。
実に新鮮だ。
喉を揺らして笑いを息に乗せる。
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「俺が?」
私もそれなりに重いだろうに体重を掛けてもビクともしない。
肩に散っている黒髪を掬い、唇を寄せた。
「私を甘やかすだろう」
「そう、かな?甘えてくれるなら、すごく嬉しいけど……」
「ならば素直に喜べ」
言い放ち、次は右腕に残る傷をなぞる。
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「そうか」
意味のない返事だ。
近付く顔に再び顎を持ち上げる。
美しい男だと思う。
愚かな程に純粋で繊細。
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長く纏わり付いた殻を破るのは容易ではなかっただろうに。
何年もかけて閉ざしてきたものをようやく開いたのだ。
誤認も、臆病さも、すべてを抱えたまま。
それでも前へ進むことを選んだ。
「アースィム、私はおまえを誇りに思う」
目を細めて告げる。
幾度か瞬いた男はやがて、くしゃりと顔を歪ませた。
改めて抱き寄せられて肩に額が乗る。
微かに震える背を撫でてやれば小さく聞こえた謝罪。
「おまえがすぐに泣くのは今に始まった話ではないだろう。私の前だけなら構わない。いくらでも泣け。寧ろ泣け。存分に愛でてやる」
「………テオはたまに、すごく意地悪だ」
不満を露わに上がった顔に、私はいよいよ声を立てて笑った。
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