婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。

零壱

文字の大きさ
11 / 17

羽化・5

しおりを挟む
※奴隷関係苦手な方は全力で飛ばして下さい!!







服だけは動き慣れたクルシュの民族服に変えた。
黒地に赤い、ウチの伝統刺繍。
カッコよくてお気に入りの腰巻きはテオと結婚した夜に着ていた大切な服だ。半裸はダメだから訓練用の長袖の黒いシャツも着ている。

黒い手袋まですると刺繍と組紐以外は真っ黒でなんだかヘンかなと思ったけれど、手のひらの傷もあるし素手で触りたくないし、まぁいいかとそのままにした。

それに赤はテオの目の色だ。
この世で一番好きな色だ。
離れているのに一緒にいるみたいで、少し、嬉しい。

ガタガタと馬車が揺れる。
テオが普段使いにしている物とは大違いの、何の式典でもないのに無駄にギラギラとぜいらした三頭引き。
内部までもがやたらと輝いているせいで疲れてしまう目は、乗り込んでからずっと窓の外へと向けていた。

「アースィム様、どうしてこのような仕打ちをなさるのです」

対面から不満そうな声が上がる。
そりゃそうだ。縛られるのなんか誰だってイヤだ。
腕を緩く組んだ俺はニコリと笑って見せた。

「よく似合ってるよ」
「……アースィム様がお望みなのでしたら、こういった嗜好もやぶさかではございませんが……」

すりすりと寄せられる足に迷わず胡座をかいた。
触れなくなったからか、両手を胸の前で拘束してあるリカルドが頬を膨らませる。

「屋敷に着いてからではなりませんか?人目につきますし、いくらなんでも外では……」
「乗った時みたいに隠せば大丈夫」
「ですが……い、いえ!何でもございません!」

言い募る男に目を細め、笑顔を消してひたと見据えれば慌てたように口を閉ざした。それを都合良く解釈してまたニコリ。

「リカルドならわかってくれると思った」
「えぇ!えぇ、そうですとも。私は誰よりも貴方を理解しているのですから当然です」
「ありがとう。嬉しいよ」

今度はほんの少し柔らかく微笑んで。
顔を火照らせ、アースィム様はああだこうだと紡がれる内容に耳を傾けるフリをする。聞く必要のない無意味なごますりだ。
いつもなら何かの意味があるのかなと考えるところだけれど、今はただ耳障りなだけだった。

ギリギリで我に返ったおかげで手にかけずに済んだ。だからってあの言葉を聞き流したわけじゃない。
これだけ口の軽いこの男が重要な話を知っているとは思わないし、用が済んだ後に生かす理由はない。

(侯爵を呼ばせたら黙らせよう)

迷いも恐怖もすっかりせた思考回路はどこまでも一定で、静かだ。
これを怒りと呼ぶんだろうななんて、他人事のように理解した。

幼馴染みのこととなると弾けるみたいにキレるイザームを思う。
頼もしいと思う反面、どうして自分の立場が悪くなるようなことをするのかわからなかった。正直、大人げないなぁなんて思うこともちょっとだけあった。

(今ならわかる)

あの場にテオがいなかったのは幸いだ。
あんなものを聞かせずに済んだし、もしテオに聞かれていたらと考えるだけで押し込めている殺意が滲み出そうになる。

それもあってこの男の両手を縛った。

俺の見張りだったんだろう。
着替える為に入った部屋にまで着いて来たリカルドは、服を替える最中食い入るように見つめてきた。
鳥肌が立つほど気持ち悪くて、香りが云々以前にこれ以上ベタベタと触られたくもなくて。

心配を浮かべたマリアが持って来てくれたお気に入りに着替えるついで、たまたま目についた紐はちょうど良かった。
困惑や拒否は無視した。
次に触られたらいよいよ我慢が出来なくなりそうだ。

(まだダメだ。もう少し)

あと少しだと言い聞かせるように繰り返す。
自分の中にこんな衝動があっただなんて知らなかった。

(まぁ、戦の英雄だなんてただの大量殺人鬼だもんな)

行く必要のない戦にその場の勢いでしゃしゃり出て剣を振るったくらいだ。幼馴染み達みたいに力比べや手合わせを楽しんでるわけでもない。
そんな俺は、正しく英雄なんだろう。
自覚のなかった人殺しえいゆうだ。
目の前の男の息の根を今すぐに止めたいと望むのも頷ける。

「着いたようです」

停まった馬車に手を動かす。
ズレていた俺の上着を掛け直して罪人の拘束を隠す。

「アースィム様、御手を貸して頂けませんか?両手がこの状態ですので降りられなくて」

先に降りた俺の背に掛かるのは、そうするのが当然だと言わんばかりの依頼。

乗る時もそうだったんだけど、たかだか両手の自由を失ったくらいで乗り降りが出来なくなるわけがない。
そんなに俺を飼い慣らしてるアピールをしたいんだろうか。したいんだろうなと思う。

両手で腰を掴んで地面に下ろす。
無感動な作業。
当然すぐに離れた。

馬車は狭くて小さくて苦手だ。
それに充満する濃厚な匂いに呼吸を調整し続けていたんだ。少しくらい自由に酸素を取り込みたい。

「おまえ達!アースィム様の御前だぞ!何をぼうっと突っ立っている!」
「た、大変申し訳ございませんリカルド様!王太子配殿下がご一緒だとは思いもよらず……!」
「ふん、教えてやった私にせいぜい感謝するんだな」

迎えに出てくれた使用人達を怒鳴り付け、地面に頭を擦るほど平伏した姿に鼻息荒く胸を張る。
城では被っていたらしい猫が屋敷に着いた途端に剥がれ落ちる様は、醜悪以外の何者でもなかった。

「躾が行き届いておらず申し訳ございません、アースィム様。高貴な貴方の御姿をこの者どもが目にした無礼をどうかお許し下さい」

怯え震える使用人達を見下みくだす、人を人とも思わない得意げな顔。
クルシュ人は高く売れるらしいと笑った山賊たちの記憶が甦る。
もし俺が王太子配じゃなかったら、この男は使用人へ向けているものと全く同じ目で俺を見るんだろう。
こういう人間がいるからいつまで経ってもクルシュくにを開けないんだ。

(俺たちはモノじゃない)

心底、吐き気がする。

「そんなことはしなくていいんだよ」

リカルドに返事をしないまま執事と思わしき年老いた男の肩を丁寧に起こす。
片膝を着いた俺を見上げ、何拍か置いてから驚く目は濁り、手の震えが大きい。

アースィム様?と訝しむ背後の男になど構わずに、一歩後ろで同じように土下座していた三人の使用人達にも声を掛けた。

「君たちも顔を上げて。突然来てごめんな。大袈裟なことは苦手なんだ。だから俺へのもてなしとかもいらないよ」

声に出さず首を縦に振って頷くのは俺への配慮だ。
貴族社会では目下の者は目上の者から許されないと発言する自由がない。こんな場面でもだ。

「俺への返事や声掛けは自由に」

いちいち面倒だけれどそれがこの国のルールだから。
肩を支えて立ち上がりながら、他の三人もこの執事と同じ濁りがあると素早く判断する。
目に見えて反応が鈍く、症状は近衛より軽度。
この様子だと他の使用人達も似たり寄ったりだろう。

「し、下々の者にまでなんてお優しいのでしょう!さすがは私のアースィム様です!」

(おまえのモノになるくらいなら舌を噛み切った方がマシだけど)

そんな言葉は嚥下して。
力を入れずとも抑えられたそれを腹に積もらせ、媚びながら寄って来たリカルドに俺はわらう。

「リカルドの部屋に案内してくれるんだろ?」

ここまで来たんだ、茶番はもう十分だろう。
これ以上付き合っていたら頭がどうかしてしまいそうだった。さっさと侯爵を呼び戻させて屋敷内の様子を確認したい。

ただそれだけの意図を持った俺に、リカルドは強い興奮を見せた。
ここはまだ玄関先で使用人の前だっていうのに見て
わかるくらいに期待している。

(期待?)

俺が肌を重ねるつもりだとでも思っているのか。
この男を抱く?俺が?

(有り得ない)

愛を伝えるための行為をテオ以外とする意味がない。
この男がソレを望んでいるんだと知ってしまったら、下らないことをぺちゃくちゃと話し、足早に歩く背に着いて行くのも嫌になる。仕方がないから行くけども。

屋敷の中に入ればギョッとして平伏しようとする使用人達がたくさんいて、その全てにさっきと同じ言葉を掛けながらリカルドに着いて歩いた。

俺の姿にわかりやすく動揺を見せた何人かの使用人には、中毒症状がない。
一様いちように青褪め、俺へ何かを言い掛けては、リカルドや周りを見て怯えた目で沈黙する。

服で隠しているけれど些細な動きでわかる。
片手で押さえた腕、下がる際にぎこちなく固まる足。
驚いてよろけた身体へ手を伸ばした際に、微かに滲んだのは確かな恐怖。

(使用人?笑わせるな)

アルストリアでは奴隷の所持と人間を売ることを禁じられている。
買う行為を許されるのは、購入した後に奴隷として扱わない誓いを立てた者のみだ。破れば重い処罰が下される。

でも、法は万能じゃない。
この男のように権力を盾に平然と侵す人間はいる。

(……こういうのは、本当に嫌だ)

彼ら彼女らを目にするごとこごえていった。
指の先からこおりつき、握ってもいないのに止まる気配のない血だけが無意味にあたたかかった。

螺旋の階段を上がり、進んで。
辿り着いたそこはひと気のない廊下を曲がってすぐ。
突き当たりだ。

「どうぞこちらに、アースィム様。……アースィム様?何かございましたか?」

表情の消えた若い男の使用人に扉を開かせていたリカルドが、また足を止めた俺を見て寄って来る。
止まった理由である少女の前にさりげなく立ち、男からの視線を切った。

「あぁ、その者は奴隷だったのを救ってやりましてね。元々が学のない異人ですから躾に時間が掛かって仕方がありません。失礼があったのなら後程仕置きをしておきましょう」

嘲る声に背後で一層大きく震えるのは、褐色と呼ぶには薄い肌色に独特な黄色い瞳。
自然と平和を愛する、南国イデアの民だ。

「……俺も異人だよ」
「いいえ、アースィム様は違います!お美しくお強く、何より王太子配殿下ではございませんか!そのような者とは命の価値が違うのです!」

リカルドは意味のわからない持論を喚き、何かを思いついたようにニタリと口を歪めた。

「私と愛を語らった後でしたら存分に使ってくださって構いませんよ?多少激しくなさっても壊れはしませんし、こういった教育でしたら行き届いておりますので」

俺が掛けた上着をズラし腕を持ち上げる。
拘束を示しながら浮かべた、下卑た笑み。

(あぁ、)

この子や扉を押さえる男に見せたいものでもないし、侯爵を呼ばせてからにしようと思っていたけれど。

「あまり乗り気ではございませんか?やはり男の方がお好みでしょうか。それでしたらそこの男や、他にも何人かご用意が」
「もういい」

独り言に似たそれは、目の前に届かなかったらしい。
首を傾けて悪びれず見上げてくる瞳。

「何と仰いましたか?アースィム様?」

ベラベラと語る首元へと左手を伸ばす。

「下衆が」

呟き、我慢を止めた。
力を込めれば瞬く間に終わる。
不快な音が鳴り響く。
だらりと四肢を垂らしたリカルドを引き摺って、案内されるはずだった部屋の中へ投げ捨てた。

黙ってことの成り行きを見ていた使用人はやっぱり静かなままだ。
俺が離れた後にパタンと扉を閉める。

「ここは空気が良くないから、ついておいで」

少女の元に戻りながら、静かな男を誘う。
彼は少し間を置いてからこくりと頷いた。
年齢はたぶん俺と同じくらい。
薄い茶色の髪の、ガラスみたいに綺麗な男だ。

二人の目に濁りはない。
気に入った人達だけは麻薬で壊れないように薬を与えて、暴力と恐怖で心を破壊しているんだと、思う。

「オマエ、誰、デスか?男、死?」

十代の半ばを過ぎたくらいか。
片言のアルストリア語を紡ぐ少女が俺を見上げてくる。
そこには純粋な戸惑いが浮かんでいた。
俺のことを新しい奴隷だと思っているのかもしれない。似ている肌色が良かったんだろう。

血で汚したわけじゃなかったけど、手袋は捨てた。
この少女達のそばに居るにはあまりにも汚かった。

『俺はアースィム。君は?』
『……ファーラ。アースィム、あなたの目は黒いけど、イデア人なの?』
『クルシュ人だよ、ファーラ。知ってる?』
『知らないわ。イデアの近く?』
『ずっと遠くだ。山の中にある。とってもいいところだよ』
『山は見たことがないの。木がたくさんあるって聞いたわ。ほんとう?』

ファーラはイデア語を話す俺にぎこちない笑顔を見せる。年頃の少女らしい好奇心も覗かせる。ここに来て間もないのかなと思った。心はまだ生きている。
なんて、なんの慰めにもならないそれに、短く息を抜いた。

どうやって侯爵を呼び戻すか。
使用人に俺のことを伝えさせたら戻って来るだろうか。
考えを巡らせながらファーラと他愛ない話をしていると、壊れ物を扱うように右手を取られた。
優しく、気遣う手だ。

「……けが、してる……」

止血の布が意味を成していないと気付く。
手が汚れるのも構わず、その上から真新しいハンカチを巻く男が消えてしまいそうな声で囁いた。
痛くないと伝える代わりにへらりと笑って見せる。

「ありがとう。なぁ、君はクルシュやイデアを知ってる?」







城で俺の話を聞いたらしい。
考えている内、呼ばずとも勝手に帰って来た侯爵とは挨拶すら交わさなかった。目が合う前にほふり、リカルドであったモノと同じ部屋に放り込んだ。

使用人達が麻薬中毒だ。
まどろっこしい証拠集めは要らない。

侯爵に追従していた近衛騎士達は主人の首を折った俺を濁りの浮いた目で見てから、近衛のバッチを引きちぎった。そして、力なく両膝を着いた。
弁解の一つもなく首を差し出す姿に、何が起こっているのかを理解していたんだと知る。

「その心に騎士の誇りが少しでもあるなら、助けが来るまでの間、どうか彼らを守って欲しい」

声を上げなかった彼らを罰するのは俺じゃない。
ホールに集めていた使用人達を示し、それだけ伝えた。

ファーラとエルナーが案内してくれた侯爵の部屋。
慎重に見回した後に壁を叩き、音の違う部分を躊躇いなく蹴破った。
そこにあった隠し金庫も叩き割る。

物を壊すから部屋から出そうとしたのに二人はずっと隅にいた。俺から離れるのを恐れているのかもしれない。
ファーラ達には、顔色も変えずに人を殺した俺よりもずっと怖いものがあるから。

花の送り主が叔母夫婦というだけでなく武器の材料となる鉄の横流し帳簿まで見つかり、思わず呆れた笑いがこぼれ落ちる。
簡単に見つかったのは楽だけど、さすがあのリカルドの兄貴だなと思った。

見るに、戦後の王の交代以降、落ち着いてからのようだ。
テオ達が選んだその王は穏健派で物騒なことを考えるような男ではなかったはずだけど。

(どうでもいいか)

特別な感想はない。
戦でも起こして属国という立場から逃れようとしたのかもしれない。でもそんなことにはならない。関わった人間は全て排除する。

叔母夫婦、宰相、公爵に伯爵や男爵。
ご丁寧に記載された名前を記憶し、今なら隣は社交シーズン中だから全員城下にいるだろうと予測したけど、寄れるなら領邸も確認していった方が手間がない。
国境から先、城へ向かう途中にある領とその屋敷の在処ありか
頭の中の地図を攫って経路を決めていく。

帳簿を持った俺がホールに戻ってからも暫くは膝を着いていたままでいた元近衛騎士達は、今は立ち上がり、混乱している使用人達と目を合わせて話をし始めていた。
申し訳ないけど城からの救援が来るまでは屋敷から出ないで欲しいと伝えたから、執事と食料の在庫などを確認している。
だからテオならきっと、悪いようにはしないと思う。

侯爵が大量の薬を抱え込んでいたおかげで全員に四日分ずつ分けることが出来たのは良かった。
元近衛達の分もある。
その作業は中毒症状のない人達に手伝ってもらった。

『窓を開けて来たわ。アースィム、何を書いてるの?』

応接用の椅子に座ってペンを走らせていた俺に声を掛けて来たのはファーラだ。

『手紙だよ』
『手紙?』
『うん。大切な人を守るための手紙だ』

申立書に文字を書き連ねながら答えた。
医療箱を持って来た男に捕まっている右手は止血の薬をこれでもかっていうくらいに塗られてグルグル巻きにされている。

「エルナーありがとう。でも、すごくへたくそだ」

足元に座り込んでいる男がごく微かに不満そうに唇を結んだ。
俺は喉を鳴らして笑う。
ガラスみたいな男の名前はファーラが教えてくれた。

『アースィムは不思議ね。とても大きいのに怖くないわ』
『うーん、どうしてかな?俺が誰よりも怖がりだからかもしれないな』

ペンを置く。
丁寧に折り畳んで、卓上に置いたまま眺めた。

『怖がり?あのクソ野郎たちを殺してくれたのに?』
『うん』

スラングを口にしたファーラに肩を竦め、ゆったりと左手を差し出す。
彼女は僅かに息を呑んだ。

「……アースィム……」

エルナーが腰巻きの裾を弱く引く。
俺を嗜める。

少女を守ろうとするその健気さに、怖いだろうにそろそろと近付いて来る少女に、痛む気持ちを押し隠して柔らかく微笑んだ。

そうっと手が重なった。
緊張に強張った、冷えた手だった。
握り込まず、互いに腕を伸ばした距離で言葉を紡ぐ。

『ファーラ、ここが解放された後は俺と同じクルシュ人を頼るんだ。彼らも男だけど、イデア語が話せるから力になってくれる』

イデアはアルストリアと交流のない、遠く離れた国だ。
他にイデア人が見当たらなかったこともあって無責任に幼馴染み達をアテにした。暴れん坊だけど女子供にはすごく優しいから。

『……アースィムは?』

ファーラが初めて不安を滲ませる。
嘘を選ばずに素直に打ち明けた。

『俺はやらなきゃいけないことがあってそばにいられない。身体はデカいし顔もちょっとだけ怖いけど、みんなすっごくカッコいいよ。俺の大切な幼馴染み達なんだ』
『……エルナーも一緒?』
『仲が良いの?』
『いつも、手当てをしてくれるの。エルナーの方が酷く殴られるのにもう痛くないからって言うのよ。でもそんなのウソだって知ってるわ。だから、私が守ってあげたいの』

(もっと苦しめれば良かった)

一瞬頭をよぎったそんな後悔はすぐに抜けた。
踏みにじられ傷ついた心はアイツらの苦痛なんかじゃ治らない。
優しいこの子達の視界に二度と入らないように一秒でも早く消してしまった方がいい。

「大将」

どんどんとくらく沈む心を引き留めるようにホールに響いたのは、聞き慣れた幼馴染みの声。
いつも通りに大股で歩み寄って来るイザームを見て息が溢れた。
安心したのかもしれないし、時間を知って我に返ったのかもしれない。自分の事なのによくわからない。

悲鳴も上げずに怖がったファーラが俺の手首を両手で掴んだ。
知らない男を恐る恐る見て、俺と同じ褐色肌に瞬く。その間、エルナーは微動だにしない。

「イザーム、そこで」

聞き取りは少しなら出来ると教えてくれたファーラにもわかるように、ゆっくりと口を開く。
離れた場所で足を止めたイザームはファーラとエルナー、そしてホールの様子を見渡して眉を寄せた。

「マジでクソったれだな」

吐き捨てる声にあらゆる嫌悪を滲ませている。
ブルブルと震えるファーラや表情を消してしまったエルナーの姿は、俺達にとって身近なものだ。

「ファーラとエルナーだ。侯爵領の制圧が終わったら面倒を見てあげて欲しい」
「そりゃムリだ、大将」

きっと二つ返事で頷いてくれると思ったのに、イザームはアッサリと首を振った。
驚いた俺は思わずファーラと目を見合わせる。不審な顔をされて少し慌てた。

「あ、あのイザーム?ファーラはイデア人で、城でイデア語が話せるのはたぶん俺達だけで」
「そんでもムリなモンはムリだ。俺は大将と隣に行くから、頼むならディルガムだろ」
「え?」

(なんで急に……今まで作戦を嫌がったことなんてないのに)

サウスレーデンにイザームが行ったら侯爵領は誰が行くんだ?
カーミルに行ってもらったら調合の準備が追いつかなくなるしと、目まぐるしく頭を回転させていた途中でハッとした。

(……マズイ)

イザームが一緒に行くってことはだ。
捕まっても仕方ないよななんて考えていられなくなるってことだ。

この男は幼馴染みの中で一番過保護だ。ちょっと名前呼ばれただけでブチ切れるくらいだ。
そんな困った幼馴染みの前で俺がヘマしたら簡単に理性を飛ばして暴れ回ってしまう。

「まぁ、アイツらに言っとくわ」

立てた親指で示されたのは王宮騎士団の三人だった。
いくら少人数でも騎士を動かすのはと眉根が寄る。

(一体誰が動かしたんだ)

深く考えるまでもなく、すぐに答えに辿り着いた。
この状況でここに騎士を送り込むのはテオしかいない。そう気が付いて、困ってしまった。

今度は意識して息を吐き出す。
口許が笑みに歪む。

(だからイザームなのか……)

俺が簡単に諦められないように。
一番強くて一番問題児であるイザームを連れて帰って来いと、そう言われているんだ。

「…………テオ、怒ってた?」
「怒ってたなんてもんじゃねぇぞ大将」

今度はサジェドだ。
天井から降って来て軽い音を立てながら着地し、俺の手首を握るファーラと足元に座るエルナーを交互に見て、うげ、とヘンな声を出した。

「どこでもタラすの止めとけって。ただでさえ王太子ブチ切れてんだからさァ」
「サジェドじゃないんだからタラしたりなんかしないよ」

こんなことしてないですぐ出なきゃいけないのに。
いつもの幼馴染みの軽口に、今の今まで怒りと痛みだけだった感情がじわりと動く。

「伝言だ」

片方の眉毛を器用に持ち上げたイザームは、申立書を取り上げるなり容赦なく破いた。
一生懸命書いたのに。
そう思って、でも、すごくホッとしてしまった。

「手紙の訳は自分でしろ、らしいぞ」
「………恥ずかしいよ」

グルグル巻きにされた右手で顔を覆う。
心配そうな顔のファーラが手首を摩ってくれる。

『ねぇ、コイツらが幼馴染みなんじゃないの?テオってヤツがアースィムをイジメるの?』

凍えていた指先に体温が戻り始めるのを感じた。
戻らないままの方がずっとずっと冷静に動けたのにと泣きたくなった。

(テオには全然敵わない)

泣きたいのに、やっぱり泣きたくはなくて。
情けなく笑った顔をファーラに向ける。

『大好きな嫁が早く帰って来てって言ってるんだ。だから、頑張らなきゃと思って』

甘んじて罰を受けようだなんて、もう思えなかった。




しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結済】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!? あらすじ 「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」 前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。 今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。 お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。 顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……? 「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」 「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」 スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!? しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。 【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】 「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」

十二年付き合った彼氏を人気清純派アイドルに盗られて絶望してたら、幼馴染のポンコツ御曹司に溺愛されたので、奴らを見返してやりたいと思います

塔原 槇
BL
会社員、兎山俊太郎(とやま しゅんたろう)はある日、「やっぱり女の子が好きだわ」と言われ別れを切り出される。彼氏の売れないバンドマン、熊井雄介(くまい ゆうすけ)は人気上昇中の清純派アイドル、桃澤久留美(ももざわ くるみ)と付き合うのだと言う。ショックの中で俊太郎が出社すると、幼馴染の有栖川麗音(ありすがわ れおん)が中途採用で入社してきて……?

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

隣国のΩに婚約破棄をされたので、お望み通り侵略して差し上げよう。

下井理佐
BL
救いなし。序盤で受けが死にます。 文章がおかしな所があったので修正しました。 大国の第一王子・αのジスランは、小国の王子・Ωのルシエルと幼い頃から許嫁の関係だった。 ただの政略結婚の相手であるとルシエルに興味を持たないジスランであったが、婚約発表の社交界前夜、ルシエルから婚約破棄するから受け入れてほしいと言われる。 理由を聞くジスランであったが、ルシエルはただ、 「必ず僕の国を滅ぼして」 それだけ言い、去っていった。 社交界当日、ルシエルは約束通り婚約破棄を皆の前で宣言する。

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

処理中です...