海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿

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第六章 三つ巴

第六十五矢 老将の後悔

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安祥城近くの低山―

「流石に大雨の後の山越えは厳しいわ…」

ゼエゼエと息を荒くして、堀越氏延は僧兵と傭兵たちを引き連れて葉が落ちきった木々の中を進軍していた。

手薄になっている安祥城を今川・松平軍より先に落とし、戦後で疲弊している織田もしくは今川・松平軍と戦う。
それが氏延の策だった。
だが、それにはなるべく今川・松平や織田の軍勢に遭遇せずに安祥城にたどり着く必要があった。そこで氏延が目をつけたのが、安祥城と地続きになっているこの低山であった。
山越えで兵たちは疲弊するだろうが、それを考慮しても手薄の安祥城ならばこの戦力で落とせると踏んだのだ。

(とはいえ、この山道は…)

ぬかるんだ地面に足を取られて、氏延は何度も足を止めそうになる。
その度に思い出す。
今川から追放され、惨めな日々を送っていたあの頃を。

(あの頃に比べたらこんな山越えなど…!)

氏延は歯を食いしばり、再び一歩一歩前進していくのだった。

その頃、矢作川では今川・松平軍と織田軍の攻防が激化していた。

「攻めよ!!」
「何としてでもここを死守するのだ!」

今川軍前線でそんな怒号が飛び交う中、俺は今川軍の後方から前線の様子を見ていた。
開戦直後は織田軍の勢いに押されていたが、現在は今川軍が数の優位と岡部親綱らの奮闘でやや優勢になっているようだった。

「今のところ、我らが攻勢に出ているようですな。」

吉田氏好の言葉を聞いて、俺は言った。

「よしっ、じゃあそろそろ一気に攻めようかな。」

一方、松平軍前線では本多忠高が鬼神のごとき強さを見せていた。
忠高は次々に目の前にいる織田兵を倒していき、敵大将の首を取らんと前進していた。
それに続く松平兵も尋常ではない強さを見せていた。
そうして、さらに前進しようとする忠高の前に一人の老将が立ち塞がった。

「ここから先は行かせぬぞ。」

強者の風格を漂わせる老将は威厳のある声を発す。しかし、忠高はそんな老将におくすることは一切なかった。

「ならば退かせるまでよ!」

そう言うやいなや忠高は老将に躊躇ちゅうちょなく槍を振り下ろした。その槍を老将も自身の槍でなんなく受け止めた。
忠高の目は闘志に溢れていた。
老将はその目を見て、こめかみに血管が浮き出た。

「その眼差し、至極不愉快。」

両者は一旦槍を引き次の瞬間、二撃三撃と激しい打ち合いを始めた。
老将の名は丹羽にわ長政ながまさ
長政は正確には織田軍の将ではない。
なぜなら長秀は織田家の家臣ではないからだ。
彼の主君はは尾張国の国主の期波しば義統よしむねである。
期波は足利将軍家の一族で、かつては尾張国や遠江国など広大な領地を治めていた室町幕府の重鎮であった。
その栄華は時代の流れと共に廃れていく。
幕府の衰退や激しい家督争いなど…数々の苦難の末、期波に残った領地は尾張国だけだった。
しかし、その尾張国さえも実権を織田信秀に握られ、国主とは言えど事実上織田の傀儡かいらい政権と成り果てていたのだ。
一度だけ長政は義統に問い詰めたことがある。
殿、今こそ織田を倒し名実ともに国主となりましょうぞ、と。

その長政に義統は頼りなさそうな顔でニヘラと笑って答えた。

「時代は移り変わる。これはどうしようもないこと。我々はその流れに身を任せるだけだ。」

長きに渡って仕えてきた期波が没落の一途をたどっている。そして、現当主はそんな期波を再興させようともしない。
それが長政にとってはどんなに悲しいことだったか。

(わしが仕えていた主は、そんなものだったのか。)

長政は失望し、その頃から主君への忠義を失い、それと同時に闘志も失った。
だから、長政は目の前にいる忠高が憎たらしかった。
かつての自分のように主君のために闘志を燃やす忠高が不愉快であった。そして、闘志を燃やせるような主君がいることが羨ましかった。

その時、力強い忠高の槍が長政を襲った。
あと少しで身体に直撃のところで受け止めるも、手先がビリビリと震えている。

(こやつ、先ほどよりも力が…!)

しかし、長政も負けてはいない。

「こ、の…!!」

長政は自分が今出せる精一杯の力を使って押し戻した。
両者は互いの槍を交えたまま、膠着こうちゃく状態になった。
長政は再び忠高の目を見た。
やはりその目は闘志に溢れていた。

「やめろ…その眼差しをわしに向けるでない!」

長政の心の奥に閉じ込めていた後悔と共に少しの畏怖が出てきた。
かつての自分を見ているような気分に陥ってしまったのだ。

(違う…仕方がなかったのだ。殿が動こうとせぬから…)

そのせいか一瞬、長政の手から力が抜けた。
その一瞬の隙を忠高は見逃さなかった。

「覚悟!!」

忠高は力を込めて、渾身の一撃を長政に放つ。
長政はそれに反応できず、忠高の槍はそのまま長政の肩を直撃した。
期波家を支えてきた老将の、あまりにも呆気ない最期であった。
長政は馬から崩れ落ちる。
肩から胸にかけて斬られており、血が止まる気配はない。
自分はもうすぐ死ぬ。
長政は直感で感じていた。
そんな最中で、長政が最期に思ったのはある仮定の話だった。

もしも、あの時。
もしも、あの時殿を説得できていたのならば。
もしも、あの時自分自身が期波の再興を諦めていなかったのならば。
期波の未来は変わっていたのだろうか。

「だとしても今さら、もう遅いわ……」

長政はゆっくりと目を閉じた。
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