18年愛

俊凛美流人《とし・りびると》

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第2章:記憶の錯綜編

第28話:もうひとつの脚本

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◆ユイに差し出された“もう一つの脚本”◆

 舞台公演の終演後、楽屋裏の喧騒が徐々に静まりかけた頃、ユイがそっと近づいてきた。

「来栖さん……少しだけ、お話しできますか?」

その声は、どこか覚悟を秘めた柔らかさを持っていた。
シュンは頷き、二人は劇場の非常階段裏へと向かった。
誰もいない、コンクリートの壁に囲まれた狭い空間。
夏の夜風が、かすかに汗を冷ました。
ユイは、小さな封筒を差し出した。

「これが……“もう一つの脚本”です」

シュンは眉をひそめながら封を開ける。
中には、ZIXIのロゴが印字された台本のようなもの、そして、手書きのメモが数枚挟まれていた。

「ZIXIが……自動的に生成したんです。未来の演劇として、未公開の脚本を」

その言葉に、シュンの心拍が高鳴った。

◆“未来の舞台”と“記録されていた台詞”◆

 ページを捲ると、そこにはまだ誰も演じていないはずの舞台台本があった。
だが、読み進めるうちに、シュンは背筋が冷たくなるのを感じた。

(……この台詞)

まるで昨日、自分とユイが舞台で交わした言葉のようだった。
いや、それだけではない。
イントネーション、間、語尾までもが“再現”されていた。

「演じていない……はずなのに……」
「記録では、私たちはもう“この舞台”を演じていたことになっているんです」

その一言が、シュンの内側に激しく波紋を広げた。
自分の記憶と現実の時間軸が、どこかで捩れていたのではないか──そんな不安と動揺が、心をざわつかせた。
ZIXIのアーカイブには《舞台データ:収録済み》の文字が表示されていた。
ZIXIは、舞台上で交わされた台詞や動作を、リアルタイムもしくは夢中の記憶経由でさえ“記録”として保持・解析する機能を持っている。
収録日付は、今日の午前3時。

(夢の中で演じた……? いや、それとも……)

台詞の一部には、明らかに“未来”の出来事を示唆するような言葉も含まれていた。

◆記憶と演技、境界の揺らぎ◆

「舞台って、不思議ですよね」

ユイがぽつりと呟いた。

「時々、自分じゃないはずの台詞が、“自分の声”で出てしまう」

シュンは、その言葉にうなずく。

「演技のつもりが、気づくと“誰かの記憶”を生きてる気がする。思い出しているんじゃなくて、“再演”してるような……」

二人の間に、数秒の沈黙。
その沈黙は、ただの間ではなかった。
言葉にできない違和感の“余韻”だった。

「記憶って……誰かのものを、自分の中で演じてしまうものかもしれませんね」
「……俺たち、もしかして、“誰かの脚本”を生きてるのかもしれないな」

◆ユイの言葉と、ZIXIへの疑念◆

「私、最初は……ZIXIのプログラムが、こういう脚本を生成していると思ってたんです」

ユイは、空を見上げながら、言葉を探すように続けた。

「でも最近、“誰か”がZIXIの中で、私たちを導いている気がするんです」
「誰か……って?」
「誰かまではわかりません。ただ、ZIXIの挙動の一部に“人為的な修正”が加えられている形跡があります。あれは……ただの自動生成じゃない」

シュンは黙って、ユイの言葉を聞き続けた。

「もしかしたら……最初からZIXIの中に“意志”があったんじゃないかって」
「意志……」
「誰かがこのシステムを通して、何かを伝えようとしてる。私にはそう思えてならないんです」
「……ZIXIがただの記録装置じゃないとしたら」
「ええ。記録を“未来”に投げるための──演出家のような存在」

◆脚本の最後の一文と、謎の署名◆

 脚本の最後のページに、短い一文が記されていた。

『──記憶を渡す。君が、それを生きるかどうかは自由だ』

《Signed by I.A.》

(I.A……?)

それは、以前ZIXIのシステムログで見かけた表記と一致していた。

「これ、Ai……アイってことか?」

ユイは微笑むように頷いた。

「それは、私にも分かりません。でも、“この人”は、あなたを知っていたみたいです」

◆君がその記憶を生きるのなら◆

「まるで……俺の未来を知っているような脚本だった」

シュンの手が、台本の角を強く握りしめる。

「でも、俺は“演じさせられる”のはもう嫌なんだ」

ユイは、ほんのわずかに表情を曇らせた。

「そうですよね。でも、あなたが“その役を選ぶ”なら──それはもう“誰かの脚本”ではなくなる」

その言葉を聞いた瞬間、シュンの中で、何かが静かに形を取った。

(俺がこの記憶を受け取り、自分の意思で生きるなら──それは、俺自身の言葉になる)

彼は、未来の舞台の台本を閉じ、そっと胸元に仕舞った。

「ありがとう、ユイさん。……君の言葉で、なんだか決まった気がする」
「いえ……私も、自分の“役”を見つけたかったのかもしれません」

劇場の非常階段から見える空は、黒に近い藍色に染まり、星々が微かに瞬いていた。

「これから、もっと本気で舞台に向き合うよ」
「きっと、それが“あなたの答え”なんですね」

◆夜風とZIXIの通知◆

 別れ際、ユイは一度だけ振り返って、静かに言った。

「今日のあなたは、“自分の声”で話していました」
「……ありがとう」

そして、ユイは夜の路地へと消えていった。
シュンはひとりその場に立ち尽くす。
スマホが震え、ZIXIから新たな通知が届く。

《記憶再演プログラム 起動準備完了》
《次のステージへ──》

シュンは夜空を見上げた。

「いいさ。演じるさ。“俺自身の言葉”で」

その足元には、風に舞った紙片がひとつ。

“もうひとつの脚本”の抜け落ちたページだった。

その隅には、手書きの小さな文字があった。

『──未来は、記憶によって書き換えられる』

その言葉は、まるで過去と未来が対話するために書かれた詩のようだった。
記憶という名の“光”が、時間を越えて舞台を照らす──そんな予感が、静かにシュンの胸に灯った。

(第29話へつづく)
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