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第1章
28.【幕間】リュシリュー公爵家の歪み②
しおりを挟むコレットはジルベールに言われた通り、レティシアとの距離を測りながら接近を試みた。
とはいえ、コレットにとって最大の壁である、定期テストが近づいていたので中々レティシアに近づく時間が取れない。
平民であるコレットが、学園に通い続けるためには特待生でいることが前提条件。
特待生から外されれば、退学するしかない。必死で勉強しなければならなかった。なのでここ数日は図書室に入り浸り、勉強に励んでいる。
レティシアのお陰で、現在コレットの周囲は静かだ。
ああして“自分の獲物だ”と大々的に宣言したことで、コレットは以前のように虐められることなく穏やかに過ごしている。
(やっぱり、今の状態を考えると言い方はキツイけれど、リュシリュー公爵令嬢のお陰で平和ってことになるんだよね。実際教室でも落書きだとか、物が無くなるとか起きなくなったし。お金が無いから落書きはまだしも、物が無くなるのは痛手だったんだよね)
レティシアのことを考え始めたら、集中力が切れてしまった。
そのまま休憩がてら、ノートの空いた所に関連図のように思いついたことを書き込んでいく。
(けれどなんで、私を遠ざけようとするんだろう……。嫌いならまず放っておくだろうし……殿下達の話を聞くに、対同年代へのコミュニケーションが上手くなさそうではあるんだよね。……その原因は間違いなく家族なんだろうけれど)
客観的な事実を並べていく。
けれどやはりレティシアに何か考えがあってのことだとは推察出来るが、そこから先は分からない。
(リュシリュー公爵令嬢、家族との間に何があったんだろう。父と兄、使用人から冷遇されるなんて、普通じゃない。母君はいないみたいだけれど。もしかして、同じように冷遇されて離婚したとか? いや貴族の離婚はそう簡単に出来ないって聞いたな。今度集まる時に殿下達に聞いてみようかな? デリケートなことだから、慎重にしないと……ん? なんか視線が……)
そう感じて顔をあげると、レティシアが立ってこちらを見ていた。表情からは何もわからないけれど、勉強道具を持っているので目的はコレットと同じだろう。
「こ、こんにちは。リュシリュー公爵令嬢」
「……ごきげんよう」
今はテスト前なので、席は結構埋まっている。もしかして席が無くて困っているのかと、チャンスでもあるのでコレットは隣の席を指して言った。
「……良かったら、お隣空いてますよ?」
「…………っ」
その言葉にレティシアは、驚いた表情をした。
しかし、それはすぐに消え、再び無表情となる。先ほどより固くなった声でレティシアは答えた。
「……いいえ、必要ありませんわ。少し寄っただけなので」
「そ、そうですか」
そう言うとレティシアはさっさと図書室から出て行ってしまう。
コレットは少し悩んだが、ジルベールにも様子を見てくれと言われたのを思い出した。
テーブルに広がっていた勉強道具を片付けて、こっそりとレティシアの後を追う。
レティシア以前と同じように、人気のない中庭を進むのでコレットはこれはビンゴかもしれないと胸をドキドキさせる。
そしてまたレティシアは暴れ出したので、それは確信に変わった。
「コレット様……もしかして、天使? いえ、イーリス様の使い? あんな純真無垢な方が、ただの人間な訳がないわ。そんなのっ……そんなの勝ち目ないわぁっ! あんな優しい方を虐めるなんて、無理よぉ! そんなことをしたら、地獄に行くわ……」
人前では苗字なのに、1人だと“コレット様”と呼ぶレティシア。
そして叫ぶ内容に、コレットはさすがに顔が引き攣った。
(いえ、リュシリュー公爵令嬢、私に幻想を抱きすぎです。私はただの平民です)
そう思いつつもレティシアを観察するコレット。
「ううっ……でもこんなんじゃ目的を達成することなんてできないわ……いえ! それはダメよ! レティシア、本来の目的を忘れたの⁉︎ 例え大罪人になり、死後エリュシオンに行けなくなるとしても! わたくしはやらねばならぬ!」
「ぐうぅっ……やるのよ、レティシア。そう、あいつらと同じ血が流れているのだから、出来ないなんてことないわ。ええ、何を今更善人ぶっているのかしら。あいつらと同じ血が流れている時点で大罪人よ。怖気付いたって仕方ないわ。でないと、コレット様が虐められるんだから」
とりあえず、貴族の令嬢の姿からかけ離れているのは置いておいて。
レティシアの言葉に、コレットの胸は熱くなる。
(リュシリュー公爵令嬢……やっぱり、私のために動いてくれていたんだ……。私の勘は正しかった。それにしても、目的ってなんだろう? これだけは口にしないんだよなあ。……私への思いはダダ漏れなのに。あ、自分で言ってて恥ずかしくなってきた)
けれどこれでレティシアは敵ではないと核心を得ることができた。
暫くして、ブツブツ聞こえないくらいの声量になってしまったので、コレットは気が付かれないようにその場を後にした。
◇◇◇
テストが終わり結果を待つ間、コレットはジルベールから呼び出しを受けた。
周りからバレないように細心の注意を払いながら、ジルベールのサロンへ向かう。
中に入れば、いつもの3人と共に、知らない男性が立っていた。
アッシュグレーの髪に、青い瞳。大きな体はそれだけで威圧感を放っている。
「フォール嬢、大変な時に来てくれてありがとう」
「いえ。えっと」
「紹介するよ。ジュスタン・ド・リュシリューだ」
「コレット・フォールと申します」
リュシリューということから、この人がレティシアの兄なのだろう。
コレットはレティシアと全然似てないな、と思った。
そして柔らかい笑顔で、ジュスタンはコレットに向き合う。
「殿下が紹介したい人がいると聞きましたが……随分可愛らしい方ですね」
「彼女は特待生だよ。とても優秀だ」
「へえ。すごいな、努力家だ」
「あ、ありがとうございます」
その姿は、優しい公子と言っても過言ではない。
けれどジルベールの調べでは、レティシアに長年酷いことをしてきたという。それが事実ならすごい猫被りだな、と失礼にも思ってしまったコレット。
ジルベールに促され、テーブルに着く5人。
これから起こることが完全に分からないので、少し不安になるコレットだが、ジルベールがコレットと目を合わせて頷いてくれる。
その様子を、何故か目を輝かせて見ているジュスタン。
「さて、まず何から話そうか。ああ、そうだ。フォール嬢」
「はい?」
「君はここで起きたことに関して、何も責任は無いよ。全て私の責任になる」
「は、はあ」
ジルベールの言いたいことを全て理解は出来ないが、恐らく何かあっても守ってくれると言うことなのだろう。
ただの平民にそこまでして良いのかな、とコレットは思う。
それ言うなら、男性4人に対して、女性はコレット1人。
もちろん、やましいことは何一つ無いが、それにしても居心地の悪さは拭えない。
だが、同性の友人がいないコレットは、ジルベール、ドミニク、マルセルと話せる時間は好きだった。何よりコレットの知らない世界ばかりで、とても勉強になるのだ。将来についても、より深く考えるようになった。
閑話休題。
ジュスタンが、我慢できないと言うように、ジルベールに話しかける。
「では、殿下。まずは結論から……ああ、いえ。結論はもう分かりました。是非、この後のことについて、話を聞きたいです」
「へえ? 結論は分かっているのかい?」
「もちろんです! 今までの流れから一目瞭然です。ついに動き出すのでしょう?」
ジュスタンが些か興奮したように言っている横で、コレットは寒気を覚え、その方向に顔を向ける。
そして直ぐに後悔した。だってドミニクとマルセルが今まで見たことないくらいに怒っている。それこそマルセルは、先日、切り捨てていいかと言った時以上に怒っている。
唐突にコレットは、ジルベールの言った意味を理解した。
(これから、修羅場が始まるよって事ですか……! 確かに私も関わりたいとは思ったけれど、これは想定外……!)
けれど逃げるなんてことできないので、必死に覚悟を固める。
そのコレットの前で、まさに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
「いやぁ、まさか殿下が次の相手に、彼女を選ぶとは! これはレティシアも悔しいでしょうね!」
「……え?」
「ほう。なるほど」
コレットはジュスタンの言っていることが理解できず、”?“で頭が埋め尽くされた。
対してジルベールから、怒りのオーラがで始めている。
「彼女は平民でしたね? 特待生というなら能力は十分なはず。父上と相談して我がリュシリュー公爵家の養子としても良いですよ。あ、レティシアを罰する日はいつに致しますか?」
「ジュスタン、それは本気で言っているのか?」
声が出ないコレットの代わりに、ドミニクが声を上げる。
それは必死に激情を抑えている声だ。机の下に隠れた拳はブルブルと震えている。
対してジュスタンは、全く気がついておらず、楽しそうに続けた。
「ああ、もちろんだ。ドミニクも聞いているだろう? 愚妹の話を。全くアイツは我が公爵家の面汚しだよ。あんな酷い人間だなんて思いもしなかった」
「常々、アイツは殿下の婚約者に向いてないと思っていたんですよ。無表情で、愛想がない。能力があるって言ったって、“人形令嬢”じゃあねぇ?」
「殿下と彼女はいつから知り合いに? もしかして、結構長かったりしますか? それにしても、平民にしては体も整っていますね」
1人ペラペラと喋るジュスタン。対する4人の空気はどんどん冷え込んでいるのに、全く気がつく様子がない。
さらにはコレットに対して、不躾な視線を送る。それはそれは下卑た笑みで。
あり得ない態度のジュスタンに、ドミニクが遂に我慢が効かなくなり立ちあがろうとした、まさにその時。
スクっと音も立てずに、コレットが立ち上がった。
そして誰が止める間も無く、ジュスタンに対して、強烈な平手打ちをかました。
パアンっという小気味よい音と、少し遅れてジュスタンの左頬が手の形に赤く染まる。
「な、何す――」
「何するんだはコッチの台詞よ‼︎ 貴方、それでもレティシア様の兄なの⁉︎ 兄ならレティシア様の味方でいなさいよ! そもそも私と殿下が婚約ですって⁉︎ 寝言は寝て言いなさい! 天と地がひっくり返ってもあり得ないわ! そもそも、私は婚約者のいる人とそんな関係になるくらいなら、舌を噛み切って死んでやるわ‼︎」
あまりのコレットの剣幕に、ジュスタンの怒りはどこかに飛んでしまっていた。それもそうだろう。彼の中では、女性はお淑やかな存在で、こんな風に言ってくる人なんていなかったのだから。
ジルベール達は、コレットの豹変に驚きはしたが止めない。
頭に血が上ったコレットは身分差など忘れ、ひたすらジュスタンを罵った。
「しかも何⁉︎ 初対面で女の体を舐め回すように見るとか、気持ち悪い! 吐き気がする! 私は不貞が何よりも大っ嫌いよ! 不倫した父が、母に指摘されてキレたと思ったら私と母を殺そうとした! 母は私を守るために、父と相打ちしたのよ! それで私は孤児となったわ! ねえ、そんな女が自分から不貞をすると思う? 教えてくれない? 高貴なお方。どうしたらそんな人生を歩んできた女が、嬉々として不貞をするのかしら?」
「そ、それは」
「はっきり答えなさい!」
「おおおお思いません。俺が悪かったです!」
「ふんっわかれば良いのよ。本当、こういう男って嫌い。いっその事、必要なところは切り取って仕舞えばいいのよ」
「ヒィッ」
「フォール嬢、その辺で勘弁してあげてくれ」
さっきまでの嬉々とし表情はどこへやら、青くして思わず縮こまったジュスタンをみたジルベールは、笑いを堪えながらコレットを止めた。
その一言で我に帰ったコレット。自分のしでかしたことの大きさを自覚し、ジュスタン以上に青くなった。
「あ、あ、私……ご、ごめ――」
「言っただろう? ここで起きたこと全て、私の責任だよ。フォール嬢は何も悪くない。いいね?」
謝罪しようとしたコレットに、ジルベールは遮る。
そこでようやく、コレットはこういう意味でジルベールが言っていたのだと理解した。
きっとコレットの生い立ちも調べていたのだと思う。だから笑いを堪えられるくらいに余裕なのだ。
その証拠に、ドミニクとマルセルは目がこぼれ落ちんばかりに見開き、口もポカンと空いている。
「はあ。想像以上だった。フォール嬢は強いね。……さて、ジュスタン。本題に入ろうか。まず、君の言っていることは全て間違っている。よく見て見ると良い。フォール嬢だけでなく、ドミニクとマルセルもまるで君が害虫のように見ているじゃないか」
「あ、え?」
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「ど、ドミニク、嘘だろ?」
「冗談でこんなこと言うか。ああ、お前がレティシア嬢に言っていたことよりは可愛いもんだろ?」
「な、何故それを……」
「調べたからに決まっているだろう? 残念だったね、ジュスタン。今日は君が断罪される日だよ」
そう笑うジルベールの顔は恐ろしいほど綺麗な笑みで。
ジュスタンはまた情けなく悲鳴を上げた。
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