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第1章
29.【幕間】リュシリュー公爵家の歪み③
しおりを挟む「で? ジュスタン。君はいつから私の婚約に口を出せる立場になったのかな?」
「で、殿下……」
「驚いたよ。まさか君がそこまで愚かだったとは」
「ち、ちが……! 殿下の事ではなく、レティシアが相応しくないと――」
「良い加減にしろ‼︎ これ以上失望させるな‼︎」
「ぐっ!」
まだレティシアを貶めようとするジュスタンに、我慢が出来なくなったドミニクは血反吐を吐くように叫んだ。
いや、叫ぶだけでは足らず、コレットが平手打ちをかましたところに、今度は拳を打ち込んだ。
更には胸ぐらを掴んで叫ぶ。
「なあ⁉︎ 俺たちを騙していたのか⁉︎ レティシア嬢とあんなに仲良い素振りをして! 登下校も一緒にして、送り迎えして!」
「っ! お前にわかるか⁉︎ ずっと俺はレティシアと比べられてきた! 何をしても、何を頑張ってもレティシアが軽く俺を飛び越えていく! その気持ちがわかるか!」
遂にジュスタンもドミニクの胸ぐらを掴み返し、叫ぶ。
「父上だって言ってたんだ! アイツのせいで母上は死んだって‼︎ そんな奴が評価されているんだぞ! おかしいじゃないか!」
「レティシア嬢は必死に努力していた! お前はレティシア嬢が泣いているのを見たことがあるか⁉︎ 王子妃教育が厳しいと、誰にも見られないように泣きながら、それでも努力していたんだ! お前が卑屈になっている間も、必死で努力していたんだ‼︎」
「は……」
「お前を軽く超えて行く⁉︎ そんなわけあるか! 幼い頃から厳しい教育に耐えてきたレティシア嬢が、努力していない訳ないだろう⁉︎ お前はレティシア嬢を理由に逃げているだけじゃないか! レティシア嬢は逃げなかったんだぞ! その時点で、お前がレティシア嬢を抜けるはずがないだろう!」
「……」
ドミニクの言葉に、ジュスタンの力が抜ける。
こんなに正面から、非難されたのは初めてなのだ。
リュシリュー公爵家では、皆ジュスタンの味方だった。
驚きと共に、心のどこかでドミニクは味方になってくれると思っていたジュスタンにとって、大きな衝撃だった。
力が抜けて、そのまま地面にへたり込む。ドミニクはジュスタンから手を離し、蔑んだ目で見下ろしていた。
2人の感情の熱が下がったのを確認して、ジルベールが話し始める。
「夫人が亡くなられたのは、流行病だ。確かにレティシアが産まれた直後だったが、そもそも経過は良好だった。……そう、タイミングが悪かっただけだ。それは公爵も知っている。……公爵家ではそう周知させると、陛下に言っているという話だったが」
「……父上が昔、1人の時に言っていたんだ。“アイツさえ、レティシアさえいなければ、まだ彼女が隣にいたはずなのに。アイツが彼女を殺したんだ”って……」
「それを信じた訳か」
「……」
ジュスタンは無言だ。
これは問題の中心はバンジャマンか、とジルベールは根っこの深さを考える。
陛下の話では、バンジャマンは夫人にベタ惚れだったそうだ。亡くなってから、暫く塞ぎ込んでいたと。
立場上、仕事はこなしていたが、いつ倒れても不思議ではないくらいだったと言っていた。
同情はする。愛する者を失って、気落ちするのは分かる。
だが、許容することはできない。被害にあったのは、責任のないレティシアだ。
そして、それが屋敷全体に広まっても止めない。絶対にどこかで気づいたはずだ。そこでなぜ止められなかったのだろうか。
公爵に関しては、陛下と王妃が対応すると言っていた。けれどジュスタンに関してはジルベールに一任されている。
「ジュスタン、私はもう君を信じることは出来ない」
「!」
「当然だろう? 君のしていることは、王家への反逆と取られて当然なんだ」
「そ、そんな、つもりは……」
「じゃあ君は、何故準王族であるレティシアを虐げていた? ……そして先ほど、フォール嬢を養子としてもいいと言ったね? そう言われて、喜ぶ者がどこにいる? もしかして、フォール嬢とは初対面ではないのかな? 最悪、間者であることも考えなくてはならなくなる。そうしたらフォール嬢は間違いなく退学だ。いや、生きていられればいいが」
「あ……」
「自覚がないのが余計に質が悪いよ。ジュスタン・ド・リュシリュー。お前はレティシアを介して多くの人間の人生を壊す。レティシアだけを虐げているつもりだったか? まあ、それだけでも問題だが。とにかく、それも分からない人間に、私は国の中枢に携わせることはしない」
「……お、おれは……」
ジュスタンはようやく事の大きさが分かったのだろう。
顔を青ざめさせ、震えている。
それでも慰める者は誰1人としていない。
「それでも、リュシリュー公爵家が無くなることは、我々にも痛手だ。君たちではない。レティシアが私の婚約者ではいられなくなるからね。だからレティシアのために、一度だけチャンスをあげよう」
「でんか……」
その言葉に、ドミニク、マルセルはあからさまに顔を顰める。その姿にジュスタンはまた縮こまっている。
コレットは平手打ちをかましてしまったが、一応部外者といえば部外者だ。黙って事の成り行きを見守る。
ジルベールは不満そうな2人をみて頷く。それでも不満ですの顔を隠さない2人に苦笑した。
「レティシア次第だ。レティシア次第で君の処遇を決めようと思う」
「それは」
「君は変わりたくないなら変わらなくていいよ。言われて変わるなんて事ほど、意味のないことはない。上っ面だけの謝罪なんてない方がマシだ」
ジルベールの言葉は温情のようであって、実際は正反対だ。今更ジュスタンに何も出来ることはない。
そう、ジュスタン自身が心の底からレティシアに謝罪したいと思わなければ、何も意味がない。
「……」
「まあ、それを伝えたかっただけだ。今日は帰っていい」
「……でんかは」
「ん?」
「殿下の弟君も優秀な方だと聞きます。……辛くないのですか?」
それはジュスタンの心からの疑問なのだろう。それに耐えられなかったのに、ジルベールは耐えるどころか、良好な関係を築いている。
何が違うのだ。とジュスタンは愚かにも、理由はジルベールの弟と、レティシアが違うからだとこの時は本気で思った。
状況が違えば、ジルベールだって同じだろうと。
「私は辛いと思ったことはないよ。幼い頃から弟達は可愛くて仕方がなかった。この子達を守るために、私は生まれてきたんだと思ったほどさ。守るために強くなろうとした。たとえ弟が私より優秀でも、それ以上に自分が頑張ろうと努力した。抜かされまいと相手を落とすのではなく、高めあいたいと思ったんだ」
「……あ、あ」
それは違うと、直ぐに断言された。
ジルベール自身の器の大きさ、いやジュスタン自身の器の小ささを見せつけてられたのだ。
ジュスタンは自身を振り返る。レティシアが生まれて、どう思ってきただろうか? 最初はどう思っていたのか?
ジュスタンも母の記憶は殆どない。けれど、抱きしめてもらった暖かさだけは朧げにも覚えている。
レティシアは、その温もりすら知らない。
そういえば、バンジャマンの独り言を盗み聞きする前は、レティシアとよく遊んでいた。
まだ教育も始まる前で、よくジュスタンはレティシアを構って、レティシアも嬉しそうにしていた。
いつからだろう? レティシアに対して嫉妬し始めたのは。
どこからだろう? 冷たくするだけでは飽き足らず、手や足を出し始めたのは。
そんな変わってしまったジュスタンを、レティシアはどう思ったのだろう。
ふと思い出す。いつからか、登下校時の馬車で一言も話さなくなったレティシア。
いや、登下校時だけではない。食事の時も何も話さなくなった。
ああ、あのレティシアを一方的に詰った時、彼女はどういう表情をしていたのだろう。
悲しそうにはせず、全てを諦めた表情をしていたような気がする。
次々溢れてくる、今までは見向きもしなかった思い出に、ジュスタンの頭は埋め尽くされていた。
フラフラと、挨拶もせずに去っていくジュスタン。その様子に流石に心配するコレット。
「だ、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ではないだろうね。……けれど、ようやく自分のやったことを自覚は出来たのかな」
「殿下は甘すぎです。ドミニクの胸ぐらを掴んだ時、切ろうかと思いましたよ」
「そのために剣を持たせなかったんだけれど」
「……」
マルセルの発言に、ジルベールは軽く答える。
ドミニクは黙ったままだ。
けれど暫くしてから、小さな声でぽつりといった。
「俺は、もうジュスタンと今までのように友人ではいられない。レティシア嬢が赦しても、俺は赦せない。……殿下」
「何だい?」
「俺、将来宰相になりますね。アイツらが2度と王城の敷居を跨がないように」
今までドミニクは、ナミュール侯爵家の三男という立場特有の緩さがあった。だから時折ジルベールに仕事という名の鞭を振るわれていた。
本気でやれば、ジルベールに並ぶ秀才だと思っていただけに、勿体無いと常々思っていた。
そんな男がこれから本気で宰相、つまりバンジャマンを下ろして、自分がなると言ったのだ。
嬉しいような、そうでないような複雑な心境になるジルベール。
「……それは良いね。楽しみにしているよ」
「ええ。ドミニクがなるなら安心ですね。サボらなければ」
「一言余計だぞ、マルセル」
コレットは3人のやり取りを見ていた。どうしてもこういうときは遠い世界の話になるので、コレットは何も言えない。
「そうだ、コレット嬢に俺の秘書になってもらおうかな」
「へあ⁉︎」
と思っていたら、ドミニクから突然爆弾を落とされた。
コレットは驚きのあまり、変な声が出てしまい恥ずかしそうに頬を染める。
「それは良いね」
「コレット嬢なら安心です」
「ええ……私には荷が勝ちすぎます」
「そんなことない。コレット嬢の成績を考えれば、十分務まるよ」
「えっと……選択肢の1つとして頑張って見ますね」
3人からキラキラした瞳を向けられ、そう答えたコレット。
蚊帳の外だったコレットを気遣ってくれたのかもしれないと、心が温かくなった。
「あ、そうです。この間、リュシリュー公爵令嬢にお会いしたんです」
「レティシアに? どこで?」
「図書室です。リュシリュー公爵令嬢も勉強道具を持っていたので、一緒に勉強しようかと思ったのですが、断られてしまって」
「いくらなんでも、精神が強すぎないか?」
ジルベールが少し呆れたような声を出す。
それに関しては、コレットも自分自身に思っていることではあるので笑うしかない。
「あはは……それは置いておいて、そのまま図書室を出て行ってしまったので、追いかけたんです。そうしたら……」
「そうしたら?」
「やっぱりリュシリュー公爵令嬢は、私を守ろうとしているんです。ただ、それを利用して、大きな目的を果たそうとしているようで。何かはわからなかったんですが」
「ふむ。やはり、ブローニュ嬢と一緒にいるのも、自身に対する噂の放置も目的達成のため、ということかな」
「そうだと思います。何というか……私を神聖視している傾向があるので、何とも言えないですが」
「神聖視……」
ジルベール達の顔が引き攣る。コレットもその場で引き攣ったので、気持ちはわかる。
「じゃああとはその目的が何か、ということだね」
「はい」
「もう少し調べないと……それから、陛下にも公爵家をどうするのか確認しないとね。テストが終わったばかりで申し訳ないが、よろしく頼むよ」
「「はい!」」
「俺はこっから本気なんで」
ジルベールの言葉に、コレット、マルセル、ドミニクがそれぞれ返事をする。
ふとジルベールは気になったことを聞いてみた。
「そういえば、ジュスタンを平手打ちした時、“レティシア様”と呼んでいたね。どうせなら、これからそうすればいい。家名呼びは長いだろう?」
「あ、あれはつい……リュシリュー公爵令嬢とお友達になれたら、正式に許可をもらいます」
「そうか」
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