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第1章
31.【幕間】リュシリュー公爵家の歪み⑤
しおりを挟むそして卒業式当日。
ジュスタンは何とか気持ちを持ち直していた。
(学園を卒業する、輝かしい門出の日だ。きっとレティシアも、卒業パーティーに誘えば喜ぶだろう)
そう思うことで持ち直したのは、愚かとしか言えないが。
式は厳かに進み、卒業生代表として答辞も淀みなく読むことが出来た。
周囲からジュスタンに向けて感嘆のため息が漏れるのを聞き、ジュスタンは自信を持つ。
(そうだ。俺は令嬢の評価は悪くない。レティシアだって、俺が兄で誇らしいはずだ)
段々と気分が高揚してくる。
何の根拠も無い自信が漲って来て、卒業式が終わってすぐにレティシアの方に向かおうとする。
その時視界の端に写ったジルベールに視線を向けると、自信がしゅるしゅると萎んでしまった。
その表情は、あの時見た時と同じで冷たいものだった。“変わらなくていい”と言われた時の、背筋が凍るような目。
けれど止まれない。いや、ジルベールが見ているところで止めたら、それこそ完全に見限られてしまうだろう。
そんな確信を得るほど、ジルベールの紫の瞳には温度がなかった。
震えそうになる体を抑え、レティシアの前に立つ。不思議そうな表情をしたレティシアに、本能が警告を出している。
それでも気のせいだと思い、ぎこちなくレティシアを卒業パーティーに誘う。
喜ぶと直前までは思っていた。けれど、レティシアはバッサリとジュスタンの誘いを断った。
しかも、レティシアはドレスはすぐ売られているから、パーティーに出られないと言う。
その事にジュスタンは驚きを隠せない。
(嘘だろう⁉︎ 父上がそんなことまで……⁉︎ 公爵家として、それは品位を疑われてしまう……!)
レティシアにドレスを売った主犯として疑われていることすら信じたくなくて、目の前が真っ暗になるような気がした。
気がつくと、ジルベール達が近くに来ていた。
形ばかりと言わんばかりに、心がこもってないおめでとうを言われた。
「分かったかな?」
「…………」
その質問はジュスタンの胸を切り裂くようだった。
ショックに固まる暇も無く、周囲に聞こえない声でジルベールが言った。
「これからフォール嬢が来る。君は初対面のフリをするんだ」
「……?」
ジルベールの言葉の意味が理解できなかったが、威圧感が苦しく感じるほどで頷くしかない。
その直後、事件は起こった。
コレットも合流した時、レティシアが激昂したのだ。
レティシアに暴露された明らかな女性軽視の発言に、ジルベール達の表情が強張る。
ジュスタンにとっては言ったかどうかも覚えていない言葉で、冷や汗をどっとかいてしまう。
ジュスタンは今まで、数えきれない言葉でレティシアを詰ってきた。言葉はその時の感情に従って吐き出したものであり、全てを覚えているわけがなかった。正に加害者の思考回路だ。
コレットすらも、罵倒したレティシア。そのまま立ち去ってしまう。
「行くぞ。きっとレティシア嬢の言葉の真意がわかる」
その言葉と共にジルベールに腕を捕まれ、引きずられるように後をついていくジュスタン。
ジュスタンの目に飛び込んできた光景に、驚愕した。
レティシアが見たことないほど、感情を露わにしていたのだ。
そしてどこで覚えたんだと言いたくなるくらいには、品のない言葉でジュスタンを罵っている。かと思えば、コレットに対して謝罪している。
まさに感情のジェットコースター状態のレティシアは、最早本当にジュスタンの知っているレティシアだろうかと信じられない気持ちになる。
砲弾の如く、衝撃発言を繰り返したレティシアは、スキップしながら去っていった。
ジュスタンは衝撃から立ち直ることはできていなかったが、隣から流れてくる冷気に、ハッと意識が浮上する。
「……なるほど、レティシアは私を捨てるつもりなのか」
「で、でんか?」
ドミニクがジルベールを呼ぶが、返事は無い。
それは怒りという感情ではない、とその場にいる全員が悟った。
そしてレティシアに思わず、心の中で語りかける。
((レティシア(嬢)(様)、眠れる獅子を起こしてしまった……‼︎ なんてことをしてくれたんだ!))
と。
ジルベールの瞳孔は完全に開いており、恐怖を感じる。
「今までのことを踏まえると……どうやらレティシアは私から婚約破棄をさせたいのか。そしてリュシリュー公爵家を捨てて、亡命すると。なるほど、フォール嬢をただ助けると、評価が上がってしまうからあえて評価を下げるように動いている訳か」
けれどジルベールは変に冷静なのか、レティシアの行動の意味を考察していく。
それを聞いて、ジュスタン以外の全員が納得した。確かにそういうことなら、矛盾にも見える行動に一貫性が出てくる。
「ああ、確かに納得出来ますね。へえ、随分周りくどい事を……面白いな」
「レティシア様……そんなに嫌だったのですね。もっと早くに気づけていたら……」
「リュシリュー公爵令嬢、そんな案を思いつくなんて凄いな……。それに全て捨てて新しい人生を送ろうなんて、私にはとても出来ないや」
ドミニク、マルセル、コレットはそんな思い切った行動をするレティシアに、敬意と悔恨を抱く。
ジュスタンは、3人の言葉が全く耳に入っていなかった。
レティシアが全てを捨てて、亡命する気でいるなど、ジュスタンの事を心の底から嫌っているなど、信じることが出来なかったのだ。
(俺は……あんなに言われるほどに、酷いことをしていたのか。それも父上の話を鵜呑みにして。使用人すら嫌っていることを笑って楽しんでいた。……はっ、当然、か。そんな人間、俺だってお断りだ)
レティシアの本音を聞き、ようやく自分のした事の非道さを自覚したジュスタン。
もう幼い頃のように、仲良くするなんて夢のまた夢。
それこそ、どの面下げて、だ。ここ数日、レティシアへの態度を思い出し、自己嫌悪が湧き上がる。
バンジャマンのせいだと言えば簡単だろうが、間も無く成人となるジュスタンがそんなことを言えるはずもないと分かっている。
「後1年はここにいるつもりだね。……良いことを思いついた」
「何を思いついたのですか?」
マルセルがジルベールに聞くと、何故か一転して楽しそうに言った。
「レティシアの計画に乗っかろう」
「え⁉︎」
「これから1年、レティシアは自分の評価を下げつつフォール嬢を守ろうとするだろう。それに乗っかるふりをして、最後には逆転させるんだ」
「良いですね。面白そうです」
「ドミニクまで⁉︎」
ジルベールの提案に、ドミニクは直ぐに賛成した。それに驚いたのはマルセルだ。
コレットも納得がいかないと、反論する。
「え、でもそれじゃあ、リュシリュー公爵令嬢の評価が下がっちゃうじゃないですか! そんなの嫌です! 今すぐ和解した方がいいです!」
「けれどレティシアは今計画がバレていると知れば、きっと直ぐに逃げ出してしまうだろう。レティシアの様子が変わり出したのが、大体半年前。恐らく亡命の為の下地は出来ている。後1年延ばすのは、計画を確実にする為だろう」
さすが時期王太子候補。先読みが上手い。
「で、でも……」
「レティシアを逃さないようにするためには、こちらの方が確実だ。私たちも、レティシアの裏をかくように動ける。それに……」
「それに?」
「レティシアをあそこまで変えた人間が気になる。私は6年一緒にいるのに、レティシアに心を開いてもらえなかった。私も捨てることを厭わない程に。その人間に会いたいじゃあないか」
「……」
相槌を打っていたコレットだが、ジルベールの瞳孔が再び開いたのを見て、ごくりと口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。
執着されるレティシアに、心の中で合掌した。これはもう逃げられないだろう。
「そうだ、ジュスタン」
「……はい」
「丁度いい。君は、いやリュシリュー公爵家は、この1年をかけてレティシアを繋ぎ止めることが出来たら良しとしよう」
「!」
「まあ、出来たらの話だけれど。恐らく、レティシアが亡命しようと思った最大の原因は君たちだからね。どこまで出来るか、見ものだね」
ジルベールから与えられた、一筋の光。
それは今にも消えそうなものではあるが、ないよりはいい。
ジュスタンはようやく、ショックから立ち直る。
「ええ? 殿下、温情いりますか? この人、数回関わっただけの私ですら、胸糞悪いんですけど。リュシリュー公爵令嬢が赦すとは思えません。いえ、赦すなんてあり得ないと思います」
「だから良いだろう? 可能性は限りなく低い。その垂らした一本の糸に必死に縋り付く情けない姿を見れるんだ」
「あ、それは良いですね」
コレットすらジュスタンに嫌悪感を抱いている。それにダメージを受けながらも、ジュスタンはこれからのことを考える。
「陛下には自由にやっていいと言われているからね。後で報告しよう。……ジュスタン、このあと公爵に面会するから、伝えておいてくれ」
「はい」
「まあ、無駄な足掻きだとは思うがな」
「ドミニク……」
「俺はレティシア嬢が赦したとしても、一生赦さないからな」
その言葉は、ジュスタンの胸に深く刺さる。
「俺も、殿下がああ言うのでしかたないですが、いつ襲われても文句は言わないでくださいね」
「っ」
騎士団仕込みの殺気をマルセルから向けられ、震えるジュスタン。
それでもやるしかない。贖罪をしなければ。
それがどんなに茨の道であろうとも。
(俺は、変わらないと。変わらないといけない)
タイムリミットは残りたった1年。
これから、ジュスタンが想像した以上の困難が待ち受けているとも知らずに、決意を固めるのだった。
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