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第2章
34.感情は素直になれない
しおりを挟むジルベールの言葉は素直に受けとれば、なんて出来た人なのだろうと感動できると思う。
政略結婚の相手にここまで心を砕くのは、はたから見れば尊敬出来ることだ。
でも何故かレティシアは喜ぶどころか、こう思ってしまったのだ。
(わたくしが歩み寄ろうとした時は、そんな姿を見せなかったのに、今更なんなのでしょうか)
これは記憶が戻る前のレティシアの感情なのだろう。
だって今のレティシアは、ジルベールのことが大好きだ。
恋愛的な意味ではなく、人として好ましいと思っている。
イーリスの祝福でも1、2位を争うくらいに好きで、コレットの関係も、レティシアとのすれ違いも胸が締め付けられ、涙を流す程だった。
それならばジルベールのこの変化は、喜ぶべきことだ。ゲームでは見られなかった、ジルベールとレティシアの歩み寄りがあるとなれば、両手を上げて喜ぶべきことなのに。
それなのに、心のどこかで拒絶したいと思っているのだ。
レティシアの心の中は、色々な感情が嵐のように渦巻いてる。
理由なんてわからない。
ただ素直になれないだけかもしれない。
(ああ……わたくしってこんなに性格が悪かったのね。殿下の変化を喜べず、あまつさえこんな……そう、嫉妬だわ。わたくしと違って、前を向いて歩くその姿。苦労も多い筈なのに、それを感じさせない余裕。わたくしだって頑張っているのに、誰も認めてくれない。……そして、こんなわたくしに手を伸ばそうとするなんて。それもわたくしが手放そうとした時になんて、タイミング悪いですわ)
レティシアのこの思いは、八つ当たりにも程がある。まるで子供が地団駄を踏んでいるようだ。
分かっていても、ジルベールの言葉は受け入れられなかった。
「そうですか。まず、殿下のことですが、臣下として敬意を持っておりますわ」
「それは良かった。で、どうかな?」
主語が抜けているが、ジルベールが聞きたいことは分かる。
関係改善はレティシアにとって必要ない。正確にいえば、その段階はとうに通り過ぎた。
「どうでしょう。わたくしは殿下が一体どのような経験を経て、そのような思考に辿り着いたのか気になりますわね?」
「わからないかな?」
どう言う事だろう、とレティシアは考える。
ジルベールの聞き方は、レティシアを馬鹿にしているようには感じない。
でもどこかレティシアを試している気がした。
試すとは何だろう、レティシアは何を試されているのか。
(あ……もしかして、ここで王子妃として相応しい器かどうかを確認しているのでしょうか? ならばここは殿下の期待から外れれば良いですわ。わたくし自身の目的の為には、この手を取るわけにはいかないですから)
レティシアは考える。ここで2人を分断する最適な答えを。
「……分かりかねますわね。わたくしは殿下のお考えを理解できるほど、聡くありませんの」
「本当に?」
ジルベールはそんな訳ないと思っているのか、レティシアに詰め寄る。
レティシアはそんなジルベールに驚くばかりだ。今日は周りの人間が予想外のことをしてばかりでついていけない。
けれどレティシアはジルベールのことは理解出来ない。イーリスの祝福での彼は手に取るようにわかるが、今目の前にいるのは、生きているジルベールだ。1から10まで分かるわけがない。
「回りくどいのは貴族の常ですが、流石にわたくしには分かりかねますわ」
「回りくどい言い方は、していないんだけどな」
そんなことを言ったら、ジルベールの普段の言葉はもっと回りくどいのかということになる。
そのような意味では言っていないだろうが。いや、そうだと信じたいとレティシアは思う。
何も言わないレティシアに、ジルベールは攻め方を変えたようだ。
話題を変えてくる。
「かく言う私も、レティシアの考えていることは分からないよ。このところ、君の行動は今までと違う。何かあったら話して欲しいと思うんだ」
「まあ。殿下の手を煩わせるなんて、恐れ多いですわ」
ジルベールの言葉に少しヒヤリとしながらも、レティシアは表面上は澄ましたまま答える。
そんなレティシアに、ジルベールは詰め寄るように言った。そんな風にされると、詰問されているような気分になる。
「それは私では力不足と言うことだろうか?」
「そうではありませんわ。わたくし如きの悩みなど、民の生活の苦労を考えれば、瑣末な事だということですわ」
「だが将来の伴侶の悩みも解決出来ない者など、民の悩みを解決できる者ではないだろう」
ジルベールの言葉は正論だ。レティシアも正しいと思いつつも、同意する訳にはいかない。
まるで堂々巡りだ。
中々引いてくれないジルベールに、レティシアの苛立ちは増す。
何か裏があるのは、ジルベールの言葉から察することはできる。
けれどその裏とは何か、レティシアは理解出来ない。
なぜならレティシアは自分の計画が漏れていることを知らないから。
これから飛んできたジルベールに質問に、墓穴を掘るとも知らず。
「特に不思議なのがレティシアはブローニュ嬢、フォール嬢に対する態度が変わったと思ってね。あまりに違うと、心配になるのは当然だろう?」
「オデット様は以前から一緒におりましたわ。それにフォールさんはそこまで知らない仲です。態度が変わる程の接触はありませんわ」
「ブローニュ嬢は絡まれていたの間違いでは?」
意外とレティシアとオデットの関係をしっかり見ていたのだな、とレティシアは驚く。
確かにオデットはレティシアの甘い蜜を啜ろうとしていた。それを知っていたのか。
「いいえ、そんなことはありませんわ」
「私の知っているレティシアは、寧ろブローニュ嬢よりフォール嬢を支持するだろう?」
それは正解だ。頷くはずもないが、内心ではその通りである。
「随分フォールさんを評価するのですね。……まさか、彼女を側妃にでも召し上げようとしているのですか?」
この状況から抜け出したいレティシアは、あえて見当違いである考えを言う。
「まさか。我が国では側妃制度はない。それはレティシアもわかっていることだろう?」
「ええ。ですが、最近の噂と殿下の評価を鑑みれば、そう思うのも仕方のない事ではないでしょうか? 殿下は以前仰いましたよね。”君がそう言われるほどの姿を見せているのが問題だと言っているんだよ“と。今回のことは、殿下のことも問題だと感じておりますわ」
その言葉に、ジルベールは無言でこちらを見つめている。
そう、歩みよりをしないのであれば、レティシアの取るべき行動は、お互いの信頼を損ねる態度だ。
明らかにジルベールを軽蔑するような発言をしたことで、心拍数が上昇して急速に喉が渇くのを感じ、レティシアはお茶を一口飲んだ。
「…………確かにレティシアの言う通りだね」
「では、フォールさんに並々ならぬ感情を抱いているのですか?」
「それは違うよ。彼女は優秀だと感じているが、それ以上の感情はない」
意外にもあっさりと自分の非を認めたジルベールに、レティシアは拍子抜けする。自分の非をキチンと認められるのは本当にすごい。
しかし、続いたレティシアの質問には、即座に否定した。言葉も力強く、嘘をついている様には見えなかった。
「左様ですか」
「レティシア、それで、君はフォール嬢をどう思う?」
「わたくしは良く分かりませんわ。何せ関わりがありませんもの。強いて言うのであれば、あの噂を聞いてしまえば、尚且つマルセル様がそばにおられることを考えれば良い印象を持つのは難しいでしょうね」
「私達は噂で物事を決めて良い立場ではないだろう?」
「ええ、そうですわね。ですが、上位貴族も噂である程度の評判が決まりますわ。悪い噂を覆すことが難しいのは、殿下。貴方も良くわかっている事でしょう?」
「そうだが――」
何か言い募ろうとするジルベールに、今度こそ明確な拒絶を持ってレティシアは遮る。
「殿下。わたくしがその様な噂を流された時、貴方様はどう行動しましたか? 過去の行いを省みても、同じことが言えるのでしたら、わたくしは残念に思いますわ」
例え、レティシアにも問題あったとしても。ジルベールからそう言われるのは辛い。
ジルベールはあの時、苦言を呈すだけで一緒に解決してくれようとはしなかったではないか。
本当、なぜ今更そんなことを言うのだ。
これは前世の記憶の戻ったレティシアではなく、今まで孤独だったレティシアの本心だ。
「……すまない」
「お話はそれだけでしょうか? わたくし、今日は体調が思わしくないのです。用件が済みましたらお帰りください」
「待って欲しい。最後に一つ、聞いても良いだろうか?」
これ以上の会話は不要と切り捨てて、ソファから立ち上がるレティシアに、ジルベールは先ほどよりは表情を崩して呼び止めた。
それは慈愛の表情だ。まるで、レティシアのためだと言わんばかりの。そんな表情、初めて向けられた。
今日もいつも通りに、お互い仮面を被っていたので、その表情に内心驚いてしまう。
思わず動きを止めてしまったレティシアは、突き放すわけにもいかないとソファに座り直した。
「……何でしょうか?」
「レティシア、この屋敷でお気に入りの家具はあるかな?」
「はい?」
今度こそ、質問の意図が分からずに、レティシアは思わず高めの声をあげてしまう。
(なぜ家具の話を? と言うより、この部屋はわたくしの部屋ではありませんし、お気に入りも何もないのですが。……ああでも、ここで無いと答えると……待って、この屋敷で? これは何かの暗喩?)
話の持っていき方も不自然である。突拍子もなく、それまでの話と繋がる点は何一つない。けれどこの問いで、何かしらジルベールがメッセージを送りたいのだとしたら?
そう思いつつも、全く想像がつかない。そもそも暗喩を理解できるような、間柄ではない。
「そう、家具。将来期待出来そうな、家具だよ。実は今、城に新人が入ってね。経験を積ませるために、使い方を教えてあげたいんだ」
「ええっと……」
何だろう、家具と言っているはずなのに、主語に妙な生物の感覚があるのは。
レティシアは、困惑しながらも、ジルベールの意図を考える。
「たとえば、そう。レティシアに相応しく無いモノは、相応しくなるようにしないといけないからね」
「……!」
これは、まさか。レティシアは、自身の至った考えに驚いた。
もしレティシアの考えが、当たっているのであれば。
ジルベールは――
「いいえ、残念ながら、殿下のお眼鏡に叶う様なモノはありませんの。申し訳ありません」
「…………そうか。わかった。それじゃあ、今日はこれで失礼するよ」
あっさり引き下がるジルベール。
震えそうになる手を、しっかり握った。
(あり得ない。あり得ないわ。いいえ、あり得てしまったら、これからの計画が――)
自身の考えが間違っていると信じて。レティシアは帰宅するジルベールを見送った。
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