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第2章
45.お見舞い……して差し上げますわ
しおりを挟むジョゼフが来てくれて助かった。あのままでは、レティシアが悪者となるところだった。
それでもレティシアの心の奥底には、黒い物がグツグツと煮えたぎっている。
そんなレティシアに、ジョゼフは心配そうに顔を覗き込む。
「お嬢様、私が至らないばかりに、申し訳ありません」
「先程も言ったけれど、ジョゼフのせいではないわ。執事長の言うことを聞けない彼らの人間性だと思うわ」
「何度も皆には、お嬢様に接するのはお嬢様自身が許可してからにと言っているのですが……どうも、勘違いしているようです」
「彼らは公爵の味方でしょう? きっと何がなんでも和解させるために動いているのね」
「それがそもそも間違いなのですがね」
ジョゼフも流石に辟易している。
「予想だけれど、多分ジョゼフ以外の上の役職のものが、悪い方向に動いていると思うのよね」
「ええ。そうでなければ、いくら何でも頭が弱い者が多すぎます」
恐らく最近顔を合わせていない侍女長とかが動いている気がする。
「ところで、ああも公子について言われると、倒れた理由を聞いておきたいわ」
「そうですね。理由が理由だけに、お伝えしておりませんでしたが……」
ジョゼフやルネの様子から、それは容易に想像できてしまっていた。
身構えるレティシアに、ジョゼフの言葉が刺さる。
「……お嬢様と関係改善できないことで、心労が祟ったようですよ」
「よし、1発入れてくるわ」
一番嫌な想像が当たってしまった。
「ええ。ジュスタン様のせいで、レティシア様に余計なストレスがかかっています。あの方はそれを真の意味で理解していない」
「わたくしはもっと幼い頃から、何年もあの状態なのにこれくらいで根を上げるなんて軟弱にも程があるわ」
レティシアの態度なんて、バンジャマンやジュスタンがしてきたことに比べると可愛いものだ。
自分達はもっと酷い扱いをしてきたくせに、ちょっとレティシアに事実を言われただけで倒れるなんてまるで被害者面しているようで気に入らない。
「……けれど、そうね。こうしていても状況は変わらないわ。お見舞いは行って差し上げようかしら」
レティシアの表情を見て、ジョゼフは何をするか察したのだろう。
「そうですね。弱り目に祟り目になるでしょうが、良い薬になるでしょう」
「ええ。出来れば2人きりになる様にしてほしいわ。邪魔が入ったら面倒だもの」
「分かりました。周知もさせたいですし、少し準備をします。食事後はいかがでしょう?」
「お願いするわ」
ジョゼフは一礼すると、準備をしに向かった。
レティシアは薄く笑いながら見送るのだった。
◇◇◇
夕食後。
ジョゼフと話を聞いたルネが、準備が出来たと呼んできた。
「使用人達に話していたら、旦那様の耳にも入ったようですよ。何を勘違いしているのか、嬉しそうにされてました」
ジョゼフはその時の、バンジャマンの顔を思い出しているのだろう。呆れが多分に混ざっている。
「皆、自分の都合の良いようにしか考えられないのね。……それとも、わたくしがそんなに聖人君子に見えるのかしら?」
「きっと勘違いしているんですよ。お嬢様も本当は旦那様達といつまでもすれ違っていたいわけではないって、信じないと自分達の立つ瀬がありませんから」
「現実を見ないと、改善も何もないのにね」
ルネの言葉に、人間の都合の良さを感じる。
ジュスタンの部屋に向かう途中、すれ違う使用人から視線が送られてくる。
期待に煌めいているそれは、とても不快な視線だ。勝手に色々期待してくる事に怒りを覚える。
使用人の視線を全て無視して、いやジョゼフとルネが弾き返している。
半歩後ろにいるので表情は分からないが、期待の表情から一転させた使用人達の表情を見るに、大分怖い表情をしているのだろう。
想像して少しおかしくなってしまう。
無駄に長い廊下を歩いて、ようやくジュスタンの部屋に着く。
ジョゼフが扉をノックすると、弱々しいジュスタンの声が聞こえる。
「ジュスタン様。お嬢様をお連れしました」
ジョゼフのその言葉に、ガタガタッと音がして扉がバンッと音を立てて開いた。その勢いに若干引いてしまう。
(よほどわたくしを待っていたのね……。気持ち悪い)
出てきたジュスタンは目の下に隈をつくり、頬が前より痩けていた。けれどその表情は、レティシアが来てくれて嬉しいと書いてある。
それに喜びなど一切なく、むしろ嫌悪感は募っていくばかり。
これから始まる地獄の時間を、想像していないのが良くわかる。
「レ、レティシア……。本当に来てくれるなんて……中に入ってくれ」
「……ええ。では、後は大丈夫です」
「承知しました」
ジョゼフとルネは、扉を閉めて去っていく。
2人きりになった瞬間、レティシアの肌にびっしり鳥肌が立った事に驚いた。
(体は正直と言ったところかしら……コイツと一緒の空間なんて、吐き気がするわ)
ジュスタンは、レティシアの様子を伺いながら話しかけてくる。
「ひ、久しぶり、だな」
「そうですね」
「す、座ったらどうだ?」
「いえ、結構ですわ。それより公子様、顔色が酷いです。どうぞベットへ」
「あ、ああ」
ジュスタンの態度の変わりように、レティシアは内心で疑問に思う。
(なぜこんなにオドオドしているのかしら。いつもの傲慢な態度はどこに行ったのかしら。もしかして影武者?)
そう考えつつも、ジュスタンをベットへ戻す。別に親切心ではない。座っているより寝てくれていたほうが、何かあった時に逃げやすいだけだ。
(まあ、この様子では走ろうものなら倒れそうですが)
ベットに横になったジュスタンの枕元に移動する。
「公子様も体調を崩されることがあるのですね。そんなに後継者教育は大変なのですか?」
「あ、いや。確かに学園の授業と比べて勝手が違うし大変だが、今回は……」
「そうですわね。始めたばかりで根を上げるなんて、情けない事できませんものね」
「っああ」
レティシアの言葉に、ジュスタンは言葉に詰まりかける。
「わたくしがその昔、風邪を引いて寝込んだことがありましたわね。覚えていらして?」
「あ、えっと」
「わたくし、しっかり覚えていますの」
ここに来て漸く、ジュスタンは気がついたようだ。
レティシアがただお見舞いに来た訳ではない、という事に。
「発熱と喉の痛みで苦しくて苦しくて。けれど、だぁれもお見舞いになんて来てくださらなかったわ。まるで世界にわたくし、ひとりぼっちになってしまったような心地でしたの」
「レ、レティ、シア」
「お医者様も中々来てくださらなくて。後で知ったのですが、公爵が呼ぶ必要ないと命令されていたそうですね。お陰でメイドがコッソリお医者様を呼ぶまでに、かなり悪化してしまいましたのよ。肺炎の一歩手前だったそうです」
消え入りそうなジュスタンの声を無視して、レティシアは口角だけあげて話し続ける。
目だけは笑っていないので、恐ろしい表情になっているだろう。
「何とか快復した後、久しぶりの食事の時に公子様が仰ったこと、覚えていますわね?」
「……」
ジュスタンは覚えていないだろう。でなければ、レティシアに会いたいなんて、恥知らずな発言できる訳ないのだから。
それでもジワジワ追い詰めるために、ゆったりとした口調を意識して言う。
「わたくしは一言一句覚えていますわ。"たかが風邪で大袈裟にするな。風邪をひくなど公爵家の恥だ"とおっしゃられましたわ」
「お、おれは……」
「公子様、わたくし未熟者ですから分かりませんの。だから教えてくださる? その程度で体調を崩すなんて、公爵家の恥ではありませんの? わたくしと何が違うのでしょうか?」
「そ、そんな……こと……」
ジュスタンは今までで1番顔色が悪くなった。
何かをしたいのか、体を起こそうとしている。
「あらあら公子様。急に動くと体に障りますわ。自分の限界も分かっておられないようでは、公爵家を運営していけませんわ」
それを気遣うフリをしながら、毒を打ち込む。
もうレティシアの悪意から、目を逸せなくなったのだろう。
ジュスタンの青い瞳が潤み始める。
レティシアは興醒めする。自分がが受けてきたことの10分の1もない悪意なのに、このくらいでジュスタンは心が折れるのだ。
自分は耐えられないくせに、レティシアには耐える事を強要した。
ジュスタンとは違い、貶し続けて喜ぶような下衆ではない。それでも少し溜飲を下げた。
「公子様、どうしてその様な顔をなさるのでしょうか? 貴方がしてきた事をしているだけですわ。このような対応をして欲しいから、実行してお手本を見せてくださったのでしょう? 違うのですか?」
「れ、レティシア……本当に、すまな――」
「謝罪したところで過去は消えませんの。この様な茶番にわたくしを巻き込まないでくださいまし」
「っ」
もう良いだろうと、レティシアは扉へ向かう。
部屋から出る直前、レティシアは振り返らずに言った。
「これくらいで根を上げないでくださいませね。わたくしは、それ以上の苦しみをもっと耐えてきましたわ。どうぞ、そのまま将来公爵となってもっと苦しんでくださいませ」
そう言って乱暴に扉を閉めた。
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