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薬草園の片隅で②
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彼女が刺繡をする様子を最初は傍で見ていたフィンは、いつの間にか薬草の手入れをしていた。
リーシャは黙々と手を動かす。不思議と、普段よりも集中できた。どのくらいの時間が経ったのだろう。
少々歪ではありながらも、きちんとそうだとわかる形の小さい赤い花が数輪、白い布の中で咲いていた。
次は茎と葉を縫おうと、赤い糸を抜いて緑の刺繍糸を針に通す。針を刺してしばらく指を動かしていると、ふと、身体が震えた。
「ん……」
出入り口の扉が開いているため、時折風が入り込んでくる。春先とはいえ風はまだ冷たい。身体が冷えてしまったのかと思ったが、それだけではない、と気が付いた。
スカートの中でこっそりと膝を擦り合わせる。どうしよう。お手洗いに行きたくなってしまった。
きょろきょろと辺りを見回す。当たり前だが、薬草園の中にトイレなどあるわけがない。
ここには何度も来たことがあるが、フィンの迷惑になってはいけないからと長時間居座ることはしなかったので、いままで尿意を覚えたことなどなかったのだ。城内に戻らないとトイレには行けない。
しかし、それまで我慢できるかというと、その自信はまったくと言っていいほどなかった。
お茶の時間に飲んだ紅茶がお腹の中にたっぷり溜まっている。せめてここに来る前にお手洗いを済ませてくればよかったのに、そのときは考えもつかなかった。
もじもじと脚を小さく動かす。手で押さえたくなるけれど、そんなはしたない真似をしてはいけない。そわそわと身体を揺らして、重たい下腹部から意識を逸らそうとする。
けれど、一度尿意に気付いてしまうと、もう頭の中はそれだけでいっぱいになってしまった。お手洗いに行きたい。おしっこしたい。でも、ここにお手洗いはなくて
どうにかしないといけない。手を止めたままほんの少し考えを巡らせて、リーシャは思いきって口を開いた。
「あ、あの、フィン……」
「ん? なんだい?」
「ええと……」
小さい声にも関わらず、離れたところにいたフィンが振り返った。こちらに歩み寄ってくる。
呼びかけたもののなんと言えばいいのかわからなくて、口を閉ざしてしまう。お手洗いが―おしっこが我慢できないなんて、口が裂けても言えない。
俯きがちになってじっと座っていると、フィンは軽く首をかしげた。
「もしかして、お手洗いかい?」
瞬時に言い当てられてしまい、ぱっと顔が赤くなる。
彼はなんでもないことのように言葉を続けた。
「冷えてしまったかな。なんなら私は外に出ているから、あの辺りで済ませておいで」
あの辺り、と薬草園の片隅、何も植えられていない土が剥き出しになっている部分を指差される。
壁も天井もガラス張りだけれど、背の高い植物が陰になるため、あの位置なら外からは見えないだろう。
「そんなこと……」
「構わないよ。この前も言っただろう? あまり我慢してはいけないよと」
少し前に、書庫で粗相をしてしまったときのことを思い出す。あのときは本に夢中になっていて、気付いたときには限界で。
いまと似たような状況だった。
あのときはフィンに見つかってしまって恥ずかしかったけれど、魔術で汚れたドレスや床を元通りにしてもらったのだ。
再び彼に粗相した姿を見られるのは避けたい。
しかし、いくら許されても大好きな薬草園の中で用を足すことなどしたくはなかった。
昔の城には個室のトイレがなく、排泄のために作られた椅子や尿瓶を使っていたと本で読んだことがある。いまほど衛生観念や礼儀作法にも厳しくなかったため、我慢ができないときには廊下の隅や庭先で平然と用を足していたとも。
けれど現在の王都には下水道が整備され、城内には多数の水洗式のトイレが設置されている。
人前でお手洗いに立つことははしたないからと、リーシャは基本的には自室に備え付けのものを使うようにと幼い頃から言い聞かせられていた。
けれど粗相をすることのほうがよほどはしたないから、どうしてもというときには、ほかのお手洗いを使っても構わないと。決してお手洗い以外の場所では用を足してはいけないと、厳しく躾けられていた。
だからこんなところで、おしっこをしてはいけない。
だけどもう、お手洗いまで歩いていくことなどできない。
お腹の奥から切ない衝動が湧き上がってくる。このままだと、座ったまま漏らしてしまうかもしれない。それはもっと嫌だ。もう二度と、彼の前でおもらしなどしたくない。
それでもリーシャが立ち上がれずにいると、フィンが小さく息を吐いた。
「少し待っていて」
そう言って、フィンは踵を返す。彼は扉の近くに行き何かを取ってくると、すぐに戻ってきた。
「これに済ませるのはどうだい?」
差し出されたのは木製のバケツだった。
バケツに用を足すなど、そんなことはしたことがない。顔を赤らめて戸惑っていると、彼は諭すように口を開いた。
「ベッドから動けないときには尿瓶を使うだろう? それと同じだよ。大丈夫、ここには姫を叱る人はいない」
彼が柔らかい声で話す言葉はなんでも正しいことのように思えてくる。恥ずかしいけれど、もうあまり時間がない。
ぞくぞくと身体が震えた。
おしっこがしたい。もう我慢できない。
せめて土を汚さずに済むのなら、彼の言う通りにするしかないだろう。
小さく、リーシャは頷いた。
「わかり、ました」
「いい子だ」
フィンは優しく笑みを浮かべた。
刺繍道具を花壇の縁に置き、彼に手を取られてそっと立ち上がる。
立ち上がったせいで膀胱が収縮しそうになったけれど、腿に力を込めてなんとか堪えた。ぎゅう、とドレスの布を片手で強く握り締める。
フィンはリーシャを連れて薬草園の隅まで歩いていき、地面にバケツを置いた。
「私は外にいるから、終わったら教えておくれ」
そう言うと、彼は足早に建物を出ていった。
リーシャは黙々と手を動かす。不思議と、普段よりも集中できた。どのくらいの時間が経ったのだろう。
少々歪ではありながらも、きちんとそうだとわかる形の小さい赤い花が数輪、白い布の中で咲いていた。
次は茎と葉を縫おうと、赤い糸を抜いて緑の刺繍糸を針に通す。針を刺してしばらく指を動かしていると、ふと、身体が震えた。
「ん……」
出入り口の扉が開いているため、時折風が入り込んでくる。春先とはいえ風はまだ冷たい。身体が冷えてしまったのかと思ったが、それだけではない、と気が付いた。
スカートの中でこっそりと膝を擦り合わせる。どうしよう。お手洗いに行きたくなってしまった。
きょろきょろと辺りを見回す。当たり前だが、薬草園の中にトイレなどあるわけがない。
ここには何度も来たことがあるが、フィンの迷惑になってはいけないからと長時間居座ることはしなかったので、いままで尿意を覚えたことなどなかったのだ。城内に戻らないとトイレには行けない。
しかし、それまで我慢できるかというと、その自信はまったくと言っていいほどなかった。
お茶の時間に飲んだ紅茶がお腹の中にたっぷり溜まっている。せめてここに来る前にお手洗いを済ませてくればよかったのに、そのときは考えもつかなかった。
もじもじと脚を小さく動かす。手で押さえたくなるけれど、そんなはしたない真似をしてはいけない。そわそわと身体を揺らして、重たい下腹部から意識を逸らそうとする。
けれど、一度尿意に気付いてしまうと、もう頭の中はそれだけでいっぱいになってしまった。お手洗いに行きたい。おしっこしたい。でも、ここにお手洗いはなくて
どうにかしないといけない。手を止めたままほんの少し考えを巡らせて、リーシャは思いきって口を開いた。
「あ、あの、フィン……」
「ん? なんだい?」
「ええと……」
小さい声にも関わらず、離れたところにいたフィンが振り返った。こちらに歩み寄ってくる。
呼びかけたもののなんと言えばいいのかわからなくて、口を閉ざしてしまう。お手洗いが―おしっこが我慢できないなんて、口が裂けても言えない。
俯きがちになってじっと座っていると、フィンは軽く首をかしげた。
「もしかして、お手洗いかい?」
瞬時に言い当てられてしまい、ぱっと顔が赤くなる。
彼はなんでもないことのように言葉を続けた。
「冷えてしまったかな。なんなら私は外に出ているから、あの辺りで済ませておいで」
あの辺り、と薬草園の片隅、何も植えられていない土が剥き出しになっている部分を指差される。
壁も天井もガラス張りだけれど、背の高い植物が陰になるため、あの位置なら外からは見えないだろう。
「そんなこと……」
「構わないよ。この前も言っただろう? あまり我慢してはいけないよと」
少し前に、書庫で粗相をしてしまったときのことを思い出す。あのときは本に夢中になっていて、気付いたときには限界で。
いまと似たような状況だった。
あのときはフィンに見つかってしまって恥ずかしかったけれど、魔術で汚れたドレスや床を元通りにしてもらったのだ。
再び彼に粗相した姿を見られるのは避けたい。
しかし、いくら許されても大好きな薬草園の中で用を足すことなどしたくはなかった。
昔の城には個室のトイレがなく、排泄のために作られた椅子や尿瓶を使っていたと本で読んだことがある。いまほど衛生観念や礼儀作法にも厳しくなかったため、我慢ができないときには廊下の隅や庭先で平然と用を足していたとも。
けれど現在の王都には下水道が整備され、城内には多数の水洗式のトイレが設置されている。
人前でお手洗いに立つことははしたないからと、リーシャは基本的には自室に備え付けのものを使うようにと幼い頃から言い聞かせられていた。
けれど粗相をすることのほうがよほどはしたないから、どうしてもというときには、ほかのお手洗いを使っても構わないと。決してお手洗い以外の場所では用を足してはいけないと、厳しく躾けられていた。
だからこんなところで、おしっこをしてはいけない。
だけどもう、お手洗いまで歩いていくことなどできない。
お腹の奥から切ない衝動が湧き上がってくる。このままだと、座ったまま漏らしてしまうかもしれない。それはもっと嫌だ。もう二度と、彼の前でおもらしなどしたくない。
それでもリーシャが立ち上がれずにいると、フィンが小さく息を吐いた。
「少し待っていて」
そう言って、フィンは踵を返す。彼は扉の近くに行き何かを取ってくると、すぐに戻ってきた。
「これに済ませるのはどうだい?」
差し出されたのは木製のバケツだった。
バケツに用を足すなど、そんなことはしたことがない。顔を赤らめて戸惑っていると、彼は諭すように口を開いた。
「ベッドから動けないときには尿瓶を使うだろう? それと同じだよ。大丈夫、ここには姫を叱る人はいない」
彼が柔らかい声で話す言葉はなんでも正しいことのように思えてくる。恥ずかしいけれど、もうあまり時間がない。
ぞくぞくと身体が震えた。
おしっこがしたい。もう我慢できない。
せめて土を汚さずに済むのなら、彼の言う通りにするしかないだろう。
小さく、リーシャは頷いた。
「わかり、ました」
「いい子だ」
フィンは優しく笑みを浮かべた。
刺繍道具を花壇の縁に置き、彼に手を取られてそっと立ち上がる。
立ち上がったせいで膀胱が収縮しそうになったけれど、腿に力を込めてなんとか堪えた。ぎゅう、とドレスの布を片手で強く握り締める。
フィンはリーシャを連れて薬草園の隅まで歩いていき、地面にバケツを置いた。
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