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第二巻:夏は、夜
ご機嫌×ご乱心
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「あー、肩が重い」
ミホは、肩をグリグリまわしていた。
元バレリーナだけあって可動域が驚くほど広いので正直、見ていて気持ち悪い。
ここは、学園のダンス練習室だ。
あみが出演するドラマで、アクションシーンがあるらしいのだが、意外と身体が固く、さっきまでストレッチ講習という名の拷問で悲鳴をあげていたのだ。
そんな彼女は、ぐったりと冷や汗まみれのジャージから制服に着替えに行っている。
「どうした、元気ないな」
さっきまでは、あれほど楽しそうに、あみ相手に「あと、さんみりー」とか騒いでいたのに、急に静かだ。
「あー。さわりんが通ってた風俗店あるでしょ」
人聞きの悪いことを言うな。
借金のカタに風俗で働かせられた女性に客をつけないために、シフトの間中、指名し続けていただけだ。
そういえば、俺にその女性、立花を助けてほしいと頼んできた筋肉タレントの大谷は、肩代わりした借金を踏み倒した立花に逃げられ、それを慰めてくれた女性とつきあっているらしいが、それも騙されてるんじゃないか、と心配している。
「あのそばのダンス教室の先生ご夫婦が、ある大会の審査員で地方出張してて、今夜ボクが一人で代行レッスンなんだ」
「なにか、面倒なレッスンなのか?」
彼女の実力からして、街のダンス教室レベルのレッスンで、憂鬱になる理由はないだろう。
「違う違う。レッスン後、生徒さん帰してお掃除するんだけど、あのビル古いから、一人だと、なんか怖くて」
ミホの頭の上に、電球が灯るのが見えた。
「さわりん!ご飯奢るから、掃除のとき、いっしょに来てよ。居るだけでいいから。一人だと怖いし、寂しい」
ガン!と音をたてて、開いたドアの先には、あみが仁王立ちしていた。
「ミホちゃん。私の先輩に、手を出さないでって、言ったよ。ね?」
声が平坦なのが、怖い。
「いっしょに来て、ってどこへ私の先輩を連れて行く気なの?」
「ちょ、あみりん。親友のボクを疑うの?」
「親友?いつの話?今現在は、そうじゃないのは確実」
ああ、途中から聞いたんだな。
前半がないと、誘っているように、聞こえなくもない。
そんなのんきなことを考え、どうせ避けようのない嵐に、俺は現実逃避していた。
「なんだか、懐かしい。ここ」
なんとか、あみの誤解を解き、俺たち二人は居酒屋にいた。
ミホが教えるダンス教室のレッスンの間、どこで時間を潰そうか迷っていたら、あみが「近所で制服で入れるお店知ってる」と連れて来たのだ。
しかしここは、例の風俗店のすぐ側で、なんだか落ち着かない。
「ここに座って、路地から出てくる先輩を、何時間も待ってたんだ」
どうやら、ここで、俺が借金のカタに風俗店で働かされた女性を助けるために通ったのを、見張っていたらしい。
それは、「制服で入れるお店知ってる」ではなくて、制服で入った既成事実があるお店だ。
ミホの失言のせいでの不機嫌は、完全には直っていないらしい。
ちくちくちくちくと、その女性を助けるため、俺が何も言わずに、あみを蔑ろにしていたことを、懐かしい思い出として語る。
まさに、針の筵。
俺は、機嫌をとろうとして、
「あみに、料理を選んでほしいな」
「・・・じゃあ、とろろに、メカブに、うふふ」
俺の苦手な食べ物で、「残さないで食べてね?」をやるつもりらしい。
しかしここは、忍の一字だ。
俺は、笑顔を絶やさなかった。
あみは、平坦な目で俺を見て、平坦な声で囁いた。
「今の、困った子供を見るみたいな目、嫌い」
更に、機嫌を損ねてしまったので、素直に謝った。
「ごめん」
「今のは『ごめん』はいいけど。もしまた、形だけで謝ったら、ぼっこぼこだから」
彼女は、俺をノックアウトした実績のある拳を固めて見せた。
「ありがとー、寂しかったよー」
俺の真摯な謝罪とあみのツマミの選び方を絶賛したおかげで、彼女が機嫌を直していたのを感じ取ったらしいミホは、いつもの調子で言ってきた。
「もう、生徒さん帰ったのは、ついさっきでしょ」
「えへっ、でも、ちょっと怖かったのさ」
それは、あみの機嫌のことを言っているようにも聞こえた。
「確かに、ちょっと怖いね」
ミホの発言を素直に受け取って、あみが見渡す、と練習用の照明を落とした教室は広い分、端が薄暗い。
しかも、一面の壁は大きな鏡があり、別の壁の大量に貼られた写真が写り、きっと煌びやかなのだろうけど、薄明かりで遠目に見ると怖い。
「さっさと掃除しちゃう。あみりんたちは、そこで見てて」
居るだけでいい、とは言われていたが、一人で掃除させるわけにもいかないだろう。
できれば、手伝って、早めに終えたい。
照明が、消えた。
「うへへへへへへ」
ミホが、スマホのライトで、下から自分の顔を照らして現れた。
照明が消えたといっても、大きな窓から、繁華街の光が入って物が見え、真っ暗ではない。
そもそも、ミホの手が、壁のスイッチに伸びたのも、見えている。
俺は、どう処理したらいいか、困惑してノーリアクションだったが、あみは容赦なく「カシャッ」とスマホで写真を撮っていた。
さっそく、いくつかのグループLINEにマヌケな写真が流され、志桜里から「なんの罰ゲームですか?」的なメッセージが入る。
ミホ、俺はもう、あみのご機嫌をとるのに、疲れたよ。
結局、三人で、床をモップで拭く。
広いダンス教室を、モップを押して進む、という単純な行為が、意外と楽しい。
あみも、モップ掛けしながら、鼻歌が出て、ミホと目が合い、慌てて不機嫌な顔を取り繕っていた。
掃除も終わり、モップも洗った。
「片づけてくるから、あみりんたちは、待ってて」
短時間で掃除できたので、まだ未成年が外食をしても、文句を言われない時間帯だ。
とはいえ、さっきの居酒屋は、もう勘弁してほしい。
駅からの途中で、チェーン店のファミレスを見たような気もする。
ミホの驕りで割り勘ではないのだから、そのくらいの金額設定の店が妥当だろう。
「や・き・に・く。お・に・く」
あみは、焼き肉屋を検索しているようだ。
ミホ、悪いのは、お前自身だぞ。
『ばっかやろおおおおおおーーーーー!』
突然、誰かが教室に飛び込んできて、信じられないような大声で怒鳴った。
気のせいだろうが、窓ガラスがビリビリ鳴ったように感じて、ある程度の防音がされている場所なのに、確実に外へと声は漏れ、怯えたような犬の遠吠えが聞こえた気がする。
俺とあみは、驚きのあまり、思わず抱き合っていた。
だがそんな遅滞は一瞬で、俺はソイツに背を向けるように身体の位置をずらし、あみを腕の中に庇った。
「きゃ、うぐっ」
あみが、思いのほか激しい悲鳴を上げかけたので、可哀そうだが、手で口を押える。
大声が、ソイツを刺激してしまうかもしれないからだ。
ここまでやって、ようやく俺は、ソイツを見る余裕ができた。
真っ赤な衣装に、派手なメイク、ふわふわした上着。
まるでショー帰りのダンサーのような。
ダンサー?
「姫子先生、どうして?」
騒ぎに、走ってきたミホが、驚いたように言った。
どうして、頭にバケツを被っているのか、まず教えてくれ、ミホ。
急いでいたためのドジっ子的なものか、お前の戦闘スタイルなのか、どっちだ?
「帰るのは、明日の予定だったはず?」
「聞いてよ、ミホちゃん!うちのハゲがね、三十も下の女に鼻の下伸ばしてるの!信じられる?」
「それで、怒って一人で帰ってきた?」
なんだろう、この場にいる唯一の男である俺は、男代表として糾弾を浴びているような気もするし、三十も年下女性に、というのがピンポイントで、効いてくる。
とにかく、危害を加えてくるような人物ではないようだ。
「・・・先輩?」
あみが、緩めた俺の手の下から、か細い声で、声をかけてきた。
「どうした?」
「あの・・・ミホちゃんたちに、見られちゃうよ」
言われて気がついたが、腕の中にあみを抱きしめて、そのままだった。
「ああ、すまん」
あみを開放する。
「・・・謝る必要ない」
「ああ、すまん」
「あ、形だけで謝ってる」
頬を膨らませて、拳を固めて見せる。
「いやちゃんと、謝ってるぞ」
開放はしたが、まだ側に立っているのを利用して、目に力を込めた。
「・・・うん、わかった。それに、」
あみは、顔を赤くして、頷いた。
「庇ってくれて、ありがとう」
よし、話題を変えよう。
「それにしても、驚いたな」
「うん、びっくりしちゃったね」
今日のあみの機嫌は乱高下だったが、最後はなんとか、良いところで、終われそうだ。
あとは、この後の食事で、トラブルがなければいいのだが。
しかし、姫子先生とやらのグチは続いてなかなか開放されず、あみはスマホで検索していた。
「フルコース フランス イタリアン、ステーキ、中華」
どうやら、フルコース前提らしい。
ミホ、俺はもう、あみのご機嫌をとるのに、疲れたよ。
ミホは、肩をグリグリまわしていた。
元バレリーナだけあって可動域が驚くほど広いので正直、見ていて気持ち悪い。
ここは、学園のダンス練習室だ。
あみが出演するドラマで、アクションシーンがあるらしいのだが、意外と身体が固く、さっきまでストレッチ講習という名の拷問で悲鳴をあげていたのだ。
そんな彼女は、ぐったりと冷や汗まみれのジャージから制服に着替えに行っている。
「どうした、元気ないな」
さっきまでは、あれほど楽しそうに、あみ相手に「あと、さんみりー」とか騒いでいたのに、急に静かだ。
「あー。さわりんが通ってた風俗店あるでしょ」
人聞きの悪いことを言うな。
借金のカタに風俗で働かせられた女性に客をつけないために、シフトの間中、指名し続けていただけだ。
そういえば、俺にその女性、立花を助けてほしいと頼んできた筋肉タレントの大谷は、肩代わりした借金を踏み倒した立花に逃げられ、それを慰めてくれた女性とつきあっているらしいが、それも騙されてるんじゃないか、と心配している。
「あのそばのダンス教室の先生ご夫婦が、ある大会の審査員で地方出張してて、今夜ボクが一人で代行レッスンなんだ」
「なにか、面倒なレッスンなのか?」
彼女の実力からして、街のダンス教室レベルのレッスンで、憂鬱になる理由はないだろう。
「違う違う。レッスン後、生徒さん帰してお掃除するんだけど、あのビル古いから、一人だと、なんか怖くて」
ミホの頭の上に、電球が灯るのが見えた。
「さわりん!ご飯奢るから、掃除のとき、いっしょに来てよ。居るだけでいいから。一人だと怖いし、寂しい」
ガン!と音をたてて、開いたドアの先には、あみが仁王立ちしていた。
「ミホちゃん。私の先輩に、手を出さないでって、言ったよ。ね?」
声が平坦なのが、怖い。
「いっしょに来て、ってどこへ私の先輩を連れて行く気なの?」
「ちょ、あみりん。親友のボクを疑うの?」
「親友?いつの話?今現在は、そうじゃないのは確実」
ああ、途中から聞いたんだな。
前半がないと、誘っているように、聞こえなくもない。
そんなのんきなことを考え、どうせ避けようのない嵐に、俺は現実逃避していた。
「なんだか、懐かしい。ここ」
なんとか、あみの誤解を解き、俺たち二人は居酒屋にいた。
ミホが教えるダンス教室のレッスンの間、どこで時間を潰そうか迷っていたら、あみが「近所で制服で入れるお店知ってる」と連れて来たのだ。
しかしここは、例の風俗店のすぐ側で、なんだか落ち着かない。
「ここに座って、路地から出てくる先輩を、何時間も待ってたんだ」
どうやら、ここで、俺が借金のカタに風俗店で働かされた女性を助けるために通ったのを、見張っていたらしい。
それは、「制服で入れるお店知ってる」ではなくて、制服で入った既成事実があるお店だ。
ミホの失言のせいでの不機嫌は、完全には直っていないらしい。
ちくちくちくちくと、その女性を助けるため、俺が何も言わずに、あみを蔑ろにしていたことを、懐かしい思い出として語る。
まさに、針の筵。
俺は、機嫌をとろうとして、
「あみに、料理を選んでほしいな」
「・・・じゃあ、とろろに、メカブに、うふふ」
俺の苦手な食べ物で、「残さないで食べてね?」をやるつもりらしい。
しかしここは、忍の一字だ。
俺は、笑顔を絶やさなかった。
あみは、平坦な目で俺を見て、平坦な声で囁いた。
「今の、困った子供を見るみたいな目、嫌い」
更に、機嫌を損ねてしまったので、素直に謝った。
「ごめん」
「今のは『ごめん』はいいけど。もしまた、形だけで謝ったら、ぼっこぼこだから」
彼女は、俺をノックアウトした実績のある拳を固めて見せた。
「ありがとー、寂しかったよー」
俺の真摯な謝罪とあみのツマミの選び方を絶賛したおかげで、彼女が機嫌を直していたのを感じ取ったらしいミホは、いつもの調子で言ってきた。
「もう、生徒さん帰ったのは、ついさっきでしょ」
「えへっ、でも、ちょっと怖かったのさ」
それは、あみの機嫌のことを言っているようにも聞こえた。
「確かに、ちょっと怖いね」
ミホの発言を素直に受け取って、あみが見渡す、と練習用の照明を落とした教室は広い分、端が薄暗い。
しかも、一面の壁は大きな鏡があり、別の壁の大量に貼られた写真が写り、きっと煌びやかなのだろうけど、薄明かりで遠目に見ると怖い。
「さっさと掃除しちゃう。あみりんたちは、そこで見てて」
居るだけでいい、とは言われていたが、一人で掃除させるわけにもいかないだろう。
できれば、手伝って、早めに終えたい。
照明が、消えた。
「うへへへへへへ」
ミホが、スマホのライトで、下から自分の顔を照らして現れた。
照明が消えたといっても、大きな窓から、繁華街の光が入って物が見え、真っ暗ではない。
そもそも、ミホの手が、壁のスイッチに伸びたのも、見えている。
俺は、どう処理したらいいか、困惑してノーリアクションだったが、あみは容赦なく「カシャッ」とスマホで写真を撮っていた。
さっそく、いくつかのグループLINEにマヌケな写真が流され、志桜里から「なんの罰ゲームですか?」的なメッセージが入る。
ミホ、俺はもう、あみのご機嫌をとるのに、疲れたよ。
結局、三人で、床をモップで拭く。
広いダンス教室を、モップを押して進む、という単純な行為が、意外と楽しい。
あみも、モップ掛けしながら、鼻歌が出て、ミホと目が合い、慌てて不機嫌な顔を取り繕っていた。
掃除も終わり、モップも洗った。
「片づけてくるから、あみりんたちは、待ってて」
短時間で掃除できたので、まだ未成年が外食をしても、文句を言われない時間帯だ。
とはいえ、さっきの居酒屋は、もう勘弁してほしい。
駅からの途中で、チェーン店のファミレスを見たような気もする。
ミホの驕りで割り勘ではないのだから、そのくらいの金額設定の店が妥当だろう。
「や・き・に・く。お・に・く」
あみは、焼き肉屋を検索しているようだ。
ミホ、悪いのは、お前自身だぞ。
『ばっかやろおおおおおおーーーーー!』
突然、誰かが教室に飛び込んできて、信じられないような大声で怒鳴った。
気のせいだろうが、窓ガラスがビリビリ鳴ったように感じて、ある程度の防音がされている場所なのに、確実に外へと声は漏れ、怯えたような犬の遠吠えが聞こえた気がする。
俺とあみは、驚きのあまり、思わず抱き合っていた。
だがそんな遅滞は一瞬で、俺はソイツに背を向けるように身体の位置をずらし、あみを腕の中に庇った。
「きゃ、うぐっ」
あみが、思いのほか激しい悲鳴を上げかけたので、可哀そうだが、手で口を押える。
大声が、ソイツを刺激してしまうかもしれないからだ。
ここまでやって、ようやく俺は、ソイツを見る余裕ができた。
真っ赤な衣装に、派手なメイク、ふわふわした上着。
まるでショー帰りのダンサーのような。
ダンサー?
「姫子先生、どうして?」
騒ぎに、走ってきたミホが、驚いたように言った。
どうして、頭にバケツを被っているのか、まず教えてくれ、ミホ。
急いでいたためのドジっ子的なものか、お前の戦闘スタイルなのか、どっちだ?
「帰るのは、明日の予定だったはず?」
「聞いてよ、ミホちゃん!うちのハゲがね、三十も下の女に鼻の下伸ばしてるの!信じられる?」
「それで、怒って一人で帰ってきた?」
なんだろう、この場にいる唯一の男である俺は、男代表として糾弾を浴びているような気もするし、三十も年下女性に、というのがピンポイントで、効いてくる。
とにかく、危害を加えてくるような人物ではないようだ。
「・・・先輩?」
あみが、緩めた俺の手の下から、か細い声で、声をかけてきた。
「どうした?」
「あの・・・ミホちゃんたちに、見られちゃうよ」
言われて気がついたが、腕の中にあみを抱きしめて、そのままだった。
「ああ、すまん」
あみを開放する。
「・・・謝る必要ない」
「ああ、すまん」
「あ、形だけで謝ってる」
頬を膨らませて、拳を固めて見せる。
「いやちゃんと、謝ってるぞ」
開放はしたが、まだ側に立っているのを利用して、目に力を込めた。
「・・・うん、わかった。それに、」
あみは、顔を赤くして、頷いた。
「庇ってくれて、ありがとう」
よし、話題を変えよう。
「それにしても、驚いたな」
「うん、びっくりしちゃったね」
今日のあみの機嫌は乱高下だったが、最後はなんとか、良いところで、終われそうだ。
あとは、この後の食事で、トラブルがなければいいのだが。
しかし、姫子先生とやらのグチは続いてなかなか開放されず、あみはスマホで検索していた。
「フルコース フランス イタリアン、ステーキ、中華」
どうやら、フルコース前提らしい。
ミホ、俺はもう、あみのご機嫌をとるのに、疲れたよ。
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