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第二巻:夏は、夜
軽しょう÷化しょう
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救急隊員に診てもらった時点で、俺の傷は縫う必要がないとわかったが一応、暴行を受けたので医師の診断を受けた方がよい、とのことで病院へ運ばれた。
救急車には、誰も乗せず、あみは志方、志桜里はメイドに、各々の事務所へ送らせた。
結果として、俺への傷害事件になってしまったので、事務所に報告し対応の検討が必要と判断したからだ。
俺は、医師に目に光を当てられたり、問診を受けたりして、念のため一晩、入院することになった。
暴行された精神的なショックが、一人になってから症状が出てくるかも、という配慮らしい。
しかし、その優しさに対して入院費を払うのは俺なわけで、生命保険は、適応できるのだろうか。
看護師さんに、「誰か知らせたい人がいますか?」と聞かれたが、「一人暮らしなので」とだけ答えた。
メイドが俺の所属事務所に行ってくれているので、問題ないだろう。
救急車が出る前に、搬送先の病院名も決まっていたことだし。
たまたま他に入院患者のいなかった四人部屋に移って、病院着という名のパジャマに着替えてしばらくすると、警官がきて、事情を聴かれた。
隠すことはないので、ありのままを伝える。
ついでに犯人について聞くと、少年Aであること、あみが所属するアイドルグループの大ファンであり、激烈な推しが彼女と二期生リーダーを争った同事務所の「ゆい」であること。
彼のリュックに入っていたノートパソコンから、リーダー対決の冠番組サイトに対して、誹謗中傷や脅迫メールの送付、掲示板への書き込みなどが、簡単に発見されていることを教えてくれた。
あみへの「メイド喫茶で働かせろ」メールに関しては調査中のようだが、タイミング的にリーダー争い発表の前なので、どうなのだろう。
今回の狙いは、「ゆい」のリーダー就任の邪魔をしたあみと、その応援をした上で冠番組で「ゆい」の存在感を薄くしたメイドだったのか。
しかし、動機となってしまった「ゆい」の立場もキツくて、事務所が違うとはいえ同じアイドルグループのマネージャーである志方は説明や調整が大変だろうな、と他人事ながら思った。
警官が去った直後、茜が来た。
笑顔だが、その目は、真っ赤だった。
メイドから、軽傷だと聞いただろうに。
社長は、志桜里の側についていて、来ない。
『志桜里が心配だから、病院に行けないけど彩芽を嫌いにならないで』
俺のマネージャーの口から棒読みで伝言を伝えられた。
なぜ、文明の利器を使わない。
「いいから志桜里についていてやれ。来てたら嫌いになった」
と俺、良いこと言うなあ、と伝言を頼んだら、メッセンジャーにされた茜は、空き缶を見るような目で、三秒ほど俺を見た。
これは、どういう感情での目なんだろう。
「・・・はい、伝えます。来る前に病院に確認したら、念のために一晩入院するとわかりましたので、緊急事態として、お預かりしている鍵を使って沢田先生の部屋から、必要な物を持って来ています」
紙袋から、出して見せる。
「まず、スマホの充電器、」
さすがは、俺の優秀なマネージャーだ。
病院の売店でも売っているだろうが、やはりケーブルが長い方が便利だ。
「あと、保険証のはいったお財布と、沢田先生お気に入りのトランクスです」
優秀すぎるというか、どうして、俺の部屋のどこに、何があるのか知ってるんだマネージャー?
これまで、部屋に入ったの、二回くらいだよな?
なにより、トランクスは、一番のお気に入りなのが、キモいし、たかが一泊で代える必要もない。
俺の下着が入った収納を漁りたかっただけじゃないのか。
「衣装への着替えのときに頻度をチェックしているので、わかります」
だから、見るな。
看護と称して、居座って添い寝したがる茜を消灯直前で追い帰した。
病院についた時点で、もう夕食の時間は過ぎていたので、閉店ギリギリの売店でオニギリなどを買った。
ビールも売っていたのだが、さすがの俺でも、軽傷とはいえ病室での飲酒はハードルが高すぎた。
でもなぜ、ビール売っているのだろう?
職員のストレスが、そんなにキツいのか。
微発砲な炭酸水で、なんとなく薄味のオニギリを流し終えたが、かすり傷で入院している俺はかえって事件の余韻や今後への不安もあり、日付が変わる前では眠れず、ベッドでスマホの書籍を読んでいた。
優秀なマネージャーが充電器と長いUSBケーブルをもってきてくれたので、バッテリー残量の心配はない。
コツコツ、と廊下に足音が響く。
看護師か、と思ったが、病室へ入る様子がない。
少し歩いては止まり、また歩き。
まるで、何かを探しているかのようだ。
少し離れた病室から、隣、その隣へと近づいてくる。
俺は、先の襲撃犯の仲間が、入院患者の名前を確認しているのか、と思った。
しかし、そもそもターゲットが俺ではなかった。
仮に共犯者がいて、俺に邪魔されたのをムカついたとしても、犯人が捕まって安心している今こそ、本来の攻撃目標の彼女らを襲えばいい。
護られてそれが無理だとしても、一般人で友達なだけの俺を、わざわざこのタイミングで襲撃するメリットがない。
じゃあ、なんだ。
まさか、幽霊?
そう、ここは病院だ。
しかも、夜の病院。
幻聴だろう、蛍光灯がチラつくときの、ジジッという音が聞こえた気がした。
また、足音が近づく。
隣の病室。
そして、この病室の前で、止まった。
音もなく、スライドドアが開いた。
もっとも、この病院に、音をたてるドアなどないが。
そこに立つ人影に、俺は息を飲み、呟いた。
「メイドか、何の用だ?」
メイドは、俺のベッド脇の椅子まで来て、座った。
「どうして、わたくしだとわかりました、ご主人様?」
「その、香だか香水だかの匂いだ。メイド喫茶でも、今日の学食でもしていた」
「・・・おかしいですわね。着替えたのに、そんなに匂いますでしょうか?」
いろいろ言いたいことはあるが、よし、まず、そのナース服を着ていることから、説明を始めてみろ。
「ご主人様が喜ぶ服を着るのは、メイドのたしなみですわ」
俺は、ナース服のことは、考えただけで、口に出してはいないぞ。
「店内で焚いているお香の香りだと思うのですけど、身体に染み込んでしまっているのかもしれませんわね」
どこかの古代の女王様か。
「クレオパトラのように薔薇の香りが、身体から香るようになるサプリは、たしなんでおりますけど?」
俺、何も言ってないのに、会話が成立しているのが怖いよ。
「はいはい、メイドのたしなみだろ」
彼女の言いそうなことを、先にこちらが口にして、遮る。
「それで、どうしてここへ?」
「救急外来の入り口から入って、階段を、」
ここで、どこを歩いてきたかの経路を聞くはずないよね?
顔を赤らめるって、マジボケ?
「・・・こほん。ご主人様へ謝罪に参りました。わたくしがいながら、お怪我をさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「そうか。許す、帰れ」
メイドは、笑顔のままだが、目がまったく笑っていなかった。
「・・・言葉の意味がわかりません、ご主人様」
「本音を語らないメイドに、本気では答えない、という意味だ」
機嫌が悪くなるほど、笑顔がカワイイのは、こいつの本性でもあるからなんだろうな。
メイドは、椅子の上で、姿勢を正した。
「では、どうして、あの時、わたくしを待たなかったのですか?」
メイドが走り出したのを知った上で、俺が暴漢と距離を詰めたことを言っているのだろう。
「俺は、もう、答えた」
「納得がいかないから、うかがっておりますわ」
俺は、笑顔のメイドに向かって、笑顔で言ってやった。
「メイドごっこがしたいなら、他所でやれ」
一瞬、ひび割れた笑顔は、もう笑顔ではなく、単なる仮面だった。
「・・・メイドごっことおっしゃいますか、ご主人様?」
「聞こえなかったのか、メイド?」
「・・・そのメイドという呼び方も、気にいりませんわ」
まさに、この後、劫火となるのだろう。
ゆっくりと、感情の焔が立ち込める。
それでも、俺は、怯みもしなかった。
「だから、メイドごっこなんだ」
かえって、大きくため息をつき、呟いた。
メラっと炎が立ち上る。
「わたくしは、本気で。メイドとして。この身に、命に変えてでも。ご主人様をお守りしようと思っていましたわ。それをメイドごっことおっしゃいますか?」
「ああ、俺が、俺自身が傷つくより、メイドが傷ついた方がマシだ思う馬鹿主だと勘違いしてる、馬鹿メイドの自己陶酔のメイドごっこなんか、知ったことか」
馬鹿メイドは、口をつぐんだ。
「俺だって、自分が怪我して、まわりに心配させて悪いとは思ってる。だけどな、」
ずっと、笑っていないままのメイドの目を見つめて、
「自分のメイドに怪我をさせるより。絶対に俺がなんとかしてみせる、と思ってはダメなのか?」
ついに、馬鹿メイドは、俺から目を逸らした。
「・・・わたくしが、ご主人様の嫌がることをしたから、名前を呼んでくださらなくなったのですか?」
「学食から、今日はずっとだな。俺のメイドは、主ファーストじゃないみたいだからな」
彼女は、ぷうと頬を膨らませた。
メイドらしからぬ表情だな、ってもう、さっきからずっとか。
「だって、ご主人様の側にいたくて、必死だったからですわ」
頬が膨らんでも、いつもの笑顔、そして、笑っていない目。
笑顔の仮面を外すまいと、必死に自分を取り繕う表情。
これで、「またまたご冗談を」と一笑に伏せば、彼女は俺を見限ってくれるのだろうか。
そうできない俺は、ヘタレなのだろう。
俺は、半日前の衆人観衆での地獄絵図を脳の隅へ押しやって、入院着の太ももを、ペシペシ叩いた。
「志桜里とあみに膝枕したから、不公平だろう?」
あれは、メイド学宣伝のためのショーの一部、演出だと観衆には思われている、はず、そうであってくれ。
「・・・なぜ、膝枕?あの、言葉の意味がわかりませんわ、ご主人様」
「自己陶酔だったとしても、主を守ろうと必死だったメイドには、ご褒美に休憩が必要だろう?」
彼女は、なんだか、深い溜息をついた。
「・・・別に嫌なら、」
「嫌では、ございません!」
食い気味に否定された。
おずおずと椅子から、ベッドへ腰かけ、ゆっくりと身体を倒した。
ふわり、とまた香が香る。
俺は、彼女の頭を撫でた。
「お疲れ様、だったな、レイチェル」
彼女の身体が、ビクっとするのがわかった。
「・・・はい」
全国トップ売上だ、カリスマメイドだ、と持て囃されて、ずっと気の休まるときもなかったのだろう。
メイドというタレントを自己プロデュースし、マネジメント管理し、更には店の経営戦略を練り、部下を引き連れ現場の采配をふるう。
俺が思っていた通りの化け物じみた生活だ。
だが、中身は、生身の女性でしかないのだ。
それが、テレビに出演したことで、彼女をよく知りもしない馬鹿に、勝手な思い込みで恨まれて、ナイフを握られ。
最悪、彼女の人生は、そんな馬鹿のせいで、今日で取り返しがつかなかったかもしれないのだ。
しかも、俺を守ろうなんて、馬鹿な考えで。
「・・・なんだか、わたくし、馬鹿馬鹿言われてません?」
「いいから、今は、ちょっとだけ休め。レイチェル」
佐伯レイは、頷くと、静かに泣いた。
「・・・メイドなのに、ご主人様に甘えてご奉仕もせず、申し訳ありません」
レイチェルは、急に身体を起こした。
顔が、近い近い。
少しは、元気になったらしいが、
「言っておくが、俺にも性欲があってだな」
「・・・申しつけてくだされば、それもメイドのたし、」
俺が本気で睨みつけたら、「ごめんなさい」としおらしく謝った。
そして、改めて、俺に頭を下げた。
「この度は、ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
ようやく、本筋の話になったな。
ずいぶん、遠回りだったが。
「それはもういい。店でのレイチェルの立場は、どうだ?」
「上の判断待ちですが、謹慎は免れないかと思われますわ」
「そうか。その間、店は大丈夫なのか?」
レイチェルは、いっそ晴れやかに、
「はい、既に、引継ぎも大体、終わっておりますわ」
既に?
俺の心が読めるメイドは、笑みのこもった目を逸らした。
翌日、あみ、ゆい、俺の事務所の共同記者会見が行われ、あみの会社の広報担当者が、淡々と事実のみを報告した。
あみとゆいに、特に処分はなく、世間からもそれを求める声が上がらなかったのは、一安心だった。
メイド喫茶さっきゅばすどりーむは、佐伯店長の一時休職をウェブサイトで公表した。
処罰ではなく、傷害事件に遭遇した本人の心労に配慮してと書かれており、実はレイチェルが望めば即、復帰できるのでは、と俺は邪推した。
俺、あみ、志桜里、レイチェルは本日、学園を休んでいる。
被害者側とはいえ、登校すると学園に迷惑だろう、という判断でだ。
昨日の夜、レイチェルが、こっそり病院から「おやすみなさい、ご主人様」と帰った深夜に、あみと志桜里に、「おやすみ」とLINEしたら、直後から、彼女らからの連打と長文が、未だに止まらない。
失敗した。
明日からは、また登校だ。
ゲート前には、マスコミがいるかもしれないが、こちらは被害者だ、堂々としていよう。
気になるのは、レイチェルの休職で毎日、学園に来るのではないだろうか、だ。
店長の引継ぎも、なぜか「既に」にしていたみたいだし。
ホラー映画撮影の合間のミホ、兼任しているタレントの仕事の合間の茜、暇そうな社長からも、連絡がくる。
レイチェルからは、当然ながら今朝は「開店」連絡が来ず、次にどうくるのかが、怖い。
「・・・おにいちゃん、昨日はどうして帰らなかった?」
朝一で誰か迎えに来る前に退院して、タクシーで部屋に帰ってきていた俺は、適当にみなに返信しながら、リビングのテレビで録画していた『飲んで語るバラエティー』をツマミに、昼からビールを飲んでいたら、急に夏月に聞かれた。
「・・・帰ったときに言わなかったか?ちょっと怪我して、入院したんだ」
右手に傷の保護で大きな絆創膏を張っているが、肌色だから、目立たなかったのだろう。
「そういうことは、ちゃんとボクにも連絡して」
「・・・すまない」
また俺のスエットを勝手に借用して、だぶだぶの姿で立ち上がった夏月は、
「おやすみなさい、おにいちゃん」
と自分の部屋へ入っていった。
こんな時間に寝るとは思えないが、それだけ機嫌が悪いのだろう。
いつも、帰りの時刻が不規則な俺はそれに甘えて、ちゃんと連絡しなかったことを反省した。
ふと、朝一で退院したため、会計が開いていず入院費の支払いに、また病院に行かないといけないのも思い出した。
生命保険が利くのかも確認しないといけない。
こんな時間にビール飲む以外にすることはあるわけで、なんだかダメ人間な兄だ。
「おやすみ、夏月」
『少年Aは、ネットに書き込んだら応援された、などと意味不明な発言をしており・・・次のニュースです』
救急車には、誰も乗せず、あみは志方、志桜里はメイドに、各々の事務所へ送らせた。
結果として、俺への傷害事件になってしまったので、事務所に報告し対応の検討が必要と判断したからだ。
俺は、医師に目に光を当てられたり、問診を受けたりして、念のため一晩、入院することになった。
暴行された精神的なショックが、一人になってから症状が出てくるかも、という配慮らしい。
しかし、その優しさに対して入院費を払うのは俺なわけで、生命保険は、適応できるのだろうか。
看護師さんに、「誰か知らせたい人がいますか?」と聞かれたが、「一人暮らしなので」とだけ答えた。
メイドが俺の所属事務所に行ってくれているので、問題ないだろう。
救急車が出る前に、搬送先の病院名も決まっていたことだし。
たまたま他に入院患者のいなかった四人部屋に移って、病院着という名のパジャマに着替えてしばらくすると、警官がきて、事情を聴かれた。
隠すことはないので、ありのままを伝える。
ついでに犯人について聞くと、少年Aであること、あみが所属するアイドルグループの大ファンであり、激烈な推しが彼女と二期生リーダーを争った同事務所の「ゆい」であること。
彼のリュックに入っていたノートパソコンから、リーダー対決の冠番組サイトに対して、誹謗中傷や脅迫メールの送付、掲示板への書き込みなどが、簡単に発見されていることを教えてくれた。
あみへの「メイド喫茶で働かせろ」メールに関しては調査中のようだが、タイミング的にリーダー争い発表の前なので、どうなのだろう。
今回の狙いは、「ゆい」のリーダー就任の邪魔をしたあみと、その応援をした上で冠番組で「ゆい」の存在感を薄くしたメイドだったのか。
しかし、動機となってしまった「ゆい」の立場もキツくて、事務所が違うとはいえ同じアイドルグループのマネージャーである志方は説明や調整が大変だろうな、と他人事ながら思った。
警官が去った直後、茜が来た。
笑顔だが、その目は、真っ赤だった。
メイドから、軽傷だと聞いただろうに。
社長は、志桜里の側についていて、来ない。
『志桜里が心配だから、病院に行けないけど彩芽を嫌いにならないで』
俺のマネージャーの口から棒読みで伝言を伝えられた。
なぜ、文明の利器を使わない。
「いいから志桜里についていてやれ。来てたら嫌いになった」
と俺、良いこと言うなあ、と伝言を頼んだら、メッセンジャーにされた茜は、空き缶を見るような目で、三秒ほど俺を見た。
これは、どういう感情での目なんだろう。
「・・・はい、伝えます。来る前に病院に確認したら、念のために一晩入院するとわかりましたので、緊急事態として、お預かりしている鍵を使って沢田先生の部屋から、必要な物を持って来ています」
紙袋から、出して見せる。
「まず、スマホの充電器、」
さすがは、俺の優秀なマネージャーだ。
病院の売店でも売っているだろうが、やはりケーブルが長い方が便利だ。
「あと、保険証のはいったお財布と、沢田先生お気に入りのトランクスです」
優秀すぎるというか、どうして、俺の部屋のどこに、何があるのか知ってるんだマネージャー?
これまで、部屋に入ったの、二回くらいだよな?
なにより、トランクスは、一番のお気に入りなのが、キモいし、たかが一泊で代える必要もない。
俺の下着が入った収納を漁りたかっただけじゃないのか。
「衣装への着替えのときに頻度をチェックしているので、わかります」
だから、見るな。
看護と称して、居座って添い寝したがる茜を消灯直前で追い帰した。
病院についた時点で、もう夕食の時間は過ぎていたので、閉店ギリギリの売店でオニギリなどを買った。
ビールも売っていたのだが、さすがの俺でも、軽傷とはいえ病室での飲酒はハードルが高すぎた。
でもなぜ、ビール売っているのだろう?
職員のストレスが、そんなにキツいのか。
微発砲な炭酸水で、なんとなく薄味のオニギリを流し終えたが、かすり傷で入院している俺はかえって事件の余韻や今後への不安もあり、日付が変わる前では眠れず、ベッドでスマホの書籍を読んでいた。
優秀なマネージャーが充電器と長いUSBケーブルをもってきてくれたので、バッテリー残量の心配はない。
コツコツ、と廊下に足音が響く。
看護師か、と思ったが、病室へ入る様子がない。
少し歩いては止まり、また歩き。
まるで、何かを探しているかのようだ。
少し離れた病室から、隣、その隣へと近づいてくる。
俺は、先の襲撃犯の仲間が、入院患者の名前を確認しているのか、と思った。
しかし、そもそもターゲットが俺ではなかった。
仮に共犯者がいて、俺に邪魔されたのをムカついたとしても、犯人が捕まって安心している今こそ、本来の攻撃目標の彼女らを襲えばいい。
護られてそれが無理だとしても、一般人で友達なだけの俺を、わざわざこのタイミングで襲撃するメリットがない。
じゃあ、なんだ。
まさか、幽霊?
そう、ここは病院だ。
しかも、夜の病院。
幻聴だろう、蛍光灯がチラつくときの、ジジッという音が聞こえた気がした。
また、足音が近づく。
隣の病室。
そして、この病室の前で、止まった。
音もなく、スライドドアが開いた。
もっとも、この病院に、音をたてるドアなどないが。
そこに立つ人影に、俺は息を飲み、呟いた。
「メイドか、何の用だ?」
メイドは、俺のベッド脇の椅子まで来て、座った。
「どうして、わたくしだとわかりました、ご主人様?」
「その、香だか香水だかの匂いだ。メイド喫茶でも、今日の学食でもしていた」
「・・・おかしいですわね。着替えたのに、そんなに匂いますでしょうか?」
いろいろ言いたいことはあるが、よし、まず、そのナース服を着ていることから、説明を始めてみろ。
「ご主人様が喜ぶ服を着るのは、メイドのたしなみですわ」
俺は、ナース服のことは、考えただけで、口に出してはいないぞ。
「店内で焚いているお香の香りだと思うのですけど、身体に染み込んでしまっているのかもしれませんわね」
どこかの古代の女王様か。
「クレオパトラのように薔薇の香りが、身体から香るようになるサプリは、たしなんでおりますけど?」
俺、何も言ってないのに、会話が成立しているのが怖いよ。
「はいはい、メイドのたしなみだろ」
彼女の言いそうなことを、先にこちらが口にして、遮る。
「それで、どうしてここへ?」
「救急外来の入り口から入って、階段を、」
ここで、どこを歩いてきたかの経路を聞くはずないよね?
顔を赤らめるって、マジボケ?
「・・・こほん。ご主人様へ謝罪に参りました。わたくしがいながら、お怪我をさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「そうか。許す、帰れ」
メイドは、笑顔のままだが、目がまったく笑っていなかった。
「・・・言葉の意味がわかりません、ご主人様」
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機嫌が悪くなるほど、笑顔がカワイイのは、こいつの本性でもあるからなんだろうな。
メイドは、椅子の上で、姿勢を正した。
「では、どうして、あの時、わたくしを待たなかったのですか?」
メイドが走り出したのを知った上で、俺が暴漢と距離を詰めたことを言っているのだろう。
「俺は、もう、答えた」
「納得がいかないから、うかがっておりますわ」
俺は、笑顔のメイドに向かって、笑顔で言ってやった。
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「聞こえなかったのか、メイド?」
「・・・そのメイドという呼び方も、気にいりませんわ」
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ゆっくりと、感情の焔が立ち込める。
それでも、俺は、怯みもしなかった。
「だから、メイドごっこなんだ」
かえって、大きくため息をつき、呟いた。
メラっと炎が立ち上る。
「わたくしは、本気で。メイドとして。この身に、命に変えてでも。ご主人様をお守りしようと思っていましたわ。それをメイドごっことおっしゃいますか?」
「ああ、俺が、俺自身が傷つくより、メイドが傷ついた方がマシだ思う馬鹿主だと勘違いしてる、馬鹿メイドの自己陶酔のメイドごっこなんか、知ったことか」
馬鹿メイドは、口をつぐんだ。
「俺だって、自分が怪我して、まわりに心配させて悪いとは思ってる。だけどな、」
ずっと、笑っていないままのメイドの目を見つめて、
「自分のメイドに怪我をさせるより。絶対に俺がなんとかしてみせる、と思ってはダメなのか?」
ついに、馬鹿メイドは、俺から目を逸らした。
「・・・わたくしが、ご主人様の嫌がることをしたから、名前を呼んでくださらなくなったのですか?」
「学食から、今日はずっとだな。俺のメイドは、主ファーストじゃないみたいだからな」
彼女は、ぷうと頬を膨らませた。
メイドらしからぬ表情だな、ってもう、さっきからずっとか。
「だって、ご主人様の側にいたくて、必死だったからですわ」
頬が膨らんでも、いつもの笑顔、そして、笑っていない目。
笑顔の仮面を外すまいと、必死に自分を取り繕う表情。
これで、「またまたご冗談を」と一笑に伏せば、彼女は俺を見限ってくれるのだろうか。
そうできない俺は、ヘタレなのだろう。
俺は、半日前の衆人観衆での地獄絵図を脳の隅へ押しやって、入院着の太ももを、ペシペシ叩いた。
「志桜里とあみに膝枕したから、不公平だろう?」
あれは、メイド学宣伝のためのショーの一部、演出だと観衆には思われている、はず、そうであってくれ。
「・・・なぜ、膝枕?あの、言葉の意味がわかりませんわ、ご主人様」
「自己陶酔だったとしても、主を守ろうと必死だったメイドには、ご褒美に休憩が必要だろう?」
彼女は、なんだか、深い溜息をついた。
「・・・別に嫌なら、」
「嫌では、ございません!」
食い気味に否定された。
おずおずと椅子から、ベッドへ腰かけ、ゆっくりと身体を倒した。
ふわり、とまた香が香る。
俺は、彼女の頭を撫でた。
「お疲れ様、だったな、レイチェル」
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「・・・はい」
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俺が思っていた通りの化け物じみた生活だ。
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最悪、彼女の人生は、そんな馬鹿のせいで、今日で取り返しがつかなかったかもしれないのだ。
しかも、俺を守ろうなんて、馬鹿な考えで。
「・・・なんだか、わたくし、馬鹿馬鹿言われてません?」
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「言っておくが、俺にも性欲があってだな」
「・・・申しつけてくだされば、それもメイドのたし、」
俺が本気で睨みつけたら、「ごめんなさい」としおらしく謝った。
そして、改めて、俺に頭を下げた。
「この度は、ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
ようやく、本筋の話になったな。
ずいぶん、遠回りだったが。
「それはもういい。店でのレイチェルの立場は、どうだ?」
「上の判断待ちですが、謹慎は免れないかと思われますわ」
「そうか。その間、店は大丈夫なのか?」
レイチェルは、いっそ晴れやかに、
「はい、既に、引継ぎも大体、終わっておりますわ」
既に?
俺の心が読めるメイドは、笑みのこもった目を逸らした。
翌日、あみ、ゆい、俺の事務所の共同記者会見が行われ、あみの会社の広報担当者が、淡々と事実のみを報告した。
あみとゆいに、特に処分はなく、世間からもそれを求める声が上がらなかったのは、一安心だった。
メイド喫茶さっきゅばすどりーむは、佐伯店長の一時休職をウェブサイトで公表した。
処罰ではなく、傷害事件に遭遇した本人の心労に配慮してと書かれており、実はレイチェルが望めば即、復帰できるのでは、と俺は邪推した。
俺、あみ、志桜里、レイチェルは本日、学園を休んでいる。
被害者側とはいえ、登校すると学園に迷惑だろう、という判断でだ。
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失敗した。
明日からは、また登校だ。
ゲート前には、マスコミがいるかもしれないが、こちらは被害者だ、堂々としていよう。
気になるのは、レイチェルの休職で毎日、学園に来るのではないだろうか、だ。
店長の引継ぎも、なぜか「既に」にしていたみたいだし。
ホラー映画撮影の合間のミホ、兼任しているタレントの仕事の合間の茜、暇そうな社長からも、連絡がくる。
レイチェルからは、当然ながら今朝は「開店」連絡が来ず、次にどうくるのかが、怖い。
「・・・おにいちゃん、昨日はどうして帰らなかった?」
朝一で誰か迎えに来る前に退院して、タクシーで部屋に帰ってきていた俺は、適当にみなに返信しながら、リビングのテレビで録画していた『飲んで語るバラエティー』をツマミに、昼からビールを飲んでいたら、急に夏月に聞かれた。
「・・・帰ったときに言わなかったか?ちょっと怪我して、入院したんだ」
右手に傷の保護で大きな絆創膏を張っているが、肌色だから、目立たなかったのだろう。
「そういうことは、ちゃんとボクにも連絡して」
「・・・すまない」
また俺のスエットを勝手に借用して、だぶだぶの姿で立ち上がった夏月は、
「おやすみなさい、おにいちゃん」
と自分の部屋へ入っていった。
こんな時間に寝るとは思えないが、それだけ機嫌が悪いのだろう。
いつも、帰りの時刻が不規則な俺はそれに甘えて、ちゃんと連絡しなかったことを反省した。
ふと、朝一で退院したため、会計が開いていず入院費の支払いに、また病院に行かないといけないのも思い出した。
生命保険が利くのかも確認しないといけない。
こんな時間にビール飲む以外にすることはあるわけで、なんだかダメ人間な兄だ。
「おやすみ、夏月」
『少年Aは、ネットに書き込んだら応援された、などと意味不明な発言をしており・・・次のニュースです』
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