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お試しの居場所編(前)
ふわふわな夢心地。(後半)
しおりを挟む翌朝、見てみれば。
【おやすみ。好きだよ】
の一言。好きって言葉。
交際開始から、すでに何回言われたか……わからなくなってしまった。
遊園地で撮った写真の嫌な人物を隠すためのスタンプ用イラストは三種類だけ描いて、色違いも用意。
翼を生やした猫とか、何の変哲もない猫とか。猫のキャラのイラスト。
写真の画質を落とさない加工アプリを使って、綺麗に腹黒女子の存在を消すように、ペタリとイラストを貼った。他にも、肩に置かれた手も、ぐりぐりとハートや星の模様で塗り潰す。
真樹さんと新一さんも、送ってくれた写真にも、私が描いたイラストで加工するんだと言えば、それ欲しい! と要求されてしまったので、三人にいっぺん送信しておいた。
上手い、可愛いと、べた褒め。
大袈裟だな、と思っても、嬉しいから、へらりと口元を緩ませてしまう。
真樹さんは結局、来週の休みは被らないので、遊べないということになってしまった。
【盛り上げ役のおれがいなくていいの!? 仲間外れ! 次は、絶対おれも入れてよ!? またカラオケ行こうね!】
不貞腐れたように泣いた絵文字を加えても、自分抜きでも楽しんでいいと推すから、やっぱり新一さんと数斗さんと私の三人で行くことが決まる。
新一さんからは、何故か歌のリクエストが送られた。知っている曲だし、歌えるので、引き受けることにする。多分、聞き苦しくないレベルで歌えるはず。
見返りは、いつか、ホラゲープレイを見せてもらうこと。
ビビリな私は、ホラゲーを自分一人でやり抜くことは出来ないので。
しかも、実写映画化までされる人気作のホラゲーの最新作が、発売間近。乗り気な新一さんの新機種ゲーム機で、ホラゲー観賞。楽しみだ。ワクワク。
数斗さんは、私が半日出勤の日に、会いに来たがったけれど、今週は難しくて無理だとのことで、悔しがっていた。
もうピアスを買ったから、渡したいと、何度も嘆くのを電話で聞く。
会いたいって言葉は、何度聞いただろうか。もう数えきれない。
二連休を取ると、必然的に連勤になるシフト。
今回は七連勤。しんど。オエ。
そんな六連勤目の八時間勤務を終えた私は、オエッと吐いてしまいたくなる。
どしゃ降りの雨。
梅雨の季節なのに、雨全然降らないなぁー、って思った矢先に、溜め込んだみたいにどしゃ降り。そんなサービス要らない。
サイッコーなことに、傘忘れた。
折りたたみ傘を常備していたけど、この前数斗さんの家に遊びに行くバックに移してから戻し忘れていたのだ。
天気予報を確認すれば、夕立ちではなく、深夜まで降りまくるとのこと。サイッコー。
「古川さん、お疲れ様」
ぎくり、と身体を強張らせる。
バカみたいにバックヤードのドアに突っ立っていた私に、後ろから声をかけてきたのは、副店長の男性。
この職場で今一番、嫌いな人、ナンバーワンである。
私がこの職場に来て、半年後ぐらいに転属してきた人なんだけど、直感的に無理だと思った。
生理的に受け付けない人、という相手だと、後々自覚した。
んで。心を読む能力が開花して、その理由がわかった。
一番に私を気持ち悪くさせた考えの持ち主だったのだ。
奥さんがいるのに、不倫をしている。
ちなみに相手は、私の上司にあたる生肉部門の副主任の若い子だ。一歳だけ年上だから、数斗さん達とタメの女性正社員。
でも、サイッコーに最低な男なので、その子はかなり精神面がボロボロ。不倫している時点で、自業自得だとは思うが、男はさらにクズ。色々とドクズ。中指立てやりたいくらい。
そんな副主任さんも、上っ面だけにこやかなやり取りしているけれど、私への悪口が結構多いので、私もそんな男やめとけ、と親切に言ってはやらない。
そんなドクズで生理的に受け付けない男は、次なる不倫相手を私にしようとチラホラ考えていては、チャンスを狙っている。今年の新年会では、離れた席を確保してなんとか避けてきた。
「お疲れ様です」と愛想笑いを返す。
やばいな。突っ立ってるのは、やばい。
バックヤードの外には、喫煙所のスペースが設けられてあり、正直、出入りする時は、息を止めて横切る。
ドクズ副店長は、喫煙者の一人だ。
大抵は、イヤホンで音楽を聴いていて、そこにいることに気付かぬフリして、挨拶もなるべく避けてきた。
「傘、忘れたの? 送ろうか?」
『なんだなんだ、チャンス?』
親切心で笑いかけながら、脳内で卑猥な想像をするから、オエッと思いながら中指を立てる。もちろん、頭の中で。
「大丈夫ですよ! お疲れ様でした!」
作り笑い全開で拒み、私はどしゃ降りの雨の中を駆けて、家まで帰った。
下着までびしょ濡れに違いない。……サイッコー。
すぐさまお風呂に入ろうとしたけど、着信音に気付いて、電話に出た。数斗さんだ。
〔お疲れ様、七羽ちゃん。残業だったの? さっき電話したんだけど〕
「あ、すみません……雨だったので、気付きませんでした」
〔雨? どういう意味?〕
いつもの上がりの時間帯に電話をかけてくれた数斗さんは、不思議そうに尋ねた。
私は通勤中は、音楽を聴いていたのだ。携帯電話で。最近は数斗さんと電話して帰ってるけど。
雨だからって、気付かなかった理由がわからないのだろう。
「傘を忘れちゃったので、走って帰りました」
〔え!? 大丈夫!?〕
「もうびしょ濡れです。今からお風呂に入ります、風邪を引く前に」
〔そっか、ごめん〕
「いえいえ。じゃあ、失礼します」
慌ててしまって、切ったあとに、ハッと思い出す。
数斗さんにすぐさま掛け直す。
「もしもしごめんなさいっ! 言い忘れました、好きです! さっきの分も、好きです!」
電話を切る前に、好きと言う取り決めだ。
〔ふふ、俺も好きだよ。ありがとう、約束を守ってくれて。律儀な七羽ちゃん、大好き。お風呂であったまってね〕
優しい声で、心を込めた好きを言い返す数斗さん。
う、うーんっ。勢いだけで言ってしまって申し訳ない……。でも余裕がないため、私は電話を切って、たっぷりと水を含んで重い服を脱ぎ捨て、お風呂に入った。
翌朝の気分は、サイッコーだった。
ばっちり、風邪を引いたらしい。少し気持ち悪い。熱っぽい。軽い咳が出る。体温を測れば、微熱。ギリギリ食品を触って仕事をしていい体温。
本当は、ダメだと思うんだけどね……風邪症状のある人間が、食品を扱う仕事をするとか……。でも、大抵ギリギリアウトはセーフ判断されてしまう。……イケない会社だよなぁ。しみじみ。
今日で、七連勤目。半日出勤で幸い。なんとか、乗り切れそうだ。
なんて、甘く見ていれば、仕事中に、サイッコーなほどに悪化した。
熱上がったな、気分悪いな。
残業を頼まれたけど、体調不良で無理だと断る。幸い、顔にもろ出てて、文句の心の声を聞かずに済んだ。
ケホケホ。乾いた咳を繰り返す。
明日、カラオケの約束をしてるのに…………無理だなこれ。新一さんのリクエストには、応えられない。風邪を移したくないし、そもそも明日はダウンしているかも……。
今日は、自分から数斗さんへ電話をかけた。
少し、コールが長いけど、昼休憩のはずだから、出てくれると思う。
バックヤードの在庫を詰めた大きな台車の一つに手をついて、気持ち悪さに耐えた。
〔もしもし、七羽ちゃん? 終わったの? お疲れ様〕
「あれ? 古川さん。上がり? お疲れ様」
びくり、とまた身体を強張らせる羽目になる。
なんでまた尾けてきたみたいなタイミングで……。あっ。事務室を横切るから、窓から見えて、追ってきたの? オエッ、気色悪ッ。あ、マズイ。マジで吐けそう。
「お疲れ様です」
「なんか顔色悪くない? 大丈夫?」
「大丈夫ですよっ、おととっ!」
「フラついてるじゃん」
「あはは、大丈夫ですって!」
『いや、これ、送るチャンスだろ。これを機に距離縮めて……』
ゾッして、吐き気が込み上がるから、やめてほしい。
〔……誰と話してるの?〕
「あ、副店長ですよ」
数斗さんの声に、意識を集中しておく。
「送るよ?」
「大丈夫でーす。お疲れ様でしたー!」
電話で忙しいと言わんばかりに、耳に当てた携帯電話を指差しては、作り笑いで乗り切った。逃亡。
〔具合悪いの? 昨日の雨で風邪引いた?〕
「はい、ゲホ、そうみたいでして……ケホケホ」
〔つらそうだね。歩いて帰るの? その副店長さんに送ってもらった方が〕
「絶対に嫌ですよ!」
数斗さんから恐ろしい提案が出されたものだから、咄嗟に悲鳴みたいに声を上げてしまった。
〔え? どうして……? 何か、理由が〕
そのせいで、咽せて咳き込んだ。都合がいいので、気にしてしまった数斗さんの質問が聞こえないフリをした。
「すみません、どうやら、もう、悪化する一方だと思うので……ごめんなさい、明日の約束はドタキャンで。本当に、ゴホン、すみません……」
〔そんな、謝らないで。いいんだよ。会いたいけど……七羽ちゃんも、七連勤だったよね? もう疲労で免疫力も下がってるんだろうから、ゆっくり休んで。ごめんね……俺が送り迎え出来れば……〕
「数斗さんこそ、謝らないでくださいよ……距離的に無理じゃないですか」
〔……そうだね。本当に歩いて帰れる? 大丈夫?〕
「倒れたりしませんよ。ほら、熱が高くなると、ハイになりません?」
〔熱も高いの?〕
「多分……今年最高記録の体温のはずです」
〔ううーん……心配だ。もどかしい……〕
笑い話として明るく話しているつもりなのに、数斗さんは私を心配している声音のまま。
今、また本気で近くまで引っ越すとか考えていたりするのかな。余計なこと、言っちゃったや。
そんなことを、ぼんやりと予想した。
〔電話しながら歩いてて平気?〕
「はい……ケホ」
〔無事に家まで着くまで、通話していよう。……食品を扱うのに、風邪で仕事したの?〕
「はい……朝の検温では熱がなかったので……。やけに冷蔵庫に入ったら寒すぎだなと思えば、風邪だーっとやっと自覚しました。クスン」
精肉部門の冷蔵庫。これからの時期は、入りたがるくらいには涼しいけれど。今日は、やけに寒いと腕をさすった。
思い出しながら、小さく鼻を啜る。
〔……明日は絶対に歌えそうにはないね〕
「はいぃ……とっても残念です」
〔歌えなくて? それだけ? 俺と会えないことには残念がってくれないの?〕
「あっ、うっ……熱が上がるので、言わせないでくださいよ……」
〔ふふ。俺は残念でしょうがないよ。ピアスも渡したかったし、恋人になって初めて会うし……看病したいよ。してもらえるの? お母さんも仕事で、兄妹も学校だよね? 大丈夫?〕
焦燥を徐々に強める声に、なんとか「大丈夫です。そんな高熱で倒れたわけでもないんですから」と、明るく答えておく。
自分で自分の世話は出来る。それほど重症ではない。歩いて帰れるんだから。
「子どもじゃないんですよ」
〔それでも体調が悪くて寝込むなんて、つらいだろう? 心細くない?〕
数斗さん、急遽退勤しそうな気配だ。気のせい、かな……?
「……」
〔七羽ちゃん?〕
「あ、はい。すみません。ボケっとしちゃいました……」
〔本当に? それだけ? 心細いって、答えるの我慢してない?〕
「ははっ……数斗さんってば、心配性すぎます。夕方には、家族も帰ってきますしね」
数斗さんが家に乗り込んで看病しに来ないように、宥めていれば、重い足取りでも家に到着した。
クシュン! とくしゃみをしてしまう。
くしゃみを聞かせてしまったことに謝罪をして、電話を切らせてもらった。ちゃんと好きって言うことは忘れず。
動くことが億劫ながら、軽くお昼を済ませて、熱がそこそこあったので市販の解熱剤を飲んで、お昼からベッドにダイブ。
眠りかけて、新一さんにドタキャンすることを知らせないと、と気付き、カチカチと打ち込んで送信。
ついでと言ってはなんだけど、数斗さんにも、安静に寝てます、という報告のメッセージを送る。
グラリと気持ち悪さが、感覚を回す。
激務、というほどではないけれど、量が多い作業をこなした七連勤を完遂。
その間、初めて恋人と必ず好きだって言って電話を切っていた。
先週、初めて恋人が出来たなんて、夢みたいだな。
夢心地。なんか、現実味が気持ち悪さが奪い去ってしまった気がする。
夢だったんじゃないか。
そう思ったのは、心細さからくるのかも。
起きたら、数斗さんに電話しようかな……。
現実だと、教えてもらうために。
心地よくない熱に沈んで、意識を手放した。
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