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第一章 幼少期の王宮での暮らし
第十話 飛行訓練という名の苦行(下)
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あとあと振り返ってよく考えてみれば、飛ぶ訓練については、竜騎兵団から派遣されてくる竜騎兵からの助言を受ければよかったのだ。
現在も何頭もの子竜の世話をして、訓練をしているであろう竜騎兵達は竜達の飛ぶ訓練に関してもベテランであり、経験も豊富であったはずだ。きっと、アルバート王子と紫竜に対して実のある助言をしたことだろう。
だが、その時、マリアンヌ王女は勿論の事、リヨンネも護衛騎士バンナムもなんとなしに「紫竜のルーシェのために何かしなくては」「飛竜であるのに飛べないとなると大変な事になる」という焦りにも似た気持ちがあった。なにやかんや(変な紫竜だ)と思いながらも、すでにこの小さな竜に皆、愛情を抱いていた。愛情ゆえの突っ走りともいえた。
そして訓練当日、アルバート王子は予定していた教師の指導の日程を変更してもらい、その日はまるまる一日、このルーシェの飛行訓練のために予定を空けていた。
王子は事前に侍従長から尖塔の内部に入る鍵を受け取っている。
不気味な噂のある尖塔は、入口の扉は釘で打ち付けられていた。よく見れば、窓もすべてぴったりと鎧戸が下ろされている。そのため、まずはその入口の扉を開けることから始めないといけなかった。
護衛騎士バンナムが、扉の釘を全て抜き、鍵で開けると、ギィィィと音を立てて開いた。
なんとなし、マリアンヌ王女付きの侍女の顔色が悪い。そして何故か、紫竜ルーシェも、ぴったりとアルバート王子の足に張りついて離れようとしなかった。
(この塔は、薄暗くて、なんか不気味だ)
紫竜ルーシェは、一目高い塔を見た時から、その不気味さを感じ取っていた。
王宮内でも随分と隅っこにある古びた尖塔。
手にランタンを持ってバンナムが開けた入口の扉をくぐり、彼が先行して内部に入る。
中に入れば、螺旋の階段が壁に沿ってぐるりと続いているのがわかる。
見上げれば、ずっと上階までその螺旋の階段が続いていた。この螺旋階段を上って、一番上の階まで行くというのも一苦労だろう。
内部はずっと風を通されたこともないせいか、埃っぽい。
入口の扉は大きく開け放ったままにして、とりあえず、建物の窓を開けられるだけ開けようと、バンナムは三階くらいまでの窓を開けていった。
そして眩しいほどの光が、さんさんと窓から差し込んできたのを見て、バンナムは外で待機していたアルバート王子達に声をかけたのだ。
王子達は塔の中に入った。
マリアンヌとアルバートは、興味深げに塔の中を見回している。
この古びた塔が、王宮の敷地内に昔からあることは知っていた。だが、塔の中に入ったことはない。
紫竜を飛ばす訓練のためと思わない限り、足を踏み入れることのない場所だった。
一階の塔の内部はそこそこ広いと、未だアルバート王子の片足に張りつきながらルーシェは思っていた。
畳二十畳ほどのスペースだろう。
そこには、以前この塔の中に、人が暮らしていた痕跡が残されていた。
古びた椅子とテーブル、机、そして寝台も残されていた。バンナムが寝台の上の布を持ち上げると、歳月の流れのせいか、ビリリと簡単に破れた。劣化している。
塔の窓から光が差し込み、人々の侵入に埃が舞い上がっているのが見える。長い事誰も足を踏み入れていない証のように、床石の上の降り積もった埃に、皆の足跡がくっきりと残される。
マリアンヌ王女付きの侍女はそれを見て顔をしかめ、「掃除道具を持ってまいります」と言って、急いで塔から出ていく。
ここで訓練をするなら、塔の中をある程度綺麗にした方がよいことは明らかだった。
足に張りついたままのルーシェの両脇に手を差し込み、アルバートは紫竜を持ち上げた。
「ルーシェ、じゃあ訓練しようか」
すでに、バンナムとマリアンヌ姫の二人が、運んできたクッションを、一階の窓の下に置いていた。
一階の窓の手すり部分から、外の地面までは一メートルほどの高さである。
おまけにふんだんにクッションが積み上げられているから、窓から落ちても痛くはないはずだ。
ルーシェはそれらを見て心の中で、なんとなしに、現世での防災訓練の時に、建物の外に設置する空気で大きく膨らませた布団(?)のようなものに似ていると思った。
火災でビル内部に閉じ込められ、逃げ場がない場合に、窓などからその膨らんだ布団(?)に向かって飛び下りれば安全に着地が出来るのだ。
紫竜ルーシェは、一階の窓辺に立つと、バサリとその背中にある翼を大きく広げた。
竜の翼は、薄い膜によるもので、蝙蝠の持つソレによく似ている。
ただ、竜の身体を支えるために、それは相応に大きく成長するらしい。
一階の窓辺で、二つの翼を大きく広げて後ろ足で立つ紫竜を、マリアンヌ王女、アルバート王子、護衛騎士バンナムは(ああ、いつもペタペタと歩くばかりのルーシェも、こうして見るとちゃんと飛竜なのだな)と改めて見直す思いで見ていた。
ルーシェは、はたはたとその翼を動かしてみる。
普段、まったく動かすことのない翼である。
だが、手足と同じように、それは意識せずとも動かすことができた。
そしてなおもハタハタハタと動かし続ける。
その時、アルバート王子、マリアンヌ王女、護衛騎士バンナムの目は開かれた。
「え」
一瞬だが、ルーシェの身体が浮かび上がる。だが、すぐにバランスを崩して、彼は「ピルルルルルルルルルルルルル」と長く尾を引くような哀れな悲鳴を上げたまま、一階の窓の外へボタリと落ちたのだ。
それでも、アルバート王子、マリアンヌ王女、護衛騎士バンナムは興奮したように顔を見合わせていた。三人の目が輝いている。
「見ましたか、殿下方、今、ルーシェの足が浮かびましたよ」
「見ました、少しだけ浮いていました」
「初めてなのに少し浮くことができるなんて、凄いぞルーシェ」
三人にやんやと喝采を受けるルーシェ。
小さな紫竜は大の字になってクッションの上に落ちていたが、三人の言葉に気を取り直して頭をムクリともたげた。
一瞬で無様に落ちたので、バツが悪いと思っていたが、王子達はそう思っていないようだった。
王子も王女も、そしておまけに護衛騎士のバンナムまで目を輝かせて応援していた。
「さぁさぁ、訓練を続けましょう」
外のルーシェの身体を抱き上げて持って、またバンナムは一階の窓辺に彼の身体を立たせる。
ルーシェは翼を大きく広げ、そしてまたハタハタと揺らす。
ふいと身体が一瞬浮かび上がるが、やはりすぐに浮力を失い、ボタリとクッションの中に落ちていく。
「さぁさぁ、訓練を続けましょう」
なおも落ちたルーシェの身体を拾い上げ、再びバンナムは一階の窓辺に彼の身体を立たせる。
そうした作業を、延々と彼らは繰り返し続けていったのだった。
一方、ルーシェの訓練に同行した学者のリヨンネは、ルーシェの訓練の様子を見ることもなく、彼は一人皆から離れて、興味津々の様子で塔内部を見て歩いていた。
壁に掛けられている古びた絵や、テーブルの上のものや、壁際のライティングビューローに目を走らせる。
特に、ライティングビューローが気になるようだった。
ライティングビューローは、書き物ができるテーブルがついた収納で、目の前のものは下に三つの引き出しのついた箪笥があり、上はテーブル部分と書棚と小さな二つの引き出しがついていた。
下の三つの引き出しを開けてみたが、何も入っていない。
リヨンネは上の二つの引き出しを開けてみる。
その小さな引き出しの奥の方に、黒ずんだ指輪が一つ入っていた。
なんとなし汚らしいような様子で、リヨンネは摘まみ上げるようにその指輪を持ち上げて、ハンカチに包む。
こんな汚らしい様子だったから、この指輪は誰に取られるでもなく一つ残されていたのだろうと思う。
かつてこの塔の中に住んでいた者の持ち物だろう。
リヨンネはぐるりとまた塔の中を見回してみる。
窓辺では、王子や王女達が小さな紫竜の訓練に夢中になっていて、リヨンネが塔の中を一人見て歩いていることは気になっていないようだ。
ずっと閉め切られたままの塔の中には、何ら価値のあるものは残されていない。
ただただ朽ちていくばかりのものばかりだった。
壁に掛けられている古びた絵も、風景を描いたもので、この塔に住んでいた者の正体を表すものではない。
残されている家具も立派なものだったが、非常に古い型のものだった。
王宮の敷地のこんな隅に建てられた、高い塔に閉じ込められていたのは気が狂った姫だという話は、随分と昔からある怪談話のようなものだった。
本当にそんなことがあったのか、もはや定かではない。
けれど、確かにここには誰かが住んでいた。
その時、掃除道具を手にしたマリアンヌ王女付きの侍女が息を切らしながら現れたので、思わずリヨンネはその指輪を懐に仕舞いこんでしまった。
侍女は「急いで掃除いたします」と言って、ハタキを手にテーブルを掃除にかかる。
そこでようやくリヨンネは王子達のそばに近寄って行った。
紫竜のルーシェは、この訓練に次第にうんざりとしていた。
護衛騎士のバンナムは、小さな竜の身体が窓辺から落ちると、すぐさま拾い上げて再び窓辺に立たせる。
そしてルーシェはまた翼を広げた姿のままボタリとクッションの中に埋没する。
そしてそれをバンナムが拾い上げて窓辺に置くという作業が続いていた。
少しだけ、ルーシェの身体は浮き上がることもある。
でもそれだけで、カッコよく大空に舞い上がるなんてことはできない。
そこに学者のリヨンネがやって来て、彼は顎に手を当て、しばらくルーシェの訓練の様子を眺めていた。
それから言った。
「山に住む竜達は、風を利用してあのように飛ぶのでしょうね。風の力も必要です」
「じゃあ、王宮にいるルーシェは飛べないの?」
悲しそうにマリアンヌ王女が言うと、リヨンネは言った。
「いえ、飛べますとも。まだ翼の力が足りないので、飛び立つためには翼を鍛える訓練が必要です。実際、平地でも竜は飛び立つでしょう? ただ、山に棲む竜達は風に乗って飛ぶようなところもありますから、ルーシェは翼の力で飛ぶだけではなく、風の力を利用する必要もあるということです。そもそも飛竜達は風属性の魔力持ちです。飛び立つ時にも恐らくその力を使っています」
(飛竜は風属性の魔力持ち)
ルーシェはその言葉に、内心感動していた。
(異世界転生、ファンタジーワールド、ここに極めけりだ!! 風属性の魔力持ち。となると風の魔法が使えるのか)
以前から、紫竜のルーシェは魔力量の豊富な特別な竜であると聞いていた。
“魔術の王”と呼ばれるほどの存在なのだ。
当然、他の竜達が風属性の魔力を持ち、風の魔法で飛び立つことも出来るというのなら、自分も出来るはず。
(風、風、風、風)
ルーシェは思った。
そうだ、風があれば、この身体を浮き上がらせることができるはず。
風を吹かせて、足元から自分の身体を浮かせればいいんだ。
ただルーシェは、忘れていた。
魔術に興味を持つ紫竜が、ピルピルルと甘く鳴いて、主のアルバート王子にねだっても、王子は魔術に関する本をルーシェに読ませることはなかった。
彼は言った。
「魔術はきちんとした師について学ばなければ危険なんだ」
だから、勝手に魔術に関する本を見せられないという。
それは尤もな言葉だったので、その時のルーシェは我慢した。
でも、ルーシェは知っていた。
この世界が、なんとなしに何かに満ちていることを知っていた。
そしてその満ちている何かは利用できることも知っていた。
それを使えば、きっと風ができる。
彼は本能的にそう思った。
そして、気が付くと窓辺に立つルーシェの足元に小さな渦が発した。次の瞬間、それは突如として巨大な渦になった。
「!!!!」
護衛騎士のバンナムはすぐさま王子と王女の身体を抱いて、地面に伏せる。リヨンネも掃除をしていた侍女の身体に覆いかぶさるようにして地面に伏せた。
竜巻が塔内部に渦巻き、それに押し上げられるように紫竜は浮かび上がった。
「ピルルルルルルルルルルルル(見て見て、俺凄い!!)」
紫竜は高らかに、誇らしく叫んだ。
紫竜は浮かんでいた。
そう、竜巻の上に押し上げられるようにして浮かんでいた。
だが、翼は動いていない。
「アレは飛ぶということじゃないだろう。浮かんでいるだけだ!!」
護衛騎士バンナムの突っ込みは当然だった。
そして竜巻は、塔内部の家具を巻き込み、ガタンバキンという激しい物音を立てながら壊していく。紫竜は竜巻がぐんぐんと伸びて自分がますます高い場所まで連れて行かれることに、恐怖の鳴き声を上げた。
次の瞬間、ぐんぐんと伸びた竜巻のてっぺんにいた紫竜は、おそらく天井にぶつかったのだろう。
「ピルーーーーーーー」と哀れな声を上げて墜落する。竜巻はその瞬間消え失せて、巻き込まれていた家具らしき残骸も床石の上に落ちていく。
慌ててバンナムは立ち上がった。高い場所から落ちてきた紫竜を、なんとかその両腕で受け止める。
無事を確かめるように見る者達の前で、紫竜は目を回して気絶していた。
現在も何頭もの子竜の世話をして、訓練をしているであろう竜騎兵達は竜達の飛ぶ訓練に関してもベテランであり、経験も豊富であったはずだ。きっと、アルバート王子と紫竜に対して実のある助言をしたことだろう。
だが、その時、マリアンヌ王女は勿論の事、リヨンネも護衛騎士バンナムもなんとなしに「紫竜のルーシェのために何かしなくては」「飛竜であるのに飛べないとなると大変な事になる」という焦りにも似た気持ちがあった。なにやかんや(変な紫竜だ)と思いながらも、すでにこの小さな竜に皆、愛情を抱いていた。愛情ゆえの突っ走りともいえた。
そして訓練当日、アルバート王子は予定していた教師の指導の日程を変更してもらい、その日はまるまる一日、このルーシェの飛行訓練のために予定を空けていた。
王子は事前に侍従長から尖塔の内部に入る鍵を受け取っている。
不気味な噂のある尖塔は、入口の扉は釘で打ち付けられていた。よく見れば、窓もすべてぴったりと鎧戸が下ろされている。そのため、まずはその入口の扉を開けることから始めないといけなかった。
護衛騎士バンナムが、扉の釘を全て抜き、鍵で開けると、ギィィィと音を立てて開いた。
なんとなし、マリアンヌ王女付きの侍女の顔色が悪い。そして何故か、紫竜ルーシェも、ぴったりとアルバート王子の足に張りついて離れようとしなかった。
(この塔は、薄暗くて、なんか不気味だ)
紫竜ルーシェは、一目高い塔を見た時から、その不気味さを感じ取っていた。
王宮内でも随分と隅っこにある古びた尖塔。
手にランタンを持ってバンナムが開けた入口の扉をくぐり、彼が先行して内部に入る。
中に入れば、螺旋の階段が壁に沿ってぐるりと続いているのがわかる。
見上げれば、ずっと上階までその螺旋の階段が続いていた。この螺旋階段を上って、一番上の階まで行くというのも一苦労だろう。
内部はずっと風を通されたこともないせいか、埃っぽい。
入口の扉は大きく開け放ったままにして、とりあえず、建物の窓を開けられるだけ開けようと、バンナムは三階くらいまでの窓を開けていった。
そして眩しいほどの光が、さんさんと窓から差し込んできたのを見て、バンナムは外で待機していたアルバート王子達に声をかけたのだ。
王子達は塔の中に入った。
マリアンヌとアルバートは、興味深げに塔の中を見回している。
この古びた塔が、王宮の敷地内に昔からあることは知っていた。だが、塔の中に入ったことはない。
紫竜を飛ばす訓練のためと思わない限り、足を踏み入れることのない場所だった。
一階の塔の内部はそこそこ広いと、未だアルバート王子の片足に張りつきながらルーシェは思っていた。
畳二十畳ほどのスペースだろう。
そこには、以前この塔の中に、人が暮らしていた痕跡が残されていた。
古びた椅子とテーブル、机、そして寝台も残されていた。バンナムが寝台の上の布を持ち上げると、歳月の流れのせいか、ビリリと簡単に破れた。劣化している。
塔の窓から光が差し込み、人々の侵入に埃が舞い上がっているのが見える。長い事誰も足を踏み入れていない証のように、床石の上の降り積もった埃に、皆の足跡がくっきりと残される。
マリアンヌ王女付きの侍女はそれを見て顔をしかめ、「掃除道具を持ってまいります」と言って、急いで塔から出ていく。
ここで訓練をするなら、塔の中をある程度綺麗にした方がよいことは明らかだった。
足に張りついたままのルーシェの両脇に手を差し込み、アルバートは紫竜を持ち上げた。
「ルーシェ、じゃあ訓練しようか」
すでに、バンナムとマリアンヌ姫の二人が、運んできたクッションを、一階の窓の下に置いていた。
一階の窓の手すり部分から、外の地面までは一メートルほどの高さである。
おまけにふんだんにクッションが積み上げられているから、窓から落ちても痛くはないはずだ。
ルーシェはそれらを見て心の中で、なんとなしに、現世での防災訓練の時に、建物の外に設置する空気で大きく膨らませた布団(?)のようなものに似ていると思った。
火災でビル内部に閉じ込められ、逃げ場がない場合に、窓などからその膨らんだ布団(?)に向かって飛び下りれば安全に着地が出来るのだ。
紫竜ルーシェは、一階の窓辺に立つと、バサリとその背中にある翼を大きく広げた。
竜の翼は、薄い膜によるもので、蝙蝠の持つソレによく似ている。
ただ、竜の身体を支えるために、それは相応に大きく成長するらしい。
一階の窓辺で、二つの翼を大きく広げて後ろ足で立つ紫竜を、マリアンヌ王女、アルバート王子、護衛騎士バンナムは(ああ、いつもペタペタと歩くばかりのルーシェも、こうして見るとちゃんと飛竜なのだな)と改めて見直す思いで見ていた。
ルーシェは、はたはたとその翼を動かしてみる。
普段、まったく動かすことのない翼である。
だが、手足と同じように、それは意識せずとも動かすことができた。
そしてなおもハタハタハタと動かし続ける。
その時、アルバート王子、マリアンヌ王女、護衛騎士バンナムの目は開かれた。
「え」
一瞬だが、ルーシェの身体が浮かび上がる。だが、すぐにバランスを崩して、彼は「ピルルルルルルルルルルルルル」と長く尾を引くような哀れな悲鳴を上げたまま、一階の窓の外へボタリと落ちたのだ。
それでも、アルバート王子、マリアンヌ王女、護衛騎士バンナムは興奮したように顔を見合わせていた。三人の目が輝いている。
「見ましたか、殿下方、今、ルーシェの足が浮かびましたよ」
「見ました、少しだけ浮いていました」
「初めてなのに少し浮くことができるなんて、凄いぞルーシェ」
三人にやんやと喝采を受けるルーシェ。
小さな紫竜は大の字になってクッションの上に落ちていたが、三人の言葉に気を取り直して頭をムクリともたげた。
一瞬で無様に落ちたので、バツが悪いと思っていたが、王子達はそう思っていないようだった。
王子も王女も、そしておまけに護衛騎士のバンナムまで目を輝かせて応援していた。
「さぁさぁ、訓練を続けましょう」
外のルーシェの身体を抱き上げて持って、またバンナムは一階の窓辺に彼の身体を立たせる。
ルーシェは翼を大きく広げ、そしてまたハタハタと揺らす。
ふいと身体が一瞬浮かび上がるが、やはりすぐに浮力を失い、ボタリとクッションの中に落ちていく。
「さぁさぁ、訓練を続けましょう」
なおも落ちたルーシェの身体を拾い上げ、再びバンナムは一階の窓辺に彼の身体を立たせる。
そうした作業を、延々と彼らは繰り返し続けていったのだった。
一方、ルーシェの訓練に同行した学者のリヨンネは、ルーシェの訓練の様子を見ることもなく、彼は一人皆から離れて、興味津々の様子で塔内部を見て歩いていた。
壁に掛けられている古びた絵や、テーブルの上のものや、壁際のライティングビューローに目を走らせる。
特に、ライティングビューローが気になるようだった。
ライティングビューローは、書き物ができるテーブルがついた収納で、目の前のものは下に三つの引き出しのついた箪笥があり、上はテーブル部分と書棚と小さな二つの引き出しがついていた。
下の三つの引き出しを開けてみたが、何も入っていない。
リヨンネは上の二つの引き出しを開けてみる。
その小さな引き出しの奥の方に、黒ずんだ指輪が一つ入っていた。
なんとなし汚らしいような様子で、リヨンネは摘まみ上げるようにその指輪を持ち上げて、ハンカチに包む。
こんな汚らしい様子だったから、この指輪は誰に取られるでもなく一つ残されていたのだろうと思う。
かつてこの塔の中に住んでいた者の持ち物だろう。
リヨンネはぐるりとまた塔の中を見回してみる。
窓辺では、王子や王女達が小さな紫竜の訓練に夢中になっていて、リヨンネが塔の中を一人見て歩いていることは気になっていないようだ。
ずっと閉め切られたままの塔の中には、何ら価値のあるものは残されていない。
ただただ朽ちていくばかりのものばかりだった。
壁に掛けられている古びた絵も、風景を描いたもので、この塔に住んでいた者の正体を表すものではない。
残されている家具も立派なものだったが、非常に古い型のものだった。
王宮の敷地のこんな隅に建てられた、高い塔に閉じ込められていたのは気が狂った姫だという話は、随分と昔からある怪談話のようなものだった。
本当にそんなことがあったのか、もはや定かではない。
けれど、確かにここには誰かが住んでいた。
その時、掃除道具を手にしたマリアンヌ王女付きの侍女が息を切らしながら現れたので、思わずリヨンネはその指輪を懐に仕舞いこんでしまった。
侍女は「急いで掃除いたします」と言って、ハタキを手にテーブルを掃除にかかる。
そこでようやくリヨンネは王子達のそばに近寄って行った。
紫竜のルーシェは、この訓練に次第にうんざりとしていた。
護衛騎士のバンナムは、小さな竜の身体が窓辺から落ちると、すぐさま拾い上げて再び窓辺に立たせる。
そしてルーシェはまた翼を広げた姿のままボタリとクッションの中に埋没する。
そしてそれをバンナムが拾い上げて窓辺に置くという作業が続いていた。
少しだけ、ルーシェの身体は浮き上がることもある。
でもそれだけで、カッコよく大空に舞い上がるなんてことはできない。
そこに学者のリヨンネがやって来て、彼は顎に手を当て、しばらくルーシェの訓練の様子を眺めていた。
それから言った。
「山に住む竜達は、風を利用してあのように飛ぶのでしょうね。風の力も必要です」
「じゃあ、王宮にいるルーシェは飛べないの?」
悲しそうにマリアンヌ王女が言うと、リヨンネは言った。
「いえ、飛べますとも。まだ翼の力が足りないので、飛び立つためには翼を鍛える訓練が必要です。実際、平地でも竜は飛び立つでしょう? ただ、山に棲む竜達は風に乗って飛ぶようなところもありますから、ルーシェは翼の力で飛ぶだけではなく、風の力を利用する必要もあるということです。そもそも飛竜達は風属性の魔力持ちです。飛び立つ時にも恐らくその力を使っています」
(飛竜は風属性の魔力持ち)
ルーシェはその言葉に、内心感動していた。
(異世界転生、ファンタジーワールド、ここに極めけりだ!! 風属性の魔力持ち。となると風の魔法が使えるのか)
以前から、紫竜のルーシェは魔力量の豊富な特別な竜であると聞いていた。
“魔術の王”と呼ばれるほどの存在なのだ。
当然、他の竜達が風属性の魔力を持ち、風の魔法で飛び立つことも出来るというのなら、自分も出来るはず。
(風、風、風、風)
ルーシェは思った。
そうだ、風があれば、この身体を浮き上がらせることができるはず。
風を吹かせて、足元から自分の身体を浮かせればいいんだ。
ただルーシェは、忘れていた。
魔術に興味を持つ紫竜が、ピルピルルと甘く鳴いて、主のアルバート王子にねだっても、王子は魔術に関する本をルーシェに読ませることはなかった。
彼は言った。
「魔術はきちんとした師について学ばなければ危険なんだ」
だから、勝手に魔術に関する本を見せられないという。
それは尤もな言葉だったので、その時のルーシェは我慢した。
でも、ルーシェは知っていた。
この世界が、なんとなしに何かに満ちていることを知っていた。
そしてその満ちている何かは利用できることも知っていた。
それを使えば、きっと風ができる。
彼は本能的にそう思った。
そして、気が付くと窓辺に立つルーシェの足元に小さな渦が発した。次の瞬間、それは突如として巨大な渦になった。
「!!!!」
護衛騎士のバンナムはすぐさま王子と王女の身体を抱いて、地面に伏せる。リヨンネも掃除をしていた侍女の身体に覆いかぶさるようにして地面に伏せた。
竜巻が塔内部に渦巻き、それに押し上げられるように紫竜は浮かび上がった。
「ピルルルルルルルルルルルル(見て見て、俺凄い!!)」
紫竜は高らかに、誇らしく叫んだ。
紫竜は浮かんでいた。
そう、竜巻の上に押し上げられるようにして浮かんでいた。
だが、翼は動いていない。
「アレは飛ぶということじゃないだろう。浮かんでいるだけだ!!」
護衛騎士バンナムの突っ込みは当然だった。
そして竜巻は、塔内部の家具を巻き込み、ガタンバキンという激しい物音を立てながら壊していく。紫竜は竜巻がぐんぐんと伸びて自分がますます高い場所まで連れて行かれることに、恐怖の鳴き声を上げた。
次の瞬間、ぐんぐんと伸びた竜巻のてっぺんにいた紫竜は、おそらく天井にぶつかったのだろう。
「ピルーーーーーーー」と哀れな声を上げて墜落する。竜巻はその瞬間消え失せて、巻き込まれていた家具らしき残骸も床石の上に落ちていく。
慌ててバンナムは立ち上がった。高い場所から落ちてきた紫竜を、なんとかその両腕で受け止める。
無事を確かめるように見る者達の前で、紫竜は目を回して気絶していた。
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俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載
お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!
MEIKO
BL
本編完結しています。お直し中。第12回BL大賞奨励賞いただきました。
僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…家族から虐げられていた僕は、我慢の限界で田舎の領地から家を出て来た。もう二度と戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが完璧貴公子ジュリアスだ。だけど初めて会った時、不思議な感覚を覚える。えっ、このジュリアスって人…会ったことなかったっけ?その瞬間突然閃く!
「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけに僕の最愛の推し〜ジュリアス様!」
知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。そして大好きなゲームのイベントも近くで楽しんじゃうもんね〜ワックワク!
だけど何で…全然シナリオ通りじゃないんですけど。坊ちゃまってば、僕のこと大好き過ぎない?
※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。
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