武装法人二階堂商会 ―― 企業買収(M&A)で異世界を支配する!

Innocentblue

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第7章 金融戦争の序曲 ― 盗賊少女ミナ

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 カストリアの商人ギルドから届いた抗議状は、
 市内で大きな波紋を呼んだ。

「二階堂商会の手形は偽造通貨であり、都市秩序を乱す」

 ――そんな風評が市場に流れ、
 商会手形を受け取った商人たちは不安に顔を曇らせた。

「社長、手形を使えなくなったら取引は詰みです」

 職人の代表が怯えた声を上げる。漣司は動じなかった。

「逆だ。これはチャンスだ。俺たちの手形が脅威になった証拠だ」

 ――その時だった。

 倉庫の高窓が、猫の爪で引っかいたような、かすかな擦過音を立てる。

 誰かが異変に気づくよりも早く、
 闇が、糸のように細く伸びた。
 次の瞬間、その影は天井から滑り落ちるように室内へ侵入する。
 床に触れる寸前、影は空気を蹴り、向きを変えた。

「侵入ダッ!」

 ガロウの咆哮が炸裂する。
 獣人の脚力が弾けた。
 床板が軋み、巨体が弾丸のように射出される。
 距離を潰す速さは、並の人間なら視認すら追いつかない。

 だが――影は、もうそこにいない。

 床を転がるように回避し、倉庫の棚へ跳躍。
 重力を無視したような軽さで、空間を横断する。

「速ぇっ……!」

 職人の悲鳴が漏れる。

 だがガロウは止まらない。
 影の着地点を瞬時に読み、棚の側面へ斧の柄を叩きつけた。

 ――ドンッ!

 棚が揺れ、衝撃が跳ね返る。
 影の身体が空中で弾かれ、わずかに軌道を乱した。

「いただくぜぇ!」

 その一瞬を逃さず、ガロウが踏み込む。
 だが、影は宙で身体をひねり、小柄な体勢のまま反撃に転じた。
 刃物の反射光が、鋭く走る。短剣が閃いた。

「危ない!」

 誰かの叫び。
 ガロウは眉一つ動かさず、斧の刃を横から差し入れた。
 金属同士が噛み合い、火花が散った。

 ――キィン!!

 衝撃音が倉庫に反響する。
 その刹那。リュシアの指先が淡く光った。
 空気が一気に冷え込み、倉庫全体に霜の気配が走る。
 薄青い粒子が舞い、床を覆い、影の進路を凍結させる。

「ここで逃がさない……!」

 低く鋭い声。
 氷の刃が幾重にも展開し、逃走経路を封じにかかる。

 だが――影は、一切の動揺を見せなかった。

 小柄な身体をしなやかに折り、氷刃に触れる寸前で宙へ跳ぶ。
 粉雪のように光を砕きながら、空間を滑るように飛翔する。

 氷の刃を、踏まない。触れない。かすりもしない。

「……速い……!」

 漣司の視線ですら、完全には追えない。
 影は空中で一回転し、わずかな体勢修正だけで冷気をかわす。
 着地と同時に短剣を振るい、氷の刃と火花を散らして交錯する。
 リュシアの瞳が鋭く細まった。

「くっ……!」

 魔力を注ぎ込み、冷気の密度を倍増させる。
 氷の結晶が壁のように立ち上がる。

 ――だが、影はそこを読む。

 結晶の隙間、魔力の流れ、発生のタイミング。
 すべてを見切ったかのように、滑るようにくぐり抜ける。
 氷片が舞う中、影は一瞬の隙を突いた。

 矛先は――漣司。

 小柄な身体から放たれる短剣の連撃が、雷光のように襲いかかる。
 間合いは一瞬で詰められ、刃の風圧が肌を打つ。
 漣司は身をかわし、手元の書類束や巻物を即座に盾に使う。
 紙が裂け、角が削れ、衝撃が腕に伝わる。

「この速さ……ただ者じゃない」

 息を詰めた低声。

「……ちっ!」

 影の舌打ちが、微かに響いた。
 強引に突破しようと刃を振るった、その瞬間――
 高窓から差し込む薄明かりを背に、
 ガロウが横合いから再び跳躍する。
 巨体が空間を裂き、斧が横薙ぎに振るわれた。
 進路を、完全に遮断する。
 その刃の前で、影は空中で急停止し、
 しなやかに着地した。

 小柄な体躯。軽やかな呼吸。鋭く光る双瞳。

 誰もが本気で抑えにかかり、
 それでもなお、誰ひとり決定打を与えられていない。
 倉庫の空気が、緊張で張り詰める。
 この侵入者は、ただの忍びではない。
 戦力そのものだった。




「おとなしくしてロォッ!!」

 咆哮と同時に、ガロウの巨体が最後の一歩を踏み込んだ。
 斧を捨て、両腕で空間ごと抱え込むように飛びかかる。
 一瞬遅れれば、またすり抜けられていた距離。

 ――掴んだ。

 次の瞬間、大きな掌が影の背中を床へ叩き付けた。
 空気が潰れるような乾いた衝撃音が倉庫に弾ける。

 影――
 少女の身体が、押し伏せられる形で床に縫い止められた。

「離せっ! クソッ……!」

 少女は激しく身をよじり、脚をばたつかせる。
 だが、ガロウの腕は岩塊のように重く、びくともしない。
 肩、背、腰。
 全身の体重を預け、逃げ道を完全に潰している。
 それでもなお、少女の動きは鋭かった。
 拘束された状態ですら、次の隙を探す獣の気配を失っていない。
 押さえつけられたのは、小柄な少女だった。
 金のツインテールが乱れ、琥珀の瞳が猛獣のように光る。
 年の頃は十四、五に見える。
 背中には小さな短剣と、盗賊工具の詰まったポーチ。

 ――見た目だけなら、どこにでもいそうな子供だ。

 だが、その呼吸の速さ、筋肉の張り、視線の切り替え。
 その動きは完全にプロの盗賊のそれだった。

「ガキの盗賊カ……」

 ガロウが唸ると、少女は乱暴に睨み返し、歯を剥いた。

「ガキじゃない! 一人前の盗賊――影走りのミナ様だ!」

 少女は牙を剥く獣のように叫んだ。
 喉の奥から絞り出されたその声には、
 誇りと焦りと、生き残るための必死さが混ざっている。
 ガロウの腕に押さえつけられたままでも、
 ミナの視線は鋭く、倉庫の奥を睨み続けていた。

 ――狙いは、明白だった。

 机の上。整然と積まれた、商会手形の束。
 指先が、わずかにそこへ伸びている。
 獲物を逃がすまいとする、肉食獣の本能的な動きだった。
 漣司は、その視線の先を見逃さない。
 静かに一歩進み、ひらりと手形を拾い上げると、
 あえてミナの目の前で軽く揺らした。
 紙が空気を切る、かすかな音。

「――お前、これを盗んでどうするつもりだ?」

 問いかけは穏やかだったが、逃げ道は与えない距離感だった。

「決まってんだろ! ギルドに売るんだ! そうすりゃ飯が食える!」

 即答だった。迷いも、ためらいもない。
 それだけ、この選択が彼女の日常だったということだ。

「……ギルドの犬になるつもり?」

 横から、リュシアの冷えた声が差し込む。

「そんな小さな命、すぐに使い潰されるだけですが」

 氷の刃のような言葉だった。
 倉庫の空気が、わずかに張りつめる。

「うるさいっ!」

 ミナは喉を震わせて怒鳴り返した。

「生きるためなら、なんだってする!」

 叫びは、倉庫の梁に反響して跳ね返る。
 その声に、周囲の職人や村人たちが、思わず息を呑んだ。

 ――胸が、ざわめく。

 かつて、自分たちも同じ目をしていた。
 明日の飯のために、誇りを削り、
 危険に身を投げていた頃の自分たちが、そこに重なったのだ。
 沈黙の中で、漣司はガロウに目を向け、小さく顎を引いた。

 合図。

「……チッ」

 ガロウは舌打ちしながらも、ゆっくりと腕の力を緩める。

 拘束が解けた瞬間、ミナは素早く転がるように距離を取り、
 床を蹴って立ち上がった。
 背を低くし、いつでも飛びかかれる姿勢。
 完全に、野生の構えだった。
 琥珀色の瞳が、漣司を射抜く。

 逃げ道、距離、障害物――
 一瞬で周囲を測る、盗賊の目。

 その緊張を壊すように、漣司はあえて一歩、また一歩と近づいた。

 ゆっくり。
 無防備に見えるほど、堂々と。

「ミナ」

 名前を呼ぶだけで、少女の肩がわずかに跳ねる。

「お前は腹を空かせている。だから盗む。
 ――それは理解できる」

 漣司は手形を下ろし、視線を真正面から合わせた。

「だが、俺と来れば、もう盗む必要はない」
「……何、言ってんだよ」

 ミナは眉を釣り上げる。

「働いて、対価を得る。それが俺のルールだ」
「奪う側じゃなく、作る側に回れ。
 腹を満たすだけじゃない。居場所も、信用も、全部だ」



 倉庫の空気が、静かに揺れた。

「……は?」

 ミナの口から、間の抜けた声がこぼれる。

「……働く?」

 理解できない言葉を聞いたかのように、少女は目を丸くした。
 盗む。逃げる。生き延びる。
 それしか知らなかった世界に、
 まったく別の選択肢が差し込まれた瞬間だった。
 その表情を、漣司は静かに見据える。

「そうだ」

 漣司は、ミナをまっすぐに指差した。

「お前の盗賊の腕は、鍵開け、潜入、情報収集に使える」
「……っ」

 少女の喉が小さく鳴る。

「情報は、金を超える価値がある」

 静かな断言だった。

「俺はお前を――情報部門の社員として買収する」

 その瞬間。

 空気が、微かに歪んだ。
 漣司の視界に、半透明の光のレイヤーが重なり、
 無機質な文字列が流れ出す。

――《買収交渉開始》
――対象:盗賊少女ミナ
――信用:低
――潜在能力:極高
――必要対価:
 「衣食住の保証」
 「成果報酬の明示」

 提示条件を口頭で提示せよ。

 漣司は一歩踏み出した。

「三食と寝床は、商会が保証する」

 倉庫の冷えた空気の中、その言葉は不思議なほど温度を帯びた。

「働いた分だけ、正当に銀貨を払う」
「……っ」
「お前の居場所は、商会が守る」

 言葉は短く、だが芯があった。

「どうだ?」

 ミナの瞳が、わずかに揺れる。

 沈黙。

 少女の脳裏に、これまでの光景が一気に走る。
 路地裏で奪い合った固いパン。
 ギルドに顔色をうかがい、投げ渡された端金。
 眠る場所を失い、夜の寒さに歯を鳴らした日々。

「……本当に?」

 ミナの声は、さっきまでの獣の吠え声とは違い、かすかに震えていた。

「裏切ったり……しない?」

 不安が、正面からぶつけられる。

 漣司は迷わなかった。

「契約書にサインすれば、裏切れない仕組みにしてやる」
「仕組み……?」
「感情や善意じゃない。契約と制度で結ぶ」

 一拍、置いて。

「だから――安心しろ」

 漣司は静かに一枚の契約書を差し出す。
 古い羊皮紙。
 だが、その表面には細密な魔法陣が幾重にも刻まれていた。
 リュシアが一歩前へ出る。
 指先に集まった魔力が淡く光り、空中に誓約文が浮かび上がった。

「虚偽の契約は、魔法が拒絶します。
 契約違反は、即座に双方へ通知される」

 冷静な声が、式次第を読み上げる。

「――これは、対等な契約です」

 倉庫の中が、しんと静まり返る。
 獣人たちも、職人たちも、息を呑んで見守っていた。
 ミナは契約書を見下ろす。文字が、かすかに光っている。
 逃げ道を塞ぐ鎖ではない。

 ――居場所を示す印だ。

 迷い。恐れ。
 それでも――前に進みたいという衝動。
 少女は、小さく息を吸った。
 震える指で羽根ペンを取り、契約書に触れる。
 ペン先が紙に触れた瞬間、魔法陣が淡く脈動した。

「……ミナ」

 自分の名を、確かめるように呟きながら。
 一文字、一文字。
 逃げずに、書き切る。

 最後の線が引かれた、その瞬間――

 契約書が淡く発光し、空気が弾ける。

――《買収完了》
――《対象:盗賊少女ミナ》
――《所属:二階堂商会・情報部門》
――《契約状態:成立》

 光が収束し、倉庫に静寂が戻る。
 漣司は、短く告げた。

「ようこそ、二階堂商会へ」

 ミナは一瞬だけ目を見開き――
 そして、ほんの僅か、照れたように視線を逸らした。


 
 後日。ミナは裏路地を駆け回り、息を切らせて倉庫へ飛び込んだ。

「社長! ギルドはうちの手形を潰すために、
 明日、偽札公開裁判を開くらしいの!」

 報告を受けた漣司は、唇を吊り上げた。

「裁判か。いいじゃないか。あそこは剣を振るう場所じゃない――
 理屈と証拠で相手を切り伏せる闘技場だ。
 今度は公開の場で、俺たちの正当性を叩きつけてやる」

 リュシアが微笑み、横目でミナを見る。

「新しい部下も増えましたしね。
 社長、負けるわけにはいきません」

 ミナはむくれた顔で叫ぶ。

「部下じゃない! 社員だ! ちゃんと給料出してよね!」

 笑いが広がった。
 倉庫の中に漂う緊張が、少しだけ和らいだ。
 だが嵐はすぐそこに迫っている。
 二階堂商会と商人ギルド――
 金融戦争の火蓋が、まもなく切られようとしていた。
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